玄米を食べ続けて50年
マクロビオティックの創始者・桜沢如一先生が、提唱した半断食法「七号食」を何度も実践した結果、「未精製の穀物(玄米・古代米・雑穀米)を好きなだけ食べても7号食と同じ効果が得られる」事を発見、『トミタ式七号食』の普及に努めています。

ブログ記事も8000を超えました!


2014年08月20日

「愛とはなにか」2

「愛」はそこらあたりに常に偏在しているのですが、

それが具現化するときには人を介するわけです。

人によってその表現が違ってくるのです。

ラジオ電波が空間に偏在しており、その波長を受け取る受信機があって、チューニングして放送局に合わせるわけです。

どの放送を聴きたいのかはあなた次第です。

「愛」にもいろんな次元段階があり、結局のところあなたが聴きたい中身しか聴けないのです。

つまり

あなたの次元に応じた「愛」が提供されるのです。

そういう意味ではあなたの彼や彼女もあなたの次元に応じた人になるでしょう。

前回に登場した女性は進化したことで恋愛観も変化したのです。

毎日を活き活きと生きているひとはそれにふさわしい彼が近づいてくるのです。

1 あなたも彼や彼女をじっくり観察してください。

2 あるいはまだその対象がいない人は、どんな彼や彼女がいいのかイメージしてください。

1も2もあなたの精神が反映しているはずです。

そのことで自分の「愛の次元」「人間性の次元」を知ることができるでしょう。

次元とは相手の成熟や未熟さとは関係ないもので

志(こころざし)で判断できるものです。

つまり

どんな恋愛をするかはあなたの生き方をそのまま反映するのです。

人の為すことは部分的な事柄であっても、全体を反映しているものです。

そういうわけで別スレッドにある「貧しいということ」とも強く関連しています。






posted by 変才冨田 at 14:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 認め合うということ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年08月18日

「愛」とはなにか 1

わたしに「愛がよくわからない」と質問した女性がいます。

わたしも「愛」について不明なことが多いので考えてみました。

「愛」についてはこれまでに書いていますがキチンと書いていません。

「愛」を「愛」だけで考えては袋小路に入ります。そういう思考法自体が恋愛至上主義」といいます。

恋愛だけが価値あるものではなく、むしろ恋愛を価値あるものに高めるにはソレ以外のことに価値を認める必要があるのです

このお題でしばらく書くわけですが、過去の記事からふさわしいものを見つけました。

太文字が重要です。

先ずはここから書いていきましょう。




エゴギョウ中級講座 火性こそがすべての事象の原因になる。

本日のこと「さやか」さんがいらっしゃいました。

「さやか」さんのことは食養学初級編で紹介しています。

そこに彼女の手記があります。

さて、彼女は音大を卒業されて幼児の音楽教育の道に進むのだとはっきり進路も決まり

あいさつにこられたのです。

そのときに「お蔭さまでわたしは変わりました」という言葉だったのです。

実際のこと道でかつての同級生に会っても、誰も彼女だとは気付かないくらいに顔つきまで変化したのです。




彼女をわたしに紹介した女性が「あのときの富田さんの言葉ですべてが始まったからね」

ということで「お蔭様で」に続くわけですが

あくまでわたしの言葉は本当に「お蔭様」なのであって「お光様」ではないのです。

そういわれて嬉しくないわけはないのですが

そういわれて嬉しくなったのは「あなたのおかげですよ」と心の中でつぶやいていました。

彼女が変わるための力は彼女自身がもっていたのです。

火性がなにしろ20点でしたから。

火性が20点もあるとそのエネルギーのはけ口を持っていない場合は苦しみます。

そのはけ口を求めて横にソレてしまいはげしく「やさぐれて」いたわけです。

自分の機能を使っていないときに人は不幸を感じます。

20点ということは非常にすばらしい芸術的素質をもっているのです。

それをみつけていないとき「やさぐれ」ます。

彼女はエゴギョウセミナーでの「小学校5年生のころなにをしたかった?」というわたしの言葉が縁になって

音楽への心の底からの欲求に気付いたわけです。

それからは紆余曲折はあったもののまっしぐらでした。

石はいくら温めても芽を吹きません。

種であれば、それがなんであれ条件(縁)を与えられれば芽を吹きます。

彼女は少ない縁ではあったけれど20点だったのですぐに芽を吹いたわけです。

火性が低ければ石ではないのだけれど

非常に硬い殻の種なので多少の縁では芽を吹きません。

自分の奥底から吹き上げてくる欲求という名の風を感じなければ

ついに生きた証が立てられないでしょう。

彼女はその吹き上げてくる風を感じていたので苦しんでいたのです。

その風を抵抗とするか自分を押し上げてくれる追い風にするかで

ぐれるか輝くかに分かれます。


彼が欲しいー、という女性は多いですが

今の日常がつまらなくて、彼ができればつまらなくなるだろうと期待しているのです。

真実は日常がつまらないのではなくて、その人自身がつまらない人になっているだけです。

そんなつまらない人に輝いている彼ができるでしょうか。

日常をつまらないと思っているつまらない男しかつかまらないのです。

いきがいのある日常に取り組んでいる女性は彼が欲しいなどとは言いません。

生きがいある生き方をしているときには

生きがいある人生を欲している意味のある男性が自然に近づいてくるのです。

彼女もそうでした。


彼女はすっかり脱皮したように成長してくれました。

相変わらずキラキラした眼をしています。

エネルギー落ちの昨今のわたしですが
おかげさまで力をいただけました。
この仕事のおかげです。

仕事冥利です。
posted by 変才冨田 at 19:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 認め合うということ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年08月11日

他者を認証すればたちまち楽になる1

ほとんどの人間関係上のストレスはあなた自身が原因です。

それは他者を認めたら損をするくらいに思っているあなたの感情です。

他者を認めるとその分だけ自分が低くなると感じているのです。

そうなったのは「勝ち負け論理の世界で生きている」からです。

小さいころから競争を強いられた結果、他者を認める仕方を知らないだけなのです。

当然ですが、その論理では自分も認められなくなっているのです。

褒めることは他者を認証したことになるのかというと、これが難しいです。

水性の人のなかに「褒められて育った」人がかなりいます。

褒められないといけない、くらいに思って今も生きています。

褒められなかったらやる気を一気に失ってしまいます。

このあたり「褒める」ということの意味を考えてしまいますね。



posted by 変才冨田 at 22:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 認め合うということ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年07月09日

推薦図書「人は死ぬとき 何を後悔するのか」

宝島新書 で小野寺時夫著

小野寺さんは元消化器・がん外科専門医です。
5000人以上のがん治療に携わり、2500人以上のがん死患者に接してこられました。

現在はホスピス医療に携わりながらコーディネーターとして緩和ケアなどの考え方を啓蒙されています。

癌だと診断されてこれからどのような治療に進むかのヒントがたくさん書かれています。

特に抗がん剤を医師に勧められたらどうするかが詳しく書かれています。


けれどこの本の秀逸なところは

癌でない人も今健康である人も「どのような死に方」をするかは今の生き方にあると述べられているところです。

そういう意味でぜひ皆さんにお勧めしたい本です。

わたしが今よく書いている「認証問題」が具体的に述べられているのです。

他者を認証した数に応じた死に方をするのだなーと感じました。
posted by 変才冨田 at 16:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 認め合うということ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年07月07日

人はなにを求めて生きているのか? 自他を活かす方法について5

染色体異常での発達障害の相談でした。

全身的に筋肉に力が入らない状況です。

頭はもたげることができるようでよかったです。

基本の考え方はその子の欲求を自分自身で満たすことができるようにもっていくことです。

音の鳴るおもちゃには良く反応しているそうです。

お母さんが気が付いたらその近くにまで近寄っているそうです。

音の鳴るおもちゃを与えるのでなく、少し遠くに置いておくとその欲求が身体を動かすようになり、自らの力で筋肉を強めていくでしょう。

これはアメリカであった実話なのですが

ある大学教授が脳梗塞になり両手両足が麻痺しました。

病院ではこれ以上の回復はできないということで自宅に戻されたのですが

ここからがすごいです。

その教授の息子さんがリハビリをしました。

お父さんを空腹にしておいて、少し遠くに食べ物を床に置きます。

腹が減っているので必死で体を揺らすようにして食べ物に近づくのですが、もう少しというところで

息子さんは少し遠くに置きなおします^^;

それを見た近所の人が虐待だということで警察に通報し、逮捕されたりもします。

けれど、結果はお父さんは見事に回復して大学に復職を果たしました。

成功した原因は欲求に根差したリハビリをしたからです。


音の鳴るおもちゃを自分の力で獲得したときに自信がつきます。

その自信は次のレベルの高い欲求を生み出します。

そうやって発達を促すのですが

実はわたしたちもそうやって発達してきたわけだし、

これからもそうなのです。


さて、この話は表題とどう関係するのでしょうか?

これは自分で自分を認証するというお話でした。

これが土台なのであって、他者に認証されることに先立つものです。

他者に認証を受けてもその威力は自己自身が認証したレベルを超えることはありません。

欲求がなければなにごとも始まりません。

え?なにがしたいのかわからない?

それは困りましたね・・・。

自分の欲求がどのあたりにあるのか見つけることが最初のミッションになります。

あるセミナーでのこと。

講師「自分が欲しいものをノートに書きなさい」

生徒 ベンツ、別荘・・・

それを書いた男性がセミナーでの体験を話してくれました。

わたし「本当にそれが欲しくて書いたの?」

彼「いや、なんとなく・・・思いつかなくて・・・」

彼が自己認証に至るには遠そうです。

このあたりは何か深そうで、なにが出てくるか怖いものがあります。





posted by 変才冨田 at 17:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 認め合うということ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年07月05日

人はなにを求めて生きているのか? 自他を活かす方法について4

逝く人が残る人への最後の認証

酸素マスクを最後の力を振り絞り取って「みんなのおかげで幸せでした」と拝んだ女性がいらっしゃいました。

残った人々はその言葉だけで感動とともに深い幸せが訪れました。

全員が認証された瞬間でした。


わたしが十代の頃ある死に立ち会いました。

連帯保証人になって、その責任で会社を倒産させた男性です。

都会に家族ごと出てきて生活の立て直しがやっとできたころ心筋梗塞で倒れました。

病床で死を前にして奥さんと一人娘に「これからだったのに悔しい。お前たちが心配だ」と言いました。

一人娘は「お父さん、大丈夫よ。お父さんからくじけないことを教えてもらったから、安心して」

お父さんはニッコリして逝きました。

これは逝く人へ向かって、その彼の人生すべてへの認証でした。

その笑顔がずっと棺の中でも残っていました。

死に逝く人を活かした瞬間でもありました。


すべての人が必要とする「認証」です。

このことを心にとめておけばどんなトラブルも乗り越えられるのではないでしょうか。

さらに、これがすべての人を活かす方法なのではないでしょうか。
posted by 変才冨田 at 23:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 認め合うということ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年07月04日

人はなにを求めて生きているのか? 自他を活かす方法について3

さて、お父さんに「お前はなんて可愛いんだ!」と育てられた娘は高校1年になりました。

中学時代のある同級生が停学処分になり家で謹慎中なんだそうです。

荒れた高校にその子は進学したのですが、たばこやお酒、深夜族の生徒に引きずられていたそうです。

その娘が彼女に忠告をしました。

「あんたなんであんな子らと付き合ってるの>< 」

「だって、離れたら一人ぼっちになるから・・・」

そうこしているうちに事件があって彼女は停学で済みましたが、他の全員は退学だったそうです。

ある時、その娘がアルバムのようなものをつくっていました。

彼が尋ねたら停学処分になった子のために特別なアルバムを創っているというのです。

見ていると深夜まで何日もかかって写真の切り貼りをしたりこまごまと書き込みをしています。

さて、完成して彼女の家に行きました。

そのアルバムにはずっと昔からの彼女の写真が順番に並べられ、その時の思い出が書かれていました。

その書き込みの一つ一つに彼女のいいところが書かれていました。

その娘も、お母さんも号泣していたそうです。

人はこうやって他者から認証されることで活きる勇気が湧いてきます。


このお話を娘のお父さんから聞いて、わたしは愕然としたのです。

わたしはこの娘のようにどれだけ他者を認証していたのかと・・・。

この娘に遠く及ばない自分を発見して、自身の実のなさを思い知らされました。





posted by 変才冨田 at 22:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 認め合うということ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

人はなにを求めて生きているのか? 自他を活かす方法について2

三つの物語に共通しているものは「人は自己の存在への認証を求めている」ということではないでしょうか。

1本目の「レイテ島からの手紙」

65歳になってもそおの男性は自分の出生について認証の証しを求めていました。

出生した父が母の妊娠を知っていたのかどうかが彼の存在感を揺るがしていたのです。

戦地からの父の手紙を判読できて、その辞世の句に「妊娠の妻」という言葉を発見して「父はわたしのことをわかってくれていたのですね」と「すっきりしました」と涙ぐみます。

妻の妊娠を心配し配慮した文面こそが自分自身へのしっかりとした認証として受け止められたのですね。

さらに、スタジオの面々やこれを視聴した人たちの大きな感動の根っこに「人は自分の存在理由を求めている」ということへの深い共感性ではなかったのか。

二本目

この物語の根っこにも「人が他者を認める」ことの感動が生きることの鼓動として実感させられました。

このフエリーで出会った少年がおじさんの話をどのような態度で聞き入ったか。

真剣に聞き入ったからこそこのおじさんは少年に感動したのでしょう。

その出会いは少年の心にも深く感動として留め置かれていました。

お互いの大きな共感性はお互いを深く認証しあうということだったのです。

三本目

25年間会話の無かった夫婦が子供たちの願いで会話ができるようになりました。

会話がなくなったきっかけとは「子供ができてから自分がないがしろになった」と感じたことでした。

このお父さんは深く奥さんのことが好きだったのですが、それを率直に表現できなかったのですね。

ここ十年は苦しんでいたのだそうです。

二人の会話はまさしくお互いを認証しあっているシーンでした。

認証とは「認められることを証しとする」ということですね。

認めるとは見て止めるということ。

流し目ではダメなのですね。

しっかり相手を見るということが、相手が認証されたと感じるのです。


なぜ人はこうしてまで認証を必要とするのか。

生きることへのそこはかとない不安を人はお互いの存在を認証しあうことで自信へとつなげてきたのです。

決定的なことは9歳まで、いえ3歳くらいまでにさかのぼるかもしれません。

両親や周辺の人たちがその子の存在をしっかり認証しておけば、大きなストレスに将来見舞われても耐える力になるでしょう。

けれど、外の世界は差別や激しい競争がありしっかり幼期に認証された人でもぐらつくことがあります。

だから人は不断に自己の認証を必要とするのです。

一回認証しただけでは十分とは言えないのです。

世界は不断に人を不安にしているからです。


彼に大好きだって言ってみればいいです。

きっと大感激してくれるでしょう。






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2014年07月03日

人はなにを求めて生きているのか? 自他を活かす方法について

先ずは以下の映像を三本どうぞ。

一本目は探偵ナイトスクープの映像で真ん中の「レイティ島からの手紙」と書いているのでそこをクリックしてください。

二本目と三本目はそのままご覧ください。


ご覧になったらこのストーリーの共通した本質性を考えてください。

人が「感動すること」の本質性です。

https://www.youtube.com/watch?v=BcfZ_XJhcbU

https://www.youtube.com/watch?v=ZgYo3tGvjuo&list=RDZgYo3tGvjuo&index=1

https://www.youtube.com/watch?v=z1qVT49DDKQ
posted by 変才冨田 at 17:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 認め合うということ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年06月25日

外見に自信が持てない

さて、女性が「容貌に自信が持てない」というケースの多くはお父さんとの関係が大きく関係しているようです。
女性が女性として生きていく自信を与える役割を持っているのはお父さんだからです。

なにか思い当たるところはありますか?

ここまでが前回書いていました。

早速、コメントがありました。

あります!あります! おっしゃる通りです。

私は幼稚園ぐらいの頃 父親に「馬面(うまづら)」とか 「だんだん顔が長くなった」とか 言われ続け 鏡を見たり写真を撮られるのが苦手な 子供になりました。

顔も含め女性としての自分に自信が持てず ずっと劣等感にさいなまれてきました。 正直な気持ち 父親に対してはずっと 恨む気持ちがありました。

終了

ある男性が高校1年生の娘に

「お父さんほどかっこいい人はいない^^」
「結婚するならお父さんみたいな人しか考えられない」

そう言われて「俺、泣きそうになったよ」などとご機嫌でした。

実は彼は娘に小さいときから「おまえはかわいいなー、とてもかわいいなー」と娘に連発していたのです。

彼は立派にお父さんとしての役割を果たしたのです。

娘に女性として生きる自信を与えたのです。

娘はきっとお父さんのような人を見つけて、「あ、この人!」と自信をもって選ぶことでしょう。

彼をとっかえひっかえしている女性は、自分が選ぶことに自信がないのです。

わたしはこの人が本当に好きなんだろうか・・・。

そう思ってしまうのは基本の男性モデルができていないので、その彼と理想のモデルを重ねて直感で
「判る!」がないのです。

基本の男性モデルはお父さんになるのですが

「お父さんが嫌い」ではモデルができないのです。

「お前は本当に可愛いなー」とべた惚れされた娘は、お返しにお父さんも大好きになり、

揺るぎない男性モデルをつくるのです。

若い男が娘に一目惚れされるのは、お父さんのおかげであるといえます。

コメントのようにお父さんの何気ない言い方は
「心無い」言い方だと知らないのですね。
「お父さん学」を学んでこなかったからでしょう。

女性に対して「心ない」言い方をする男性は多いです。

最近も議会でそうした発言がありましたね。

お酒の席で議員さんが女性議員に「いくらだ」と言ったり「女は子供を産む機械」とも発言したりしていました。

こうした女性観を持っている男の家庭とはどういう雰囲気になっているのでしょうかね。

わたしなんかは男性だけの秘密会議で「女は怖い」と言うくらいです。

多くは「そんなの当たり前だ」と言うのですが、「怖いだけじゃない!ずっと祟る」という意見もあったことをここに補足しておきたい。

このみんなの党の議員さんは「危険物取扱主任」や「爆発物処理主任資格」も取っていなかったのですね。

それにしてもその他の問題発言をした議員さんはどうしたのでしょう。

匿っているというだけで、その党の女性蔑視体質がばれるだけでしょうに。

posted by 変才冨田 at 22:56| Comment(1) | TrackBack(0) | 認め合うということ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年06月17日

経営者としての資格 教育は可能か?

経営者の本質は利益を会社に生み出すことにあり、そこに働く人たちの運命には関与しない。

これが経営者としての資格なんだそうです。

「いい社長だけで会社は火の車」ではいけないのですね。

「従業員に悪口を言われ、嫌われていても会社がきちんと利益を出していれば良い経営者」

ということなのだそうです。

前者はリストラするので結果として従業員を苦しめ

後者は雇用が安定して、結果として従業員の生活は安定させられる。

そういうことなんだそうです。

実は、わたしはそのあたりのことが良く分かっていない。

分かっていないものが経営をしてきたのです。

最近のことディズニーの元社員の大住力さんの話を聞いて驚きました。

二十数年会社みたいなものを続けてきた私には驚嘆に値するお話だったのです。

つくづく「私は経営というものをやってこなかった」ことを知らされました。

幼稚園生が会社をやってきた・・・。そういうことだったのです。

思い出されるのは幼児教育のオーソリティである正司昌子先生のお話です。

「子供は勝手に育つと思っているお母さんがいるがとんでもない勘違いです」と。

昔ならおばあちゃんやおじいちゃん、近所の人などが子供にいろんな刺激を与えて育ってきたのです。

お母さんとだけしか接触がない子供になにもしなければどうなるでしょうか。

なるほどそれは当たり前の話ですね。

その結果、BL研究所では「野生動物の放牧場」と化していました。

さて、社員教育なるものが必要だとわかりました。

以前なら、そんなことしなくても必要なことなら勝手に覚えるでしょう?

作業なんて必要なんだから勝手にできるようになるでしょう?

そう考えていたのです。

ですから希望に燃えてやってきた人に対してなにもしてこなかったのです。

けれど、個人プレイヤーとして生きてきた私には企業教育というものがよくわかりません。

ここで問題になるのは

子供と違って大人に対して教育できるものなのか?それは可能なのか?ということです。

それはわたしがスタッフに対してというよりも

自分が自分自身に企業教育の仕方を教育できるのか? ということなのです。






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2014年05月06日

正司昌子先生のトーク・イベント終了 その内容1

いやー、正司先生凄い、パワフルです。

80歳???

機関銃トークでした。

筆記する人は必死でしたね^^;

DVDにする予定ですが、いくつか気付かされたことを。

1 赤ちゃんは勝手に育つと思っている人が多い。
昔ならおじいちゃん、おばあちゃん、近所の人がいたので刺激が多かった。
今はお母さんがなにもしなければなにも赤ちゃんに起こらない。

人は勝手に人間にならない。教育されて人間になれる。

2 乳児期は身体を触りまくること。
  これで脳への神経刺激が届き、神経が多量に形成されること。

  ベビー・マッサージの講義を頼まれる前夜見た夢のお話。
  誰かが背中を優しくさすってくれており、非常に気持ち良くて徐々に全身が温かくなり特にお腹がポカポカしてきたそうです。

夢から覚めた後もその感覚が数日残っており至福感に満ちていたそうです。

その感覚、私にはわかります。
40年も前に座禅をしていたときにその感覚を体験していました。

赤ちゃんはお母さんにさすられている時に同じような至福感に漂っているのではないでしょうか。

そうした感覚的体験は「この世界は僕のものだ!」「この世界は基本的に安心だ!」という世界観の基本ができるように思えます。

プアラス発想とかいいますが元々の土台がそうなっている人はそのようになってしまいます。

人が信じられる! これはお母さんの情緒的安定に元があるように思えます。

ひたすら乳児を触ることができるお母さんというのは、この安定があるからできることです。

身体的接触の少ない赤ちゃんは免疫系が発達しないので病気になりやすい。

携帯電話に夢中になっている母親が多く、この触ることが少なくなっている。

続く

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2014年04月30日

恋愛論1 不倫を考える

昔はよく恋愛論を友人たちと戦わせていました。

なにをいまさらこんな蒼いテーマをと恥ずかしながら思うのですが、やはりこれは大きなテーマです。

これを最近のテーマである「自己創造」ということと重ね合わせることで深まるように思えるのです。

先ずは「不倫問題」から^^;

これを読んでいる皆さんのなかに不倫をしている人は手を挙げてください。

あれ?

意外と少ないですね。

では、不倫はしていなくても夫や妻になんの愛情も感じていない人は?

多いですね^^

それは不倫をする土壌があるということです。

以前のこと「夫が風俗に通っていて病気をもらった」という女性がいました。

わたし「彼が風俗に通うのはかまわないの?」

彼女「男がそういうところに行くのは仕方がないからと思っています」

わたし「へーえ、許せるの」

彼女「内緒にしていてもらえば良い、仕方ないから」

わたし「風俗に行くのは浮気?」

彼女「浮気ならいいです、わたしに知られないようになら・・・」

わたし「・・・」


わたしは不倫がいけないことと断罪するつもりはありません。

愛情が伴っておれば、それは「不倫」とはいえなくなります。

夫や妻に愛情がなくなって、彼や彼女には愛情を感じられる場合は

むしろ愛人からみて夫や妻との関係が不倫になっているかもしれません。

そういえるのは「愛情」を中心軸にして考えた場合です。

社会的な道徳などの既成概念を中心軸にした場合は「不倫」です。

そして不倫をしている人たちは「愛」を軸にして不倫攻撃を耐えようとするのです。

わたしは結婚関係であれ、不倫関係であれどちらでもいいのです。

「自己創造」にその関係がなっているかどうかです。

posted by 変才冨田 at 00:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 認め合うということ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年04月28日

内なるチャイルドの癒し方

大人になっても小さな少年や少女を抱え込んで活きています。

彼ら(彼女)の元気が無くなると、それは即ちあなたが元気を失っているということです。

5月3日は幼児教育のオーソリティである正司昌子先生をお招きしています。

現在子育て中の方だけでなく

実は、あなた自身も内なる子供を育てているのです。

ですから正司先生のお話は全てのかたにお勧めしているのです。

このブログでも「心は食べ物の属性」だと書きました。

今回は食べ物の話も含めたお話です。

正司先生は、「幼児の知力がぐんぐん伸びる本」(情報センター出版局)、「授乳時のケータイで子どもは壊れる」(ベスト新書)「子どもの生活きほん絵事典」(PHP出版)などなど、多数の書籍持たれる幼児教育のパイオニア的存在。

御年、なんと80歳!

とってもパワフルな正司先生と冨田とのコラボ、何が飛び出ることやら!?

■日時:2014年5月3日(祝・土) 13:00〜15:30
...
■時間割
 正司昌子氏講演会 13:00〜13:50
 冨田哲秀氏講演会 14:00〜14:50
 質疑応答&対談 14:50〜15:30

■参加費:3000円

■会場:神戸市中央区三宮町3−9−19春貴ビル4Fセミナールーム

ご期待くださいませ〜♪++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++


無敵の子どもが育つ!=「冨田式・おいしい・食育」×「正司式・楽しい・教育」

ちょっとの工夫で抜群に脳と身体が育ちます。
子育ての日常を、【少し】工夫することで、子どもも大人も、毎日が楽しくなるノウハウ満載です。 
...
あとになるほど子育てが楽になる、「幼児期にしておくと良いこと」を、
40年以上、食べ物で人間がどう良く変わるかを研究し続ける冨田哲秀氏(64歳)と、
50年以上子どもに関わり、今も現役の幼児教育者・スーパー80歳の正司昌子氏のコラボ講演会&対談。

たくましく、しなやかに人生を楽しむ子が大人になってからも大活躍の事例紹介。
やさしい心を伸ばすには? どう躾をするかなど、子育てのお悩みにも、質疑応答でお答えします。

【講師紹介】

●正司昌子(しょうじまさこ)氏
1933年に生まれる。50歳の時、子どもの能力開発教室「レクタス教育研究所」を設立。抜群の観察力と経験から、子どもの才能を開花させるのが得意技。親子とも楽しくなり、簡単で、すぐに実践できる子育てコンサルティングが好評を得ている。自身も79歳から漢字検定に挑戦、2014年に漢検3級を取得。著書「幼児の知力がぐんぐん伸びる本」(情報センター出版局)、「授乳時のケータイで子どもは壊れる」(ベスト新書)「子どもの生活きほん絵事典」(PHP出版)他多数。
●冨田哲秀(とみたてっしゅう)氏
1949年に生まれる。20歳の時「人間の煩悩の原因は食にある」と気付き、以来、玄米食家。生き方がラクになる「食・姿勢・考え方に軸をつくる」ノウハウを各地で講演。やさしさとユーモアあふれるトミタ式健康法は、すぐに役立ち、効果的と好評。健康コンサルティング、囲碁教室、玄米カフェの運営など、多岐にわたる活動と研究を続けている。「食べ物が人間をつくる」ことをわかりやすく解説した著書「食養学入門」「食養学初級編」他「姿美人」等がある。囲碁6段。


■日時:2014年5月3日(祝・土) 
    13:00〜15:30
 *カフェは営業しておりませんので、ご注意ください*

■時間割
 正司昌子氏講演会 13:00〜13:50
 冨田哲秀氏講演会 14:00〜14:50
 質疑応答&対談 14:50〜15:30

■参加費:3000円

■会場:神戸市中央区三宮町3−9−19春貴ビル4F



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2014年04月02日

わたしは嫌われている2

「わたしは嫌われているか、好かれているか」を心中で反芻する人がいる。

そういう人は他者を「敵か、味方か」という判断をするようになり

見方を増やすために仲間をつくろうとする。

そのやり方は他者の悪口から始まる。

弱い人は悪口で共感しあってセクトをつくる。

職場でこういうことが起きると、テームプレーが成り立たなくなる。

家庭においても夫婦仲が悪いと母親は子供を味方にしようとする。

チームプレーとは「全体の為に自分がどう動いて、どう考えるか」ということ。

つねに仕事人は全体に視野を広げて、部分的な局面を判断する。

嫌いか好きかで行為を決めるのは、仕事だけでなく個人の生き方としてもうまくいかない。
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2014年03月31日

食欲が止まらない理由2

東京での二日連続のセミナーを終了して、さきほど帰ってきました。

4月の出前セミナーは札幌と帯広です。

東京は会場が4月取れなかったので5月になります。

5月も清澄白河と六本木一丁目のカタナオフィース・セミナールームになります。

さて

特に女性は男性よりもストレスを食欲で解消する傾向が強いようですね。

食べている時だけは緊張から解き放たれているからです。

交感神経緊張ストレスの解消は副交感神経に針を寄せればゆるみます。

食べれば副交感神経へ一時的に針が振れるからです。

非常に強い交感神経ストレスは食べてもすぐに緊張性が復活します。

だから、さらに食べる。

食べている時だけが逃れている時です。

これが止まらない理由の一つです。

この修正の仕方は過度の交感神経緊張になる理由を探らねばなりません。

結論を言えば

考え方を変える(正常にする)以外にないのです。

考え方を変えることで感じ方を変えるわけです。

これが修行なのですね。

ほとんどのケースはOSに由来しており、

両親との関係でそのストレスが生じた場面を検討することになります。

続く



posted by 変才冨田 at 22:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 認め合うということ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年03月27日

自分は嫌われている!

そう思うことがある人はOS上の問題です。

おそらく「あの人はわたしを嫌っている」という「あの人」とはどういう人か?

あの人の背景になにかを感じるのです。

あの人がわたしに言った中味は、あなたのOSが大きく翻訳してしまっているのです。

「好かれているか、嫌われているか、的か、味方か」

そういう区分で常に感じたり考えている人は、特殊フィルターになっているのです。

OSはなにを感じているか。

それは

あの人の言い方はなにか昔を思い出す。そうだ、母親が昔わたしを叱りつけていた言い方そのものじゃないか

ああ、耳をふさぎたい。

耳をふさぐこと、これが特殊フィルターなのです。

posted by 変才冨田 at 06:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 認め合うということ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年03月16日

ハナムラプロジェクトは後4日で終了です。

https://readyfor.jp/projects/kiriharete_hikarikitaru_haru

現在の達成金額
1,880,000 円 目標金額
1,800,000 円 スポンサー募集終了まで
4 日 支援した人数
167 人

それにしてもここまでよく来たなー、と感心します。

けれど

残り4日で達成されなければこのプロジェクトは流産します。

わたしたちは世間という路に転がっている路傍の石ではなく

意志で転がる方向を選択できる存在です。

そんなプロジェクトは自分とは関係ない!

そう思ったあなたは狭い世界で生きています。

人々がどんな課題であれ、

自の手を上げて人と握手できる存在なのだと思い知ることが出来るかどうかの課題、これがハナムラプロジェクトです。

見知らぬ人々の心に同調できる感性が試されています。

一歩前に出て手を上げてください。

この一歩の距離が遠く感じられる人こそ前に出て欲しいのです。

なんでもない一歩に多くの途方もない意味が隠されています。

一番上をクリックしてください。

posted by 変才冨田 at 16:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 認め合うということ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年10月05日

運気を上げる美容師さん登場!

昨晩深夜にいきなり「本日は運気を上げる美容師さん来神」と案内しました。

何人いらっしゃるかと思っていましたら

終わってみたら15人カットされました。

髪型の注文はご法度であるというルールなのに

皆さん果敢に挑戦されました。

わたしは今回はシュワルツネガーみたい、あるいはトム・クルーズみたいになりました。

髪型を十年も変えない人は問題です。

変化が当たり前なのです。

変化させないのはなにか心に滞りがあるからです。

みなさんなにかの重い物をいっせいに降ろされたようで

顔も晴ればれとして帰られました。

特に水性の高い人は髪型を変えることには凄い意味があります。

その意味はこれからわかってくるでしょう。

報告を待ちます!

次回は12月8日(日)です。10時開始で終了は無制限です。

カット料金は6000円

カットしながら美容師さんがあなたの見えたままを語りかけます。

きっと気づきもあることでしょう。

希望者は予約必要です。

posted by 変才冨田 at 21:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 認め合うということ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年07月25日

したいことが必ずしもできることではない

前回の逆ですね。

できることが必ずしもしたいことではない、の逆です。

どちらを選択するかですね。

できることが大切なのです。

できることからすることで、道は開かれてきます。

したいけれど「できない」では物事は進まないのです。

第一「できない」連続は自分を認められなくなるのです。

できることは人の役に立つことですから自信が培われます。

したいけれど「できない」ことは趣味からボツボツやっていくことです。



posted by 変才冨田 at 23:56| Comment(1) | TrackBack(0) | 認め合うということ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年07月05日

人に期待することは利己主義なのか? 2

http://www.youtube.com/watch?v=G_BonPLOkdk

この動画にこのスレッドの解答があります。

自分の思うような結果を期待しないこと。

結果なんかは一切問題になっていなくて

問題にするより前に

すでに「あなたは素晴らしい」と心眼で見てしまっているので

結果は問題になていないのです。

結果を期待する心は利己主義なので、すでに眼が曇ってしまっているわけです。

相手を認める心とは「觀て止める」ということなのですが

視線の問題というより、心眼なのですね。



posted by 変才冨田 at 21:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 認め合うということ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年07月01日

伝わらない理由5

以前書いていた連載を続けます。

相手を認めるというのはお互いに「噛み合う」ための第一歩です。

コミュニュケーションの原型は原子がお互いの電子を共有しあうことから始まっています。

(なんでそう話が飛ぶのだ^^;)

(仕方がない、それがわたしの発想の仕方なのだから)

この世界の仕組みはつながりなのですが、それは原子がどういうわけかお互いの電子を共有しあって分子を形成することから多様性がつくられます。

それが基本構造としてあるので、どの次元のものでも似たような構造をつくっています。

男と女の最終形は互いの性器を共有し合い、その最終もお互いの血液でつくった精子と卵子を結合させるという共有し合いにあるのです。

人間関係においてもお互いを共有しあうことがコミュニュケーションです

土性においての特性に共感性というものがあります。

この共感性こそが共有感なのです。

その共感性は相手を認めることからしか分かち得ないものです。

相手を認めるためには「相手を噛みしめる」ことです。

お互いに「噛みあって」からしか「伝わらない」ものです。

「噛み合わない」関係こそが相手を互いに認めていないということの証拠です。

互いに自己を離れて相手の立場に立てないとなにも始まりません。

出口光さんの四魂でいえば「愛の人」はこれができないのです。

「愛の人」は常に自分を土台にして感じ、考えるような気質になっているからです。







posted by 変才冨田 at 21:32| Comment(1) | TrackBack(0) | 認め合うということ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年06月12日

伝わらない理由4

前回からの続きです。

昨日セールスマンがやってきて買わなかった人が

翌日には別なセールスマンから買っている。

同じものだったのに昨日買わないで、今日は買った。

わたし「どうして?」

彼女「きのうの人は感じが悪かったから、今日の人は感じがよかったから」

この「感じ」の正体はなんなのでしょう。

それは相手がわたしのことをキチンと見ていたかどうかということです。

では、キチンと見るとはどういうことなのか。

ここから続きです。

相手が私を認めてくれているという感情は相手がわたしをキチンと見ていたからですね。

「認める」とは「見て、止める」ということなのですね。

キチンと見るとはそういう見方です。

視線がはずれていたり、流れてしまうのは認められているという感覚が喪失されます。


わたしたちは案外見ているようで見ていないのです。

付き合って間もなくのカップルは傍目で見ていてもそれと分かります。

お互いを見て止めているシーンが多いですね。


慣れたカップルは見つめ合う時間が短くなっていますね。

結婚も長くもって2年を過ぎると男は新聞やテレビを見ながら奥さんの言うことに生返事になっています。

慣れこそが人間関係の天敵にもなるのです。

なぜなら慣れは熱意を消すからです。


さて、キチンと見ると開いてのことがよく理解できるようになります。

相手のなにがわからないのかも見えてきます。

そうなると的確な質問ができるようになるのです。

的確な問いかけはその人にとっても助けになる質問です。

その質問で自分の見えていなかった問題が見えてくることがあります。

カウンセリングとは「本来自分に問いかけるべきことがわからなっかった人に、その人に成り代わって問いかける」ものなのです。

キチンと見ることで相手は「この人はわたしのことを判っていてくれる」と信頼されるのです。

あなたに熱意があればキチンと見るエネルギーが湧いてきます。

「伝わる」とは意味内容以前の問題がクリアーされていないと、説明だけに終わるでしょう。



posted by 変才冨田 at 20:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 認め合うということ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年06月11日

伝わらない理由3

このスレッドを見た人から「今のわたしにタイムリーな記事でした」との反応があったので

調子に乗って続けます。

伝わらない理由はもっとあります。

これまでに書いてきた「熱意の不足」はもっとも土台にあたるもので、これがなければ先の話はありません。

大学の老齢の教授みたいな冷えた授業は(何年も同じノートで授業をしている)論外ですね。

では

熱意があるのになぜ伝わらないのか?

それは相手をキチンと見ていないからです。

わたしは関西人なので時々はたこ焼きを食べます。

その時にいつも思うのです。

「このたこ焼き屋さんはお客さんの顔を見ていないのだなー」と。

その結果、研究を怠るのです。

なんばはたこ焼き屋さんがたくさんあって軒を並べています。

行列がたくさんある店もあれば閑散とした店もあるのです。

暇なお店の主人はなにが違うのか研究しないのでしょうか?

いつも不思議に思うのです。

美味しいものを食べさせたいという意欲が研究心の根っこにあるので

おそらくお客さんの美味しい顔に興味がないのでしょう。


自分だったらどのお店で買うか・・・?

そう考えることがスタートです。


昨日セールスマンがやってきて買わなかった人が

翌日には別なセールスマンから買っている。

同じものだったのに昨日買わないで、今日は買った。

わたし「どうして?」

彼女「きのうの人は感じが悪かったから、今日の人は感じがよかったから」

この「感じ」の正体はなんなのでしょう。

それは相手がわたしのことをキチンと見ていたかどうかということです。

では、キチンと見るとはどういうことなのか。

続く



posted by 変才冨田 at 00:07| Comment(1) | TrackBack(0) | 認め合うということ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年05月27日

結婚相手の選び方2 それ以前の問題2

なぜ、みんな結婚しようとするのでしょうかネ・・・。

人類が(特に男性が)はまってしまった悪しき思い込みなんではないでしょうかネ。

理想はもちろんのことですが平安時代の「通婚」ですね。

結婚という仕組みで得をするのは国家だけです。

財産の分与が宙に浮いてしまったのでは税金の取りはぐれになりますからね。

結婚制度は財産の継承ということですが、継承の間でちゃっかり税金を取るのです。


ところで高村光太郎の詩に印象的なものがあります。

人に

いやなんです
あなたのいつてしまふのが――

花よりさきに実のなるやうな
種子(たね)よりさきに芽の出るやうな
夏から春のすぐ来るやうな
そんな理窟に合はない不自然を
どうかしないでゐて下さい
型のやうな旦那さまと
まるい字をかくそのあなたと
かう考へてさへなぜか私は泣かれます
小鳥のやうに臆病で
大風のやうにわがままな
あなたがお嫁にゆくなんて

いやなんです
あなたのいつてしまふのが――

なぜさうたやすく
さあ何といひませう――まあ言はば
その身を売る気になれるんでせう
あなたはその身を売るんです
一人の世界から
万人の世界へ
そして男に負けて
無意味に負けて
ああ何といふ醜悪事でせう
まるでさう
チシアンの画いた絵が
鶴巻町へ買物に出るのです
私は淋しい かなしい
何といふ気はないけれど
ちやうどあなたの下すつた
あのグロキシニヤの
大きな花の腐つてゆくのを見る様な
私を棄てて腐つてゆくのを見る様な
空を旅してゆく鳥の
ゆくへをぢつとみてゐる様な
浪の砕けるあの悲しい自棄のこころ
はかない 淋しい 焼けつく様な
――それでも恋とはちがひます
サンタマリア
ちがひます ちがひます
何がどうとはもとより知らねど
いやなんです
あなたのいつてしまふのが――
おまけにお嫁にゆくなんて
よその男のこころのままになるなんて

終り

最後のところが本音なんでしょうね。

本当は結婚なんかしたくないけれど、恋した女性がを誰かに取られないために仕方無いなー、というところで

結婚せざるえないのかもしれません。

結婚制度には独占権というところがあるようです。

お互いを所有しあう関係って正しいのでしょうか?

人が人を専有する、こんなことが許される?
posted by 変才冨田 at 22:00| Comment(1) | TrackBack(0) | 認め合うということ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年05月21日

結婚相手の選び方

未婚の女性「お母さんに悪い言葉を言う男の人って結婚相手としてどうでしょう」

わたし「子供がよくお母さんに対してババアと言っているシーンを見かけます。そういう暴言をお母さんが放    置していると許可されたものだと勘違いするよね。子供にとってお母さんは女性の代表ですから、女    性には暴言をしてもいいのだとOSがつくられるわけです」

そういえば彼女は以前のこと「彼がびっくりするような暴言を私に言います」と話していたことがありました。

彼女「じゃあ、やっぱりそういうことがなくってちゃんと出来た人と結婚した方がいいですか・・・」

わたし「そういうことになると、おそらくケコン出来る相手はいなくなるでしょうね。完璧な人はいないからね。肝心なことはそういった良くないOSを克服する気があるかどうか。

西洋のことわざに「20歳で死んで60で埋められる」というのがあります。

自分を育てる気がなくなった人はすでに終わっているわけ。

志を持っている人はそのために自分を育てようとする精神性があるのですね。

志を持たないでおとなになったら、そこで終わったというわけです。

60才まで生きてはいるけれど、活きてはいない、ということですね。

あなたは終わった人とは結婚したくないでしょう。

自分をこれから創造する意志のある人は良くないOSも克服していきます」

彼女「わかりました。なんだかいままで思いもしなかった視点をもらってよかったです」

posted by 変才冨田 at 20:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 認め合うということ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年05月11日

勇気は家庭教育でつくられる2

禁止や命令などの制限がかけられていると人は勇気を失います。

考える気力を失い「従っている方が楽」ということになります。

否定されたことに対して意見を述べようとすると、全否定で返ってくれば

人は無口になるでしょう。

家庭という場は平等が土台ですから「命令」はご法度です。

家庭とは土性なのですが命令は金性です。

土性に金性の要素が混じると土性の意味が失われてゆきます。

家庭が「命令」で「経営」されると、眞の人が育たなくなります。

いつのことか(かなり昔)学校に「経営」概念が持ち込まれました。

学校経営やら学級経営などの言葉はいつごろ生まれたのでしょう。

家庭も学校も会社ではないですね。

それはみんな平等、みんな同じということです。

先生と生徒、親と子という区別があるだけです。

決定するのはそれぞれの意志で決定されねばなりません。

意思決定ができてそれを実行して、その結果を自己で評価する。

これが「勇気」というものを生み出す土台です。

上下関係からの命令では「失敗への恐れ」が生まれるだけでしょう。

家庭では成功とかできるとかの概念を持ち込んではいけません。

母「あんたはやればできるんだから自信をもってやりなさい」

どちらの言い方が人を育てるでしょう。

母「やればなにかが変わるのだから、変われば面白いことが起きるのだから、それは大成功よ」

実行した→できたかできなかったかという評価→失敗への恐れ→臆病になって実行できない

実行した→実行後になにかが変化した→成功→またなにかやってみよう→勇気

posted by 変才冨田 at 21:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 認め合うということ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

花村先生のアートはコミュニュケーションのあり方を考えさせてくれる

この社会では役割でコミュニュケーションしていることが多いです。

それは会社のシステムですね。

そのコミュニュケーションは上下関係で成り立っています。

花村先生が考えたアートはこの役割意識をフラットにしたかったというのです。

さらに空間の役割というものが固定化されていて、この空間の意味も変えてみたかったというのですね。

人の意識の上下感覚、空間にも有用なものと無用なものの壁、これらを取り除くとどうなる?

そういう発想だったのでしょうか。

大きな病院の吹き抜け空間でやった空間アートはそれらの壮大な実験だったようです。

先ず取り上げたいのは役割意識のとっぱらいです。

医師、患者、看護師、お見舞いの人、事務職の人・・・

それぞれの役割意識でものごとを考えます。

医師だから患者の前ではつかれた顔を見せられない、患者だから病人らしくしないといけない・・・、

病院というところは(病院でなくとも会社でも同じ)、みんな役割に固定化されてしまっている。

固定化はつながりの固定化でコミュニュケーション不全の現れです。

したがって顔つきもそのようになります。

病院を人体に例えれば、これはひどい肩こりの状況です。

アチコチが凝り固まった状況です。

身体は全体とのコミュニュケーション能力を失った状態です。

これは病気です。

そうすると病院(会社)というところに集まった人々のコミュニュケーションはどうなるか?

これはうまくないでしょうね。

その顔つきを同じにしたら?

つまり医師の意味や看護師の意味や、患者の意味を瞬間になくしてしまったコミュニュケーションってどういうことになるか。

それは「人は皆同じ」という原点に帰れる、それは眞の意味での平等感覚が生まれるのではないか、と。


霧が病院の吹き抜けの下から立ち上がってきて、目の前が暗くなり

なにが起きているのかととまどっていると(これは病人の心理に似ている)、空から光をキラキラと放ちながらシャボン玉がユラユラと落ちてくる。

いつまでも止まない雨はない、きっと晴れるよというメッセージが込められています。

優しい人です。アートは人に寄り添うものだと花村先生は考えておられます。

みんな童心に帰って(役割意識が消えた)、同じ顔つきになって

終わった後でみんなが同じ顔つきで「よかったねー」と嬉しい顔をしています。

病院とは単に治療機関であるという思い込みを取っ払い

たくさんの人の集まってきている場なんだから、もっとわたしたちは希んでいいのではないかと・・・。

医療の方法はもっと人間全体を見据えれば、もっと多様なのではないかとの提起です。

この試みは非常に深くてこんなコメントではどうも捉えきれない、つかんでいない途方も無いものがあることを予感させます。

そして言いたいことは

大病院でなんでこんなアートが実行できたのか。

それは花村先生と病院関係者が対話をし続けたことです。

対話したことで両者の認識が深く進化している様子がわかります。

対話は会話ではなく互いに成長を促します。

対話を成立させる土台は熱意です。

これをしたい!!!

その熱意の熱さの度合いと実現させるものの価値は対応しているようです。

いつか花村先生のこの病院での空間アートを花村先生も招いて皆さんにお見せしたいです。







posted by 変才冨田 at 21:09| Comment(1) | TrackBack(0) | 認め合うということ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年04月15日

利他性が生まれたわけ2

これも過去の記事からの引用です。(最近はネタ不足です・・・)

利他性を働かせることで自身の問題点を解決するというテーマです。

痛みと主体4
「痛み」は、それ自身が心身側からの問題提起です。

心身が「痛いのだけれど?」って自身の意識に相談しているのです。

それをどう取り上げるかは意識(自身の側面)の持ち方で決まります。

「人は解決できることしか問題にはできない」
というように

問題としてあげられたということは
それは解決できる条件が満ちているということでもあるのです。

条件ができたから問題にできた、ということなのです。

「痛み・重い・だるい・かゆい」これらは全て心身の側からの問題なので、即ち解決できるのです。

爪楊枝治療はさらに「痛み」をお手伝いする事で治癒へ向かわせます。

心の痛みも基本的には同じです。

「痛み」を忘れるのではなく再現して
違った方法で解釈するわけです。

それは考え方を変えるということなのです。

終了

さて痛みは「自力」ですね。

自分の身体の底から湧き出してくるものですから。

その痛みは痛いゆえに解決したいという欲求を起こしてくれます。

これも自力ですね。

ところが

人はお互いに命を共有し合って生きています。

そのことと自分の痛みを解決することとはどういう関係になるのか・・・。

自分の心身の痛みをどうやって解決するのか・・・。

その方法はおそらく他者の痛みを感じることで、ということになるのではないでしょうか。

自分の心身の痛みの解決方法は他者の痛みを解決させていただくこと。

自分の心が痛む人は他者の痛みも感じることができます。

共感能力があるわけです。

ですから他者の痛みがよく判る。

他者の痛みをとりのぞくお手伝いをしたときに

自分の痛みも同時に解決しているという状況が理想的なわけですね。

自分の他者に相談したいくらいの心身の痛みは主体的な力です、

「助けて」と言う言葉は自力から発する声なのです。


2年以上も前の文章ですが

今のテーマとかぶっています。

「他力本願」とは
単に他者にすがるという意味ではなさそうですね。

わたしはこう解釈します。

他力を自力で引き出すことで、自己も他者も同時に救われること。

これこそが「天国の箸」の原理なのです。

「食べさせあい」とはこういうことですね。

解説が必要ですか?

「他力本願」とは2
「他力本願」とはよく練られた思想だと今更ながら思います。

先ず、幸せというものを他者との関係性で考えている。

幸せを個々人の心の問題として閉じていない点がよい。

以下は柳田邦夫さんのコメントを新聞記事で発見しました。

引用
知的発達が遅れている子供がIQテストを受けました。

結果はIQ38

医師はその子供に「お父さんは男、お母さんは?」

子供「大好き!」

もちろん正解は「女」なのですが、その答えのほうが本質的である。


お母さんは「IQ38の世界ってステキ!」

と、子育ての喜びを味わっているそうです。


もう一つ

ある知的障害の女の子が「あなたと遊んだら頭が悪くなるとお母さんが言った」

その女の子のお母さんは深く傷ついた。

ある日、授業で作文を発表した。

「わたしをバカと言わないでください。お母さんが悲しみますから」
と。

先ず、お母さんのことを気遣っているのです。彼女はお母さんの悲しみに気がついたのですね。

お母さんは「それを聴いて、立ち直って強くなりました」

引用終了

弱い自己が他者の悲しみや、苦しみに気づいて気配る。

そのことで他者を励まし力を引き出し、その力が自己を励ますことになります。

「他力本願」とは自己と他者を同時に救うことなのです。

「私をバカと言わないでください」で終わってしまうと

自己防衛だけに終わり、自己を守るにとどまると自己さえも守れないのです。


第一歩は「私をバカと言わないでください」から始まります。

それは「自助」ですね。

自助でありながら、その言葉は「お母さんが悲しみますから」で

生まれた言葉なのです。

その子はお母さんの心情に気づいたとき、お母さんを励まします。

自己のみを守ろうとするものは自己さえも守れないでしょう。


以下は「フリースペースえん」の主催者である西野さんの言葉。

「自立って働いてお金を稼げるかどうかより、助けてと言える力だと思うんです」

引用終了

「助けて!」という言葉は他者への信頼からしか生まれません。

信頼された側は一肌脱いでやろうとする力が湧きます。

助けた人も自己の力を発揮できた喜びを得ることができる体験をします。

「他力本願」です。

ついでに天国の箸の話も掲載します。

さくらみるくさんのブログに以下のような記事を発見!
みなさんはどう考えますでしょうか。

posted by 変才冨田 at 21:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 認め合うということ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

利他性が生まれたわけ

社会そのものはこの「利他性」で支えられています。

だからといって「利己性」がだめだと云うわけではないのです。

「利己性」があるから「利他性」が生まれています。

いうならば「利他性は利己性で支えられている」ということです。

原始時代は少しの環境変化で飢えの危険性が広がっていた頃です。

自分だけが飢えない行動をすると自分にとってはよくない結果が起きると分かったのです。

他者を助けることで自分も救われるという体験を積み重ねたはずなのです。

これは意識の進化ということですね。

「利己性」という本能をそのまま保持しながら「理性」へと進化させたのです。

ですから「理性」とは本能の発展した姿なので、

利他的な行動は「本能」の否定ではないのです。

利他的行動は本能も満足するのです。

隣の人が「腹減った」とつぶやいた時

自分も腹ペコなんだけど、パンを分け与えた時やってくる気持ちの良さは本能の満足を表しているのです。

「give and take」とは、与えたあとでなにか時間差を置いてお礼になにかがやってくるというものではなく

、与えた時の気持ちよさそのものがtakeなのですね。

気持ちがいいといいうだけでなく、活きることができます。

天国の箸のエピソードですね。

2010年09月20日
命の使い方16
命が公有の物であるという思想はこんにちの様々な矛盾を解決するでしょう。

暴飲暴食したってダレにも迷惑はかけない。

麻薬を吸っても、援助交際をしてもダレにも迷惑をかけないからいいじゃないか。

こうしたことは、自分の命は自分のものという考え方に支えられたものですね。

命は他者のために使うという本質性があるので

上記のような考え方は利己主義として裁かれるでしょう。

「天国の箸」のルールは命は公有であるという思想になっています。

(「天国の箸」のルールを知りたい方はサイト内検索で調べてください)

いのちは自分のためにだけ使うと、いのちはくすぶり完全燃焼しないまま不幸な終わり方をすることでしょう。

こういう思想は若い人のほうが気付きやすいので

却って苦労をすることになります。

本人は苦労と思っていないのですが古い思想を持った人(命は自分のものという考え方)
からは苦労に見えます。

ボランテア活動の息子に

親「なんであんたがそこまでするの。そんな人は余裕のある人に任せて

先ずは自分の生活を優先しなさい」

こういうことになるわけですね。

「気付いた人(「目覚めた人」)が苦労するのはあたりまえじゃないか!」語録より


会社というもの、これは法人という人格だと考えれば

会社が社会になにか貢献をしたときに、会社という人がきっと満足するはずです。

会社はこうでなければいけないですね。

今の会社はそのなかで働く人々が社会に貢献できているという実感が不足しているようです。

会社がなにか社会に有用なものを社会に提供して喜ばれて

その存在感を感じるわけです。

そういう会社が生き残ります。

社会的有用性のない会社は10年でなくなってしまうでしょう。

BL研究所は後継者がないと無くなりますが

なくなる運命であれば後継者はやってこない。

有用であれば後継者はきっとやってくる。

生きているだけでいい、というのは家族関係や友達関係だけで

会社は社会的有用性のみで存在が許されているのです。



posted by 変才冨田 at 20:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 認め合うということ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする