玄米を食べ続けて50年
マクロビオティックの創始者・桜沢如一先生が、提唱した半断食法「七号食」を何度も実践した結果、「未精製の穀物(玄米・古代米・雑穀米)を好きなだけ食べても7号食と同じ効果が得られる」事を発見、『トミタ式七号食』の普及に努めています。

ブログ記事も8000を超えました!


2015年12月22日

エゴギョウ中級編 ストレスと依存1

3年前の再揚げから

昨日は終了後の質問にもお答えいただきありがとうございました。
170問の質問での不安、思い込みの数値の高さ、理想主義がとても低い理由が、昨日お渡しするために自分の今までを振り返りってみて、わかったような気がします。

不安の原因は両親に捨てられたという思いが強い為だと思います。
理想主義が低いのは5歳の時の自分が大人に成りきれていないからかもしれません。

こんな私が足りない部分を補うには
どんな事をすると良いでしょうか?
ヨロシクお願いします。

終了

こんにちは

小さな子を連れている夫婦みて、僕はいつも思うのです。

見かけですが、いかにも未熟な夫婦をを見て「子育て、大丈夫かな」と。

けれど、未熟な若い人が子育てをするような仕組みになっているわけです。

未熟ですからたくさんの失敗をするはずですが、その失敗も織り込み済みなのでしょう。

完全なる子育ての成功をするとみんな同じような人になるのかもしれず

それでは多様性というものをつくることができません。

「アンナカレーニナ」でトルストイは「幸せな顔は一つだが、不幸な顔はいくつもある」

たしかそのような記述があったように思います。

不幸はそれぞれ個性的だということでしょうか。

子育ての失敗は個性をつくります。

ですから、あなたの厭な記憶の一つ一つが今のあなたには欠かせないものだったのです。

どれが欠けても今のあなたにはなりえないでしょう。

違う人になっているのです。

その違う人になりたかったという思いは

今のあなたへの自己否定になるわけです。

今のあなたを創造するには5歳のときの離婚が必要だったし、養父母とのアレコレや

脱出するための決断も今のあなたの創造に必要だったのです。

幼い時の傷、それを癒そうとするあなた、それそのものがあなたの全存在なのですよね。

トラウマというもの。

これさえなかったら良かったのにと思う人は大勢いて、それは自己否定です。

トラウマも含めて、あのときああいう体験をしたから良かった。だから今の自分がある。

そう思えた時、乗り越えたといえるのですよね。

そう思えることができるような生き方をすればいいのです。

現在の夫やその義理の息子の一挙手に影響されてストレスを溜めるのは

あなたが彼らにコントロールされているからです。

それは精神的な依存状態だといえます。

そういうことにかまってはいられないくらいの

活き方をすれば気にもならなくなるのです。

それがセミナーで語っていた「自己本位の活き方の勧め」なのです。

posted by 変才冨田 at 16:21| Comment(0) | TrackBack(0) | エゴギョウ中級編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月14日

エゴギョウ中級講座 優先順位が決まらない理由

優先順位が決められない大きな原因は締め切りを決めていないからです。

締め切りを決められないのは「自分は死なない」と思っているからです。

木性の判断力の土台は「自分は必ずこの世界から消える」という確信から来ます。
posted by 変才冨田 at 23:23| Comment(0) | TrackBack(0) | エゴギョウ中級編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月10日

エゴギョウ中級編 火性の高め方2

先生の深いお言葉…。

自分が、何にでも、安直に、考えていて、焦って結果を出そうとしていた事が、恥ずかしくなりました。

そうです。確かに、そうなんです。

先生のセミナーに参加して、7号食にトライして、食べ物に対する認識が変わり、感謝が生まれて、

また、今日から、中心軸が出来て、仕事かえりにも、何だか爽やかな。温泉に、入ったら後の様な感覚になり…。

何より。すごい先生なのに、こんな私にも、丁寧にお答え頂けること。
その事こそが、正に、ミラクルな、ワクワクする毎日なのに…(^_^;)。

何でも、自分で、考えて、答えを出さないと、楽しく無いのですね。
ミッションを解いて
面白発見人間になれた時に、自然と、自分の求めるものが、備わる。または、そのヒントが生まれる。
と、いう事なのですね。
挑戦してみます!❗️
だから、
この世は、遊園地(遊園地)
なのですね(^。^)‼️

先生のメールを何度も、繰り返し、読んで、行動して、観察して、みます‼️
昨日から、ノートに、毎日の買った物を、投資か、浪費かに分けて、書いてみてます。(^_^;)。
posted by 変才冨田 at 20:31| Comment(0) | TrackBack(0) | エゴギョウ中級編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

エゴギョウ中級編 火性の高め方1

先生に質問して宜しいですか?
この前の夜学の時に、先生が、火性の高い人は?と、聞かれて、私は、手を挙げましたが、皆さんは、14以上あって、私は、火性も
木性も、11でしたので
土性だけ15なので、サキナパターンだと思い込んでましたが、ちょっと、違うようです。
サキナで、上を目指して、お声かけも、楽しくなっていくには、火性木性を上げていく事が、大事と思つています。どんな事を心がけて、行動していったら、楽しくなって、人が喜んで、その結果が、ついてきますか❓
因みに、金性、水性は、7,8です。

回答

火性は観察することで磨かれますよ。

実は、この世界はとても興味深く面白いのです。

それを見つけることをミッションにするのですよ。

子供のように

どんなことにも「なぜ、どうして?」を心の中で繰り返し質問するのですよ。

全ては初めて出会うことだらけで、全ては初体験なんです。

面白くないわけないですね。

面白発見人間になるミッションですね。

posted by 変才冨田 at 19:41| Comment(0) | TrackBack(0) | エゴギョウ中級編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月14日

エゴギョウ中級講座 水性と金性の同居

水も金も高い値で心に同居している人は多いです。

これは上等兵と二等兵が同時に心に活きているわけです。

一方が理不尽な命令をビビりの水性にしており、水性は従ったフリだけして実はサボタージュしているという心の風景です。

上官が笛吹けど部下は顔だけ従順なのです。

命令に従ったとしても気分が良くないので魂がこもらずうまくいきません。

いつまで経ってもうまくいかないので金性の上官は自信がなくなります。

夢があるといいながら実行の気配の無い人はそういう状況です。

つまり、その「夢」や「目標」に問題があるのですね。

金と水が矛盾で苦しんでいる時肝心なエネルギーの塊である火性が停止しています。

水も金も火を結果として無視しているのですね。

世間的な見栄えの良さを追いかけると火が本音を唄わなくなるのです。




posted by 変才冨田 at 19:39| Comment(0) | TrackBack(0) | エゴギョウ中級編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年09月18日

金性人の面白い生態

エゴギョウでもっとも興味深い存在は金性人だ。

愛すべき人格だと思う。

@ 非常にマニアックだ。それもかなり狭いところでマニアックなのだ。
 金性人は全体が見えない性質があるので、どうしても超部分的なところに関心が向く。
 重箱よりも重箱の隅に関心を寄せることになる。そうなるのは重箱全体が見えないからだ。

続く
posted by 変才冨田 at 00:16| Comment(0) | TrackBack(0) | エゴギョウ中級編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年09月08日

エゴギョウと五感

五感とエゴギョウを繋げるのならば、カーク船長のお話では下記の通りとなるのかなと思いました。

視覚:木性(目)、聴覚:水性(耳)、嗅覚・触覚:金性(皮膚・鼻)、味覚:火性(舌)
土性は唇なので、味覚と触覚で悩んでいます。土性の性質を考えると味覚でしょうか。

なんとなくですが、第六感は火性に属する気がします。
カーク船長の見解を教えていただけると嬉しいです。

終了

エゴギョウを思考ツールとして使っていますね^^

さて、火性は舌で土性は唇ですよね。
唇と舌は口という組織で一体となって活動していますね。
感覚を区別しにくいところですね。

そして唇は触覚でもあるのですね。

最初に食べ物に触れる場所ですよね。

皮膚感覚としては非常に鋭いところです。

ですから触覚だということになるのですが

この触覚は内臓触覚であって、皮膚感覚ではないのですね。

顔は消化器官が内側から噴火して顔になっているのです。

で、これは胃が持つ触覚なのです。

土性には胃が配当されているので、唇は内臓触覚という触覚で皮膚とは区別します。

ところで初めて体験する食べ物はおそるおそる唇をゆっくり通すわけです。

唇感覚で違和感があれば吐き出します。

そして人の唇はまた他の動物と比べて厚いですよね。

同じ類人猿の猿は唇が内側に入っています。

これはどういうことか?

考えてみましょう。
posted by 変才冨田 at 20:55| Comment(0) | TrackBack(0) | エゴギョウ中級編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年08月30日

エゴギョウ中級講座 「今を生きる」から3

横からコメント失礼いたします。

先日は楽しい時間をありがとうございました。 得るものがとても多い、充実した合宿でした。

トッドの詩の授業の時、辛そうな姿でも決して情に流されず、無理矢理読ませる訳ではなく、自分から、内から読ませた姿は、いま考えると土性と木性のコンビネーションだったのかなと思います。

そしてトッドの怯えや悲しみを反転して勇気へ変えたのではないでしょうか。 最初は土性かなとも考えたんですが、土性が水性を相剋したのとはまた少し違うように思えました。

木性は、他のエゴギョウと違って目に見えにくい性質だと感じていたんですが、 先生のブログを拝見していると、キーディング先生は分かりやすいように感じました。

印象的だったのが、ニールが演劇のことで先生に相談したときに、先生はとにかく正直に熱意を伝えろと言い続けました。 ここで木性が高くなければ、こういったアドバイスにはならなかったように思います。

キーディング先生は土性が高いというのは感じていましたが、情に流されることはありませんでした。 つまり、土性と木性の点数が同点ということだったんですね。 木性は¨理性的¨という言葉が合うのかなと思いました。 考えながら打ってしまったので、文章内容がまとまっていなくてすいません。 長々と失礼いたしました。

終了

印象的だったのが、ニールが演劇のことで先生に相談したときに、先生はとにかく正直に熱意を伝えろと言い続けました。 ここで木性が高くなければ、こういったアドバイスにはならなかったように思います。

この太字の部分なのですが、結果は父親を説得しないで隠して演劇を続けようとしたのでしたね。

ニールは最初から説得をあきらめていたのです。

ニールにしてみれば先生の励ましはなんの力にもなれなかったわけです。
先生と父親の接点はなかったので父親の金星性の頑ななさ
を軽く見ていたのではないでしょうか。

おもえばニールも水性が高かったのですね。

父親に対しては自分の言葉が金性に遮られました。

一方トッドは自分の言葉で表現できるように力がもたげてきました。

ニースの水性は折れて恐れのままで、トッドは水性の恐れを勇気に転換しました。

トッドは最後に自らの意志で机の上に起つことを決めました。

ニールは決められず、トッドは決めたのでした。

この対比こそがこの映画のテーマであったようですね。

ニールの火性はあまりにも初心(うぶ)過ぎました。
金を剋するだけのエネルギーがなかったのですね。

好きな女性を見つけた同級生は暴力に屈しない火性でした。
彼は小さいころから火性の許可を両親から貰っており良く鍛えられていたのでしょう。

ニールは小さいころからの火性の訓練ができていなかったのです。


さて、先生は巧みにトッドの口からやむにやまれぬ表現を引き出しました。

どうしてこれができたのでしょうか?



posted by 変才冨田 at 11:09| Comment(1) | TrackBack(0) | エゴギョウ中級編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年08月26日

エゴギョウ中級編 「今を生きる」からの分析1

札幌の合宿に参加したものです。

とても楽しい時間を過ごさせて頂き、有難うございました。

ところで、その時観た『いまを生きる』という映画の中で伺いたいことが出てきましたので、メールしました。

 それは主人公ニールはやはり父親の金性を受け継いでいるのだろうかということです。

 主人公ニールがトッドを詩人の会に勧誘するとき、ニールに金性を感じました。威圧するとか、悪く出ているという印象はなかったのですが、結構自分の考えを強く主張して、トッドの主張や希望などを受け入れていないように感じました。

 そして金性が父親ほどきつく出ていないのは、何か他の性質の要素によるものなのでしょうか。  もうひとつ伺いたい内容があるのですが、ちょっと時間がないため後日またメールすると思います。よろしくお願いします。

終了

あなた!

良く観ていますね。

観察眼が鋭いというか、眼が行き届いているのですね。

僕も気づかなかったシーンでした。

なるほどニールの正確に隠れている支配的な性格が出ていますね。

けれど、土性の「みんなを巻き込めればもっと楽しい」もあるのですね。

このことが脚本上非常に重要な伏線になっていましたね。

映画の見かけの主題は火と金の相克になってたのですが

実は裏側に監督の本当のテーマが隠れていました。

それは、あなたが注目したシーンに関係していました。

トッドこそが隠れていましたが本当の主役だったのです。

監督も彼をどうしても「死せる詩人の会」に入らせたかったので

ニールにその役割を果たさせたのです。



posted by 変才冨田 at 23:53| Comment(1) | TrackBack(0) | エゴギョウ中級編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年08月16日

エゴギョウ中級編 インサイド・ヘッドより4 「悲しみの力」は真実の勇気を奮い立たせる2

悲しみの力」は真実の勇気を奮い立たせる・・・
感銘を受けました。
文中の方は最期に、みんなを救って去っていかれたのですね。


さて、私なんかの場合は、どうかと振り返ってみると、
今までは、まったくその逆だったと思います(あえて過去形)。
簡単に言ってしまうと、悲しみを怒りに転じ、恨みをはらそうとする(笑)傾向であったと思います。

思えば症状の出る少し前には必ず、思い通りにならない事態、不満のある状態、傷つけられた(と、自分で思っている)状態があります。
そして、潜在的に結果的に手術などに至り、自分の身体を傷つけて、人を悲しませる。そんな行為が潜んでいるようにも思います。
いえいえ、それは自分でも分からない、巧妙なもっとミステリー小説になっていたのかもしれません。

高ずるといのちに関わるとんでもないところまで行きそうです。

いわゆる遠回しな(笑)自傷行為?
私、自傷行為をする人をやくざの脅しみたいだと思っていました。
だけど、ひょっとしたら、同じことをしていたかも。
幸い、命に別状がなかったから良いですが。


今回は、セーフです^0^。
それは、悲しみも自分の身体のサインも無視しなかったからだと思います。
そして、もう大丈夫。


悲しみの力を誤変換すると自他ともにへの刃になるようにも思います。しかし、死んでしまう本人にはそれは分かりません。
だけど、残されたものの記憶に傷として残ってしまうかもしれません。



だから、悲しみは無視できないのです。
無視されたことは怒りに繋がり、復讐しようとするかもしれません。
自分を傷つけてまで、人を傷つけるという形で。
こわい〜(TT)。

悲しみを喜びへと成長させていくために、通る道筋はあると思います。五行の成長過程を経て。



ダークな話題でした。
posted by 変才冨田 at 23:28| Comment(2) | TrackBack(0) | エゴギョウ中級編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年08月15日

エゴギョウ中級編 インサイド・ヘッドより3 「悲しみの力」は真実の勇気を奮い立たせる

「静かに己を悲しむ心より 真実の力は生まれる」
これってどういうことでしょうかね。

さて「悲しみ」とは意志の力でどうにかなるとは思えない事態を前にして起きる感情のようです。

たとえば愛する人との死を原因とした別離の際に起きる感情です。

意志力などの「力」が及ばないことはたくさんあります。

「力」を発揮しようとしているうちは、それは「執着」というものでしょう。

仏陀に「死んだ我が子を生き返らせて欲しい」と願った女に、仏陀は「では、死者が生き返ったという家を探してください。それが見つかったら生き返らせよう」と言ったしょうです。

女は全ての家を尋ね回りましたが一軒も生き返った例などなかったのです。

仏陀に「生き返らせて欲しい」と願ったのも、尋ね回るのも力技ですね。
その間は「苦」ですが、とうとう子は戻らないことを悟ります。

その時に「悲しみ」が押し寄せてきます。

では冒頭に掲げた「静かに己を悲しむ心より 真実の力は生まれる」

の「真実の力」とはどういうものなのでしょうか。

そこで思い出される臨終の席での話があります。

下記はこのブログの2010年の記事ですから15年前のことなのですねえ。


10年前のこと。ある印象的な記憶があります。

「死ぬのが怖い・・・、どうなるのか考えるだけで怖い・・・」

電話口の向こうで、小鳥が鳴くようにか細い声でそう言われたのは末期癌の60代の女性でした。

わたしは言うべき言葉もなく、ただウンウンと聞くのみでした。

けれどいまわのきわの彼女はけなげで立派でした。

息も絶え絶えになったとき、自ら酸素マスクをはずし「みんな、ありがとう。幸せだった!

とっても幸せだった・・・」と、

全員の鼓膜に最後の声を刻み込み旅立たれたのでした。

病室に居合わせた人々の胸は感動で満たされ、その残されたかすかな笑顔をいつまでもいつまでも見つめていたのです。

厳粛な静寂のなか、病室に居合わせた人々を一瞬のうちに温かい渦で包んだ彼女でした。

死する人が生き残る人々を励まし、希望を与えた一瞬でした。

死が避けられないものであれば、死する意義とはこういうものではないかと思ったものです。

終了

これが「静かに己を悲しむ心より 真実の力は生まれる」ということなのではないでしょうか。

「悲しみの力」は真実の勇気を奮い立たせるのですね。







「力」では

posted by 変才冨田 at 19:46| Comment(1) | TrackBack(0) | エゴギョウ中級編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年08月14日

エゴギョウ中級講座 インサイド・ヘッドから2

ところで「悲しみ」について書く前にもう少し前提になることを・・・。

欧米の思想と言うのは要素主義になっていて、この映画もそのようになっている。

それぞれの感情が一個ずつ粒として存在している・・・。

五行もそうではないかと思われるかもしれませんが

五行は要素主義ではないのです。

正式には「五行運行」と言うのです。

それは一つのものから変化して、ある時点でシャッターを切って見せているのです。

火が土に、そして金へと変化しながらグルグルとスパイラルなウエーブを起こしているというわけです。

ですから全体の波の動きを見るわけです。

東洋哲学は全体性野哲学なのですね。


さて、このアニメのメインテーマは喜びと悲しみの交流にあるのです。

喜びはなんでも+発想で介錯して主人公の少女が幸せな感情でいあれるようにします。

ところが悲しみの感情はなんでもマイナス発想で解釈します。

「喜び」の感情にとってはとんだ邪魔者なんですね。

そして、「悲しみ」が役立たずに見えて「なんであんたなんか居るのよ!><」

と考えています。

皆さんも自分の心がマイナス発想に傾いている時にそう思いませんか?

「いけない!+発想をしないと><」そう思うことはないですか?

では、わたしたちはなぜマイナス発想をするのですかねー。

おそらくソレは+発想のためにあるのでしょう。

+発想だってマイナス発想のためにあるのですから。

それはどういことかはおいおい説明してゆきます。

最近近くのお寺での掲示板ですが
IMG_0900[1].JPG
というのがありました。
「静かに己を悲しむ心より 真実の力は生まれる」
これってどういうことでしょうかね。



posted by 変才冨田 at 23:41| Comment(0) | TrackBack(0) | エゴギョウ中級編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

エゴギョウ中級講座 インサイド・ヘッドから1

誕生都ともに華々しく喜びの感情が頭脳に生まれ、
しばらくして悲しみの感情がそっと、ひっそりと存在して・・・。

そのあとでイライラや怒りの感情、恐れの感情が生まれる。

これって本当にエゴギョウですね。

あ、まだこのアニメ観ていない人はネタバレになりますから、まずは観てください。
そのあとでこの文章をどうぞ。

ところで誕生と共に喜びの感情が・・・、というのですがそれ以前はどうなっているのでしょう。

暗黒ではないはずですね。

胎児の頃にも豊かな感情があるはずです。

きっとお母さんの感情とともに共有体験しているものと思います。

お母さんの感情体験は胎児にとっては世界そのもののイメージとなっているでしょう。

不安であれば灰色のイメージ、恐れがあれば暗いイメージ、幸せを感じていれば黄色い世界だと思うのです。
そしてお母さんが活気に満ちていればパステル調の赤い色でしょう。

落ち着いていれば青いパステルです。

さて、そうした色彩感覚の世界から臨月となったとき急に催してきます。

その感覚っていうのはおそらく世界の崩壊感覚ではないでしょうか。

つまりこの世界に飛び出してくる直前というのは死そのものの暗示に迫られる。

決して喜びなんかではないでしょう。

いよいよ時がきました。

それはもういてもたってもいられない焦燥感
そう尿意や便意が差し迫った時の内臓感覚に似たものでしょう。

そしてオキシトシンを母親に出すようにやむにやまれず指示ホルモンを排尿感覚で出してしまう。

生まれるぞ!

そう決意するものでもなくやむにやまれない必然感ですね。

胎児は大きくなりすぎてお母さんへの愛圧を高め、オキシトシンによって逆圧が胎児にかかります。

とっても苦しいはずです。

もう死ぬ!

暗いトンネルを頭蓋を折りたたんで突進します。

産道の圧迫から逃れようとしてねじりこむように身体をくねらせて突進します。

そして死にます。

胎児としての死の体験です。

向うに明るい世界がほのかに見えます。

そしてまばゆい光の世界です。

これって臨死体験に似ていませんか?

死ぬ時に一瞬でありながら一生がさかのぼって追視するといいます。

最後に産道体験を再現しているのではないでしょうか。

一生で最も特別な記憶を再現するのかもしれません。

わたしたちはその体験を何度も追従しようと神社やお寺の参道(産道)を歩きます。

参拝しようとする心の本質は浮世を忘れること。それは浮世での名前を捨てて(一時的人生の停止)
生まれ変わろうとする意欲と思えるのです。

苦しみながら水の世界での一生を終えて(死んで)、空気の世界へ入ります。

こうした劇的体験こそ生の意味を教えてくれています。

暗い世界からまばゆい光の世界へ入った体験を強烈なので

なんどもそれを追認したい。

それは苦しみを糧にして再び光に包まれたいというOSが仕込まれてしまっているかのようです。

雄々しい人がしばしば苦しみを選び取る秘密がそこにありそうです。


胎児の時代は母親の感情から発せられるホルモンと色彩感覚が結びついた世界です。
色彩のイメージが胎児の感情ですね。

誕生とともに光に包まれ、まばゆすぎて驚き泣きます。

このあたりは誕生のあり方で感情の順番も違うかもしれません。

先ず

生まれようとするやむにやまれない力が己から発ッせねばなりません。
これが釈迦の言う「唯我独尊」です。
主体性は本能にその中心核があるのです。

母親が産もうとして生まれるわけではないのです。
まして陣痛促進剤などの薬の力で生まれてはいけない。

胎児のなかに、その成長のなかにやむにやまれない力が働いて自ら母親にオキシトシンを分泌させねばならないのです。


そして「喜び」の感情です。
これは苦しさを乗り越えて生まれる感情なのです。

ですからこのアニメでは「喜び」から生まれていますが
それ以前に苦しみがあったのです。

仏陀が言う「生は苦である」という意味が分かります。

そしてその「苦」の表が「喜び」なのです。

火性の感情は「苦しい・喜び」が表裏としてあるのです。
内臓感覚としては心臓が「苦」を担当し、小腸が「喜び」を担当します。

確かに走っている時は心臓が苦しく、美味しい食べ物が小腸にやってきたら7メートルの消化器は歓喜ですね。
火性は欲求が生まれるところで、この欲求が「苦」と「喜」を生み出すのですね。

続く
次回は「悲しみ」の感情とはなにかについてです。
皆さんも考えてみませんか?






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2015年08月11日

エゴギョウ中級講座 インサイド・ヘッドの観方

コメントがありました。

ぜひ、教材にしてください。

途中、喜びが、大人の喜ぶ顔を見る喜びになっているところが水性的で気になりました・・・。

木性は、ムカムカなのですかね。
もっと良い表現がなかったのかなあ〜などと思います。
でも、肝だからいいのかな・・・。

悲しみは、土性になるのですか。

あれ、一人足りない・・・?!
金性はどれになるのかな。
ムカムカさん?

そのへんがわからないです。

イライラと怒りのあたりが混乱するのですね。あとはすんなりゴギョウ配当が決まりますね。

僕の感覚では

喜び   火
悲しみ  土
イライラ 金
恐れ   水
怒り   金

というあたりです。

怒りは木の「肝の怒り」といいますがそのままですね。
木の判断力が弱いとすぐに怒りに成長します。

菌のイライラとは「思い通りにならない」と言う「人をコントロールしようとする感情ですね。

コントロールできないと判って「怒り」で対処します。

そこから物語を考えてみましょうか。


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2015年08月09日

インサイド ヘッドのエゴギョウ的鑑賞

エゴギョウを学んでいる方々には推薦したいアニメです。

最近の大脳生理学の知見も取り入れられており、その扱い方も巧みでした。

人の心は記憶の集積で作られているという切り口で、その点は納得できます。

主人公が誕生してすぐに先ず「よろこび」の感情が生まれます。

その感情はその子の心の内部に擬人化して表現されています。

次に生まれる感情が「悲しみ」です。


物語の主軸は「よろこび」と「悲しみ」の対立から始まり

その二つがお互いをどう認証するかが見所になっています。

これ以上書くと興味を削ぎますので控えます。

エゴギョウでどう鑑賞するかはあなたのエゴギョウ理解の深さが測られます。

ご覧になってから教材にしましょうか。



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2015年07月22日

エゴギョウ中級編 自分の課題に向き合えない水性人

水性人はNOと言えないのでついつい他者の課題に巻き込まれます。

余計なトラブルを被って時間と心の浪費をしてしまいます。

実はNOと言えないから浪費をしてしまうのではなく、自分の課題を知らないからそうなってしまうのです。

この時、@火性も高い人は時々課題に気づいて焦りイライラします。

A金性が高い人は道徳や義務を自分に課してしまい、本来の自己の課題を忘れてしまいます。

B土性が高い人は積極的に他者の課題に介入してしまい、終いには恨み言を言うようになります。



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2015年07月05日

エゴギョウ中級講座 レッテルを貼ると見えないものが増える

昨日のことです。

ある女性がご主人に「わたしになったつもりでエゴギョウの50問をチェックして」

ということで結果が出ました。

彼女によるとその結果は「わたしの過去なんです。今は、わたしは変わっているのに・・・」

つまり、ご主人は過去に貼ったレッテル通りの奥さんだと思って今の彼女を見ているわけですが

現実には存在しない彼女を見ているわけです。

こういトンチンカンなことが起きるのは過去にレッテルを貼ったきり、更新していないからですね。

更新しない人々がいます。

どういう人でしょうか?

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2015年06月26日

エゴギョウの講習会は毎月行われています。直近は6月28日午後からです。

エゴギョウは非常に深くて広い心の改善ツールであり、思考ツールとしても優れています。

最近では面接に活用されたり、企業人の育成やアニメの脚本作りにも活用されようとしています。


簡易版の50問の質問に回答すると東洋哲学の五行の形に変換されることで、あなたの心の癖が一望できるのです。

心の癖とはOS(オートメーションシステム)であり無意識の領域でもあるのです。
あなたがそこでなぜそう感じたのか、なぜそう考えたのか?
そうした「心の秘密」ともいえるあなたの無意識の領域がどのように形成されたのか?そうした問題も探究できるのです。

さらに、エゴギョウでは「観察」を重視しており、観察することが対人関係のみでなく自己との適切なコミュニュケーション能力につながると考えています。

では、観察するとはどうするのか?
他者を正確に観察する技法があって、その観察する技法がそのまま他者を認証する力に及びます。

今回は入門編ですが徐々に初級、中級と理解を深めていただけるようにセミナーを組んでいきます。

今、学んでおくことはキャリアにつながることでしょう。

28日 午後1時30分から 4時30分まで 
参加費 2500円

参加予約は
050−1193−9391
tetu.tomita@gmail.com


さらに、170問の正式版の解説セミナーも計画されています。
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2015年06月09日

エゴギョウ中級講座 映画「12人の怒れる男たち」 起きてしまったマイナス感情の処理 3

この映画はヘンリーフォンダ主演です。1958年のアメリカ映画で白黒ですよ。

この映画は30代の頃一度見て感動したものですが、エゴギョウの視点から鑑賞することで深い鑑賞ができました。
木性と金性の闘いが熾烈です。
そして、金性には「ものごとへの疑問がそもそも無い」と言うことに気づきます。
怒りやイライラ、嫉妬などのマイナス感情を処理する方法は「なぜ、そう感じたのか」を発することですね。

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2015年06月07日

エゴギョウ中級編 木性と起こってしまったマイナスの感情処理の仕方 2

「怒り」という感情は「解決の見通しが立たない」ことから始まるわけですが

これは「知恵」がない状態でもあるのです。

木性の力不足があると金性の支配欲(他者をコントロールしたい欲)に抑えられてしまい、「知恵」が湧く余裕を失い、その結果として「肝が破れて怒り」になるわけです。

もともと考えない人は、その時間を嫉妬や怒りに使います。

6月5日に書いた家主さんと店子さんの話ですが

そもそも大家さんには知恵がないのです。

知恵のない人に良い提案をしてもうまくいかないのです。

飲食店はもっと「知恵」が必要ですからね。

メニュー開発までを仲介者がしてあげる必要ができます。


大阪の南(難波)は繁華街で「たこ焼き屋」さんが軒を連ねています。
一方は行列、一方は店内にもちらほらしか客がいない・・・。
後者の店主は非常に切ないですよね。

「知恵」がないので切なくなる、そして理不尽を感じるのです。
そうなった原因を「あいつは宣伝がうまいから・・・」としか考えません。
味を研究するということをしないのが不思議です。


さて、木性の役割には次元が低いものから高いものがあります。

自分だけの損得勘定から始まって意識は徐々に全体に拡大します。
会社にとって、国にとって・・・損得を考えます。

徐々に自分が希薄になってきます。

最終的には完全に自己を乗り越えてしまい、利己が消失します。

木性の究極は「この場合、神様だったらどうするのかな?」が執着点ですね。

こうなったら「怒り」を始めとしたさまざまなマイナス感情は起こりようがないでしょう。

マイナス感情の処理の仕方は、これがヒントです。








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2015年06月05日

エゴギョウ中級編

「怒り」の湧き立つ原因は解決法が分からない、つまり「展望がない」「見通しが立たない」ということでしょう。

誰でも目の前が閉ざされた状況では塞いで鬱になるか怒りに身を任せるかでしょうね

解決案を考えてみても、体調不良だと集中して考えられない。

つまり、「怒り」は体調不良の人につきものなんですね。

短気なのは、心身にエネルギーが不足か乱れているからなんですね。

こういう時に後方基地(家庭とか友人)が安定しているとまだ救いがあります。

つまり、怒りやすい人は周辺の人間関係も薄いのですね〜。

日頃手厚く生きていないので起こる条件が揃っています。


posted by 変才冨田 at 20:31| Comment(0) | TrackBack(0) | エゴギョウ中級編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

エゴギョウ中級編 木性と起こった感情処理

あるところに水が湧き出ています。
その場所のそばに土地を持っている人がいます。
多くの人がそこにやってきて水を取りに来ました

そこで野菜などを販売していましたが、向かいの場所に土地を貸しました。

借りた人はそこでそこの名水を使ってあるものを作って販売しました。
大変美味しくて評判になり観光バスまで来るようになりました。

もともとみすぼらしかったその家主の店は誰も来なくなり、その向かいの店だけ流行っています。
家主は向かいの店の主人に家賃を上げると言い出し、「それならここを引っ越しする」と店子さんは言います。

言い争っているわけですが、そこに仲裁する人が現れました。
解決案は店子さんが作っているそれを使って飲食店をやればいいのではないかと提案するようです。

その加工された食べ物の試食が評判ですから、すぐに食べたい人がいるだろうから絶対家主の店も流行ると考えたのです。

どうなると皆さんは思いますか?
posted by 変才冨田 at 00:06| Comment(1) | TrackBack(0) | エゴギョウ中級編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年06月01日

エゴギョウ中級講座 起こってしまった負の感情をどう処理するか5

前回の最後の文章を再度揚げます。
金性の性質は「頑な」ということ、一点を見つめすぎるという性質です。
そうしておけば考えなくて済むという金性の横着さもあるのです。

この頑固さで良く「生きてこれた」なと思うのですが、周囲に依存しているからですね。
周囲がその頑固や狭さを煩わしく思いつつ面倒くさいので許しているからですね。

怒り続ければ心身にも問題ですね。

ところが心身に問題を起こさない「怒り」もあるのです。
どのような「怒り」でしょうか?

これに対してのコメント

公憤で〜す。 公憤は、進歩のある怒り・・・? 世の中進歩してないように見えても、自分は進歩するか、少なくとも自分でいられるというか。 日和見よりも、むしろ健全ですかね。

わたしのコメント
利己に根差す「怒り」は私憤であり心身を傷めます。
誰かを、あるいは現象をコントロールしようとしてできない時の怒りですね。

自分を「正しい奴」として先ず信奉し、「なのに間違ったことを自分に課す奴らは許せん><」
というこ怒りもありますね。
常に「正しいと考えている人」は常に被害者になり怒りを呼びます。

さて、「公」への怒りは利他に根差していますので感情からくる神経への痛みはありません。

戦争法案に怒りを覚えるのは健康に良いのです。
これは木性単独の怒りなので冷静ですから過度な感情で傷みません。

金性からの利己的な刺激を受けた木性の怒りは「肝を破り」健康に悪いですね。
posted by 変才冨田 at 20:33| Comment(0) | TrackBack(0) | エゴギョウ中級編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月30日

エゴギョウ中級講座 起こってしまった負の感情をどう処理するか4

コメントがありました。

怒りってマイナスなだけでしょうか?
飛躍する為の燻っている火種みたい。

怒りがある、というのは
こうしたい意欲の現れでもあるので。

人それぞれですが
寄らば大樹のなんとやら…ではありませんが
自分で考えるのを面倒臭がる人も
少なくないですよね。

怒りの状態にもよりますが
幼児の様な駄々っ子〜
正義感・改革心からくるモノもあるでしょう。

でも、視野を拡げ飛躍する前触れのようにも思えます。

わたしからのコメント
そうですね。
怒りは悪いだけではないですよね。

怒りは生物学的なエネルギーが背後にありそうですね。

解決の糸口がつかめていない状況で感情が爆発してますね。

そうなんです。
解決の糸口、つまりは木性の力と関係するのですね。

多くの怒りの感情は視野の狭さに起因します。
視野を拡大するという任務をもっているところ、これが木性なのですね。

人は起こっても何の解決にもならないことに気づいてやっと視野を広げるきっかけをつかみます。

ですから、おっしゃる通りで怒りは視野を拡大する契機になるわけです。

ところが木に絶えず刺激を与えているのは金性ですね。
この金性が視野を広げさせてくれないのです。

金性の性質は「頑な」ということ、一点を見つめすぎるという性質です。
そうしておけば考えなくて済むという金性の横着さもあるのです。

この頑固さで良く「生きてこれた」なと思うのですが、周囲に依存しているからですね。
周囲がその頑固や狭さを煩わしく思いつつ面倒くさいので許しているからですね。

怒り続ければ心身にも問題ですね。

ところが心身に問題を起こさない「怒り」もあるのです。
どのような「怒り」でしょうか?



posted by 変才冨田 at 20:47| Comment(2) | TrackBack(0) | エゴギョウ中級編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月25日

質問 「怒り」は依存ですか?

「怒り」は他者への依存があります。

生き方が他者に寄りかかりすぎなので怒りがわいてきます。

他者への「期待度」が高すぎなのですね。

その過ぎた期待分だけ自己に都合がいいわけです。

さらに「怒って」も他者が怒らないことを期待しています。

他者の善意に依存しています。

暴走族が他者がよけてくれるだろうという他者の善意に依存していることと同じですね。


posted by 変才冨田 at 23:23| Comment(4) | TrackBack(0) | エゴギョウ中級編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月20日

エゴギョウ中級講座 起こってしまった負の感情をどう処理するか3

以下のコメントがありました。
怒りとは、自分にとって思い通りではない 好まない・不都合ととらえる 思考からきているのでしょうか。 不安感が絡んでいるように思えます。

追加です。 怒りとは 火性(こうしたい!)と水性(でも不安なの…)の葛藤で バランサーの木性(以外とやっかいな理性)が揺さぶられているとか?

回答
そうですね、いい線いってますね。
わたしもあなたのコメントで学べましたね。
ナルホド!

その方向で考えてみましょうか。
「怒りとは、自分にとって思い通りではない 好まない・不都合ととらえる 思考からきているのでしょうか。 不安感が絡んでいるように思えます」

つまり、自己から離れられない人の心情が「怒り」なのですね。
これをエゴギョウから眺めると
木性とは客観的判断力の場所なのです。
客観的判断力は自己から離れるという意味があるのです。
利己に傾いていると判断が狂うわけです。
この狂いが「怒り」になっているわけです。

さて、思い通りにならないことから起こる「怒り」は
「思い通りにコントロールしたい」という欲求が背後にあるからですね。
この欲求の生まれた原因にこそ「怒り」の起源があるのですよね。
続く

posted by 変才冨田 at 23:33| Comment(3) | TrackBack(0) | エゴギョウ中級編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月19日

エゴギョウ中級講座 起こってしまった負の感情をどう処理するか2

起きたマイナス感情の消去の仕方の前に根本治療である、その感情が起きた原因を考えてみます。

こういうのはスタディ・ケースで考えることになるでしょうかね。

それも能率の悪い話ですね。

そこで、まずは「怒り」について考えてみます。

なぜなら「怒り」はいろんなマイナス感情の生みの親ではないかと思うからです。

これをエゴギョウから考えてみます。

いえ、エゴギョウを学んできた方は考えて欲しいのです。
posted by 変才冨田 at 22:27| Comment(2) | TrackBack(0) | エゴギョウ中級編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月14日

認証の取り方

小さいころに十分な認証を得なかった人は、大人になってからも認証を求めます。

社会的動物の土台は認証にあるからです。

ではどうやって認証を得るのか?

水性が強い人は「人に気に入られよう」として、金性の強い人は「役割を果たすこと」で、土性は人ン役に立つことで・・・。

度を越した働きで必死になって認証を得ようとするのです。

posted by 変才冨田 at 20:58| Comment(0) | TrackBack(0) | エゴギョウ中級編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月08日

明日木曜日は夜学 7号食用のスイーツを食べていただきます。

すっかり忘れておりました。

明日は夜学です。

時間 19時から21時

場所 大阪♭

会費 2000円 夕食は500円

今回のテーマ
人生の達人になれる最短コース
認証の意味と技術
posted by 変才冨田 at 16:45| Comment(0) | TrackBack(0) | エゴギョウ中級編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月04日

エゴギョウ中級講座 認証について3

動物としての人は誕生時に「命名」されることで基本的な認証を得ます。

けれど、それは生育過程で強化発展されねばなりません。

名前や愛称で繰り返し呼ばれることで、自己認証も強化されます。

さて、真実の認証とは「あなたが存在してくれているだけでいい」ということなのですが、

現実は「役に立たなければ存在に意味がない」というのがこの浮世です。

会社ではそのようになっていますね。

会社とは利益を上げるために存在するので、その利益に貢献できない人は認証されません。

たとえ認証されても、それはその場限りのことです。

名前さえ呼ばれず「派遣さん」で済まされる現実です。

そういう世間では自己をどう認識するでしょうか。

「わたしは役立たずの無意味な存在」ということになり、鬱にもなるでしょう。

鬱になるのは認証が得られていないからです。

それも真実の!

家に帰っても「家族の役に立つ存在」であらねばなりません。

「あなたが生きているだけでいい」という真実の認証が得られません。

学級経営とか家庭経営とかの造語はどうなんでしょうか。

会社の原理を家庭や教育現場にまで導入されています。

ああ、だいぶぼやいていますね。

posted by 変才冨田 at 20:33| Comment(0) | TrackBack(0) | エゴギョウ中級編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする