玄米を食べ続けて50年
マクロビオティックの創始者・桜沢如一先生が、提唱した半断食法「七号食」を何度も実践した結果、「未精製の穀物(玄米・古代米・雑穀米)を好きなだけ食べても7号食と同じ効果が得られる」事を発見、『トミタ式七号食』の普及に努めています。

ブログ記事も8000を超えました!


2016年01月28日

人生成功の法則8 足指の認証と他者の認証は同じ

多くの方の足指を観てきました。

自由に歩くこともおぼつかなくなった方の足指は動きません。

足指が上体を支えきれないので歩けないのです。

それでも何とか歩こうとすると、身体を歪めるという形で無理をして歩くのです。

その結果が膝や腰痛です。

足指をきちんと触ってあげましょう。

ちゃんとした感覚が伝わるでしょうか。

足指を認証するということは、やがては認証された足指があなたを支えるのです。

それは動物としてのキチンとした姿を死ぬまで保障してくれます。


そして

他者を自分の足指を認証するがごとく感じれば(認証するということ)

他者はあなたの一生を支えてくれることでしょう。

あなたも他者を一生支えられるでしょう。

ぼくはこれが人生成功の秘訣だと思っているのです。


中心軸できた輪やツンツンセラピーとは

認証そのものだったのですよ。
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2016年01月23日

人生成功の絶対法則がある 7  豊かな言葉は豊かな人生を保証する

前回の最後は
人生成功の絶対法則に必要なものは
1 他者の成功に貢献する。
2 主体的に判断して行動する

と書きました。

そして、言葉の重要さについて書こうとしています。

わたしたちは社会で暮らしています。
そこで様々な喜怒哀楽を体験して暮らしています。

そうした体験の背景には「言葉」があります。
言葉で社会的生活を毎日しのいでいるわけです。

社会は言葉で成立しているという厳然たる事実を腑に落とすべきです。

言葉は心です。

いえ、「心ある言葉」が必要なのです。

以下は映画評論家の淀川長治さんの言っていたことです。

金魚すくいをしている幼児はよく金魚をつつきます。

お母さんが「そんなことすると痛い、痛い言うよ」と諭すか
「金魚に噛みつかれるよ」と言うか、です。

終了

前者は共感性を育て、後者は敵をつくる心を育てます。

淀川さんが10歳のころ一人で映画を見に行って夕食に間に合わない時間に家に帰ってきました。

両親はどんな映画でそれはどう面白かったのか話してみてと言ったそうです。

淀川さんは一生懸命にいかに面白かったのか話したそうです。

家族との共感性の共有ですね。

もしも淀川少年が映画を漫然と観ていたら語れないでしょう。

時間を浪費したのか投資したのかの分岐点ですね。

いきなり叱られていたとしたら人生が変わっていたでしょうね。

言葉は他者との共感性で語られることで両者活きます。

言葉にもっと神経を注ぎましょう。

何気ない言葉が誰かを傷つけているかもしれず

まして、そうとわかって言葉で傷つけてはいけない。

三番目は「言葉で共感を表す」となります。

ここまでいけば他者の成功を妬んだり軽く見るという愚はなくなるでしょう。

豊かな言葉は豊かな人生を保証するのです。










posted by 変才冨田 at 12:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 認め合うということ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月18日

人生の成功法則がある7 カタカムナとは今を生きること、「汝、人生の主人公たれ」

先日の「人間観察研究会」でカタカムナのお話をしました。

もっと以前にこのブログでカタカムナについて書いていたことを再揚します。

カタカムナのことを振り返ります。

カタは偏る、片、固い、型、形式、個形ということ。物質が偏って集まって目に見える形に現象すること。

般若心経では色(シキ)のことです。

カムは神や噛むに通じており見えない力が物質に働いて見える形にすること。

これは空(クウ)ですね。

カタとは陽であり、カムとは陰のこと。


陰陽の左右です。

陰陽という対象物がシンメトリックに配置されているということは

中心があると云うこと。

中心にはカタカムナのナが有る。

ナとは旦那、刹那の那です。

那とは瞬間のこと。

刹那主義の刹那とは瞬間に生きること。即ち「今を生きる」という意味です。

今という瞬間を生きているのはあなた(汝れ)です。

生きているのは誰でも無いあなた自身ですから主体という意味が出てきます。

主体的である人だけが今瞬間に生きることができるという意味です。

今まさにこの瞬間を生きているのだと実感できる人は感性が鋭いのです。

完成の鋭い人だけしか今を生きているとはいえません。

(一般的な解釈での刹那主義は快楽主義と誤訳されています)

さてこの「那」はその意味を横滑りさせて「成る、鳴る、為る、生る」という現象化への意味を持たせつつ、ついに「ナ」は「名」へと移動します。

「名前」「氏名」「使命」「命名」の意味がなんとなく見えてきたでしょうか。

自分の「名」において生きること、これが社会的動物である人間というものの根源的動機なのです。

もしあなたに「名」がないとしたら社会的な動機の生まれようがないのです。

残るのは「腹減った、眠りたい、走りたい、休みたい、抱きたい、抱かれたい」という動物としての動機だけです。

宮崎駿さんの「千と千尋の神隠し」について以前書いたことがあります。

この物語は「名を忘れたために生きる動機を失った人」がテーマなのです。

再度揚げます。

いのちについて16「命」は人を一なるものが叩くと書きます。一なるものとはなんでしょうか。それは天のことです。

この場合はこの人の世に根底から働く社会発展の法則性のことです。天の声を聞いて、その命令に突き動かされること。それが「使命」ということ。天の声に従い天に使わされるいのち、それが「天命」です。

さらに、「命メイ」とは「名メイ」です。「命名」といいますが、天の声である「命」を実行する人に相応しい「名ナ」が「命名」されるのです。

アニメ「千と千尋の神隠し」でのこれが主要テーマでした。名を忘れた「白ハク」は天から「命名」された名を思い出すことで与えられた使命を自覚したのでした。主人公である千尋もその家族も投げやりな心から名を忘れることになりました。

「顔なし」のお化けも人としての名を忘れ欲望むき出しの「胃袋」だけの存在になっていました。この「顔なし」は現代日本人の顔です。底なしの欲望の顔を見せた「胃袋だけの人々」が大勢いました。献金だけが目当ての政治家や、税金に群がる高級公務員、堀江や村上の名も思い出します。

「お金の原理」だけが優先し「いのちの原理」を蔑視する現代をどうしたいのか、一人ひとりの精神の戸に「一なるものが」ドンドンと叩いています。そのノックを聞いた人は、その精神の扉を勇気をもって「人に光があたる輝かしい未来」を開けなければいけません。今こそ夢や理想を語らねばなりません。

「いのち」を語るとき、「いのちをどう使い切るか」それを抜きにしては「いのち」を語りきれません。

名前は単なる記号化というとそうではありません。

もし記号ならばAD1032−Bという名だっていいのです。

名前にはその人の生きる方向的な本質性が隠されています。

その本質性に気がついた人だけが今を生きることになります。


たとえばこれを恋愛について考えてみます。

ナ(那・名)において、つまり誰でも無いあなたの奥底から「好き」が動き

その気がカムにため込まれ、その力がきわまった時、再度ナにおいて主体が動き相手のナをうごめかし、カタで現象(抱きあう)が起きます。

 ナ   カム   カタ(ムスビ)
好き   愛する  抱きあう

その後「好き」は「尊敬」へと発展します。

この素朴な好きに打算的な条件が混入されると「尊敬」への発展が阻害され

打算条件が無くなると「嫌悪・軽蔑」へと変化します。

芥川龍之介自身の「恋文」を読むと・・・

芥川はただ一点「好き」であることを貫徹して、しかも彼女に対して主体的に決めなさいと有る意味では突き離しています。

別な個所では「お金もないし生活は不安定だし、年寄りも3人いる」とマイナス材料を書いています。

それでもあなたは僕を「好き」でいられますか?と暗に訊いています。

恋愛とは個性と個性の結びつきなのだと強調しているのです。

その他の雑多なことは世間的であって、僕はそういうことでは生きられないと云います。

その時代の制約を乗り越え近代的自我で覚醒した人であったのです。

現代では、最近でもかなりの年齢差をものともしないで結ばれた人がいましたね。

相手の女性は現代の良い意味での象徴だと思います。


最後にもう一度復習

「カタ」とは現象のことです。
「カタッ」と振動が起きることです。

「カム」とは現象を作り出す背後の目に見えない力のことです。
「カムイ」のカムですから神のことですね。
この神は人格的なものではなく自然神のことだと思ってください。

「ナ」とは主体性、自律性ということです。
「ナ」は成る、鳴る、生る、為るであり、刹那の那、名は個性です。

、あなたの個性において,一瞬の時間に生ききることを為せ!
そうすれば
振動が生じて、鳴り、成るのだというわけです。

「カム」は「カタ」の原因だけれど、「カム」を動かすのは
主体性に他ならないといっているのです。

「カタカムナ」は深いです。

仕事で何事かを為すためには、主体性こそが重要なのですね。


posted by 変才冨田 at 00:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 認め合うということ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月16日

感動の共有は人生の質を高める

情報はつながっている
そのことは当たり前だけど大きな示唆を与えてくれます。
感動はどこからやってくるのか!

ヘリコプターでニューヨーク市の上を飛んで、その上から見た風景を一目眺めただけで
後で記憶だけでそれを精密に描いた青年がいます。
そんな細かいところまで覚えているのか、と感嘆します。
でも、アートは感じられない。

ピアノの演奏を一度だけ聴いてそれをコピーしたかのように演奏する青年がいます。
間違えたところまで再現します。
でも、感動がない。

二人の青年はその作業を少しも楽しそうにしていません。
おそらく音は聴覚神経だけで、見たものは視覚神経だけで消化しているのではないかと思います。
わたしたちはどのような刺激でも重層的に五感で感じている。
五感がネットワークを組んで活動するとイメージが湧く。
そのイメージが豊かなほど感動するのでしょう。

違った視点で云えば
五感がそれぞれに密着しているので、その拘束から一つの感覚が突出して進めない。
その五感が密着していないので、この青年たちは特異な能力になっているのではないかと思います。
いわば一つの感覚だけの暴走といえます。

人生とは味わうものと考えたとき
この五感のネットワークがなければ深く味わえない。
このネットワークを強化することは人生の大きな課題と思われます。

さらに、他者との感動の共有は個人だけのものと違い、奥行き深みを与えてくれます。
情報は他者ともつながっているからです。

 こういう課題は一言で云えば、神経を鋭敏にするという課題だということです。

7号食も聴覚トレーニングも姿勢を真っ直ぐに正す、ツンツン・セラピーという課題も、全てが神経を鋭敏にすることを目標にしているのです。
今年もその課題に向けて情報を発信して、情報と感動を共有したいと考えています。

それがこのブログの目的であるのです。
posted by 変才冨田 at 14:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 認め合うということ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月13日

人生成功の絶対法則がある 6 他者の成功に抵抗する自分発見する5

ファースト・ペンギンとは一番目に海に飛び込むペンギンのことです。

氷の穴にたくさんのペンギンが集まっています。

飛び込んで魚を取りに行きたいのですがみんな躊躇しています。

誰か飛び込まないかとみんな考えているのです。

そして、勇気あるペンギンが飛び込んだところ、間もなく血が浮かんできました。

トドかシャチに襲われたのですね。

みんな諦めて穴から去るわけです。

もしも、最初のペンギンが魚を咥えて上がってきたら、危険はないものということでみんな飛び込みます。

今年の箱根駅伝で優勝した青山学院大の原監督はファースト・ペンギンを自認しているそうです。

これまでにない練習方法は独特でユニークでした。それに運動部にありがちな上下の関係を排して
自主性をはぐくんでいるそうです。
学生たちで考え、話し合い運営してきた成果が出たわけです。

自主性こそが本当の力を引き出すものという考え方です。

ラグビーの世界でも前監督のエディー・ジョンソンが「ラグビーは自主性がないと勝てない」と言い出したそうです。
W杯の南アフリカ戦で、選手は最後のプレーを自分たちで判断して、同店ではなく逆転を狙いました。
「これ(自主性)がなければ勝利はなかった」

「勇気とは、自主的な判断と分かちがたく結びついている」、ということです。

さて、どうしてこういう話を持ち出してきたのか、です。

僕は人生の成功の必須条件に「自分の頭で考えて判断する」ということを第一番目に挙げたいからです。

自分で判断した結果どのようなことになろうとも人生は成功です。

他人に指示されて動いて幸運があったとしても、それは喜べるでしょうか。

占い師の言うことを聞いて成功?したとしても、それは占い師の成功であってあなたの成功ではないのです。

うまくいかなかったら、それは占い師の失敗であって私は失敗していない、そう考えます。
それでは学べないので大失敗です。

なぜ自主的な判断が必要なのか、ですね。

わたしは車を運転しますが方向音痴です。

誰かがナビを務めてくれると目的地には行けるのですが、まるで覚えていません。

指示に従って運転するロボットになっているのですね。

苦労して探して行けばもう一度行けることもあるのです(行けないこともある・・・)。

一生懸命自分で判断したことはいろんなデーターを生かすので記憶もできるし、判断力も活かせるのです。

自分で判断するということは責任も取るのです。

判断を誰かに依存している時は、うまくいかない場合にはその誰かに責任を取らせようとするのですね。

自分が判断して行動するときは能力もアップするわけです。

ここまでで人生に成功する絶対の法則が二つ出ました。

1 他者の成功に貢献する。
2 主体的に判断して行動する
3 1,2ができるようになれば誰でもファーストペンギンになれるのです。


posted by 変才冨田 at 18:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 認め合うということ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月10日

人生成功の絶対法則がある 5 他者の成功に抵抗する自分発見する4

精神的に真っ直ぐに立てるようになると、隣の人と真っ直ぐに手を繋ぐことができます。
それが正常な人間関係となります。
敵愾心や嫉妬、相手を軽く見る態度というのは広い意味で「真っ直ぐに立っていない」ということがあるからです。

「繋がり」という言葉、これは重要な言葉で今日的キーワードとなります。この世界は全て繋がっています。精神的に孤立しているという主観があったとしても、客観的には繋がっています。それは土台では食において繋がっているのです。
客観的にキチンとつながっているのに、孤立感を深めることを矛盾といいますね。なぜ事実と違う感情をもってしまうのでしょうか。「繋がり」の反対は「疎外」ということで、表裏ですね。

「姿美人」のテストにOリングや筋反射テストをしますね。これを敷いてテストするとしっかり力が入りますね。取り除くと思うように力が入りません。姿勢がよいと全身の全ての筋肉が協力し合い、指先に力をこめることができます。少し猫背になっただけで、指の筋肉だけが孤立してしまいます。単独では力が入りにくいですね。

同じように、わたしたちは個々が孤立している間は微力です。ときには無力感さえもちますね。そうなるのは、横との連携が取れていないからなのです。逆に言えば、意図的に孤立させるような、人を分断させるような仕掛けがあるからなのです。知らず知らず、わたしたちは生きる姿勢を悪くさせられているのです。

内臓も繋がりにおいて機能しています。姿勢が悪く筋肉のネットワークが保たれていないということは、内臓という違った次元においてもスムースな繋がりができていません。

心も同じです。総合化された統一的な人格ができない理由も分裂的な目標があるからです。
「なにをしたいのか、どうしたいのかわからない!」これが心の分断からきているということなのかもしれません。

みんな繋がっている。
ということは、世界の本当の姿はAやBやCがあるのではなく、区別がつかない混ざり合ったものなのかもしれない。
そう考えると差別観念や優越感や劣等感、競争意識、勝ち負けなどの観念の無意味さをしみじみ考えるのです。

人生において成功する絶対法則に「他者の成功に貢献する」ということの根拠は「繋がっている」からなのです。

「繋がり」をしっかり判るにはあなたが真っ直ぐに立って世の中を観察することなのです。


posted by 変才冨田 at 23:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 認め合うということ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月09日

人生成功の絶対法則がある 5 他者の成功に抵抗する自分発見する3

他者と比較をする癖はみんなすっかり身についています。

比較することに善悪はないのですが、競争意識が背景にある比較は妄想を伴います。

以下のようなこともあるようですね。

http://www.iza.ne.jp/topics/events/events-8765-m.html
からの引用
ヒューストン大学の研究

ヒューストン大学のティアース氏の研究結果によると「フェイスブック上で過ごす時間」と「鬱症状」には明らかな関係性があったという。フェイスブックを使えば使うほど鬱になり易くなるのだ。

ミシガン大学とルーベン大学の共同研究

ミシガン大学とルーベン大学の共同研究において、フェイスブックユーザーの追跡調査をしたところ、フェイスブックを使えば使うほど人生に不満を感じるという結果が出たらしい。

フンボルト大学とダルムシュタット技術大学の共同研究

ドイツのフンボルト大学とダルムシュタット技術大学の研究結果によると「フェイスブックの利用によってもっとも感じる感情は妬みである」と言いうことが分かったという。

ミズーリ大学の研究

ミズーリ大学の研究によると「自分と他人を比べる為にSNSを閲覧する」人達は鬱の症状を引き起こしやすいという。人の日記を読んで羨ましい気持ちがわくと、絶望感を感じる可能性が高くなることが分かった。

エディンバラ大学の研究

イギリスのエディンバラ大学によると「SNSによって自らの頭で分析しようとする努力を怠るようになり、判断力が弱まるとともに性格が怠惰になっていく」

リレーションシップオーストラリアの調査

地域密着支援サービス団体「リレーションシップオーストラリア」の調査によるとSNS使っている人は、まったく使わない人に比べてより強い孤独感を感じていることが判明した。

米国小児科学会の研究

米国小児科学会の最近の臨床研究報告のよると9歳以上〜10代のこどもがフェイスブックなどのSNSでかなりの時間を過ごした後に、典型的な鬱症状を示し始め、鬱に発展するという。

引用終了

他者の活躍する様子を見て鬱になるようですね。

妄想的比較からどうやれば脱出できるのか?
posted by 変才冨田 at 16:47| Comment(1) | TrackBack(0) | 認め合うということ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月08日

人生成功の絶対法則がある 4 他者の成功に抵抗する自分発見する2

他者の成功に嫉妬したり軽視したり、あるいは意味のないものとする傾向はふつうに誰にでもあります。

どうしてそういうことになったのでしょうか。

おそらく、それは社会のシステムがそのように仕向けたのでしょう。

アニマル・スピリッツというものをみんな保有しています。

それは大勢の人が集まれば本能的に競争し始めるということなのです。

なぜ会社というところに人を集めるのか?

集めて共同作業をさせると自然に作業の能率が良くなるのです。

競争が始まるのです。

本能的に優劣を競うのです。動物としての性能競ってしまうのですねえ。

その結果、予定よりたくさんの商品が出来上がって(剰余生産物)、その分が資本家の儲けになるわけです。

味をしめた資本家は労働者という動物のアニマル・スピリッツを刺激すれば利潤が上がるので、狡猾になり
労働者の優劣競争意識を刺激するあらゆる方策を立てます。

「その時代の支配的な社会構造が思想、文化、教育の方向を決定する」ので、
資本主義的システムはあらゆる場所で優劣を競わせます。

優越感とか劣等感が何によって生まれるのかがこれで判りました。
それは自分の内側から生まれたものではなく、そう思わされてきたものなのですね。
そういうものに振り回されて劣等感に苛まれたり鬱になったりと馬鹿々々しいことです。

他者の成功を軽視するのも優越感と劣等感のはざまで苦しんでいるからなのです。

さて、優越感や劣等感は次の問題を作ります。
それは妄想的「欲望」というものです。

「欲望」がダメというわけではないのです。

posted by 変才冨田 at 19:56| Comment(1) | TrackBack(0) | 認め合うということ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月06日

人生成功の絶対法則がある 4 他者の成功に抵抗する自分発見する

荒川君の事例にこそ成功の法則が表れていますね。

一つは自尊感情は「他者の役に立つ」という行為でしか養えないということ。
自尊感情を伴わない成功などはないということです。

成功をイメージしたり念じたり瞑想するだけではなにも起こりません。

そういうことに意味がないというのではなく、行為に進行しないイメージや念じる行為は無意味です。

行為に進行しないイメージのことを妄想といいます。

妄想は自分だけのことしか考えられないことです。

自分探しなどという無意義な行為も自分中心に考えているからです。

そもそも自分自身には空洞があるだけでなんにもないのです。

ありもしない自分を探すなんていう行為自体が妄想です。

自分のなかになにか宝が潜んでいると思い、発掘しようとしているのですね。

むしろ他者との関係性の中にこそ宝が潜んでいるのです。

自分のことだけを考えて行動してきた人に自尊感情など持てるわけがないのです。

自分を尊敬できるようなことしてきていないのです。

人は人の役に立つことをしたときに自分行為に意義を感じて自分を尊敬できるわけです。

そう考えれば成功の第一法則は「他者(他社)の成功に貢献すること」ということになるのです。

さあ、これを実行するとなるといろんな自分が内部に潜んでいることに気づきます。

見たくない自分を発見するかもしれません。

そこにあなたを不自由にして活き活きとさせない制限や禁止が潜んでいます。

それは怒り、妬み、貪欲など渦巻いているのです。








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2016年01月05日

人生成功の絶対法則がある 3 荒川君の経験から

少しでも、できることから人の役に立つということから始まる。
それは建設的に活きるための第一歩です。
このままでは恥ずかしい、このままでは将来恐ろしいことになるという慚愧の念から始まる

これは2008年の記事です。
荒川祐二さんのこと

今日は上智大学生の荒川祐二君がいらっしゃいました。
「姿美人」をつくりに家族といらっしゃったのですが
彼の印象が尋常ではなかったので
いろいろ聞きました。

彼は新宿でゴミ広いを有志と共に長く実践しています。

一人で始めた最初のころは、わざとゴミを前に落とされたり
顔につばをかけられたりしたそうですが
わずか1年と3ヶ月で仲間が増え、
その動きは全国に多発しているそうです。

今自分にできることは何なのかを自問自答して始めたことが
多くの共感と感動を生み出し
彼自身が一年三ヶ月前には創造できない姿に変貌していたのです。
今では全国の学校から講演依頼もあり
感動を広げていらっしゃるのです。

彼の話を聞いて涙がでるくらいに感動したのです。

また彼は路上詩人でもあります。
対面した人の印象を一気に書き下ろししていらっしゃいます。

詳しくは検索してください。
荒川祐二で検索すればたくさん発見できるでしょう。

ちなみに
「自分の健康を自分で維持することは、ぼくのみんなへの責任を果たすことだから、玄米食べて心身をもっと健康にします!」
ということで、明日から玄米食の自炊生活を実践します。

同じ日のブログ

コミュニュケーション能力とは人とつながるための能力です。
それは言語だけではありません。

コミュニュケーションの原型はどこに始まっていると思われますか。

それは原子同士のイオン結合や水素結合なのです。

原子がそういった結合をしたり離れたりするゆえに
この世界の多様性が実現されているのです。
もちろん「いのち」もこれが原点ですね。

この原点があるからこそ、モノとモノはつながれる、関係性がつくられるわけです。

人の関係も同じです。

つながろうとする意欲の原点は原子の意欲でもあります。

そこから多様なつながり方が自然界に満ち溢れています。

したがって
言語のみで人とつながれると考える方がよほどどうかしているわけです。

むしろ言語に偏った結果つながりが希薄になったのかもしれません。
「話せばわかる」とは東大の先生が昔学園紛争のころ言ったわけですが、最近は養老猛さんは「話せばわかると思う馬鹿」との発言もあります。

前回の一般日記で「荒川祐二さん」のことを書きました。
彼は「今、自分になにができるか」からゴミ広いを始めました。
彼は煩悶したあげく(引きこもっていたそうです)
彼に対峙する世界に対して「ゴミ広い」という動きで
世界とコミュニュケーションを試みたのでした。

動きこそが人とつながるための大きな力なのです。

じっとしているだけでは世界と対話できないという証明を
彼は示したのでした。

世界とつながるほどに
自己が世界へと広がり、つながるほどに自立性と自信を深めていったのです。

つながりが薄いほど、孤立し、自立性が失われるという
証明でもあったのです。

彼を紹介した新聞記事を紹介します。
 早朝にひとり「世界変えたい」

 毎朝午前6時。薄暗い東京・JR新宿駅東口広場で、上智大
学経営学部3年の荒川祐二さん(20)が掃除を始める。

ジャージー姿の背中に下げているのは、「一緒にそうじをして
くれる人募集」という手書きの段ボール。歌舞伎町で飲み明か
した若者や出勤中の会社員らが振り返っていく。

 自主制作映画を見たのがきっかけで、11月中旬から始めた。
この映画は、元芸人の男性が日本中に呼びかけて大量のマフ
ラーを編んでもらい途上国の子どもに届ける経緯とその反応を
撮ったものだった。
「一人が動けば世界も変えられる」と感動した。頭に浮かんだ
のが、大学の友人との飲み会で訪れるたびにごみの多さと汚さ
にあきれていた東口広場だった。

 初めての朝。広場は、たばこの吸い殻や空き缶、食べかけの
弁当などが散らばり、泥酔者が吐いた物で汚れていた。2時間
かけて素手でごみをかき集め、汚物は土と一緒に近くの植え込
みに埋めた。「やけくそ半分だった」。ただ、掃除を終えて初
めて見えた「ごみのない風景」が気持ちよかった。

 手伝ってくれる人はいなかった。目の前で吸い殻を捨てられ
たり、酔っぱらった若者に集めたごみをけられたりしたことも
ある。毎朝午前5時に起きるものの、体調不良や学校の課題な
ど、行かない理由を毎日探すようになった。

 2週間ほどたったある朝、ホームレスの男性2人が黙って手
伝ってくれた。中年の会社員が「手伝えないけど、ポイ捨ては
しないようにするよ」と言って温かい缶コーヒーをごちそうし
てくれたのもそのころだ。以前は広場に捨てていたたばこの吸
い殻を、ごみ袋に入れてくれるようになったホストもいた。

 荒川さんは「最初は誰も協力してくれないことが不満だった。
でも、時々もらう優しい言葉やささやかな変化など、周りの
人のおかげで続けてこられた」と話す。

 自分自身も変わった。無駄なごみを出さないよう、買い物袋
とプラスチック製のはしを持ち歩き、流行が過ぎれば捨ててい
た服も大切に着ようと、しまい直した。

 協力者を募る看板を掲げているが、自分から誘ったことはな
い。「何かを感じてくれたら行動に表れると信じたい」

 かつて2時間かかっていた掃除は、今は1時間ほどで終わる。
ごみの量も半分近く減った。目に見えて感じる手応えを力に、
来年も毎朝、掃除を続けようと思っている。

〜〜〜 以上、引用 〜〜〜


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2016年01月03日

人生成功の絶対法則がある 2

以下は2011年に書いたものです。
ここから考えてみます。

「ギャンブル中毒の君へ」
君は、いったい自分がなにをしているのがわからないことでしょう。

ギャンブル中毒でなくとも

中毒と名のつくことを無心(心にないこと)にしている人は

みんな、自分がなにをしているのかがわからないのです。


仏教では「無明」という言葉があります。

視界が明るくないのです。暗い所で棲んでいて周囲がどうなっているのかもわからないのです。


あなたは「無明」という場所で生きているのです。

その場所は人によっては暗闇であったり、少しほの明るさがあたっりもします。

でも遠くが見えないので一体じぶんがどこにいるのか自覚できないのです。


でも、そういう「無明の世界」から脱出できる言葉があります。

北斗七星のように、それを観れば自分がどこへ向かっているのかがわかる言葉です。

続く

ここから書いていなかったのですねえ(笑)

前回書きましたが、脳は自分のしていることに意義付けができないとストレスを増大させると。

あらゆる依存性や中毒は自分でやっていることに意義付けができないのです。
そのストレスを忘れたいので、さらにのめりこみます。

では、その意義づけとはどういうものであるかですね。
「人の役に立っているかどうか?」
これだけなのです。

他者の役に立っていないことをするのは時間の浪費です。
誰の役にも立っていないことをして時間の浪費をすることは「悪いことをしている」と考えるのです。

自分で自分のそんな行為を「恥ずかしい」と感じるかどうかです。
もしも少しも恥ずかしくないならそれは「恥知らず」ということでどんどん悪くなっていきます。
心は汚れていきます。

このままいけばどうなるか、少しも「怖くない」ならどんどん悪くなり地獄のような生活から逃れられなくなります。

「恥ずかしい」と「怖い」という心は依存性の人に投げられ蜘蛛の糸なんですね。

仏教ではこれを「慚愧」(ざんき)というのだそうです。
慚は恥ずかしい、愧は怖いということですね。

慚愧の念が無い、これが自分だけでなく周囲も地獄に落とし込む心です。

この大失敗の反対が人生の成功ということなので、ここからの脱出の仕方にこそ成功のカギがあると思います。

続く








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2016年01月02日

人生成功の絶対法則がある 1

それは他者の成功に貢献すること。

自分のしていることに意義を感じられなければば脳は披露するのです。

ではその意義を自分の物質的な欲の充足にあると意味づけをしましょう。

欲望が活きる原動力っていうことですね。

この欲望は周囲との比較において成立します。

比較するものが無ければその欲望は毎日喰ってチョンで終わります。

自分より欲望を充足させている人を見て、自分の欲を刺激するわけです。

つまり、欲望とは他者との競争で成立するのですね。

これはキリがない無間地獄の入り口ですね。

比較競争の世界ですから他者を引きずりおろして自分の相対的位置を上げるようになります。

部下が大きな取引を契約して意気揚々と上司に伝えたとき
「ああ、あの会社はねえ、そろそろ大口の注文を発注するころだったからねえ」
と、部下の仕事の価値を下げるようなことをするのです。

そう言われた部下はなにかむしゃくしゃした違和感を感じ、上司の印象を悪くするでしょう。
こういう上司は自分の欲を中心にして生きているので信望が得られないでしょう。
自己の欲望充足で生きるとかえって生きづらくなるのです。

社会的動物であるわたしたちの生き方は他者への貢献こそが実は成功の第一法則なのです。
「自分探し」などというおバカな行為は自己の欲望充足が目的の根っこにあるのでうまくいかないのです。

世に「引き寄せの法則」というものがあるという。
それも自分の側に引き寄せるのことを目的としているので自己充足のマイナスの方向性になります。









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2015年12月27日

食べものをただ変えただけでは

玄米トースト、食べてみましたが原料の米が
違うだけでこんなにも味が違うのか…と思うほど違いました。美味しかったです。

今年は父の病気のことから冨田先生のセミナーを受け、自分の食生活を改めて考えるきっかけをいただきました。

自分はわりと健康的な生活をしてるつもりでしたが珈琲や甘いもの、パンも好きですしオーガニックなものだから大丈夫という考えでいたなあと思っていたことに気づきました。

今でも食べないことはないですが、以前より自然と食べたい気持ちが減っています。

来年はもっと取り組めたらと思っています。

ブログを拝見していますと、食べ物をただ変えただけでは本当に理解できたことにはならないのだろうなと感じます。

先生は大阪にうつられて1年なのですね。
移動自体大変なことと思います。
お身体ご自愛ください。

どうぞよいお年をお迎えください。
来年もよろしくお願いいたします(*^^*)

コメント
食べ物を変えるのは最初の第一歩ですね。
食べ物を通して世界が見えるようになる、これが目標です。

食べ物の認証は心身の認証につながり、それは他者への認証に発展します。
その結果、自己への認証力が増すのです。
来年は二歩目を歩きましょう。
posted by 変才冨田 at 20:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 認め合うということ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月23日

依存とストレス2

「不安の原因は両親に捨てられたという思いが強い為だと思います。」

「捨てられた」という想いが現在の不安などのネガティブな思考になり、それが現在を建設的に生かさないことになります。

過去の因を否定的にとらえるからです。

過去を否定すれば、それが因になりますから現在の状況も否定することになります。

現在を肯定的に見るためには過去を肯定する必要があるわけです。

つまり、「捨てられた」から「捨ててもらった」に変換するわけです。

そのおかげで今のあなたが存在するわけですから。

もしも捨てられなかったら今のあなたとは違う人物が存在するだけなのです。
あなたは「いない」のですから。

さて、良くないストレスとは否定的な想いに導かれたもののことを言います。

否定的になると脳は活動を鈍くさせ、それがあらたなストレスを再生産するわけです。

建設的に生きる方法は過去の出来事へのまなざしを変えることから始められます。
それが今後のストレスをつくらない方法になるわけです。

ほとんどのストレスは自分の眼差しの問題から生じています。

言い換えればストレスのせいに人はすることがありますが、

それはストレスに依存している姿でもあり、過去に依存していることでもあるのです。
なによりも過去のせいにしている姿は「今を生きられない」ということですね。
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2015年11月08日

エゴギョウ中級編 お金の認証講習

今回、二度目のお金の話しでした。

大阪で1回目をしましたが

より明確になりました。

食べ物の認証とお金の認証問題はリンクしているという、

気がつけば極めて当たり前のことでした。

お金と食べ物は

ワルツを踊っているがごとく息があっているのです。

お金と食べ物を認証するだけで、あなたの運命は大きく変転することでしょうね。

お金の使い方はあなたの考え方のレベルで決定づけされるのです。
posted by 変才冨田 at 21:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 認め合うということ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月23日

お金の話2

本日の夜学は大阪♭で初めて「お金の話」をしました。

話しているうちに、これはもっと早く話すべき内容だったと気づきました。

お金の出入りと食べ物の出入りを意識に置くことができる。

これが「お金の認証ワーク」の中心になります。

お金をしっかり認証すれば、お金に認証されるようになり

お金に困らなくなるのです。

家計簿をつけるのですが、面白い家計簿のアイデアができました。

お金を消費的に使うか、生産的に使うか。

これがお金の認証です。

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2015年10月21日

可哀想を演じて利益がある

今日のことです。

ビッコをひいて歩くという相談でトイプードル「ななちゃん」がやってきました。

観れば、まあ少しビッコはあるかなーという歩行です。

家ではもっとひどいビッコなんだけどー。といいます。

そこでツンツンセラピーをやってみました。

それで歩かせてみると普通です。

ピョンピョン跳ねています。

帰り間際に「もしもご主人のいるところでビッコひいて歩いたら、
これは甘えているのですねえ。見ものですよ^^ 」

ご主人をあなたと争って勝方法をみつけたのかもね。ライバルなのかも」

すると、さっき報告です。

「家に帰ってヒロちゃん(ご主人)の前でビッコ引いて歩いてた〜。ヒロちゃんもこれからは特別扱いしないと言ってます〜」ということでした。

このように犬でさえこうした作戦がとれるのです。

まして人間はもっと高等な「わたし可哀想なの」作戦ができるのです。

子が親に、老いた親が子に、部下が上司に対して
「わたし可哀想なの」作戦は毎日展開されているのです。

こうした人は「わたし可哀想だから、なんでも許される」と考えてひどいことをするばあもあるのです。



posted by 変才冨田 at 21:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 認め合うということ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月07日

認証の考え方 2

現実世界はデジタルではなくアナログです。

切れ目なく次から次へと時間はつながって進行します。

時だけでなくすべては切れ目なくつながっています。

それらのつながりを寸断するのは人の意識というものです。

客観世界のつながりを切れ目なく眺めるまなざしが必要なのです。

それが1秒24コマで眺めるということなのです。

実際は1秒の中身は無限のコマ数なのですが、意識はそれをとらえきりません。

認証するというのは「世界をどう認証するか」が土台なのです。

「すべてはつながっている」と世界のありようを認証できたなら

自分の身体も食べ物を通して世界とつながり、人間関係さえも食べ物でつながっていると喝破できるでしょう。

病気をどう見るかというのは健康観であり、健康観とは人間観のことなのです。

認証作業にはいろんな次元がありますが、どの分野でも同一の構造があるのです。

他者への認証は自分への認証につながるでしょう、最終的には世界への認証と突き進みます。

他者を、世界を良し悪しでみるのではなく「そうあるもの」として見る。

これが認証です。

posted by 変才冨田 at 00:35| Comment(1) | TrackBack(0) | 認め合うということ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月03日

認証問題とツンツンセラピー

冨田先生!

昨日は横浜夜学お疲れ様でした。
認証、深いですね。
21日間のワーク、絶対実践してみます!
そのワークをしてみての自分自身の変化なども記録してみたいと思います。

そして、父が大変お世話になり、本当に有難うございました。

昨日はじゅくすいシートも貼って寝ました。
今日からツンツンもやっていきたいと思います。

あんなにスタスタと歩く父を見たのは久しぶりで、涙が出そうでした。
先生に感謝しかありません。

昨日おっしゃっていた『だいこん小豆』?の内容をお時間のある時に教えていただけたら有り難いです。 平謝り

回答
お父さんは血がかなり粘っており、陽性過剰なので
先ずは大根をおろして、絞ってお猪口一杯の量をとります。
水を同量混ぜてなべで小さな泡が出たらすぐに火を止めて
ひとつまみだけ塩を入れて飲みます。
空腹時が良いですよ。

尿がでて脚の浮腫みが改善するでしょう。
4日間続けて
ジュクスイシートを各2枚貼ります。
一枚はかかとです。

教えたかかと落としを続けて下さい
ツンツンは毎日あの場所をしてあげて下さい。
足首のアキレス腱の左右もツンツン追加です

早く脚の浮腫みを取る必要が心臓にあります。

ツンツンセラピーは具体的な認証行為です。

5日目に様子見て報告をメールでどうぞ。

認証問題は常に意識において追求して下さい。
posted by 変才冨田 at 15:47| Comment(1) | TrackBack(0) | 認め合うということ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月02日

認証の考え方 1

トミー先生
いつもありがとうございます。

相談があるのですが、
今、自分の感情を認証してないことや、他人に無関心なことに気づいて、認証ワーク21日間のミッション必要なのかなあって思ったのですが、認証って何でしょうか??

認証ワークって、どうしていったらいいですか?

回答
気が付いた、ということなので、すでに認証作業が始まっているということですね。

さて、認証ワークとはただただ他者を観察するだけなのです。

その際に注意することは善悪や良し悪しで観察しないことです。
それが混ざると感情のヒモがくっついてきて観察ができないのです。

観察するとは目の前で起きていることを興味深く「実況放送」するのみです。

その手始めは目の前の食べ物を観察することからです。
口に入れたときの感触、噛んだ感触、味の変化を観察します。
それが食べ物への認証ということです。

味わいきるわけですが、そうすると唾液が大量に出ます。
スープ状になった食べ物をこくんと飲み込み咽喉を過ぎる感触も味わいます。

そうやることで「認証された食べ物は薬になる」のです。

早飲み込みされた食べ物は認証しなかったものなのでやがてはあなたの毒になるのです。

相手の言うことを最後まで聞かないで即断していませんか?
それを早飲み込みというのです。

認証しなかった相手は自分の言葉をやがては飲み込んでしまいます。

最後まで味わいきるように相手の言葉を聴くのです。

続く




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2015年09月23日

認証問題 怒りや暴言の周辺

近くのお寺さんの掲示板に
「悲しみは人と人をつなぐ糸である」とありました。

これはわかりにくいかもしれませんが

「悲しみ」は共感を呼び起こすのですねえ。

「悲しみ」とは土性にあたるのですから「共感」へとつながります。

必ず死する存在である私たちは心の根っこに「無常」を感じており、それが生命共感というものを呼び起こすわけです。


怒りやそこからくる暴言や暴力はどうでしょうか。
それは相手の「存在の否定」なので、人と人をつなぐ糸をハサミで切る行為ですねえ。

社会的存在である人間は、関係性を断ち切るという行為は相手ばかりか自己の否定になりますから

健康まで損ないます。

では、なぜ暴言や暴力を振るうのでしょうか。

暴言や暴力をしてもそれを振るう人は「暴言や暴力を振るったわけではない」と考えています。

それは「愛のムチ」であると考えている人が多いのです。

さらに暴言を云ったと自覚のない人さえ存在するのです。

育ちの中で暴言にさらされていた人は暴言の効果を知っています。

どういう言葉が相手を傷つけるのかは経験しているので知っているのです。

自分が傷ついた言葉は確実に有効とわかるのでそれを使います。

けれど相手を傷つけるために使った言葉は確実に自分をも気分の悪い状態にします。

同時に暴言は一種の気持ちの良さもつくります。

暴言や暴力は一種の優越感をつくるのです。

暴言、暴力は金性に属し、相手を力でコントロールするということです。

力でコントロールするというのは意外と疲れます。

戦前の植民地主義というのはどの国の列強もこれをやったのですが、搾取するには効率が悪いことに気づいたのです。

現在はもっと巧妙に搾取しています。

人生を楽しく生きるためには効率性の悪い怒りからくる暴力や暴言をコントロールできることが必須ですねえ。

暴力や暴言は怒りからやってくるのですから「怒り」をどう鎮めるかは人生の大きな課題です。

そのためには先ず「人を暴言で傷つけない」と決めねばなりません。

ところが自分が使った言葉が暴言であり人を誹謗するものだとは気が付かないのですから
難しいのですね。

ある言葉が他者の感情を傷つけるかどうかは他者の感情の認証ができねばならないのです。

そのためには「自分は正しくない」と決めつけることから始めます。

それは判断をしないということなのです。

観察だけなのです。

観察からの判断は良いのです。

観察抜きの判断が感情任せになるのです。

このあたりのところは続きで書きます。

最近はこのブログの更新が遅いですね。

こうした問題はセミナーで扱っており言葉では説明しがたいところがあるからです。

posted by 変才冨田 at 18:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 認め合うということ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年09月22日

認証のワークは他者を通して自分の感情と向き合うことにある1

独りで怒ったり、泣いたり、喜んだり、イライラすることはありえません。

感情は必ず他者との関係性でスイッチがon、offされます。

「自分にはイライラも怒りの感情も湧きあがらない」

そう思っている人は、「他者の認証ができていない」ことを原因として

自己の感情の認証ができていないのです。

そういう人は「自分は正しい」という思い込みにさらされています。
そういう人は自分の言動が他者の感情にどのようなスイッチを入れているのかが分かりません。

相手の感情を読み取るような観察ができていないのです。

水性が高い人たちと低い人たちの違いや金性の高い人の関係性は深いです。

親が子をコントロールしようとするのは必然性があるので避けられませんが

どの程度の支配性を実行するかによって、その子のOSに違いができます。

続く
posted by 変才冨田 at 12:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 認め合うということ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年09月05日

「夢」の中身とは?

他者認証ができるだけでもあなたの人生は色彩を帯びるだろう。

そこにワクワクを追加することでもっと充実した人生になる。

その方法は旅に出ると決めることだ。

旅に出る方法は人生のメイン・テーマを決めることだ。

「人にあまり関心が無かった」という女性が認証を始めました。

他者に注意を向けることは自分に対する注意を同時に喚起するので

他者を認証する行為自体が自己認証できる機会をつくる。

けれどその人の生きる方向性が決まっていなかったら、他者への認証も底が浅くなる。

人生を旅に出ず散歩するだけの人には旅をしている人を理解できない。

では旅とはいったいなにか。

アルケミストとは錬金術師を直接指すわけだが、彼ら中世の錬金術師はあたりまえの鉱物からなんとかして金をつくれないものかと試行錯誤した。

それは見果てぬ夢だった。

旅に出るとはそうしたことだ。

旅には解答もなく永遠に続く。

むしろ旅の目的を果たすことではなく、結果としては旅の行程そのものに意味があった。

チルチル・ミツルは「青い鳥」を探しに旅に出たのだが、むしろその途次にこそ意味があった。

その体験が「当たり前の日常にこそ青い鳥がいることを発見」できたのだった。

旅に出てこそ初めて日常の意味に気づくわけだ。

「旅」とは夢を追いかけることなのだが、これまでの多くの人々の夢は「金」を追いかけることだった。

人々は金鉱脈に群がっては消えてたくさんのゴーストタウンをつくった。

先日観た
セバスチャン・サルガドの写真には金の鉱脈に群がる5万人の人々が一枚に収められている。

土塊を背負って何回も長い階段を往復する人々が蟻の群れのように見える。

その写真は迫力があった。

大学教授も学生も市民も白人も黒人もエスパニックも混在して群がっているのだ。

「金」を前にしたとき人々の個性は失われ一群の蟻となる。

その土塊に偶然金が入っていたら、その人は二度とそこには戻らないという。

金への僥倖を期待した瞬間に個性は失われる。

夢とはあなたがあなたでなくなることなのだろうか?



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2015年09月04日

引き寄せの法則 本当の意味

これは少しも不思議なことではない。

それどころかあまりに当たり前な7ことです。

実は、これは引き寄せられの法則でもあるのです。

ある一点に神経を研いでいれば一瞬のチャンスで心身が動く。

意識がソレにとんがっていなければチャンスが来てもそれを察知しない。

いつもソノことを考え続けていれば、ソレはふっと目の前に現れる。

即座にあなたの腕は動きソレを手にするだろう。

後になって考えればソレは偶然やってきたもののように感じられる。

けれどそれは引き寄せたわけでなく、そう感じてしまうものだのだ。

偶然というものはないのだ。

神経を研ぎ澄ましているから目の前にソレは必ず現れる。

眼を開けていても眠っている人は大勢いる。

観察とは単に眺めているわけでなく、ソレのことをいつも考えているので

チャンスの尾っぽでも影でも判るのだ。

匂うから掴んでみたら、その先にソレがひっかかっているのを見つけるのだ。

観察とは全神経をソレに注いでいることなのだ。

チャンスは常に人が運んでくる。

人を認めていない人(認証できない人のこと)には引き寄せの法則は働かないようになっているのだ。

人を大切にしよう。

自分がその人にどんなチャンスを与えることができるのか考えてみよう。

それこそが自己を認証する手段なのだから。

自分が他者になにをプレゼント出来るのかを考えることが自己認証といえる。









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2015年09月01日

「今を生きる」から5 土性の眼差しを含んだ木性


先生こんばんは。  他の方にもコメントを頂くことができて、嬉しく思います。

 合宿ではお話しできたかたでしょうか。コメント有難う御座います。(*'▽')

 まず、3にあった先生の質問ですが、私なりに辿り着いた答えです。

 火性を根っこにした好奇心から、土性と金性と木性の合わせ技かと思います。

 トッドが自分を表現したらどの様な言葉が出てくるのだろうという好奇心(火性)。

 トッドがこのまま何も言えぬままの人生を送って行ってしまうことを心配する気持ち(土性)。

 いやそれではいけない、発表させなければ(金性)。

 それではどのような方法をとるか(木性)  

方法としては、私は当初、土性の印象が強くて金性を除外しましたが、大勢の前で発表させるなどという行為は金性なしにはあり得ないことに気づきました。

加えて、結構トッドを追い込んでいましたね。(^^;) まあそれだけではなく、なだめてすかしてあの手この手…つまり、水性のトッドが自分の殻に引きこもらない程度の金性を用いつつ、

土性を少々金性より強めに木性で調整しつつ引き出したのではないかという結論に達しました。

 2で先生が下さったエゴギョウの回答を見た時、『エッ、金性こんなに高いの!?』 と驚きました。

そして、先生が気になると指摘した私の文章のどこがどう気になるのか最初はわかりませんでした。 1日考えてもわかりませんでした。

 でも3が更新されたのを読み、先生の質問について色々考えました。

 確かに土性だけでは情に流されてトッドから言葉を引き出せないなあ、  木性を加えても見切りをつけてトッドから離れるだろう、  火性を加えても子供の情熱ではトッドに逃げ切られそうだ、

とすると金性の要素が必要なのでは…とやっと考えられるようになりました。

 そして2で先生に指摘してもらった部分は私の金性に対する考えの部分だったのではと思いました。

3でコメント頂いた方のおかげで、また色々気付けることができ、感謝の気持ちでいっぱいです。

次はニールとトッドの水性についても考えてみようと思います。 それについてまたメールするかもしれません。 読んでいただけるとありがたいです。 よろしくお願いします。

終了

前回の4でトッドの表現を引き出す根本は観察が先だと書きました。

ただ、傍観者的観察ではなく土性の眼差しがある観察だったのです。


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2015年08月31日

[ 「今を生きる」から 4 押し付けと援助の違いは「認証」がなされているかどうかで決まる

動く原因はその人の内部にあります。

これ原則ですね。

渇いていない馬を井戸に連れていっても水を飲もうとはしないでしょう。

呑まない馬に腹を立てるのはおかしいですよね。

「あんなに云ったのにどうしてあの人は動かない>< 」

という状況ですね。

啐啄同時という禅から出た言葉があります。

読み方:そったくどうじ

禅において、悟りを開こうとしている弟子に、師匠が、うまく教示を与えて悟りの境地に導くことを指す表現。「啐啄」は、何かをするのに絶妙なタイミングを指す表現。

と解説にありました。

卵のなかのひなが育って卵を内から破ろうとしているときに、親鳥が外からくちばしでコツコツと破る。
ということです。

早く生まれよ!

と早く殻を破ると準備ができてないので死産になり、

無関心で放置しておくと、もしかしたらヒナは力尽きて死んでしまうかもしれない。

トッドとキーディング先生の授業でのシーンはまさにこの啐啄同時の場面でした。

本日男性が来られていましたが、彼はコーラスグループに入っているのですが
「咽喉のあたりが苦しくて、詰まった感じで苦しくて歌を唄いたいのに唄えない」ということでした。

トッドもこういう状況だったのですね。

表現のチャクラである咽喉につっかえがあって
自分の口から想いを謳えない・・。

それを先生は殻を破ろうとするヒナに呼応して外から硬すぎる殻を破るお手伝いをしたわけです。

主体はトッドにあって
その主体性を損なわないような援助をしたわけです。

この問題は深いですよね。

おせっかいという押しつけと援助というお手伝いは紙一重です。

そのびみょなところを測るには「観察」が必要です。
先生は日々からトッドを観察していたはずです。

観察されていたトッドは先生に「認証」されていた感覚があり
その援助を受け入れることができたわけです。

認証されていない感覚では、おそらく押し付けと感じられ
先生のその援助は疎ましく感じたはずです。

木と土の関係ですね。

木で観察が行き届いた結果、土の認証になり受け入れられたのです。

同時に木の観察は火に大きなエネルギーを与え感性をほとばしることができたのです。






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2015年08月30日

認証ワークのレポート

21日のカンサツをしていて気づいたことがあったので報告させてください!

私はエゴぎょう一緒に行ってる友達から「まきちゃんはあんまり認証してくれてないよね」って言ってもらった事が最近あって、その時は「そうなんや〜」ぐらいしか思えてなかったんですが、

観察し始めてから人の思いやりに気づけるようになりました!

その友達が、私が七号食をしてるのを知ってて、ある日そっとハーブteaを置いてくれました。その時に「このハーブteaは便秘にもいいんだって!」って言っておいてくれたんです。

いつもだったら、「ありがとう!」ぐらいしか思えなかったんですが、観察って思った時に、「どんな気持ちでこれを出してくれたんだろう?」って思った時に、

私はいつも七号食挫折しやすいの知ってて、応援してるよって気持ちで出してくれて、しかも便秘しやすいのも知ってくれてたから、便秘にイイハーブteaは私にぴったりって思ってくれて、わざわざ作って入れてくれたんやなって思った時に、

その人の思いをすごく感じれる事ができて幸せな気持ちになりました。
さっそくその思いをメールで伝えて「今日はハーブtea入れてくれてありがとう★ちょっと挫折しそうになってたけど、おかげでがんばれそう!」ってメールを送ることができて、その友達にも喜んでもらうことができました!

そうか、これが蜘蛛の糸をキャッチしてることになるのかも!?私はいつも投げ掛けてもらってる糸をキャッチ出来てなかったんや〜と気づかせてもらいました!

これが認証し合うということなんでしょうか??
認証し合うとお互いにあったかい気持ちになってすごく幸せ感増して、信頼関係がグンとよくなっていくのかなと思いました!

これから自分が相手の事をもっと認証できたら、もっと信頼関係が深まっていけれると思うので意識していきたいです。

引き続き観察していきます。

終了

これを気づきというのですね。

意識的に観察をするということがないとこうはいきません。

「チーズは何処へ行った」という寓話があります。

毎日毎日少しだけネズミに齧られたチーズは、それを観察するという行為がないと
気が付いたら消えてしまいます。

少しずつ太っても気づかないでしょう。

つまり、不注意ということが人生上の大きな問題なのです。

他者の自分へのちょっとした気遣いは意識的に観察しないと無かったことになってしまうのです。

あまりに未来のことばかり考えていると「今を気づかない」ということになります。

未来の「わたしの夢」は今の幸せを見えなくしてしまうかもしれません。

「夢を持つな」というわけでなく、「夢」はもう今始まっており、今を味わうことが大切です。
もうすでにあなたは生きているだけで輝いており幸せなんです。

あなたの今の幸せを多くの人とシェアできるような場を創造するのです。

コメント主のように「お互いにあたたかい気持ちに」なります。
自分独りの幸せよりも充実した気持ちになれて、これから生きて行く自信が湧きますね。

認証されないし、認証もでkないという状況は気持ちが荒んできます。

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2015年08月20日

認証力を付けると面白いことが始まる3

本日のセミナーでもっとも強調したいこと。

失敗、嫌い、苦手・・・、そういう文字が書いてある石を自らの意思で決めて拾い上げることが

結果として生きがいを呼び起こすということです。

押し付けられた苦は苦だけで終わり、決め手選び取った苦はかえって楽しくなってくるということです。

正しいことより楽しいことを選ぶ、これはよく言われることですが

ここで言う楽しいことというのは苦を伴うものなのです。
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認証力を付けると面白いことが始まる2

コミュニュケーションの原因は物質世界にあります。

原子と原子、あるいは分子間で相手の存在を認識しているゆえに結合できるのです。

これが「認証」ということの原点です。

相手の存在を認めているからこそ結合したり離散したりして、多様性ということが始まるのです。

相手の存在を「認めない」というのは結合の拒否であり、それは自分一個の存在で生きることができるという誤解がそうさせているのです。

誰かが存在していることへの無視や軽視はあなた自身の存在の無視や軽視になってしまうのです。
墓穴を自分で掘ってしまうのです。

早食いをするあなたはその食べ物を認めていないのです。

認証されなかった食べ物は自分の血肉に変化しにくいので余分なモノとして蓄積されます。
余分なものとはゴミそのものですから毒としてあなたを認証しない存在になります。

身体の側もそうした余計なモノは認証できないので排泄しようとするのです。
排泄の仕方を「症状」というわけです。

デトックス(排毒)をしたいという人は多いですが毒を招いているのは自分自身だということを自覚すべきでしょう。

添加物もさまざまな毒性があるのですが、添加物まみれになったモノを選ぶのはあなた自身ですから

入ってくるモノを選ばないのでデトックスをするハメに陥るのです。


しかり子供を認証しなかった親は、やがて親にとっては毒として作用する子になることを覚悟すべきです。

自分の感情をしっかり認証しなかった人は、やがてはその無視された感情はあなたに毒として作用することになることを覚悟すべきです。

もちろんあなたに軽視、無視された人々はあなたに毒として作用を及ぼします。



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2015年08月19日

認証力を付ければたちまち面白くなる人生1 大阪特別セミナー終了

きょうは大阪セミナーでした。
大阪♭が超満員になり嬉しかったです。

今日のような重要だけれど小難しいテーマでこんなに人がいらっしゃるということに感激でした。
ありがとうございました。


「認証問題」についてはずいぶん以前から思考を深めてきたように思います。

小出しにそうしたテーマのセミナーもやってきました。

以前のブログを眺めてみると、かなり以前からその問題に注目していたようです。

人はその深い心の場所が動かなければ行動しようとは思わないようです。

深い場所が動くと
それは感動を伴ってきます。
感動しなければ本当の動きができないのですね。

では、人はどのような時に感動するのか。

それは人間関係のなかで「認証問題」が垣間見えたときに感動するのです。

感動の現場には必ず人が人を認証するという行為が見えるのです。

逆に人が人をけなしたり無視するような人を人として扱わない現場では人々の心は荒んできます。

派遣されている人を名前を呼ばずに「派遣さん」と呼ぶような会社が拡がっているのです。

「人材」と言う言葉も人を材料の一つに見ているわけです。

現在の多くの職場や学校の雰囲気はそうなっているのでしょう。

でなければこんなに自殺者やうつ病が増えるわけはありません。

日本は「戦争ができる国、いつでも戦争をする国」に変化しようとしています。

戦争では「人を人として扱わない組織」、すなわち軍隊という組織を膨張させます。
それは名前を必要としないもので、戦死率という確率の世界に人を放り込みます。

私という個性は無視され戦死者の員数だけになり果てます。

社会はそちらへ向かっており、その流れの予兆として個性の無視(非認証)が平然と進行しています。

そうした社会の流れのなかで「人が人を認証する」行為は一種の抵抗になっているのです。

自民党の武藤代議士が「戦争に行きたくない、などという若者は利己主義の極み」と言いました。

このセンセイはその反対を望んでいいるようです。

けれども、みんなが志願して戦地へ行くという世の中はどんなものか。

それは戦前の日本やナチス・ドイツが経験してきたことです。

整列して一糸乱れない行軍の列を「美しい」と感じる心は個性への蔑視があるのです。

そんな軍隊を創設できる国を「美しい国日本」という感覚である安倍さんはよほど感覚が劣化していると思うのです。

余談が過ぎましたが、そういう時代だからこそ「人が他者の個性を認証する」力を付けることは
平和への力になり得ると思うのです。

教育とは「個性を伸ばす」ものと自民党でさえ言うのですが
その個性尊重の戦後の教育が利己主義者を育ててしまったとこのセンセイは言うのです。

SEALDsという反戦平和を訴える若者の組織が全国で創設されています。
各地で「戦争法案」を廃案にするためにデモも頻繁と実行しています。

彼らは自分も含む全体のために時間と労力を費やしています。

けれど大多数の学生は未だに閉じこもっています。
彼らこそ自分だけのことを考えている利己主義なのです。

「戦争に行きたくないけれど、デモするより就活の方が重大だ」
そう考える見えない学生たちの方こそ利己主義なのです。

そういう意味で戦後の民主主義教育を不徹底にした教育は成功しているのです。
武藤先生、戦後の教育は失敗したと嘆いておられますが、ちゃんと成功しているのです。

それでも嘆くなら今動かない学生にこそ「お前たちは利己主義者だ」と批判をくわえて欲しいのです。

本題と逸れてしまいましたが「認証問題」の奥の深さがあるゆえです。

ここでは「認証力」は平和運動にも鳴り得るということを言いたかったのです。

続く





posted by 変才冨田 at 00:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 認め合うということ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする