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2017年09月12日

坂本龍一さんのこと

昨晩に坂本龍一さんがTVで発言されていました。

僕は坂本龍一さんの瞑想的なピアノ曲が大好きです。

さて、番組で
原発の再稼働など愚かしいと静かに語られていました。

事故が起きた時にどうしようもないものを未だやっている愚かしさと
廃棄物処理方法もないものを作ってしまった愚かしさも指摘されていました。


何が愚かしくさせたのか。

それは原発は作れば絶対損をしない。

作るほど大儲けできる国の仕組みがあるからです。

全体的に見れば(国民の側から見れば)大損の仕組みです。

皆さんはマンションを購入する時に

トイレがなかったら買わないでしょう。

マンション業者がよほど間抜けだと笑うでしょう。

原発とはそういう物件なのです。

posted by 変才冨田 at 10:29| Comment(0) | 憲法は守りたいけど・・・、朗読劇 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月09日

あなたに居て欲しかった

国連の核禁止条約の交渉テーブルから日本代表がいきなり退席しました。

多くの世界の善意ある国と人々の願いを背負った会議に日本の被爆者が貢献し

核保有は違法であると宣言されました。

空席の日本代表の机に折り鶴が山のように置かれて

こう書かれていました。

あなたに居て欲しかった、と。

世界中の人とヒバクシャを落胆させた日本の政府ってなんだろう。

ある国の代表が

核の傘で安全が保たれるのならば、全ての国が保有した方がより安全になる。

こんな論理が信じられるだろうか。

と発言しました。

長崎市長は原爆式典の演説で政府の姿勢を激しく批判しました。



 「ノーモア ヒバクシャ」

 この言葉は、未来に向けて、世界中の誰も、永久に、核兵器による惨禍を体験することがないように、という被爆者の心からの願いを表したものです。その願いが、この夏、世界の多くの国々を動かし、一つの条約を生み出しました。

 核兵器を、使うことはもちろん、持つことも、配備することも禁止した「核兵器禁止条約」が、国連加盟国の6割を超える122カ国の賛成で採択されたのです。それは、被爆者が長年積み重ねてきた努力がようやく形になった瞬間でした。

 私たちは「ヒバクシャ」の苦しみや努力にも言及したこの条約を「ヒロシマ・ナガサキ条約」と呼びたいと思います。そして、核兵器禁止条約を推進する国々や国連、NGOなどの、人道に反するものを世界からなくそうとする強い意志と勇気ある行動に深く感謝します。

 しかし、これはゴールではありません。今も世界には、1万5千発近くの核兵器があります。核兵器を巡る国際情勢は緊張感を増しており、遠くない未来に核兵器が使われるのではないか、という強い不安が広がっています。しかも、核兵器を持つ国々は、この条約に反対しており、私たちが目指す「核兵器のない世界」にたどり着く道筋はまだ見えていません。ようやく生まれたこの条約をいかに活(い)かし、歩みを進めることができるかが、今、人類に問われています。

 核兵器を持つ国々と核の傘の下にいる国々に訴えます。

 安全保障上、核兵器が必要だと言い続ける限り、核の脅威はなくなりません。核兵器によって国を守ろうとする政策を見直してください。核不拡散条約(NPT)は、すべての加盟国に核軍縮の義務を課しているはずです。その義務を果たしてください。世界が勇気ある決断を待っています。

 日本政府に訴えます。

 核兵器のない世界を目指してリーダーシップをとり、核兵器を持つ国々と持たない国々の橋渡し役を務めると明言しているにも関(かか)わらず、核兵器禁止条約の交渉会議にさえ参加しない姿勢を、被爆地は到底理解できません。唯一の戦争被爆国として、核兵器禁止条約への一日も早い参加を目指し、核の傘に依存する政策の見直しを進めてください。日本の参加を国際社会は待っています。

 また、二度と戦争をしてはならないと固く決意した日本国憲法の平和の理念と非核三原則の厳守を世界に発信し、核兵器のない世界に向けて前進する具体的方策の一つとして、今こそ「北東アジア非核兵器地帯」構想の検討を求めます。

 私たちは決して忘れません。1945年8月9日午前11時2分、今、私たちがいるこの丘の上空で原子爆弾がさく裂し、15万人もの人々が死傷した事実を。

 あの日、原爆の凄(すさ)まじい熱線と爆風によって、長崎の街は一面の焼野原(やけのはら)となりました。皮ふが垂れ下がりながらも、家族を探し、さ迷い歩く人々。黒焦げの子どもの傍らで、茫然(ぼうぜん)と立ちすくむ母親。街のあちこちに地獄のような光景がありました。十分な治療も受けられずに、多くの人々が死んでいきました。そして72年経った今でも、放射線の障害が被爆者の体をむしばみ続けています。原爆は、いつも側にいた大切な家族や友だちの命を無差別に奪い去っただけでなく、生き残った人たちのその後の人生をも無惨(むざん)に狂わせたのです。

 世界各国のリーダーの皆さん。被爆地を訪れてください。

 遠い原子雲の上からの視点ではなく、原子雲の下で何が起きたのか、原爆が人間の尊厳をどれほど残酷に踏みにじったのか、あなたの目で見て、耳で聴いて、心で感じてください。もし自分の家族がそこにいたら、と考えてみてください。

 人はあまりにもつらく苦しい体験をしたとき、その記憶を封印し、語ろうとはしません。語るためには思い出さなければならないからです。それでも被爆者が、心と体の痛みに耐えながら体験を語ってくれるのは、人類の一員として、私たちの未来を守るために、懸命に伝えようと決意しているからです。

 世界中のすべての人に呼びかけます。最も怖いのは無関心なこと、そして忘れていくことです。戦争体験者や被爆者からの平和のバトンを途切れさせることなく未来へつないでいきましょう。

 今、長崎では平和首長会議の総会が開かれています。世界の7400の都市が参加するこのネットワークには、戦争や内戦などつらい記憶を持つまちの代表も大勢参加しています。被爆者が私たちに示してくれたように、小さなまちの平和を願う思いも、力を合わせれば、そしてあきらめなければ、世界を動かす力になることを、ここ長崎から、平和首長会議の仲間たちとともに世界に発信します。そして、被爆者が声をからして訴え続けてきた「長崎を最後の被爆地に」という言葉が、人類共通の願いであり、意志であることを示します。

 被爆者の平均年齢は81歳を超えました。「被爆者がいる時代」の終わりが近づいています。日本政府には、被爆者のさらなる援護の充実と、被爆体験者の救済を求めます。

 福島の原発事故から6年が経ちました。長崎は放射能の脅威を経験したまちとして、福島の被災者に寄り添い、応援します。

 原子爆弾で亡くなられた方々に心から追悼の意を捧げ、私たち長崎市民は、核兵器のない世界を願う世界の人々と連携して、核兵器廃絶と恒久平和の実現に力を尽くし続けることをここに宣言します。

 2017年(平成29年)8月9日

 長崎市長 田上富久
posted by 変才冨田 at 15:06| Comment(0) | 憲法は守りたいけど・・・、朗読劇 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月10日

危険だ、日本‼️ 声をあげよう。

機密法案 戦争法 共謀罪

このようなものは戦前にも同様のものが次々できて、最後は国家総動員法でした。

国民総活躍社会と安倍さんは名前を変えて、国民に打診したのです。


一方では国民の特に若者の貧困化を促進しています。

国を軍事化するには若者を貧困にしておかないと
一兵卒を集めることができません。

実際のところ
自衛隊には一兵卒が足りていません。

利子付きの奨学金を返済することが就職の第一歩で
就職即貧困化ですね。
軍隊に来れば食べられるよ、と誘いの手がが伸びてきます。

消費税は何をしたかというと
国民の預貯金分がそのまま大企業の内部留保金として移動しました。

多くの企業がブラック化してしまい、
人々は考える時間も与えられず社畜状態です。

では、こうした状況を変えるには政治を根本から変える必要があります。

けれど、誰に投票したって何も変わらないと多くの人々は無力感に捕らわれています。

そう、囚われているのです。

政治に国民が介入できないように無力感を植え付けています。
洗脳です。

教育は、自分の感性や考えを否定して教師や教科書に従うことを強います。
自分の感性や考えを述べると落ちこぼれます。

君が代斉唱を強いるのは
国の言うことを聞け‼️
ということです。

愛国心に満ちた国民が溢れた国‼️
安倍さんから見ると
これが美しい国

園児に教育勅語を暗記させ、軍歌を唄わせる。
これを素晴らしい教育だと称揚するセンスにはただ呆れるばかりです。

道徳心は個人が涵養するものであって国が強要してはいけない。

俺を愛せよという男を愛せる女性はいない。

国が国を愛せよなどというのはナンセンス。

愛することができる国創りをすれば自然に愛国の心は湧くものだ。

沖縄の辺野古では、
ジュゴンが大切か人間の命が大切かと看板が掲示されている。

その下の砂浜では工事によってサンゴが破壊されている。

同じ言葉を聞いたことがある。

亀井さんが環境大臣の時だ。

諫早湾を埋め立てて関門工事をしている時だ。
彼は言った。
ムツゴロウが大切か人間が大切か?と。

同じ命を対立構図で見せて
命を分断するセリフだ。

真実は
ムツゴロウやジュゴンが安心して暮らせる環境こそが人間も安心できるのだ。

こんなおかしな国を変えたいものです。

戦争法案反対の声は若い人からあがった。

希望はある。

美しい国日本の滑稽

美しい日本を作るとスローガンを掲げた安倍さんのイメージは
小さな子が教育勅語を朗読して軍歌を唄うイメージなんですね。

その学校を見学して感動し賛同した自民党のお歴々も多い。

そうした風景というのは恐ろしいを通り越して
滑稽に見えます。

森友学園とその周辺の慌てようはどこかコミカルですね。


それにしてもこうした単純な人たちに国政を任せている国民はもっと恐ろしいです。



2016年11月14日

トランプ氏は多国籍企業の傀儡になるだろう

共和党のライアン氏との共同会見の様子を見ると

ライアン氏は両手を前に出して親指を見せていましたね。

これはトランプ氏をコントロールできるという自信の表現です。

一方のトランプ氏は両腕を下ろすことで親指を隠しています。

これは自信の無さの表れです。


おそらくTTPは多国籍企業の圧力で言動とは裏腹に実行されるでしょうね。

僕が怖いと思うのはトランプ氏にあるのではなく、

トランプ氏を次期大統領に選んだアメリカの政治的土壌です。


ファシズム待望の土壌が醸成されている全世界の状況がアメリカでも顕著になったということです。

勇ましいけれど、建設的な内容が内容がない。
言葉の激しさで民衆を酔わせ統率しています。
これはナチズムが台頭した状況と同じです。

おそらくトランプ氏は早く失脚して、次の大統領が独裁体制を敷くことになるか、
もう一度大きく左に振れていくか?

2016年07月26日

歴史に学ぼう

http://www.msn.com/ja-jp/news/opinion/%e5%ae%89%e5%80%8d%e9%a6%96%e7%9b%b8%e3%81%8c%e7%9b%ae%e6%8c%87%e3%81%99%e7%9b%ae%e6%a8%99%e3%80%81%e3%83%92%e3%83%88%e3%83%a9%e3%83%bc%e3%81%ae%e3%83%8a%e3%83%81%e3%82%b9%e3%83%89%e3%82%a4%e3%83%84%e3%81%a8%e3%81%93%e3%82%93%e3%81%aa%e3%81%ab%e3%82%82%e9%85%b7%e4%bc%bc%e3%81%97%e3%81%a6%e3%81%84%e3%81%9f%ef%bc%81/ar-BBuQLK5?ocid=spartandhp#page=2
この記事から引用

ワイマール憲法と憲法改正

 2本目は、翌18日の『独ワイマール憲法の“教訓”』である。1919年に制定されたドイツのワイマール憲法は、国民主権、生存権の保障、所有権の義務性、男女平等の普通選挙などを盛り込み、当時、世界で最も民主的と讃えられていた。しかし、その民主主義憲法の下で、民主的に選出されたはずのヒトラーが、独裁政権をつくり上げていったこともまた事実である。

 この特集では、古舘伊知郎キャスター(当時)が現地に赴き、ワイマール憲法とヒトラー政権の関係を探っていた。背景には、安倍首相が目指す憲法改正がある。特に、大規模災害などへの対応という名目で、「緊急事態条項」を新設しようという動きだ。

 番組のなかで、ワイマール憲法の研究者が自民党の憲法改正草案について語る場面が圧巻だった。草案に書かれた「緊急事態条項」について、ワイマール憲法の「国家緊急権」と重なると証言したのだ。さらに、「内閣のひとりの人間に利用される危険性があり、とても問題です」と警告した。この「国家緊急権」を、いわば“悪用”することによってナチスが台頭していったことを踏まえると、こちらもまた、私たちにとって大いに参考となる専門家の知見だった。もちろん時代も状況も異なるが、痛恨の歴史から学べることは少なくない。


コメント
世界に冠たるドイツワイマール憲法が蹂躙された歴史は学ぶ必要があります。

憲法そのものを緊急に停止する権限をナチスに与えたことが世界歴史を再度大戦に導いた。

憲法を順守する義務を負う政治家が憲法を敵視し破壊衝動を持っている。

非常に危険な安倍政権をこのたびの選挙において大勝させてしまったのは国民で、我々国民は非常に危ない国民となっている。

2016年07月07日

今回の選挙は運命の分かれ道

以下は毎日新聞からの引用です。
 04年5月からの第2次イラク復興支援群で副群長を務めた村中清二さん(65)は「至近距離での訓練を全員がやった。今までにない10メートルを切るような距離で、通常の射撃訓練で割り当てられる1年分以上の実弾を短期間で撃った」と証言する。

 自衛隊は戦後、実際の現場で1発の銃弾も撃っていない。「イラク行動史」は、武器使用に関する意識について「多くの指揮官に共通して、最初の武器使用が精神的にハードルが高いのではないかとの危惧があった。最終的には『危ないと思ったら撃て』との指導をした指揮官が多かった」と記述している。

 村中さんは副群長で宿営地をほとんど出なかったというが、「もし武器使用が必要な局面に遭遇したら、指揮官としてまず自分が撃ち、部下の代わりに責任を取るつもりでした」と回想する。「最初の一発を誰が撃つか。最初の犠牲者に誰がなるか。それで日本の歴史が変わることになると意識していた。部下が撃って民間人を殺したとなれば(部下は)精神的にも耐えられないと考えていました」

 イラク派遣前、国会で自衛隊員のリスクを巡り激しい議論があったが、内部資料や証言から、現地は「非戦闘地域」という言葉とはほど遠い状況だったことが浮かぶ。第1次復興支援群長だった番匠幸一郎氏は、イラク派遣を「純然たる軍事作戦であった」と記す(「イラク行動史」)。だが、その実態は国民に伝えられていない。安保関連法案が成立すれば、自衛隊は海外で、より危険な治安維持活動や他国軍の後方支援を担う。

 柳沢さんは「政府は安保法制でリスクは高まらないような言い方をするが、イラク派遣ですら、これほどのリスクを伴う。国民に説明する責任を回避している」と話す。

 村中さんは「法案に賛成とも反対ともいえない」とした上で「イラク派遣でも国論は二分されていたが、今回は世論調査でも多くが今国会での成立に反対する。そんな状態でできた法律に基づいて自衛官が活動できるのか」と懸念を口にする。
引用終了

要はアメリカの圧力でできた法案です。
その要求に屈して憲法も無視するという暴挙が
「戦争法案」です。

十分論議するために白紙撤回するべきです。
その手続きが今回の選挙です。

私の仕事は健康を創造するということをしています。
健康問題と戦争法案は連立しませんね。

政治に無関心でも、無関係ではいられない。
これは、
野党統一を実現させた青年の統一候補への選挙応援演説です。

若い人の命を削らないように私もできることをせねばなりません。

今回の選挙は文字通り後戻りできない日本の運命の分岐点です。

野党統一候補を私は応援しています。

2016年06月19日

子カラスとは憲法である

先に書いていました子カラスはいなくなりましたが、親は相変わらず騒いでいます。
子カラスはどこかに移動したようです。

探しに歩くと親カラスがわたしを監視してついてきます。
要注意人物になったようです。

ある場所に近づくと低空飛行で頭上を舞って威嚇してきました。

居ました。子カラスが路地でわたしを見つめています。

それにしても親はありがたいものですね。

ふっと思いました。

子カラスが憲法で、わたしはソレを侵すもの。
親カラスは憲法が侵されぬようにしている見張り番だとしたら?

見張り番は国民で、わたしは子カラスを守るといいつつ子カラスを保護するような顔をして、

実のところ子カラスが動けないように縛ろうとしているのかもしれませんよ。

わたしは安倍さんの役割で親カラスにとっては悪人ですね (笑)

見張り番である皆さんは子カラスがさらわれないないように見張りを続けてください。

参院選は日本の戦後のなかで最も重要な局面です。

真の美しい国を創るために一人区の野党の統一候補を応援しましょう。

2016年03月31日

この時代をどう生きる?

戦争という現実は

人のいのちの無意味さをしっかり教えてくれます。

世界中でテロは今も横行しそのたびに人が大量に殺されています。

日本ではテロで殺される人はいないように見えますが

自殺は3万人を超えています。

これは犯人の見えない社会的殺人と考えています。

好き好んで死ぬ人はいませんからね。

こんな現実からは人のいのちの無意味さしか見えてこないですね。

でも、わたしたちの人生には意義も意味もないからこそ

それを希求するわけです。




武器の無い日本をつくるってどうやったらできるのでしょうか。

みんなが玄米を食べれば平和な世界ができる、そう言ったのは

「ワンピース・フル・ワールド」という組織を世界中につくった久司先生です。

久司先生はマクロビオティックの世界では有名な先生です。

でも、わたしはこの考え方は間違っていると思っています。

確かに玄米を食べれば感情や心理は安定するでしょう。

でもそれが平和な世界をつくることとは関係しません。

戦争は人の感情の不安定で起きるわけではないからです。

玄米を食べて平和になるのはせいぜい家庭や会社のなかの話です。

戦争を個人の意識感情の問題に矮小化した間違いなのです。

そんなことを考えている間は本当のことを知る邪魔になって有害です。

これを書いたのは5年前です。

大規模テロも頻発し世界はいっそう混沌として、日本も戦争法案などを可決して戦争へ前のめりになっています。

こういう時代に人はどう生きるのか。

さて、全ての人は「幸せになりたい」と願っています。

隣の部屋の住民が兵器をつくり、反対側の部屋では爆音や爆弾が破裂している。

上の部屋では「鬱」で引きこもっている人が居て、下の部屋では虐待がなされている。

斜め下の部屋では首を吊っている人がおり、反対側ではゲームに時のたつことも忘れて興じている人もいる。

さて、あなたはどうすればいいのだろう。

こういう時に自分だけの幸せだけを願っていて、その幸せは達成されるのかという問題です。

解答は「そんなことありえない」ですよね。

幸せな状態とは「毎日がおおむね楽しい」という状況なのですが、わたしたちの「楽しい感覚」とは周囲の人も楽しいと感じていなければ楽しくないはずです。空気を感じる、っていうことですね。

自分も楽しい、他者も楽しいという状況をどうやれば創造できるのか

これが生き方の創造なのですねえ・・・。









2016年02月10日

暗雲垂れこめる日本列島

高市大臣発言「戦前の検閲と同じだと誤解」 安住氏

■安住淳・民主党国会対策委員長代理

 (高市早苗総務相が、政治的な公平性を欠くと判断した場合、放送局に電波停止を命じる可能性があると発言したことについて)戦前の検閲制度と同じだと誤解しているのではないか。(放送法4条は)倫理規定であって、放送局側がそうした放送法の趣旨を踏まえてきちっとやればいい話だ。個別の番組で特定の主張をして中立性に欠いたときに電波停止がありうる、というのは検閲だ。明らかに放送法を曲解している。そういう認識の人が総務大臣をやって放送法を所管しているのは、おそろしいことだ。(10日、記者会見で)

高市発言の最大の問題点は憲法違反にあると思う。
彼女の発言は放送法第三条の「何人(なんびと)からも干渉され、または規律されることがない」に違反している。
これは表現の自由を規定した明確な憲法違反です。

最近の自民党の先生方は憲法を学んでいないらしく、明確な違反を繰り返しています。
憲法を守る義務を負っている政治家が憲法を軽視するばかりか攻撃をしていますね。
そんな政治家たちを生み出した国民はどれだけ劣化してしまったか。

不偏不党で平等な報道をというのなら、大臣も不偏不党でやってもらいたい。
NHKの報道も電波停止にしてほしい。

秘密保護法、戦争法案、緊急事態法案・・・、そしてマイナンバー・・・。
教科書から侵略戦争との記述も消えて・・・。

戦争はいけないとお母さんが言ったら「お母さんは非国民だね」といわれるような時代がやってくるかもしれない。

安倍内閣の人たちは国民を愚かしいと考えているようだ。

知らしめず、言わさせず・・・、最後は  正社員制度を撤廃して国民をもっと貧しくして
軍隊にいかざるをえないようにしているとしか思えない。

2016年01月23日

自由とは民主主義の保障下でこそ発揮される。 自民党は民主政党であるのか?

沖縄は基地問題で激しく揺れています。

基地問題とは、その本質はどこにあるのか。

単に基地移設の問題ではないのです。

沖縄県民は一貫して辺野古への基地移設と現基地の撤去を求めてきました。

それは知事選や市長選の結果が示しています。

この県民の意志を無視して強行されようとしています。

日本の民主主義が試されている、これが本質です。

自民党は民主政党なんだそうですが、県民無視の態度は独裁政党に変容したと考えられます。

今、萱野湾市長選挙が戦われており明日投票日です。

シムラ候補も県民の意志を実現しようと立っています。

この市長選挙に注目しましょう。

安倍政治が戦争法案通過させましたが、この選挙は民主主義陣営からの安倍さんへの回答になるのです。

さらに安倍さんは緊急事態法なども提案しています。

これは憲法を停止させる法案となっており、事実上の憲法消滅に向かいます。

ナチスが非常に民主的であったワイマール憲法があるのに、なぜ独裁が行えたか?

ワイマール憲法を停止させる今回の「緊急事態法」のようなものを通したからです。

立憲主義に戻さなくては後戻りができません。

なぜ、わたしがこういう記事を書くのかというと

人生は自分の意志で主体的に判断して生きるということを求めているからです。

周囲の人々がこうした動きに同調を始めると苦しくなるからです。


2016年01月01日

主体者として生きる自覚と主権者の自覚

わたしたち人間は社会的環境で生かされています。

日々の糧である食べ物も社会的に供給されています。

社会が日々の人生の土台であり根っこなのです。

そして、社会は有権者である私たちの意志で動かさねばなりません。

日々を主体的に活きることと有権者の自覚は一致しています。

選挙に行かない、行っても思慮なく一票を投じることは社会の迷惑であるだけでなく
あなたの社会人としての生き方の質も問われるのです。

生活が苦しいのは社会が悪い、そう言いながら政治に無関心。
これを社会的無責任というのです。

こういう社会的無責任者を排出したのも為政者です。
戦後民主主義が間違っていたのではなく、意図的に民主主義教育をしてこなかったからです。

どう考えても社会は変わらない、生活は苦しいままだろう・・・。
それはあなたの思い込みなのです。
そういう思い込みをさせられてきたのです。

例を挙げましょう。

1958年は中選挙区制度で自民党の得票率は44%でした。
最近の選挙での得票率は17%です。
国民の支持を失っているのです。
ひとえに小選挙区制でたくさんの議席を保っているという虚構の姿なのです。

支持を失っているのに「選挙で国民の支持を得た」と言って、多くの人が望まない政策を次々と強行しています。

昨年はあの戦争法案を強行しましたが国会前は老若男女の反対の声が渦巻いていました。

シールズの若い人たちが自然発生的に生まれたのは戦後日本の快挙でした。
この運動は戦争法案のみでなく、沖縄の基地問題、TPP、派遣労働制などにも飛び火して大きな運動になっています。
彼らが立ち上がる景気は最高裁判事三人の「違憲声明」でした。
これが力になってシールズが立ち上がり、それに押されるようにして学者の会も立ち上がりました。
学生と知識人が結びつき大きな市民運動のうねりを形成しました。

そして、共産党が戦争法案を廃案にして立憲政治を取り戻すためだけを目標にした「連合政府構想」を出しましたね。
タイムリーでした。

熊本は小選挙区制で統一候補がいち早く決まりました。

今年の政局は「連合政府構想」を軸にして動くことを期待しています。

結集すれば自民党の強さが本当でなかったことが分かるのです。

人々が結集できないように孤立させるように仕組まれています。

孤立させれば主体性なんか発揮できるわけがないのです。
主権者の自覚ができるわけがないのです。

問題は民主党です。
民主党の自民党的な人たちは早く
旗幟鮮明にしていただきたい。
彼らは支配層の意を受けて民主党内部で揺さぶりをかけて民主党を国民側によらせないつもりなんでしょう。

今年のキーワードは「結集」です。

そういう眼差しで政局を見つめましょう。







2015年12月25日

山田洋二監督の「母と暮らせば」を観る

やはり山田洋二さんの世界は素晴らしいです。

淡々としみじみとストーリーは過ぎてゆきますが、そのたびに涙腺が刺激されて目頭が熱いまんまで終わりました。

山田洋二さんの映画はいつもながら観終わった後でしみじみとした感慨が押し寄せてきます。
これは「慈しみの心」を呼び覚まされるからでしょうね。
「明日からもう一回しっかりと生きよう」と建設的に人生を感がさせてくれます。

冒頭は長崎に原爆を落とそうとしている非日常性であるB29の機内の実写フィルムから始まります。

医科大学で講義を受けている主人公である青年が日常である世界から一瞬の熱線で消え去るのです。

それから3年後に母の家に亡霊(にしてはしっかり存在感として)として現れるのです。
母と息子は過去の思い出に興じ笑い、悲しみ、心配もします。

彼は生前に愛していた女性を気にかけています。
母は「もう三年過ぎたのだから貴女の人生を生きて欲しい。息子のことはあきらめて欲しい」と娘に諭します。

そうやって展開されるのですが、これからどうなるか是非観て欲しいのです。

わたしはこのブログでも再三再四書いていますが
本来人には幸福感や快というものはない、あるのは不快や苦しみという不幸な状況から逃げおおせたときの感覚を快や幸福と言っているに過ぎない。

そういう視点でこの映画を眺めると
確かにそういえるわけです。

それは日常性というものの価値なのですねえ。
わたしたちの日常性とは小さな苦しみや不快はあれど、大過なき状態ですね。

山田洋二はこの日常性を母子に淡々としみじみと語らせるのです。
一方では、この愛おしい日常性を破った非日常性をいろんなシーンで対置しています。

兄が戦死したときにその非日常性としての戦場から日常性の母の夢枕に立たせます。

メンデルスゾーンのバイオリン協奏曲の鑑賞会で嗚咽した教員のに「自分は出征する前にこの曲を聴いて、もう二度とこの曲を聴けないと覚悟したが、こうやってもう一度聴くことができて泣けてきた」と語らせます。

音楽を聴くことができるという当たり前の日常性とそれが一切叶わないという戦場の非日常性をここでも対置させています。

復員局で親しいものの安否を知るために集まった貧しい人々が映し出され、骨も入っていないだろう白い遺骨箱を抱えて悄然と帰る女性。
それは非日常性でそんなことがあたり前に繰り返された戦中の日本であったということ。

母を亡くした小学低学年の女の子が父の安否を係員に訊ね、戦死であると知らされ「どこでどんな亡くなり方をしたのか」と懸命に訊ねる非日常性のシーン。

いくつものそうしたシーンがちりばめられながら、物語は淡々とつなげられます。

彼女との生前の美しい愛を確かめ合う美しいシーンこそ日常性の輝かしさであり
それを破壊した非日常である戦争をどこにも反戦の文言はないけれど無言で告発しています。


息子の「そういう俺は運命だったんだ」と言うわけですが
母は「そうじゃあない、地震とか津波などの天災に会うのは運命かもしれないけれど、戦争は誰かが計画してしたことなのよ!」と咎めるシーンが印象的でした。

人間の強さは日常性を求めることであり、どんな場合にでも非日常性から復旧させようとします。
それは身体機能にも備わっています。
恒常性機能(ホメヲスタシス)というものです。
それを阻害するものに非日常的食事や強いストレスなどがあるのです。
身体という視点からみればそれは戦時的で日常性からの逸脱なのです。
淡々と玄米を食べるという日常の食事に戻しましょう。

幸せとは夢の実現とかそういった浮ついたものではなく、大過なく生きることにあるわけです。

病気になってあたり前であった健康の価値を初めて知るように
戦争になって初めて平和であった過去が愛おしく思い出されるのです。

現在、私たちは大きな岐路に立たされています。

戦争法案が普通に当たり前に通りました。
日本の青年を殺し殺されるという非日常的空間に放りだしても構わないという非日常的な法案です。

この映画はそうした現在の空気を告発しているのです。
戦争が許されるような憲法を逸脱した法律があるという非日常性を土台にした国で
かりそめの日常性に埋没してはいけない。

是非、観てください。










2015年12月02日

わたしたちの未来を決める裁判が行われている 沖縄に注目しよう

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151202-00000046-asahi-soci
辺野古沿岸部の埋め立て承認取り消しの撤回を求めた代執行訴訟
以下上記のサイトから引用

翁長氏は陳述で、武力を背景として米軍基地が建設された戦後の沖縄の歴史をひもとき、「昨年のすべての選挙で『辺野古新基地反対』の民意が出たにもかかわらず、政府は建設を強行しようとしている。米軍基地に関してだけは、米軍施政権下と何ら変わりはない」と強調した。

 10分余りの陳述の締めくくりには、「この裁判で問われているのは単に、公有水面埋立法に基づく承認取り消しの是非だけではない」と指摘。「日本には本当に地方自治や民主主義は存在するのか。沖縄県にのみ負担を強いる今の日米安保体制は正常といえるか。国民のみなさますべてに問いかけたい」と訴えた。

引用終了

日本は民主主義国家だと信じている人は多い。

それはごく表面的なことのみで、矛盾が鋭くなった局面になると国はオオカミの相貌を表す。

何度も問われた選挙で沖縄県民は辺野古基地移転を否定したにもかかわらず

民意は無視され続けている。

こんな無法を許したら本土においても同じことをするようになるだろう。

こうしたあたりまえでないことが起きるのは、国にあたりまえでない考え方を持った人々が存在するということだろう。

そういうあたりまえの思考をしない人々を国の代表にした国民もあたりまえでない考え方をしているわけだ、

生命よりも経済優先の政党の選び方に「あたりまえでない」考え方が潜んでいる。

原発問題も沖縄の問題も病巣は同じだ。

こういう話がある。

ご主人が遠方への転勤を命じられた。

従えば昇格で給与も上がる。

けれど単身赴任になる。

それを拒否するのと従うのとで計算をしたところ

退職時には2000万円の差が出る。

家族は栄転を拒否しました。

これはあたり前の考え方ですよね。

出世するために働いているわけでなく、家族と一緒に活きるために働いているのですよね。

でも、この家族のような選択をする人はどれだけいるでしょうか?

経済至上主義という魔物に洗脳されているのです。

今回の裁判の沖縄の結果は日本の未来を決定づけるでしょう。

そして、あなたの未来、子供の未来も。




2015年09月22日

この国をしっかり観察しよう

判断力とは観察力と同義です。

観察する力で判断が制限されています。

戦後の人々は貴重な教訓を得て「これからは不戦をこの国の形にしよう」と誓いました。

その為に為政者に憲法を下しそれを守る義務を課しました。

安倍内閣は憲法改正の手続きを経ないで憲法無視あるいは憲法停止、あるいは憲法の権威を貶めました。

それはクーデターそのものです。

安倍内閣の行為を観察すればそういうことになります。

やったことは民主主義の破壊です。

それを黙過することは彼らに手を貸したことになります。

破壊された民主主義の回復が現時点の課題です。

平和は祈るだけでは手に入りません。

平和とは闘いの無い状態なのではなく

好戦的な人々との絶え間ない力比べというダイナミックな状況で出現するものです。

戦争反対というと戦争へのイメージが強化されて戦争状態を引き寄せるとの論議がありますが

とんでもない。

わたしたちは戦争をリアルにイメージできていない。

できていないから安倍さんのような人を許してしまったのです。

生々しく戦争のイメージを引き寄せる必要があります。

戦争のイメージができていない平和状態など脆いものと思います。

黙過して今の自分だけの心の平和を満喫しようという状況の人を平和ボケというのです。

一人一人の心が平和であれば世界平和は実現できる。
本気でそう思っている人のことを「独りマイホーム主義」、別な言葉で平和ボケというのです。

しっかりこの国を観察しよう。















2015年09月10日

戦争反対は戦争のイメージが強くて却ってひきよせの法則が働き 戦争を早めてしまうという論議 2

以下のような記事を見つけました。
以下引用

http://blogs.itmedia.co.jp/takewave/2013/06/post-de61.html

「反戦集会には行かないけど、平和集会には行くわ」とは、マザーテレサの言葉だそうですが、「自分の意識をどこに向けておくか」は、結構重要なんじゃないかなぁと思っています。

たとえば、私たちは仕事の中でいろんな不満を抱くことがあります。不満を口にすることで、ストレスが発散できるので、過度なストレスを抱えたとき、不満を内に抱えず外に出すのは意外と大切なことです。

しかし、意識をずっと不満に向け続けておくと自分自身が心地よくないし、「類は友を呼ぶ」という言葉を信頼すれば、「そうなって欲しくないこと」に意識を向け続けていると、心地よくない状況、環境、人を引き寄せてしまうことにもなりかねません。

そこで、意識を「そうなって欲しくないこと」から、「そうなって欲しいこと」に切り替えてみます。

「○○はよくない」「○○は嫌だ」という不満を抱くということは、その背景には、「○○のほうがいい」「○○のほうが好き」ということがあるはず。

そこで、マザーテレサが「反戦集会には行かないけど、平和集会には行くわ」と言ったように……

引用終了

本当に引用のようなことってあるのでしょうか?

戦前は軍部は日本の平和、アジアの平和のためといって出兵を繰り返したわけで、最後は戦争と言う大惨事うぃ引き起こしました。

ナチス・ドイツも平和を叫んでいました。

安倍さんも「積極的平和主義」を述べています。
「世界の平和のために」紛争地に自衛隊を送れる法案を出しています。

安倍さんは「平和」を引き寄せられるのでしょうか?

僕はこうした論(マザー・テレサの引用)は無意味だとかんがえています。
国民的結集が必要な時にこうした論理を持ち出すのは、かえって憲法破壊に手を貸すことになると思っています。

平和憲法の破壊をやっているというのが真実ですね。
解釈改憲を繰り返して憲法との矛盾を激化させ、説明不能に陥ってしまい、
閣僚が「法的安定性など必要ない」と憲法無視の発言をやってしまいました。

実は、現在の本質的争点は「戦争反対」なのではなく「憲法破壊反対」なのですね。
「憲法破壊反対」は「戦争反対」とセットになっているのです。


ついでに

マザー・テレサは「引き寄せの法則」などとは関係なく云った発言だと思っています。

彼女の属するカトリック教会の非政治性に拘束されていただけのことだと思います。

反対集会、反対デモとなると政治的色彩が強くなってカトリック教徒としての制限がかかっただけでしょう。




2015年08月30日

戦争反対を叫ぶのは無意味なのか?1

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扇町公園の戦争法案に抗議する集会とデモに参加してきました。

これくらいの規模で「特定秘密保護法」が出されたときに運動できていたら・・・。

まさにお尻に火が・・・、ということでやっと大規模な国民的運動になってきました。

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この枝に付いた葉は枝が切られていることに気づくかもしれない。
今がそういう状況かな。
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もっと遠くを切られていたら気づくかどうか?
この時期が「特定秘密保護法案」が出された頃ですね。
別名「自分たちの不都合な秘密を守る法案」

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幹を切られているときはどの葉も気づかない。
どこからかのこぎりの音が聞こえかすかに自分が振るわせられている状況ですね。
「なんだか不安・・・」ということ。
解釈憲法で憲法の根幹が揺らされている頃でした。

私たちの個々の人生は国がどこへ行くかという全体性に支配されています。

さて、最近気になるメッセージが出されています。

戦争と平和では、すでに戦争に負かされている。
戦争はリアリティーがあり平和は想像しにくい。
「戦争反対を叫ぶのは、その時点で戦争勢力の土俵に乗ってしまっているから、言わない方が良い???」

そうした言説の意味というかなにを言いたいのかよく理解できません。

地球の全ての地に平和を実現する方法って別にあるのでしょうか?
「戦争反対」に置き換える言葉ってあるのでしょうか?

差別に対して「差別反対」、いじめに対して「イジメ反対」
そう置き換えると
確かに建設的とは言えないような気もしますね。

「差別反対」ではなく「自分は差別しないと決める」
「自分はいじめをしないし加担しないと決める」

戦争反対でなく「わたしたちは戦争をしないと決める」
不戦とか非戦という言葉に近づくのでしょうか?

けれど個人的にそう決めても戦争をしようとする国家が許しはしないでしょう。
戦争をしたい人たちも平和を唱え、平和をスローガンにして戦争をしてきたのがこれまでの歴史です。

誰もが人を殺したいなどとは思いません。
そういう人がいたら精神が病んでいるのです。

なのにこれまでの歴史は多くの人が戦争に巻き込まれてきました。

一般の人々を戦争の仕組みに組み入れるにはなにかの仕掛けがあるのでしょう。
国家は国民をどうやって欺いて普通の人を戦場に連れていくのでしょうか。

だまされない方法はあるのでしょうか?
もしあれば、それこそが平和を創造する唯一の方法ですね。

以下は引用です
特定秘密保護法のもとでの集団的自衛権って?

特定秘密保護法が施行されたら、機密情報に属するようなことは
政府の発表を丸呑みに信じるしかなく、
独自に追及することができなくなることは、あすわかとしても繰り返しお伝えしてきたところです。

では、特定秘密保護法が施行された状態で集団的自衛権が行使されるとすればどうなるでしょうか。
という頭で、安保法制懇の6条件をもう一度見てみましょう。

@我が国と密接な関係にある国が武力攻撃を受ける...
A攻撃を受けた国から要請がある
B放置すれば日本に重要な影響を及ぼす
C第三国の領域を通過する際はその国の許可を得る
D原則として国会の承認を受ける
E首相が行使の有効性を総合的に判断する

たとえば、
@我が国と密接な関係にある国が武力攻撃を受ける
この条件との関係をみてみましょう。

密接な関係にある国が武力攻撃を受けたかどうかなんてすぐわかるでしょ、と思うかもしれませんね。
でも、ベトナム戦争では自衛権行使の口実とされた「アメリカ艦船への攻撃」が、実はアメリカによる自作自演だったことがわかっています。
イラク戦争開戦の理由となった「大量破壊兵器の保持」も、実際はなかったというのが今や通説ですよね。
日本自身、満州事変の発端となった鉄道爆破事件を自作自演した、という歴史を経験しています。
このように、開戦の口実というものは「つくられた」ものであることが決して珍しくないんです。

日本政府が、その「攻撃」とやらについて詳細な情報を得ていたとして、
外務省とか防衛省とかの人がその情報を漏らすことは、もちろん「特定秘密の漏えい」の罪で、最大懲役10年です。
「それがほんとうにあったのか!?」と調べることも、「取得」の罪になったり、「漏えいの教唆」になったりする可能性が出てきます。
ですから、日本国民は、その「攻撃」がほんとうにあったのかどうか、検証することができません。
引用終了


特定秘密保護法は自由に戦争をするための法案だったのですねえ。

そこですでに大阪城のように外堀を埋められていた。

今は内堀も埋められようとしています。

外堀も内堀も「憲法」だったのですが
憲法よりも上位の法律は政府が決めるのだそうです。

なにが狙いか

自衛隊をアメリカに差し上げるわけですねえ。

自衛隊員も国民です。

守りましょう、自衛隊員を戦争から!

それはそうと

新入社員を二年ほど自衛隊に会社から派遣するっていうことも自衛隊の上層部は考えていたのですね。
徴兵制のひな形というか、トリッキーですね。

扇町公園にきませんか?

今日は「戦争法案」反対の全国一斉行動に参加してきます。

場所は扇町公園で16時からです。

早い目に着いておきますが、一緒にという方はどうぞ来て下さい。

連絡はtetu.tomita@gmail.comにどうぞ。

2015年08月24日

お勧めの本、というより必読の本です。『東京が壊滅する日』

以下引用です。
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150822-00076421-diamond-soci&p=1
 なぜ、『東京が壊滅する日』を 緊急出版したのか――広瀬隆からのメッセージ

 このたび、『東京が壊滅する日――フクシマと日本の運命』を緊急出版した。

 現在、福島県内の子どもの甲状腺ガン発生率は平常時の70倍超。2011年3〜6月の放射性セシウムの月間降下物総量は「新宿が盛岡の6倍」、甲状腺癌を起こす放射性ヨウ素の月間降下物総量は「新宿が盛岡の100倍超」(文科省2011年11月25日公表値)という驚くべき数値になっている。

 東京を含む東日本地域住民の内部被曝は極めて深刻だ。
 映画俳優ジョン・ウェインの死を招いたアメリカのネバダ核実験(1951〜57年で計97回)や、チェルノブイリ事故でも「事故後5年」から癌患者が急増。フクシマ原発事故から4年余りが経過した今、『東京が壊滅する日――フクシマと日本の運命』で描いたおそるべき史実とデータに向き合っておかねばならない。

 1951〜57年に計97回行われたアメリカのネバダ大気中核実験では、核実験場から220キロ離れたセント・ジョージで大規模な癌発生事件が続出した。220キロといえば、福島第一原発〜東京駅、福島第一原発〜釜石と同じ距離だ。

 核実験と原発事故は違うのでは?  と思われがちだが、中身は同じ200種以上の放射性物質。福島第一原発の場合、3号機から猛毒物プルトニウムを含む放射性ガスが放出されている。これがセシウムよりはるかに危険度が高い。
3.11で地上に降った放射能総量は、ネバダ核実験場で大気中に放出されたそれより「2割」多いからだ。

 不気味な火山活動&地震発生の今、「残された時間」が本当にない。
 子どもたちを見殺しにしたまま、大人たちはこの事態を静観していいはずがない。

 最大の汚染となった阿武隈川の河口は宮城県にあり、大量の汚染物が流れこんできた河川の終点の1つが、東京オリンピックで「トライアスロン」を予定する東京湾。世界人口の2割を占める中国も、東京を含む10都県の全食品を輸入停止し、数々の身体異常と白血病を含む癌の大量発生が日本人の体内で進んでいる今、オリンピックは本当に開けるのか? 

 同時に、日本の原発から出るプルトニウムで核兵器がつくられている現実をイラン、イラク、トルコ、イスラエル、パキスタン、印中台韓、北朝鮮の最新事情にはじめて触れた。

 51の【系図・図表と写真のリスト】をはじめとする壮大な史実とデータをぜひご覧いただきたい。

 「世界中の地下人脈」「驚くべき史実と科学的データ」がおしみないタッチで迫ってくる戦後70年の不都合な真実! 

 よろしければご一読いただけると幸いです。

<著者プロフィール>
広瀬 隆(Takashi Hirose)
1943年生まれ。早稲田大学理工学部卒。公刊された数々の資料、図書館データをもとに、世界中の地下人脈を紡ぎ、系図的で衝撃な事実を提供し続ける。メーカーの技術者、医学書の翻訳者を経てノンフィクション作家に。『東京に原発を! 』『ジョン・ウェインはなぜ死んだか』『クラウゼヴィッツの暗号文』『億万長者はハリウッドを殺す』『危険な話』『赤い楯――ロスチャイルドの謎』『私物国家』『アメリカの経済支配者たち』『アメリカの巨大軍需産業』『世界石油戦争』『世界金融戦争』『アメリカの保守本流』『日本のゆくえ アジアのゆくえ』『資本主義崩壊の首謀者たち』『原子炉時限爆弾』『福島原発メルトダウン』などベストセラー多数。

坪井 賢一(つぼい・けんいち)
1954年生まれ。早稲田大学政治経済学部経済学科卒。1978年、ダイヤモンド社入社。「週刊ダイヤモンド」編集長などを歴任。現在、取締役、論説委員。著書は『めちゃくちゃわかるよ! 経済学』などがある

2015年08月14日

戦争に行きたくない、これは利己主義か2

わたしは以下の若者の発言を知って思わず眼がしらが熱くなりました。

山本雅昭さんスピーチ全文

 「わけあってアメリカから来ました。ここの抗議のことが気になっていて、足を運びたいと思っていた。そうしたらこういう機会をいただいたのでいろいろ喋らせてもらいます。

 日本に住んでいるみんなに言いたいことがあって来ました。このSEALDsという団体はいま参議院の国会で通そうとしている安全保障関連法案に反対しています。僕もこのSEALDsのメンバーのひとりです。

 アメリカからインターネット上でSEALDsに対する日本人のまわりの反応をよく見ます。戦争って大げさでしょう、さわぎすぎ、冷静になれ、アメリカを友だちを見捨てるのか、こいつら選挙に行ったことあんのか、国民が選んだんだろ、お前が政治家になって日本を変えろよ…、ちょっと言わせてください。なぜみんなが戦争戦争と叫んでいるのか。

 日本に帰国して国会中継を見てました。そこで民主党の議員さんがこう説明していました。この法律が通れば、例えばアメリカのイージス艦が日本の目の前で他国から攻撃をされているとします。これを日本の存立や国民の生命が危うくなると判断された場合、日本はその他国に攻撃してもいいということになる。こちらが攻撃すれば相手国からすると先制攻撃とみなされます。なぜなら彼らは日本に攻撃していないからです。そして当然相手国はそれに対して報復攻撃を日本にしていきます。この状態をなんていいますか。戦争ですよね。そんな可能性を持っている法律を私たちが、ああそうですかと通させるわけがないんですよ。

 一方で、じゃあそれに対して友だちを見捨てるのかと言うが、その友だちに僕らは沖縄を筆頭に、多くの都市と住民を犠牲にして基地を提供しているんですよ。それにアメリカは世界で一番の軍事国家、僕らの助けなんか必要ないんです。必要のない助けをして自衛隊が私たちが犠牲になる、こんな馬鹿なこと僕は許さない。

 『日本の安全保障のために多少の犠牲やリスクはやむを得ない』っていう日本語のおかしさがわかりますか?
(本来)国がすることは、誰一人も死なせないし誰一人も人を殺させないことでしょう。それが国のさせることでしょう。誰一人として犠牲になっちゃいけないんですよ。国を守るんじゃなくて国民を守るんですよ。

 安倍さんは去年の選挙で自身の政権を勝ち取りました。だから彼らがすることは許されると、そういうふうに言う人たちがいます。その考え方は、独裁者を多数決で決めるのが国家のあり方、という考え方です。私たちはそんな国じゃありません。私たちには独裁者はいらない。なぜなら私たち一人ひとりが自分で思考して判断し、行動する能力と権利を持っているからです。だから今みんなここにいるんでしょう。

 それとこういうことを言われる。『お前が政治家になって日本を変えろよ』。『デモをしているから、政治的な発言』という日本語は僕はおかしいと思っています。考えてみてください。僕は料理ができます、でもだからといってシェフにはなりません。料理ができないからって毎日外食するのは僕には無理です。だから僕はご飯炊くし、味噌汁くらいは作りますよ。僕はそれを楽しみます、生活をする上で必要なことだから。政治だってそうだと思うんです。僕らの生活に必要なことなんですよ。

 何でかって、家族や友人の、恋人の、自分の将来の子どもたちの命や生活が心配だから、より良いものにしていきたいから、今の当たり前の日常を大事にしたいから、だから私たちはおかしいことはおかしいと言うんです。これがわがままでしょうか。利己的個人主義でしょうか。馬鹿でしょうか。

 はっきりいって僕は日本語が下手だしみなさんみたいにかっこいいスピーチはできません。このあとツイッター、フェイスブックで批判・中傷されるかもしれない、揚げ足を取られるかもしれない。彼らは本当にいつも容赦ないです。正直言うとそれにいつもへこたれます。辛いです。でもね、それに負けてたまるかってことなんですよ。

 (タレント・クリエイターの)いとうせいこうさんが言ってました。国民が国家の未来に関わる機会は選挙のみだけではありません。平和的なデモや座り込みもまた、我々の基本的人権によって守られているのであります。

 ここで僕は声を上げるのをやめるわけにはいかない。次の世代に僕みたいな辛い経験をさせるわけにはいかない。国を思うこと、心配することは間違っていない。ここに立ってスピーチすることは間違っていない。戦争に行きたくないと言うのは間違っていない。民主主義を追い求めることは間違っていない。理想を掲げることは間違っていない。おかしいことにおかしいということは間違っていない。ここにいるあなたは間違っていない。

 私たちは誰の奴隷でもない。思考し続けていきましょう、行動していきましょう。フェイスブックの記事をシェアしていきましょう。自分の言葉にしましょう。

 最後に安倍さんに一言。私たちはこういう思いでここに立っています。あなたには真摯に向き合う義務と責任がある。いいですか安倍さん、逃げずにここに来い。2015年8月7日、私、山本雅昭は戦争法案に反対します」

終了
知性が輝いていますね。
彼を知古主義の極みと言った議員さんなど足元にも及びません。

2015年08月03日

憲法は世界遺産

日本の憲法は「アメリカに押し付けられたものだから変える」という人たちが

不思議なことにアメリカにベッタリなのはどういうことなんでしょう。

この疑問の解は

押し付けたアメリカにとって都合が悪くなってきたので変えろって言ってきたとしか考えられません。

以前「金だけ出して血を流さないのは国際的な批判を浴びる」などと言っていましたが

国際という名のアメリカの軍事費を軽くしてあげるだけでなく血も肩代わりするのでしょう。

前にも書きましたがこの「安保関連法案」という名の「戦争法案」を議決した議員さんが先に安全なんだから兵站任務で行っていただきたい。

さらに原発の再稼働に賛成している人たちは率先して原発のそばに引っ越していただきたい。

安全なんだからね。

さて、この安全とはなにかが今晩のテーマです。

この世界に安全って言いきれるものがあるのでしょうか?

ないのです。

本当の安全は「安全を疑うこと」から始まるのです。

安全を疑わない人たちには危険な原子力や武器をコントロールすることはできないでしょう。

安全な場所で計端を受け持つから大丈夫などというのは、本人も信じてはいないはずです。

危険だと分かっている。

なぜ安全だと言い張るのか?

自分は安全だと思っているのでしょう。

国民ははっきりと自覚するときです。

日本は独立国ではないということを。

安倍さんの支持率は低下の一途ですが、本人も覚悟の上でしょう。

とにもかくにもアメリカへの忠節を示せばいいのです。

倒閣したって「悪いようにはしない」ことになっているのでしょう。

安倍さんや内閣の議員さんたちの国民への見下しは露骨です。

いえ、一面真実です。

選挙では経済政策で釣られるような国民なんですから。

原発立地で起きた問題が本質です。

原発マネーで釣られてしまったのです。

反対する人たちを攻撃して誘致したのです。

経済と命のどちらを選ぶのか?

今度は日本国民全体に問いかけられています。


「押し付けられた憲法」という論理もおかしいですね。

戦争をしないと宣言した憲法は素晴らしいです。
世界遺産に登録してほしいくらいです。

素晴らしいプレゼントをいただいて「押し付けられた」という人は変人ですね。

素晴らしいと感じないのでしょう。

特に戦争放棄を謳った9条が気に入らないのでしょう。
昔の軍国主義を懐かしむ人たちにとっては「押し付けられた感」があるのでしょうね。

そういう意味では国民主権も気にいらなければ人権条項も気にいらないのでしょう。

戦争をするには邪魔なものばかり書いてある憲法ですから。

人類史的見地に立てば「日本国憲法」は人類の金字塔です。




2015年07月17日

戦争法案に付属すべき法案

それは、派兵を決めたら賛成をした人たちで先ず戦地へ行くという法案だ。

今回の戦争法案に賛成した人たちは

実際に戦地へ自分が行くという想像はできていないでしょう。

できていないから賛成できる。

自民党と公明党の議員諸君、そしてその法案を理解できたという国民諸君。

理解した人たちから出征してくれ。

理解が進んでいないことは認めるといった安倍さんへ。

多くの国民は理解できたから反対したのだよ!

2015年07月15日

お母さんはどうして反対しなかったの?

日本丸が「きな臭い」ところへ出航する日が今日になるのでしょうか。

あなたや、あなたの子や孫が銃弾飛び交う下で転げまわるかもしれない運命の日です。

「お母さんはどうして反対しなかったの?」とつぶやかれるかもしれない。


以下引用  http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150715-00000009-mai-soci

戦後日本の安全保障政策を大転換する安保関連法案に反対する動きが各界に広がり、国会周辺では連日のように抗議集会やデモ行進が行われている。政府が昨年7月に集団的自衛権の行使容認を閣議決定して以降、労働組合など既存の組織だけでなく、知識人や若者らが新たな団体を設立するケースが目立っている。

【安倍政権は憲法を憎んでいるのか】

 その代表格が、益川敏英・京都大名誉教授や内田樹・神戸女学院大名誉教授らが呼びかけ人となって6月に発足した「安全保障関連法案に反対する学者の会」。文系、理系を問わずさまざまな分野の研究者が参加し、賛同者は約9800人に上っている。

 一方、東京都内の大学生らが中心となって5月に結成した「自由と民主主義のための学生緊急行動(SEALDs)」。中心的メンバーは約150人で特定の党派に偏らない。フェイスブックやツイッターなどを駆使して互いに連携し、先月26日の国会前での抗議活動には約2500人が参加した。

 第1次安倍政権で内閣官房副長官補だった柳沢協二氏ら元政府高官や専門家による「国民安保法制懇」は、憲法解釈の変更に反対の立場から昨年9月に意見書を政府に提出した。衆院の委員会での法案の採決が迫る今月13日には、法案の廃案を求める声明を発表した。【樋岡徹也】

 ◇安保法制反対の立場で結成された主な団体◇

【安全保障関連法案に反対する学者の会】

 益川敏英・京都大名誉教授ら、さまざまな分野の研究者が発起人となって結成した。賛同者は約9800人

 集団的自衛権の行使容認に伴う憲法解釈変更に批判的な大森政輔・元内閣法制局長官、柳沢協二・元官房副長官補ら元政府幹部、研究者などが結成

【自由と民主主義のための学生緊急行動(SEALDs)】

 特定の党派に偏らない学生たちで組織

【戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会】

 作家の大江健三郎氏、瀬戸内寂聴氏ら文化人や知識人が呼びかけて結成された反戦平和団体の連合体

【立憲デモクラシーの会】,

 長谷部恭男・早稲田大教授、山口二郎・法政大教授ら憲法、政治学者ら60人余りが呼びかけ

2015年07月07日

岐路

安倍さんが進めている法案は「戦争法案」であると断言できます。

後方支援とは後ろから「参戦」しているということです。

戦争に協力していること自体がもはや「参戦」しているのです。

安倍さんは「国際貢献」をよく口にしますが、安倍さんはアメリカしか見えていないので

彼の言う「国際」とはアメリカのことです。

要はアメリカの戦争に後ろから「参戦」するわけです。

参戦したいがために無理な法案を出したのですが、

信頼していた憲法学者にさえ「あれは違憲だ」と言われて慌てました。

「合憲だという憲法学者は何十人も居る」と口ごもりましたが

出してきた学者は数人だけでしたね。

彼に対しては右翼からも批判で出て、「はっきりと憲法を変えろ」と言われる始末です。

要はやることが姑息なんですね。

自党の議員にも安倍さんの焦る気持ちは理解されず、

「マスコミを懲らしめろ」と暴言を吐く自党議員の口も閉じさせたいのでしょう。

法案の内容をどれだけの議員が説明できるでしょうか。

説明させるとあやふやになると分かっているので「もうしゃべるな!」ということになります。

そして若手議員の勉強会です。

百田尚樹氏は詳しく知りもしないことに言及しました。

「普天間基地はの周辺に商売で人が住み着いたために危険視される基地になった」と。

歴史的に土地を強制的に奪われその周辺に住むしかなかった人々を侮蔑。

米軍基地に原因を求めず、住民のせいにしてしまいました。

一方で戦争法案反対の運動は火がついて連日国会周辺に反対派の人々が集まっています。

政治にまるで関心が無いからむしろ自分に有利に働くだろうと18歳選挙権を認めたのに

意外と若い人で国会周辺が埋められて困惑。

「高校生に選挙権を理解させるような教育をすると、学校が政争に利用される」とかなんとか言って
選挙民教育をするなと言います。


さて、今夏で日本に住む人々の運命は大きく変化するでしょう。

あなたの子供が戦争をダメだというあなたにこう云うかもしれない。

「母さん、それは非国民だよ!」

わたしたちは岐路に立たされています。

わたしがこの法案に反対するのは

1 自由に生きたいから。
2 戦争が嫌いだから。
3 健康問題は平和な社会でこそ解決すべき問題になっているから。

人の生死が簡単にやり取りされるような世界でどうして健康問題が語れるでしょうか?

最後に

あるキリスト者の言葉を紹介します。

『彼らが最初共産主義者を攻撃したとき』はドイツのルター派牧師であり反ナチ運動組織告白教会の指導者マルティン・ニーメラーの言葉に由来する詩。


ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった
私は共産主義者ではなかったから

社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった
私は社会民主主義ではなかったから

彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった
私は労働組合員ではなかったから

そして、彼らが私を攻撃したとき
私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった



ナチ党が共産主義を攻撃したとき、彼は多少不安だったが、共産主義者でなかったから何もしなかった
ついでナチ党は社会主義者を攻撃した。彼は前よりも不安だったが、社会主義者ではなかったから何もしなかった
ついで学校が、新聞が、ユダヤ人等々が攻撃された。彼はずっと不安だったが、まだ何もしなかった
ナチ党はついに教会を攻撃した。彼は牧師だったから行動した―しかし、それは遅すぎた

− 『彼らが最初共産主義者を攻撃したとき』



今なら言えます。

声を上げよう。

戦争法案は廃案にすべきだ、と。




2015年06月16日

あなたの人生の根幹を揺るがす「安保法制」について 2

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千切られようとしている葉は恐怖でしょう。
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でも、枝だったら怖くない?
もし、この枝を元にして付いている葉は敏感だったら、こののこぎりに抗議するかも。
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けれど、もっと遠い幹だったらなにも感じないかもしれない。

この幹にあたるものが憲法であるとしたら?

2015年06月15日

あなたの人生の根幹を揺るがす「安保法制」について 1

職を失うことは食を失うので、これは大変ですね。

ですからそういう事態に合うとあなたはなんとかしようと考えるでしょう。

それは差し迫ったことだから困ったと認識できるわけですね。

眼に見えることだから反応できるわけです。

では、現在政府が進めようとしている「安保法制」はどうでしょう。

あなたの眼に見えているでしょうか?

以下は憲法学者の記者クラブでの発言です。

引用
憲法学者の長谷部恭男早大教授と小林節慶大名誉教授は15日、日本記者クラブで記者会見し、集団的自衛権の行使を可能とする安全保障関連法案について「憲法違反」との見解を重ねて示した。

この中で、小林氏は「憲法を無視した政治を行おうとする以上、独裁の始まりだ」と安倍政権を痛烈に批判した。
 長谷部氏は、安全保障関連法案を「合憲」とする9日の政府見解について「何ら批判への応答になっていない。反論できないことを、むしろ如実に示したものだ」と酷評。

小林氏は、政府見解が合憲と判断する根拠として最高裁による1959年の砂川判決を挙げたことに触れ、「引用は珍妙だ。(裁判で)日本の集団的自衛権はどこにも問われていない」と指摘した。
 
長谷部氏は、自身を含む安保法案反対派の憲法学者に与党内から批判が出ていることにも言及し、「今の与党の政治家の方々は、都合の悪いことを言ったときには侮蔑の言葉を投げ付ける」と不快感を示した。 

引用終了

幸せな人生の基盤は社会にあるので見つめよう。

2015年01月31日

伝統食が駆逐された理由3 伝統食が駆逐された理由3

けれども悪いことばかりではありません。

素朴にやってきた伝統食が欧米の栄養学の洗礼を受けることで、より理論武装化が進み結果として洗練されたものになります。

伝統を守るだけでなく、より現代にマッチングした新しい伝統食に止揚されるわけです。

日本食は世界で評価されている割に本家は揺らいでいます。

今こそ考えるところでしょう。

慢性疾患や現代的な疾患が増大したのはなにゆえか。

日本が世界中の栄養学者から疫学的に注目されている理由は、こんなにあっさりと素早く伝統食を吸えた民族は珍しく、その結果どうなるかと注目されているのです。

もはや欧米と同じような慢性疾患構造になり果てて、今は中国に関心が向かっているようですね。

「フォークス・オーバー・ナイブズ」の映画でも、その結論ははっきりしています。

要は肉や動物性食品をきっぱりやめれば多くの疾患は消えてゆくという証明でした。

肉食は欧米の食品戦略であり、新しい侵略方式なのです。

栄養学とはその後押しをしているにすぎません。

世界の富が偏在した理由とは動物性の食品の移動と生産方式に原因があるのです。

冨の偏在は世界の平和への脅威です。

平和を願うことと食べ物を穀物や野菜中心にすることは一致しています。

世界の平和を祈りながら肉を食べることは視野狭窄になっていることをに気づくべきです。

そういう意味で伝統食をあらゆる観点から検討することや学ぶことには意義があります。

わたしが大阪と東京、各地で「初めての人のための食養セミナー」を開いている理由です。

受講された方は次回には必ずそのセミナーをご紹介ください。

体調不良や病気で苦しむ本当の理由を知ることは人生の価値を保証してくれるのですから。

生き方と食べ方は別々なものではないとどれだけ腑に落とすかが重要です。


2015年01月14日

フランスは対テロ戦争を宣言 地獄の扉が開いた!

拉致した少女に爆弾を着せて遠くから遠隔で爆発させるテロ・・・。

そして一方では金にいとめをつけない空爆・・・。

集団自衛権を発動させると日本もテロ攻撃の対象となるだろう。

世界は混とんとして出口の見えない地獄にはまりこんでいく。

世界はこんな終わり方をしてしまうのか・・・。

いのちが消耗品のように扱われること。地獄ですね。

そんな世界に住むわたしたち日本人はどうすればいいのでしょうか。

自分一個の幸せが地獄の世界であり得るのか?

日本の国として武力を行使して世界平和に「貢献」するということになるのでしょうか。

全く別な貢献ができる可能性を提案できる政府を持ちたいですね。


2014年07月16日

中西礼さんの 抵抗詩

昨日、毎日新聞の夕刊に発表されました。

まさに、身震いするような詩です。

芸術の真価はこういうものです。

これを拡散しましょう。


「平和の申し子たちへ! 泣きながら抵抗を始めよう」



 二〇一四年七月一日火曜日

 集団的自衛権が閣議決定された

 この日 日本の誇るべき

 たった一つの宝物

 平和憲法は粉砕された

 つまり君たち若者もまた

 圧殺されたのである

 こんな憲法違反にたいして

 最高裁はなんの文句も言わない

 かくして君たちの日本は

 その長い歴史の中の

 どんな時代よりも禍々(まがまが)しい

 暗黒時代へともどっていく

 そしてまたあの

 醜悪と愚劣 残酷と恐怖の

 戦争が始まるだろう

 ああ、若き友たちよ!

 巨大な歯車がひとたびぐらっと

 回りはじめたら最後

 君もその中に巻き込まれる

 いやがおうでも巻き込まれる

 しかし君に戦う理由などあるのか

 国のため? 大義のため?

 そんなもののために

 君は銃で人を狙えるのか

 君は銃剣で人を刺せるのか

 君は人々の上に爆弾を落とせるのか

 若き友たちよ!

 君は戦場に行ってはならない

 なぜなら君は戦争にむいてないからだ

 世界史上類例のない

 六十九年間も平和がつづいた

 理想の国に生まれたんだもの

 平和しか知らないんだ

 平和の申し子なんだ

 平和こそが君の故郷であり

 生活であり存在理由なんだ

 平和ぼけ? なんとでも言わしておけ

 戦争なんか真っ平ごめんだ

 人殺しどころか喧嘩(けんか)もしたくない

 たとえ国家といえども

 俺の人生にかまわないでくれ

 俺は臆病なんだ

 俺は弱虫なんだ

 卑怯者(ひきょうもの)? そうかもしれない

 しかし俺は平和が好きなんだ

 それのどこが悪い?

 弱くあることも

 勇気のいることなんだぜ

 そう言って胸をはれば

 なにか清々(すがすが)しい風が吹くじゃないか

 怖(おそ)れるものはなにもない

 愛する平和の申し子たちよ

 この世に生まれ出た時

 君は命の歓喜の産声をあげた

 君の命よりも大切なものはない

 生き抜かなければならない

 死んではならない

 が 殺してもいけない

 だから今こそ!

 もっともか弱きものとして

 産声をあげる赤児のように

 泣きながら抵抗を始めよう

 泣きながら抵抗をしつづけるのだ

 泣くことを一生やめてはならない

 平和のために!




2014年07月14日

わたしが今、とっても言いたいこと

あなたはなぜ「この仕事をしているのですか?」

と訊かれます。

それってミッションのことを訊かれているのですよね。

わたしは人生のミッションと仕事のミッションは同じです。

わたしのミッションは「戦争のない世の中を創るのに微力でも役立ちたい」です。

それ以外にもいくつもミッションはありますが、それらは上記の大きなミッションの途中にあるものばかりです。

大目標と小目標は同じ道にあるのです。

たとえば、世の中から慢性疾患を無くすこと。これは小目標ですね。

そのために証拠を世界に示す必要があり

そこから「代替医療センターを創設する」というさらに小さな目標が手前にあるのです。

ところで現在千発以上のミサイルがイスラエルからガザに投げ込まれています。

ガザの人たちには健康問題はありません。

いつどこから爆弾が落ちてくるかわからないような場所で生活していれば

健康どころの話ではないでしょう。

健康問題は平和が土台になっているのです。

平和な世界でこそ健康が問われるわけです。

戦争をする国においては健康は戦争のために必要になりかねません。

元気な心身は戦場で役に立つからです。

インド洋とイラクに派遣された自衛隊員が40人自殺されています。

これは日本全体の自殺者率と比べて異常に高いのです。

イラクに派遣された隊員はインド洋に派遣された隊員よりもさらに自殺率が高いのです。

隊員の心身をもっと強化すべきなのでしょうか、戦争のために・・・。

集団的自衛権が密室会議で決まりました。

安倍さんは「自衛権とあるように戦争をしかけるわけではない」などとおっしゃっていますが

言葉の遊びです。

集団的交戦権と言う方が内容にあっているのです。


わたしは健康分野で「主体的な生き方こそがあなたの健康の土台だ」と言い続けています。

この主体性が健康問題だけで閉じられているわけではないでしょう。

自分だけ健康になることには貪欲だけれども世界や政治には無関心・・・。

こういう人のことを「オタク」と言うのです。

オタクは世界と切り離されやすいので正常な判断ができなくなります。

健康問題に政治の話と宗教はタブーと言いますが

わたしははそういう制限をかけたくありません。

ホリスティック医学を標榜する先生方が意外にも世界と健康を切り離されています。

身体を包み込む全体性(世界)を視野に入れなければ

真のホリスティックにはならないでしょう。

心身をホリスティックに観察する視点と

「心身を包み込むさらなる全体」を観察する視点を欠かすようでは恥ずかしいでしょう。