玄米を食べ続けて50年
マクロビオティックの創始者・桜沢如一先生が、提唱した半断食法「七号食」を何度も実践した結果、「未精製の穀物(玄米・古代米・雑穀米)を好きなだけ食べても7号食と同じ効果が得られる」事を発見、『トミタ式七号食』の普及に努めています。

ブログ記事も8000を超えました!


2015年07月14日

食べ物を食べるがごとく人間を食べる1

これは食人を言っているわけではありません。

人は食べ物に対する態度と他者に対する態度は同質だと云いたいわけです。

食べ物の好き嫌いの多くは「そもそも馴れていない」「食わず嫌い」が多く

幼いころのある種の食べ物のトラウマがある。

イチゴが嫌いという男性は幼いころにイチゴを食べようとしていたときに

叱られたかもしれない。

嫌いな先生の科目は嫌いになったりもする。

お父さんが嫌いであれば、似た人に敵意を感じます。

それが女性であれば男性全般に対して深いところで敵意を感じています。


さて、早食いの人は他者に対しても早く判断するだろうし

食べ物を吟味する人は他者をも良く吟味する。

不注意な人は食べ物にも不注意で良く噛まない。

観察力とは判断力の別名です。

人は同じ視点ですべてを判断する。

食べ物への態度を変えると人への態度も変わるだろう。


そもそも早食いとは食べ物を認証していない。

認証されなかった食べ物はあなたに変化するどころか毒性を発揮するだろう。

よく噛みしめられた食べ物は認証を受けたのだから、あなた自身に転生できるだろう。

認め合うというのは食べ物とあなたの間で起きていることだ。
posted by 変才冨田 at 00:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 認め合うということ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年07月08日

11日の午前中のセミナーや明日の夜学は必聞です。

「21日間の認証ワーク」の意味と意義についてです。

人生に豊かな色彩を彩色すること、これが豊であるということ。

白黒の世界からフルカラーの世界へ、4コマの世界から24コマに変化させることで、きめの細かいクオリティーの豊かな世界を得ることができます。

それには脳の神経をどう甦らせるかにかかっています。

最初のレッスンは「観察」の方法です。



posted by 変才冨田 at 21:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 認め合うということ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月22日

認証について12

無意識に人を「小馬鹿」扱いにすることがあります。

本音のところでは「あなたはなんにも分かっていないわね、わたしが教えてあげる」ということです。

そうした心は

1 相手の話を最後まで聞かないでさえぎる

2 腕を組んで相手の顔を見ないで鼻で嗤う

3 過去の相手の失敗を掘り出してあざける

こうした態度の目的は相対的に自分が相手より優位に立ちたい願望からくる。

低く見られた人は気分を悪くしてしまいます。もう二度とあなたの話を聞かなくなるでしょう。

もっとひどくなると

相手が存在しなかのような態度を取ることになり、無視という最大のマイナス認証に至ります。

「勝手に好きにすればいいじゃない」「好きにしたら?」「お母さんはもう知りませんからね」

そうなった原因は確かに相手にあるかもしれない。

相手があなたを認証しなかったからかもしれない。

マイナスの認証カードをお互いに出し合って、心の距離は遠ざかるばかりですね。

こういう時は「過去を暴き立てない」ことが必要で、どうすればいいのかに意識を向け、関係修復をするぞと決めなければいけません。

あなたがもしも女性であれば相手が男性の場合「けなしてはいけない、なじってはいけない」を原則にします。
過去を暴こうとする心情は「私が正しい」と決めているので、正しいあなたは常に被害者になってしまう。


この社会は競争社会ですから私たちの意識は常に優劣で人を測ろうとします。

自分が努力して向上するよりもお手軽な「相手を低く見る」ことで自分を優位にしてしまいます。

相手を認証できない原因に「自分は正しい!」があることをお忘れなく。

わたしなんかはこれが常に悩みの種になっているのですから。
posted by 変才冨田 at 15:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 認め合うということ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月18日

認証について12

以下は以前に送られてきたある方からのメールです。

「1本のホウキが生んだ、世界の奇跡」

ニューイングランドにある精神病院で働く、名も知れぬ、普通のお掃除のおばさんのお話です。

彼女のはたらく病院の地下室には、「緊張型精神分裂病」と診断された10歳の少女の患者がいました。

何に対しても反応を示さず、ただ暗い地下室のベッドにうずくまっているだけ。
少女はもう回復の見込みはないと、考えられていました。

世界から見放され、一言も話す事なく、胎児のように丸まったまま、決して動こうとはしなかったのです。
以前は可愛らしい少女だったのですが、いまや日々、やせ衰えていくばかり。

彼女は、そんな少女の個室のまわりを、毎日掃除をしにやってきました。そして、ドアの隙間から食事をホウキの柄で中に押し込みます。

彼女にも同じくらいの歳の娘がいたせいか、少女を不憫に想いますが、そこはただの掃除婦、もちろん何もしてあげる事はできません。

そこで彼女は、せめてそこを去る前に、うずくまる少女の肩をホウキの先でそっとつつくことにしました。
「ねぇ、あなたは一人ではないんだよ。少なくとも、ここにあなたを気にかけている人間がいるんだよ」

という思いを伝えたかったのです。。

掃除のおばさんには、この程度のことしかできませんでした。ほんの小さな愛の実践です。ホウキの先ほどの。。。。

でもその程度しかできなくても、ただただ、伝えたかったのです。だから来る日も来る日も、彼女はホウキの先で、その少女を優しくつつき続けました。

そして何週間経ったある日の事。。。小さな変化が起こりました。

ただ死を待つばかりだった少女が、なんと、自分の手で食事を受け取るようになったのです。

さらに時が経つにつれ、少女は座る事もできるようになり、掃除婦のおばさんと話をすることまでできるようになったのです。

こんな事ってありえるのでしょうか?偉いお医者さんたちも、完全にお手上げだったのに。。

こうして少女は、やがて奇跡ともいえる回復を遂げることができたのです。

それから何年か経った、あるうららかな春の日。。。
その精神病院の院長は、アラバマ州の一人の紳士から、ある依頼を受けました。
その紳士のお子さんが、重度の障害児で、世話をしてくれる人を探しているというのです。

その頃、あの奇跡的な回復をとげた少女は20歳になっていました。

院長は、自信を持ってその彼女を、紳士に紹介しました。

彼女の名は、アニーサリバン。

そう、ヘレンケラーの偉業を生み出した教師です。

地下室でただ死を待つしかなかったあの少女です。。
ヘレンケラーの世界的偉業、それはアニーサリバンが、創りだしたという事は今や万人が認めるところです。

でも、ちょっと思い出してみてください。

そのアニーサリバンを創りだしたのは、誰なのでしょう?

ヘレンケラーとサリバンの業績だけを見ていると、見落としてしまいがちですが。

しかし、その奇跡の「真の生みの親は」は誰だったのでしょうか?

どんな大木も、どんな大企業も、どんな大成功も、もとを辿れば、すべて小さな種から始まっていることを忘れたくないなと、私は思います。

以上、素晴らしいメールをありがとう。

これぐらいなら出来る。
みんなで「これデキ」を楽しもう。

あなたの一言や、一つの行動から奇跡は起こり、やがてそれは、希望の常識になるかもしれません。

あなたが絶対にあきらめないで下さい。

奇跡は毎日、どこかで起こっているのだから。

感動共有しよう。
この世は素晴らしい。
人は素晴らしい。


私から最後に

人の世に光あれ!


追伸
今朝後藤さん、殺害のニューズが流れていました。
世界はまさに地獄の様相です。

少女に爆発物を身に着けさせ自爆させるなんて身の震えが止まりません。
この日本でも「殺してみたかった」と19歳の女子大生が殺害しています。

こうしたニュースの後で普通にグルメ番組が流されています。

世界は狭くなっています。

茶の間の隣の部屋では無数の人々が不条理に殺されているのです。

茶の間の平和とすぐ隣の部屋の地獄は共存していますが、あなたはそれに耐えられるのだろうか。

一体世界になにが起こっているのでしょうか。


この掃除婦のおばさんのように自分ができることから世界へつなげていくしかありません。

放棄の柄でつつくだけでしたが、これが大きな認証(あなたが居ることをおばさんは気にしているよ)だったわけです。

posted by 変才冨田 at 19:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 認め合うということ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

認証について11

マイナス認証の例
子「お母さん、100点だったよ!」
母「ほかの子は?」
子 嬉しそうに「みんな100点だったよ」
母「なんだ・・

このように他者の言動を相対的に軽くみてケナスわけです。

こういうことがなぜ起きるのでしょう。

それはおそらく認証不足の人が自分を上に見せるために
相対的に相手の行為をケナスことで自分を強く見せる、上に見せる・・。

そういうことになっているのではないでしょうか。

マイナス認証を受けた人は必ず暗い気分になるはずです。

その暗い気分を「あってはならないもの」として自分の気分を無視する人も認証不足で自己否定的に陥っています。


posted by 変才冨田 at 12:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 認め合うということ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月17日

認証について10   マイナスと+の認証

他者を認証することとはF反対に「ケナス」ということがあります。

他者の仕事を軽く見る。

そいうマイナス認証があります。

若手の社員が契約を取ってきて喜んで上司に報告する。

上司「ああ、あそこはそろそろ注文を出す頃だったんだ」

若手「・・・」

わたしたちはどれだけマイナス認証を浴びて育ったのか、恐ろしいばかりです。
posted by 変才冨田 at 17:56| Comment(1) | TrackBack(0) | 認め合うということ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月16日

認証について9

これは3年前の記事です。
これも認証問題ですね。

たまたま、お客さんと以下のような話をしていたときです。

「わたしは今いろんなことがうまくいかないのです。なにか方法はありますか」

わたし「人は自分で自分をしあわせにする能力はないのです。その証拠に自分で自分に花をプレゼントしても嬉しくないけれど、人にもらったらすごく嬉しいでしょう。

人は他者を幸せに出来るけれど、自分で自分を幸せに出来ないということですね。

こういう実話があります。以前の事このブログでも紹介したエピソードです。


いのちの使いかた10

有名なカウンセラーにおばあちゃんが電話をかけてきました。
「わたしは死にたいのです。なんにもしたいこともないし、誰もわたしに話しかけてきません。毎日が憂鬱なので早く死にたいのです」

「あなたの好きなことはなんですか」

「ガーデニングだけは好きで毎日丹精込めて花を育てています」

「では理由は訊かないですぐに今から言うことを実行してください。
あなたの教会に行って教会区の人たちの誕生日を教えてもらいなさい。

そして誕生日を迎えるその人に花を玄関にそっと置いていきなさい。ルールは誰にも見られてはいけません。」

おばあさんはそれを実行しました。

人に知られないように夜に誕生日を迎える人に贈り続けたのです。

しばらくしてからのことです。

おばあさんが教会に行くと立ち話が聞こえました。

「うちのおばあちゃんの誕生日の朝に玄関に花と誕生日のメッセージが置いてありました。誰が贈ってくれたのかわからないけど、おばあちゃんが感激して涙を流したのです。わたしの誕生日を覚えてくれている人がこの街にいる。

誰もわたしのことなんか忘れていると思っていたのに、と。翌日老人ホームに入所したのですが嫌がっていたのに喜んで行ったのです」

花を贈ったおばあちゃんはその会話をドキドキしながら聴いていました。

がぜんやる気になったおばあちゃんはその後も花を玄関に置き続けたのです。
すると町中でそのことが話題になりはじめました。「一体だれがしているのだろう!」

おばあちゃんはニコニコしてその話題に素知らぬ顔で参加していました。
おばあちゃんはもう死にたいなどと思わなくなっています。

ある日の事です。

おばあちゃんの玄関に数え切れないくらいの花が一杯咲き誇っていました。
そう、その日はおばあちゃんの誕生日だったのです。

引用終了


そういう話をカフェでしていた矢先です。

若い女性がわたしに花束をプレゼントしてくれました。

「お誕生日おめでとうございます^^」



そう、今日はわたしの62歳の誕生日でした。

posted by 変才冨田 at 21:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 認め合うということ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

認証について8

これは昨年の7月の記事で「認証問題」と関係しています。

先ずは以下の映像を三本どうぞ。

一本目は探偵ナイトスクープの映像で真ん中の「レイティ島からの手紙」と書いているのでそこをクリックしてください。

二本目と三本目はそのままご覧ください。


ご覧になったらこのストーリーの共通した本質性を考えてください。

人が「感動すること」の本質性です。

https://www.youtube.com/watch?v=BcfZ_XJhcbU

https://www.youtube.com/watch?v=ZgYo3tGvjuo&list=RDZgYo3tGvjuo&index=1

https://www.youtube.com/watch?v=z1qVT49DDKQ

三つの物語に共通しているものは「人は自己の存在への認証を求めている」ということではないでしょうか。

1本目の「レイテ島からの手紙」

65歳になってもそおの男性は自分の出生について認証の証しを求めていました。

出生した父が母の妊娠を知っていたのかどうかが彼の存在感を揺るがしていたのです。

戦地からの父の手紙を判読できて、その辞世の句に「妊娠の妻」という言葉を発見して「父はわたしのことをわかってくれていたのですね」と「すっきりしました」と涙ぐみます。

妻の妊娠を心配し配慮した文面こそが自分自身へのしっかりとした認証として受け止められたのですね。

さらに、スタジオの面々やこれを視聴した人たちの大きな感動の根っこに「人は自分の存在理由を求めている」ということへの深い共感性ではなかったのか。

二本目

この物語の根っこにも「人が他者を認める」ことの感動が生きることの鼓動として実感させられました。

このフエリーで出会った少年がおじさんの話をどのような態度で聞き入ったか。

真剣に聞き入ったからこそこのおじさんは少年に感動したのでしょう。

その出会いは少年の心にも深く感動として留め置かれていました。

お互いの大きな共感性はお互いを深く認証しあうということだったのです。

三本目

25年間会話の無かった夫婦が子供たちの願いで会話ができるようになりました。

会話がなくなったきっかけとは「子供ができてから自分がないがしろになった」と感じたことでした。

このお父さんは深く奥さんのことが好きだったのですが、それを率直に表現できなかったのですね。

ここ十年は苦しんでいたのだそうです。

二人の会話はまさしくお互いを認証しあっているシーンでした。

認証とは「認められることを証しとする」ということですね。

認めるとは見て止めるということ。

流し目ではダメなのですね。

しっかり相手を見るということが、相手が認証されたと感じるのです。


なぜ人はこうしてまで認証を必要とするのか。

生きることへのそこはかとない不安を人はお互いの存在を認証しあうことで自信へとつなげてきたのです。

決定的なことは9歳まで、いえ3歳くらいまでにさかのぼるかもしれません。

両親や周辺の人たちがその子の存在をしっかり認証しておけば、大きなストレスに将来見舞われても耐える力になるでしょう。

けれど、外の世界は差別や激しい競争がありしっかり幼期に認証された人でもぐらつくことがあります。

だから人は不断に自己の認証を必要とするのです。

一回認証しただけでは十分とは言えないのです。

世界は不断に人を不安にしているからです。


彼に大好きだって言ってみればいいです。

きっと大感激してくれるでしょう。


posted by 変才冨田 at 09:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 認め合うということ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

認証について7

人の進化は肉体的進化を放棄して社会的進化にゆだねられたと考えます。

社会は紆余曲折していますが、基本的には個人の自由を拡大している途上にあると考えています。

自由になった人ほど無私性に近づき、不自由な人は利己に傾きます。

現代は「損をしてはいけない」という理由のない強迫観念があります。

過剰な自己防衛性があり、それは攻撃性へも転化します。

自己の損得にこだわっていますので、容易には意識を拡大できません。

無私性とは自己の放棄ではなく、それどころか自己を最大限に生かす方向になります。

人を愛することは無私性を獲得するまではいかなくとも近づくチャンスなのです。

けれど欠乏マインドの持ち主は「愛されること」をのぞみます。

不自由なのですね。

不自由な人は相手を不自由にしようと試みます。

心は支配できません。

支配できないものをなんとかしようとするので、悩みは深まります。

相手が悪いわけでなく、自分の心に問題があるのです。

そもそも、不都合な相手を選んだあなたに問題があるわけです。

不都合な相手を選ぶことを決めたあなたの心に欠乏マインドを発見することです。

もちろん相手側にも問題があって、欠乏マインドの持ち主に接近したのは欠乏マインドがあるからです。

するとお互いに利己を向け合うのでうまくいくわけがないのです。

うまくいってるように見えても、それは状況を真剣に見つめない不真面目さだけがあるからです。

つまり、そこには「愛」みたいな蜃気楼のようなものがあるだけです。

以上は昨年の8月に書いたものです。

今、書いている「認証問題
と関係しています。

認証不足は自分へのこだわりを生み出し利己性に傾きます。

転換が必要です。

認証されることをのぞむのでなく認証を配る立場になればいいだけです。

これは生き方の大転換ですね。

簡単にはいきません。

他者を認証するには深い観察が必要だからです。

けれどその観察自体がもはや他者への認証になっていることを知るべきです。

見て止める←認める だからです。

わたしはこの点で今までずいぶん至らなかったことを今頃反省しています。

随所詐主でなかったのですね。

半身で相手に接していては認証などできるわけはないのです。

世の中には基本駅には悪い人はいません。

あなたの態度があなたにとって「悪い人」をつくっているだけです。






posted by 変才冨田 at 09:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 認め合うということ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月15日

認証について6

多くの人々は認証を求めている。

得られずさまよっている。

そう考えれば、人生を幸せに導く方法があるのだということがわかります。

皆さんはどう考えますか。
posted by 変才冨田 at 22:25| Comment(1) | TrackBack(0) | 認め合うということ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

認証について5

人は誰でも認証を求めています。

名付けられたことで基本的な認証を受け、その後は強化されねば生きる意欲も強化されません。

ある男性が(それは戦中生まれ)戦地の父親から母へあてた手紙が判読できなくて悩んでいました。

うっすらと「身重の妻・・・」という言葉が読めそうで読めません。

彼はずっとそのことが気がかりで、手紙を前にしては煩悶していました。

あるテレビ局にその手紙を判読してほしいと依頼したのです。

テレビ局はあらゆる手段で調べ、とうとう読み解きました。

そこには身重の妻を思いやる内容がしたためてありました。

彼は嗚咽して「お父さんは僕のことを知っていたんですね・・・」とつぶやきます。

父親にわたしは認証されていたんだろうか・・・。
それが悩みのタネだったのです。

人間は社会的動物なので「つながることが生きることの保証」なのです。

つながるとは認証問題なのです。

あらゆる人の悩みは二つに収れんされます。

一つは「食べられるかどうか」

一つは「認められているかどうか」

後者は前者を保証しますから非常に重要なのです。

家庭において両親の唯一の任務は

子供を無条件に認証することです。
posted by 変才冨田 at 00:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 認め合うということ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月29日

認証欲求について

カーク船長、こんにちは。 先日の夜学の、人は認証を求めている、というお話すごく面白かったです。

その帰りに、一緒にいた方にはお話ししたのですが、ちょうど、最後の挨拶の内容に近いなぁと思いました。 以下、その話した内容です。(長文ですみません)

不安や心配、自信がないことなどはマイナスの感情として出してはいけないのだと思っている人がたくさんいるなぁと感じます。ましてや、怒りや苛立ち、焦りなどもマイナスの感情だから、とそういうことを感じる自分をダメだと思う人も多いです。

私も以前はそう感じていました。でも、そうではないことを最近すごく実感するので、最後の挨拶に、感情にマイナスもプラスもないのだということについてお話しすることにしました。 イライラや不安、自分への自信のなさなど抱えているとすごくしんどいです。

大人になっても、私はこれらに振り回されることがよくあります。ただ、以前と違うのは、そういう感情を持ってもいいか、と思えることです。大切なのは、なかったことや無視しないこと。その自分をそのまま受け止めて、できるなら、話しやすい人に、腹が立ったんだとか、不安なんだ、自信がないんだとか話してみてください。

話すときのポイントは、怒りのままにぶつけたり、腹が立った対象について話さないこと。「私はこういうことで腹が立つと思った」「不安に感じた」とか、自分が感じた感情として話すと、自分も落ち着くし、受け入れてもらえます。すると、その感情は嫌なものではなくて、素直な自分の気持ちを受け止めてもらえるきっかけとなります。

心を開いて自分の気持ちを言うと、否定されたときに立ち直れないかも、と思うと怖くて出来ないかもしれないですが、繕った自分でいるよりは、ずっと良いと思います。本当の自分では受け入れられない、と思いながら過ごすよりは伝えてみて欲しいと思います。

少なくとも、思い切って話せた自分に対して自信のかけらみたいなものが付くと思います。もちろん、できるだけ、聴く人も否定とかコメントなどせずにただ聞いてあげてください。 お互いに否定せずに、そういう気持ちでいたんだな、そういう考え方なんだなと受け止めあえたら、大きな力になりますし、大きな安心感をもてます。

そのための一歩として、自分の感情をそのまま受け止めて、誰かに話してみて欲しいと思います。案外、聞いた方も、自分だけじゃなかった、と安心したりするかもしれません。 以上です。 自分自身の感情の認証、お互いに認証し合う関係を築くこと、とか、先日の夜学に通じることが多いなぁと思いました。

という文章をお送りしていること自体が、私の認証欲求なのでしょうか?(笑) これから仕事で夜学に行けなくなるのが残念です…。 私にとって、カーク船長のお話は目から鱗だったり、自分の考えの再確認になったり、非常に大切な視点を与えてくださいます。ありがとうございます。

カークのコメント
本当にそのとおりだ思います。

そして
不幸にして自分の認証欲求が受け入られなくとも構わないのです。

他者に表現できたということで自分が自分に認証を与えたわけです。
posted by 変才冨田 at 08:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 認め合うということ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月27日

二日で乳がんの塊が消えたという話の感想

読者からのコメント

先生、こんにちは。 沖縄はいかがでしょうか。(わたしのこと先生でなくカーク船長と言って)

乳がんが二日で消えたというライン上のやりとりが とてもおもしろいお話、やり取りでした。

「自分で作ったものは自分でしか戻せないと確信しました」というお言葉、私も、深く考えさせられ、なるほどなあと思いました。

病気はすべて、または、ほとんどそうですよね。
そして、自分と丁寧に向き合って、自分を信頼してしっかり取り組まれておられる(随所作主)のがすごいと。

身体は、嬉しくてよくなっていきますよね。 病気、それはありがたいお知らせでもあるのですよね。 うつも自分を守るためになっている、と、昨晩の夜学でのお話でもありました。

自分の気分をしっかり相手してあげなさいとうお知らせ。 それに気づくということ。

爬虫類脳や大脳辺縁系(古い脳)に表れる自分の気分をしっかり観察する、そして、新しい脳で表現する。

「もう、しんどいっていうねん!!」とか、もちろん喜びもかなあと思います。

そういうことを積み重ねていくと、身体は知らない間に自然に自分を安全な方向に運んでくれるようにも思います。 いちいち心配しなくても。必要以上に防衛しなくても。 そういう身体に自然になっていくというか・・・。

例えば、無意識で左に曲がってる(で、先生みたいに迷子になる)、でもその角を右に曲がったら落とし穴があったかもしれません。

それは、直観に従うということでもあるのかなと思いますが。

そのためには、軸が整っていることが必要で、観察と随所作主が必要で、ぐるっとまた一周まわってくるように思います。

「ブログにココロの整理」とありました。 そういうことなのかなあと思います。 七号食はデトックスになり、不要なものが、流されていく、ココロにひっついていた毒素までも。

最小限必要な自分(古い脳)に近づいて行けると思います。 そのことで、ちゃんと自分にも向き合えるものなのですね。 書きながら、私は、やはり、土性の話は出てこんなあと思いますが〜(笑)。

わたしからのコメント
気分という言葉にならない情報は爬虫類脳やその上位の大脳辺縁系という原始的な哺乳類の脳から飛んできます。
それを大切に味わってあげると脳幹にある電源がダウンしません。
だから欝にもなりませんね。

気分を大切に味わってあげ、それを「わたし、しんどいねん」と言葉にしてあげましょう。

この記事のカテゴリーは「認め合うこと」に入れている意味を考えてください。

わたしたちの奥底の深いところに棲んでいるもうひとりの自己を認証することが全ての始まりだからです。

(わたしだってこのことに気づいて25年やってきた神戸元町での活動を離れて大阪に単独でやってきて新たなことに挑戦を始めたのです)

以下はその記事の再揚です。

以下はラインでのやり取りです。

彼女「あっ、そうそう。私、胸の中に腫瘍?が出来たとき、傳田先生の火のCDが効きましたー。
腫瘍にピリピリきました。」

私「ほうほう」

彼女「ブログで傳田先生の聴覚トレの話が出ていたので思い出しました!」

私「その腫瘍はどうなったのですか?」

彼女「たぶん何年かかけて少しずつ大きくなってたと思うのですが全く気付かず。

最初出た側の腕が重く筋が吊ったような症状で寝違えかな?と思ったものの全く治らず。

私「ほうほう」

彼女「次第に、物が持てなくなったころ、お風呂上がりに見たら ウワッ!」

私「おお!」

彼女「で、仕事の一線から下がり、デキモノ取り一本に。7号食と温泉、色々やって、7号食の時は強力な頭痛きました。傳田先生のはピリピリ!」

私「ほうほう」

彼女「で、7号食修了後2か月くらい経過したころ何と2日で消えました」

私「ホッとしました、それはいつのことですか?」

彼女「2年前です。」

私「その話、ブログに紹介していいですか?良性腫瘍でしたね」

彼女「冨田先生の知識を頂いていたおかげで、その時病院に行こうとは全く思いませんでした。
自分で作ったものは自分でしか戻せないと確信しました」

私「ウン、ウン」

彼女「ブログに紹介してもらっていいですよ」
私「偉い! 二日で下に落ちた」

彼女「わたしの場合、7号食以上にココロを整理したのが大きかったみたいです」

私「生理のオリモノに変化なかったですか?」

彼女「あー、気づきませんでした」

私「溶けて下に落ちたはず。乳がんではよくあるのです」

彼女「へー、あんなびくともしないカチカチなのが溶ける・・・、結構でっかかったです」

私「良い経験でしたね、ココロの整理ね」

彼女「数年前にピザにハマってた時があって、3日に一回は食べてました」

私「ウン、ウン」

彼女「この経験は貴重でした。ひょっとして死ぬかも?と思った時、眼に見える世界が天国に見えました」

私「なにかココロに整理できないことがあったのですか?寂しいとか」

彼女「それなんですが。
実は特定のココロの歪みが無くなると、もうそこにはアクセス出来ないんです。たぶん学びが終わったら全てクリアになるような感じがします。

アクセス出来るとしたら、まだ処理できていない側面があるのかも。当時は必至でココロを掘り下げて何が原因か見たくない自分と正面から向き合いました。かなり辛かったです」

私「なるほど。おそらく、その究明しようとする力が7号食や聴覚トレでエネルギーができた」

彼女「それは大きいと思います」

私「神経が鋭敏になるからね」

彼女「なるほど」

私「良い話が聞けました。ありがとうございました。きっと、みんなの役に立つでしょう」

みなさんいかがでしたか?

「自分で作ったものは自分でしか戻せないと確信しました」に、私はグッときましたね。

それから心の整理に真正面から取り組んだこと。
これは随所作主をやりきったていうことですね!

posted by 変才冨田 at 22:29| Comment(2) | TrackBack(0) | 認め合うということ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月01日

男のコントロールの仕方

今、思いました。 コメントの仕方を間違えました〜。 男の人って、純粋で、素敵ですね〜。 空飛ぶマント塗ってあげたいです^^ どんな景色が見えるのかな? 落ちたら手当てしてあげますね^^ みたいなほうがいいですね。 ・・・・・・・ もう、遅いか〜。

回答
男の扱い方は子供の扱い方と同じですよ。

1 やっている事を絶対に貶してはいけない。
2 やっている事を無価値化してはいけない。

などを注意しておけばokです。

男はたった一人の女性でも、熱い支持が得られれば勇気凛々百倍の行動をします。

これはお母さんと子供の関係と同じですよ。

子供にとって後方基地が安心安全であれば
思い切り冒険と挑戦ができるのです。

お母さんや女性が不安定で子供や男の行動を貶すともはや子供も男も萎縮してしまいいじけてきます。
男は凧であり、女は凧揚げをしているのです。
しっかり糸を持ってもっと高く揚げてやればいいのです。

糸を放すとたちまち子供も男も目的なく漂うだけになってしまいます。
女が高く揚がってしまった凧に不安を感じて手元に手繰り寄せると風を受けられなくなり落ちてしまいます。

男は女に褒められればその性質は本来アホですから
いくらでも舞い上がろうとするものです。
女は男を大空に遊ばせる遊びをやればいいのです。


posted by 変才冨田 at 09:18| Comment(1) | TrackBack(0) | 認め合うということ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年02月04日

両面あって真実

よくわかります。 でも先生、私、仕事をしていると白髪が増えるんですよね〜。 合ってないのかなあ。

先生から、いいアイデアをいただいたり、教えていただいて、面白いと思うしとても助かったと!やってみよう!と、思う反面、「あ〜、やだやだ、またすることが増えちゃったよ〜」とか思う私がいるのです。

さぼり体質だから仕方ないのかな。 エゴギョウ50問で、「行楽地に向かってアクセルを踏んでる車」とありましたから・・・。 気に入ってますけどね、そういうのも。 ただ、木性もある程度あるんで、こまります。 まあ、いいか、しばらくは。

回答
よし、がんばろう
そういう気持ちと怠けたいナーという気分は普通にあります。

気持ちはそうした気分に揺れ動くわけです。

どちらかに一方的に傾くのはもはや病気ですよ。

緊張する場面で上がらないゾ、と考えても上がります。

上がっている自分をいけないと考えて、それを隠したり責めたりすることが問題なんでしょうね。

怠けたい気持ちが出てきた時に「そういうのはダメ」と叩き伏せようとすると鬱屈してきます。

しばらくは頑張れてもどこかで気分が悪いですよね。

怠けたい気持ちも頑張りたい気持ちも、両方真実なんですから責めないようにしたいものです。

責めたところでなんにも変りませんからね。

むしろ「どうして責めたい」と思うのかを追究した方がいいのでしょうね。

両方を認めることが必要なんです。






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2015年02月02日

使っているか、使っていないか。あるいは要るか要らないか。

断捨離のベテランである男性がゴミ屋敷状態になっている女性のお手伝いに行きました。

そこでの会話。

男性があるモノを持ち上げて「これは?」
女性「要る!」
男性「要る、要らないじゃない!使っているのか、使っていないかだ」
女性「使っていない・・・」
男性「どれくらい?」
女性「何年も・・・」
男性「じゃあ、捨てる!」

というシーンです。
これが断捨離の要領なんですね。

モノはこれでいいんでしょね。

人間の場合はどうなんでしょうか。
ペットなどの生き物はどうなんでしょうか。

子供なんかは使っていないですよね、でも要りますね。
なんの役にも立たないけれど「あなたは要る」って言われたいですよね。
posted by 変才冨田 at 20:23| Comment(1) | TrackBack(0) | 認め合うということ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年10月02日

自分を好きになる方法3

チャレンジしている自分って誇らしいと思いませんか?

失敗を恐れて尻込みしている自分をどう思いますか?

もし後者なら考え直してください。

この世界には失敗などないのだと。

チャレンジして思うようにならなくても、それは元にもどるだけで後退するわけではないのです。

それどころか少し前へと進んでいるのです。

失敗と考えるのではなく成功への体験をしたのだと考えるのです。

もっとも、、、実は成功などもこの世界にはないのですが・・・。

失敗とか成功とかいう概念が間違っているのです。


重要なことですが

あなたは他者に必要とされているでしょうか?

あなたが必要とされるかどうかよりも、あなたが存在しているだけでうれしいという人がいます。

それは親兄弟や伴侶や親友でしょう。

けれど、仕事という分野で考えれば、あなたは必要とされることが社会的存在の意味なのです。

あなたがいないと困る。そういう存在こそが必要とされていることです。

仕事は常にポジテイブに、常にプラス発想でといいますが、そういうことよりももっと重要なことがあります。

それは他者の問題解決にあなたが役立てる人であるかどうかです。

「頼まれごとは試されごと」と中村文昭さんは言います。

けれど頼む人が自分でもできることを頼まれてはいけないのです。

そういうのを使いぱっしりというのです。

便利に使われるだけです。

もっとも20代前半まではこういうことも必要です。

でもいつまでたってもパシリではいけません。

その人の問題解決にあなたがどうしても必要という存在になることが

実は「自分が好き」になる方法なのです。

他者の問題解決ができることは同時に自分の問題解決になっているのです。

そのためには自己を創造しないといけません。

どんどん学ぶ必要があるのです。

学んでいる自分も好きになれるのですから。


さて、どうして「自分が嫌い」なれるのか、という問題です。

それはこの日本社会がどんどん実力主義という名前の平等主義になっているからです。

実力が出せないと評価が下がるからです。

いつまでも失敗が怖いという人は実力の出しようがないので「自分が嫌い」になるのです。

実力の反対は無力ですね。

無力な自分が好きになれないのです。

どうすれば実力を発揮できるのか、それよりも実力とはなんなのか?

それを次回考えてみます。




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2014年09月06日

慈悲なる女性性にいつも助けられているわたしです

全ての男は女性から生まれました。

わたしは
十月十日、母の胎内で母の血液を分けていただき守られ「大切にして」いただき、この世に生まれ出ずる勇気をいただきました。

その後も母はその無私性をわたしに注ぎこみ、母からわたしはその無私性の意味を教えていただきました。

不貞腐れていても、グレていても、自暴自棄になっていても、有頂天の時も

黙って母のまなざしはわたしに注がれていたように思えます

そのまなざしこそは慈母観音のまなざしでした

世に出てからも
その母と同じまなざしの女性に、わたしはずいぶん救われてきました

女の無私性の力は男には及ぶものがありません

女性性とはわがままな男への救済として立ち現われてくるものです

わがままを癒し、人間へと導いてくれるものです

慈悲心豊かなる
母なる女に感謝します

ヘンデル わたしを泣かせてください
https://www.youtube.com/watch?v=fRHJXDxQJL4&index=4&list=PLIgIxX0SLBu6SdL8IfsNVflGQ5yij4uVz





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2014年09月05日

気分を語る3

前回、自分を大切にするという具体的な表れは「自分の気分を表現する」ことだと書き

そのためには自分の気分に注意を払い、観察しないと表現できないのだと書きました。

それがいつも書いている「自己中心主義」なのです。

自分の気分をなかったことにすることを自己に不忠だというのです。

自分を裏切っているわけですが、これでは他者との交流もうまくいくわけはないでしょう。

自分の気分を表現しないから、他者に軽く見られるのです。

僕なども自分の気分を表現するのは苦手です。今レッスン中なのです。

親にこういわれた人がいます。

「あんたにはなにか上げようとする気持ちが起きない。ちっとも嬉しそうにしないから」と。

彼女は自分の気分とは反対の反応をしてしまい、うまく交流できないのです。



posted by 変才冨田 at 19:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 認め合うということ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

愛とはなにか11 欠乏マインドとはなにか

男と女の関係の土台には過去の親子関係が横たわっています。

母親との関係でその交歓が不十分であれば、「母性を求めて幾千里・・・」になり

男親が異性としての女の子に十分自信をつけておかないと、「安心感のある男を求めて幾千里・・・」になります。

そのあたりの仕組みを知れば、自己の行動原理というものがわかります。

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2014年09月04日

愛とはなにか11 欠乏マインドとはなにか

男と女の関係の土台には過去の親子関係が横たわっています。

母親との関係でその交歓が不十分であれば、「母性を求めて幾千里・・・」になり

男親が異性としての女の子に十分自信をつけておかないと、「安心感のある男を求めて幾千里・・・」になります。

そのあたりの仕組みを知れば、自己の行動原理というものがわかります。





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2014年09月03日

気分を語ること

コミュニュケーションの本質はお互いの気分を分かり合えることです。

そのためには、その時に応じて自分の気分を語らなければいけないでしょう。

いやな気持になれば「今あなたが言ったその言葉で気分がマイナスになりました。そうなったのはきっとかくかくしかじか・・・」

がっかりすれば「さっき、あなたが言ったことでがっかりでした・・・」

うれしければ、最高の表情と言葉と身体を使ってその嬉しさを伝えねばなりません。

そのためには自分の気分をいつも意識的に観察しておかないと、自分の気分さえ無視することになります。

それこそが自己軽視っていうものです。

気分を語ることは火性を目覚めさせることだし、土性を培うことになります。

そして

気分をどうコントロールするかという課題に進むことができます。

観察もできていない気分をコントロールできないでしょう。



posted by 変才冨田 at 02:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 認め合うということ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

自分を後回しにしないで大切に扱うこと

脚の不具合のある人にインソールつくればいいよ、というと

「お父さんにいいみたい・・・」

そういうふうに自分を後回しにする人がいます。

親を喜ばせる娘は「良い子」という暗示が入っているのです。

「わたしは男の人に軽く扱われていた、もっと自分を大切にします」

そう言った女性がいます。

自分を大切にするということの具体的な表れは、自分から始めることです。

人に軽く扱われるのは、自分の意思がないからです。

自分を軽く扱うのも意思がないからです。


かくいう私自身も人の都合を優先することが多いですね。

ある意味依存しているっていうことです。

そこで思うのですが

自分の意思がない依存と、意思のないもの同士の共依存と

主体性がある(意思がある)同士の相互依存と各段階があるようです。

最高は相互依存で、これは別な言い方をすると連帯というわけです。

連帯出来る人は、まずは自己中心でものごとを考えられる人です。

それは相手の自己中心も認められる人です。

これが他者を理解しているということでしょうね。

ところで現在時刻は三時前です。

おーい、そこの人!

早く寝なさい><





posted by 変才冨田 at 02:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 認め合うということ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年08月29日

愛とはなにか10 欠乏マインドの持ち主が出会うと

人の進化は肉体的進化を放棄して社会的進化にゆだねられたと考えます。

社会は紆余曲折していますが、基本的には個人の自由を拡大している途上にあると考えています。

自由になった人ほど無私性に近づき、不自由な人は利己に傾きます。

現代は「損をしてはいけない」という理由のない強迫観念があります。

過剰な自己防衛性があり、それは攻撃性へも転化します。

自己の損得にこだわっていますので、容易には意識を拡大できません。

無私性とは自己の放棄ではなく、それどころか自己を最大限に生かす方向になります。

人を愛することは無私性を獲得するまではいかなくとも近づくチャンスなのです。

けれど欠乏マインドの持ち主は「愛されること」をのぞみます。

不自由なのですね。

不自由な人は相手を不自由にしようと試みます。

心は支配できません。

支配できないものをなんとかしようとするので、悩みは深まります。

相手が悪いわけでなく、自分の心に問題があるのです。

そもそも、不都合な相手を選んだあなたに問題があるわけです。

不都合な相手を選ぶことを決めたあなたの心に欠乏マインドを発見することです。

もちろん相手側にも問題があって、欠乏マインドの持ち主に接近したのは欠乏マインドがあるからです。

するとお互いに利己を向け合うのでうまくいくわけがないのです。

うまくいってるように見えても、それは状況を真剣に見つめない不真面目さだけがあるからです。

つまり、そこには「愛」みたいな蜃気楼のようなものがあるだけです。

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愛とはなにか9 嫉妬や怒りの種

嫉妬や怒りの種はいつ心に埋められたのか?

その種さえなければストレスなんかとは縁がない生活ができそうですね。

それは歴史は古くて、財産の私的所有という社会の仕組みが成立したときからでしょう。

財産の私的所有形態は家畜という財産だけではなく人の私的所有にすすむでしょう。

奴隷制度なども人を個人が所有するということです。

さらには結婚の仕組みも詩的少雨と一体になっているので、男が妻として女を所有する形態から始まっています。

これが背景になって現代にもそれは生きています。

ある女性が「わたしの彼は・・・」という表現をしました。

男も「俺の女は・・・」と普通に言うようです。

これってわたしはとても違和感を持ってしまいます。

これは所有の言葉です。

人を人は所有することができないのに、この言葉は普通に語られますね。

所有しているところの「わたしの彼」が自分の支配下から抜け出して他の女に愛想をすると、

それは「所有物にあるまじき行為」となり怒りが湧いてくるでしょう。


私的所有の仕組みは、その所有物の多寡で人に上下をつくるでしょう。

劣等感や優越感も私的所有の仕組みが生み出したものです。


現代の「愛」はどうなっているでしょう。

その「愛」になにか余計なモノが混ざっていないでしょうか。

あなたのその「愛」は本物?

本物であればおそらく「無私性」というものになっているはずで

自分の都合で相手を振り回すようなことはしていないはずです。







posted by 変才冨田 at 08:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 認め合うということ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年08月27日

愛とは何か 8 「生きることを辛くさせる混同の考え方」2

6の記述です。

愛情問題を例に考えてみます。

愛は純粋にその人だけの体験であり課題です。

愛の対象である相手は関係ないのです。

ですから「愛されるかどうか」は問題ではないのです。

終了

このことは愛情問題だけに限らず、すべてに言えることです。


この考え方は「すべての原因はあなたにある」ということに由来しているのです。

石を埋めても水や温度管理をしても芽が吹かないですね。

種であれば外の条件が整えば発芽します。

この場合、条件は縁、種は因といいます。

主要な原因は種ですね。

あなたが誰かに嫉妬、怒り、おそれを抱くのは誰かに原因があるのではなく、あなたに原因があるのです。

他者は縁であって、その縁があなたのなかにある因を引っ張り出しているのです。

怒りの種はあなたの中にしかないのです。

だから怒りの感情や嫉妬の感情をよく観察しましょう。

観察すれば判断ができるようになります。

その過程でおそれや嫉妬など消えてゆくのです。

これは仏陀の教えにあるようですね。

近く仏教瞑想にでかけます。それを体験するつもりです。

ヴィパサナー瞑想を10日間体験してきます。


さて、問題はそこからです。いったい原因になる怒りや嫉妬の種はどうやって心に埋められたのか?

続く





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愛とはなにか 7 自分が嫌いな人はエゴになる

先ず、以下は7月の記事から引用です。

染色体異常での発達障害の相談でした。

全身的に筋肉に力が入らない状況です。

頭はもたげることができるようでよかったです。

基本の考え方はその子の欲求を自分自身で満たすことができるようにもっていくことです。

音の鳴るおもちゃには良く反応しているそうです。

お母さんが気が付いたらその近くにまで近寄っているそうです。

音の鳴るおもちゃを与えるのでなく、少し遠くに置いておくとその欲求が身体を動かすようになり、自らの力で筋肉を強めていくでしょう。

これはアメリカであった実話なのですが

ある大学教授が脳梗塞になり両手両足が麻痺しました。

病院ではこれ以上の回復はできないということで自宅に戻されたのですが

ここからがすごいです。

その教授の息子さんがリハビリをしました。

お父さんを空腹にしておいて、少し遠くに食べ物を床に置きます。

腹が減っているので必死で体を揺らすようにして食べ物に近づくのですが、もう少しというところで

息子さんは少し遠くに置きなおします^^;

それを見た近所の人が虐待だということで警察に通報し、逮捕されたりもします。

けれど、結果はお父さんは見事に回復して大学に復職を果たしました。

成功した原因は欲求に根差したリハビリをしたからです。


音の鳴るおもちゃを自分の力で獲得したときに自信がつきます。

その自信は次のレベルの高い欲求を生み出します。

そうやって発達を促すのですが

実はわたしたちもそうやって発達してきたわけだし、

これからもそうなのです。


さて、この話は表題とどう関係するのでしょうか?

これは自分で自分を認証するというお話でした。

「できなかったことができるようになる!」

これが自信の土台なのであって、他者に認証されることに先立つものです。

他者に認証を受けてもその威力は自己自身が認証したレベルを超えることはありません。

さて、最初のリハビリの男性や子供のように欲求がなければなにごとも始まりません。

欲求は自己を認めることができる土台です。

その欲求を実現することは自己認証できることで、言い換えれば自信が付くということですね。

さらにこれは「自分が好き!」ということになるのです。

自己認証が欠乏している人は、自分が嫌いです。

嫌いな道具は使わなくなるように、いつまでたっても自分という道具を使いこなせません。

使えない自分なので嫌い→自分が嫌いなので人に好かれるわけがないと思う→自分が好きだという人を疑う
→それどころかすべてを疑う→警戒して素直になれない→できる人に嫉妬→悪口を言うようになる

こういう仕組みでいつまでたっても無間地獄のなかで喘ぎます。

欲求の低さは欠乏マインドをつくります。

欲求はちゃんとあるのですが、それが引き出せないだけです。

この子供や男性のように、少し先にできそうな目標をつくることです。

与えられてはダメなのです。

主体性こそが生きる意味を創造するのです。

主体性は少し先に欲求の目標をつくることです。


恋愛は神が与えてくれるチャンスです。

自分が嫌いな人でも人を好きになることができます。

その時に「愛されることを願う」のが欠乏マインドの持ち主で、これではせっかくのチャンスを生かせません。

人を好きになることができた自分を祝福することです。

自分を好きになれた人は無私性を獲得します。

好きな自分だから自分を無視できます。

自分から離れることができる人だけが無私性を獲得できるのです。

自分が嫌いな人は利己主義へ

自分が好きな人は利他へ向くという、ダイナミックなパラドクスが展開されます。






posted by 変才冨田 at 05:30| Comment(2) | TrackBack(0) | 認め合うということ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年08月25日

愛とは何か 6 「生きることを辛くさせる混同の考え方」

例えば
愛情問題を例に考えてみます。

愛は純粋にその人だけの体験であり課題です。

愛の対象である相手は関係ないのです。

ですから「愛されるかどうか」は問題ではないのです。

以前のこと「女性と付き合い始めたらすぐに、僕を愛してと言ってしまい振られます」という若い男性がいました。

愛は純粋に相手の心の体験ですから一切の干渉は許されないのです。

意味があるのは自分が「愛している」という心の体験だけです。

自分が愛されているかどうかという問題は無意味なのです。

母親が子供を愛して世話をしますが、その時に「子よ、わたしを愛してほしい」という願いはしないでしょう。
子どもへの愛というのは完全に母親の純粋体験なのです。

(時々は子供に愛を強要する利己主義の親もいますが・・・)

ところが愛情問題のトラブルは「愛されているかどうか」を問題にしていることから起きています。

愛することと愛されることは全く別の次元なのに混同しているのです。

愛は強要できない、そういう絶対の原則を納得できないからトラブルが起きるのです。

利己主義の愛は「こんなにあなたのことを愛しているのだから、わたしのことも愛して!」と相手に強要するのです。

真実の愛は相手に愛されないという事実を耐えるのです。

それよりも「愛している」という自分の真実の心を喜べます。

人を愛することができるのは能力なのです。

その能力を発揮できる自分の心の働きを喜びましょう。

そして

「愛する」というのは神事です。

人が無私性という能力が発揮できるチャンスが「愛する」体験です。

無私性というのは自分の損得を離れることができた結果です。

利己主義から離れられるということは神様に近づいているということなのです。

ですから「愛は神事」でおめでたいことなのです。

おめでたい人は「アホ」ともいいますね。

損得を考えないアホだけが真の人になれるのです。

先日も夫の浮気で苦しんできましたという女性が来られました。

苦しむのは「愛は強要できるもの」という混同を起こしているからです。

「わたしを愛して!」とできないことを強要しているのです。

夫が他の女性を愛しているのは倫理道徳の考え方で処理できないのです。

それはどうしようもないことなのです。

一方、夫の不倫相手である女性も、その人夫を愛しているのはその女性の純粋体験です。

人夫が自分をどれだけ「自分を愛しているかどうか」を測ってはいけないのです。

愛されるのは能力ではありません。

ですから「愛される努力」は無意味です。

愛することを学ぶことで、結果としては「愛される」存在にもなりうるのですが・・・。

愛は人を大切にするという学びです。

その純粋体験を特定の人だけでなく多くの人を大切にするという方向へ向けていければ

人間性の進化ということになります。

仕事で多くの人を大切にするという行為は小さな不毛の愛を乗り越えさせてくれます。


さきほど愛されることは問題ではないと書きました。

愛する人から愛の返答があれば、それは嬉しいことでしょう。

そのことでより愛は深まり純粋体験は深くなることでしょう。

それは自分が他者に大切にされるという体験です。

愛する行為は自分を土台で支えていることで自分を大切にしているのです。

愛されるということは他者に自分の存在を認証してもらえ、大切にされているという実感の喜びがあります。

その実感はさらにあなたの愛を深めさせるでしょう。

ですから愛とは育てるものなのです。

相手に大切にされないと育てられません。ですから枯れます。

例えば

不倫関係であっても愛は生まれるでしょうが、育てる土がないので枯れます。

育てる土がないという意味はあなたが相手に大切にされないであろうという土台のことです。






















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2014年08月20日

「愛」とはなにか4

これも3年前の記事

真の女性にモテるには

かっこいいからといって女性に好かれるわけではない。

わたしがいい証拠だ。

やさしいからといって好かれるわけでもない。

わたしがいい証拠だ。

上品な人格だとなおさら好かれない。

わたしがいい証拠だ。


ではなにが足りないのかというと

それは

情熱だ!


情熱はアホでないと所有することはできない。

そして真の男性、女性はアホである。

損得を考えない男は、相手もそうだと思う

だから真の女性を引き寄せる


どうすればモテるかなどと考えている間は

真の男性、女性にめぐり合えないだろう

終了

情熱は損得勘定からは決して生まれません。

損得勘定を常にしている人は「貧しい心の持ち主」です。


なぜそうなるのか。

なぜ損得勘定をしてしまうのか、ですね。

それは自分のことを価値ある人間だと考えているからです。

価値ある人間は得ばかりして、決して損をしてはいけない。

そう考えているのです。

自分に価値を置いてる人は「心が貧しい」のです。

続く






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「愛」とはなにか3

男と女の「愛」を語るとき、夾雑物の感情も見逃せません。

以下は4年前の文章です。


いのちの使い方24 やきもち(嫉妬)はどこから?

やきもちはどこからやってくるのでしょうか。

この問題は深いです。

一般には「所有欲」ということになるわけです。

これは現在が「私的所有」という制度だから、それに影響されているのです。

人類はさまざまな社会形態の進化を遂げてきたのですが、

その人類が経験した全ての社会意識は個人の中に全てたたみ込まれています。

人への所有欲とは、これは奴隷制度の片鱗が残っているわけです。

人が人を所有する事、それは現代では制度としては克服されたのですが

意識にはまだ残っています。

他者への支配欲も同じです。

ところで前回の彼女、

学生のときに付き合っていた彼は大変な人で

クラスのほかの男子と話しただけでクレームをつけてきたそうです。

だから気を使って男子が近寄ってこなくなったそうです。

デートしてわかれた後もキチンとそのまま家に帰らないとクレームをつけたそうです。

そう、彼女が結婚して今の彼にしていることですね。

こういうのを「引き寄せの法則」というわけです。

このままでは彼の人間関係を狭くしてしまいます。

「そういうことは判っているのです!でも感情がどうにもできないんです><」

そう、感情がね・・・。

これに対してのコメント

理解はしても感情が納得しない・・・。おもしろーい!!
独占欲というか・・・男の人の浮気を心配するって議題はよく女性同士では上がるのですが、私もまともに頭が回るようになってから、なんで浮気されると心苦しくなるのか考えて、独占欲とか支配欲以外の何かを探してみたけど・・・ないですよね( ̄∀ ̄)


さて

「感情が許せない!」ということなのですが

この感情は所有欲から湧いてくるものです。

「愛」というものの中身に所有欲や支配欲という欲望が混入しているのです。

人は支配も所有もできないのに、そうしようとしてしまうので苦しむのです。

感情に支配されているのも同じです。

感情はそうなってしまうものだからです。

感情をコントロールするには「生き方」をコントロールする力が必要なのです。

「僕を愛してください」と言っては振られている青年がいました。

あいすることができるかどうか、それは相手だってわからないことなのです。

愛しようとして愛が生まれるわけではなく

「気がついたらそうなっていた」ということが当たり前なのですから。

愛が覚めるのも同じです。

現在の婚姻制度は、そういう意味でやっかいです。
















posted by 変才冨田 at 17:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 認め合うということ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする