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2017年07月19日

やりたいことが見つからないというあなたへ 2

自分自身を一所懸命にやる

これはどういうことか

今あなたが食事をしているならば

一心不乱に味わって食べることだ

口中の食べ物の変化を観察することだ

もしもトイレならば

満ちてきた便意を味わい

直腸を通過する便の刺激やその心地よさを感じ切ることだ。

料理をしている時は料理に

友人との会話には、相手の表情や声雰囲気に全身を傾けることだ

歩いているのならば

目の前の映像や風や街路樹や花に

行き交う人々に五感を傾けて味わい切ることだ


やりたいことなどは人生には無いのだ‼️

今さえ一心不乱に味わっていない人には

やりたいことなど一生かかっても見つからないのだ。



posted by 変才冨田 at 11:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 認め合うということ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月18日

やりたいことが見つからないというあなたへ

やりたいことが見つからない。

そういう時は

自分を一所懸命やってみよう。

自分の今を一所懸命やってみよう。

自分であること

それが一所だ

今という一瞬こそが一所だ


やりたいことが見つからない

それは

自分の存在と

自分という命が

刻んでいる時に気づいていないだけなのだ

やりたいことが見つからない、という言い訳で

実は

自分と今を放り投げている無責任人間なんだ
posted by 変才冨田 at 22:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 認め合うということ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月13日

眼差しのデザイン 7 感情は素直に表現できれば良いのか?感情は整理すべきもの。

もしそれを良しとすると、それは人間の退行を促すだけです。

それを素直にやっているのは痴呆老人です。

頭に浮かんだことがダラダラと漏れていくのは

制御不能のボケ状態と言えます。

自分の素の感情をサッと顔色に表して良い訳はないのです。

制御できないのは子供のように未熟なのです。

楽しい表情は葬式場でない限り振り回せば良いですが、

不快 怒り などの表情は

隣の家の芝生にゴミを投げることと同じです。

他者の感情に土足で荒々しく踏み込む行為で許されるものではありません。

隣がゴミを先に投げたからだ‼️

こんな短絡思考も未成熟だからだ。

他者がどうあれ

自分を楽しく扱えない人は未成熟です。

感情は整理すべきものです。

自分の感情生活を整理できない人は

脳内がゴミ屋敷になっていますよ。

自分も隣も居場所を失いさせます。


この手法は感情をゴミという物質と見なして
考えています。
視点の上下移動です。
posted by 変才冨田 at 17:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 認め合うということ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

眼差しのデザイン 6人は化け物



眼差しのデザインとはものの見方や視点を少しずらせて感覚の新鮮な変化を促そうよ、という大阪府大の花村先生の提案です。
皆さんもやってみませんか?
視点をどう変えるか、発見したいくつかのテクニックをそのうちご紹介します。

先日のこと小演劇団の化ける狸の演劇を観てきました。

「木の葉オンザヘッド」です。

つくづく思ったのは

「みんな化けている」ということです。

問題は無自覚に化けていることです。

だから自分自身も騙さている。

自分が化けているとは思ってもいない。

まして、人を化かしているとも思ってもいない。

しかも、化かされているとも想像さえしていない。

宇宙の片隅でほの明るく浮かんでいる舞台で

今日も、明日も化かし合いの舞台で演じ続ける私たちです。

同じ化かし合いの舞台なら

明るく楽しく演じ切ってバイバイしたいものです。


これは全てを自分の外に放り出して眺めるという手法です。

posted by 変才冨田 at 16:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 認め合うということ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月11日

眼差しのデザイン 5あらゆる不幸のタネは過剰から生まれる

食べ過ぎという過剰は慢性的疾患を産み

富の過剰は不安を産む


喫茶店で甲高い声の老人がいたのですが

これは耳が遠いために自分の声が聞こえず

大声になる。

これは耳の音を感じる力が過小から起きています。

過剰は過小から生まれているのです。

富の過小に追い込んだ人々に過剰が生まれる。

富の格差は持てるものがいっそう持たざる者から奪うので

さらに差が拡大する。

猛烈にお腹が減った(過小)状況は猛烈に食べることで過剰の血糖値となる。

持てるものの過剰の不安は過剰の武器を生む。

市場の過小はやがて過剰の商品で満たされ、それが失業者の過剰の原因となる。


私たちは「ほど」を知らずになぜ過剰な行為や結果を生み出すのか?

「足るを知る」と言いますが

どこが「足る」なのかがわからない。

実は過小はわかるが、過剰がわからないのが人間存在というものです。

過剰が腑に落ちた人だけが断捨離をする。

つまり、過剰は気付きにくくて、過小は気付きやすいのです。

人が過剰による不具合が多いのはそのためです。

posted by 変才冨田 at 10:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 認め合うということ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月09日

眼差しのデザイン 5 自己を日々更新する作業が噛むことだった。

人の全ての体液は血液が変化したものです。

唾液も消化液も母乳も同じです。

元は血液ですね。

従って

唾液は血液なので毎日1.5リットル口腔内出血をしている。

消化液も全て含めば7リットル以上の大量出血をしているわけです。

これは死にます 笑

なぜ、こんな荒技を毎日身体はしているのか、ということを考えれば

噛まねばいけない訳が分かるでしょう。

外界の毒を我が組織に組み込む為には

自己そのものである血液で囲い込みやっとのことで自己化しているのです。

噛むことで大量の唾液と消化液が分泌できるのですね。

唾液と消化液は消化器官の努力した結果の汗なのです。

日々自己を更新する作業が噛むことだったのです。
posted by 変才冨田 at 09:50| Comment(2) | TrackBack(0) | 認め合うということ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月08日

眼差しのデザイン 4 嫌いな人が多いのは利己心の欲求を達成させる為です。

嫌い!という強い感情はその嫌いな人によって引き出されたものです。

嫌いな人に自分の感情を預けてしまっているわけです。

首輪をその大嫌いな人に付けられてリードをもってもらっているわけです。

これを依存と言います。

嫌いな人が多いほどあなたはとてつもなく依存しているということです。

主体性が皆無ということです。

そういう人は本当の仕事も出来ません。

その奥底をさらに探ると

嫌いなひとが多いあなたは

底なしの利己主義者なのです。

自分のことしか考えていないので嫌いな人を作るのです。

嫌いな人に何かして差し上げたいなどとは思わないですよね。

差し上げたくないという利己が
嫌いな人を作ることで「利己主義」を実現できるのですね。
posted by 変才冨田 at 01:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 認め合うということ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月06日

眼差しのデザイン 3 頭脳は種である


頭を土に埋めれば胴体は幹になり、手足は枝です。

つまり、頭は種なんですね。

頭脳から神経の芽が全身に伸びている。

発芽させて芽を伸ばすには光と水と肥料が必要ですね。

怠ると枯れてゆく。

多くの人は怠って若いうちに枯れてしまう。

学びとは神経への見えない食べ物なんだなあ。

水や肥料をやるのが面倒だと思った時には

頭に7色のシャワーをかけているイメージを作ってみよう。


posted by 変才冨田 at 21:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 認め合うということ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

眼差しのデザイン2 気づけないものこそがあなたを生かしている。

空気があなたを生かしているのに気づけない。

多くの他者があなたを生かしているのに気づけない。

魚は自分の能力で泳いでいると思っているけれど

水にこそ魚を泳がせる能力があるのだ。

水がゼリー状では疲れて泳げなくなる。

あなたにとっての水とは人間関係性だから、

生きづらく感じている人は人間関係がゼリー状になっているわけだ。

自分がゼリーにしているだけだと気づけない。

相手への無関心が生きづらくさせているのに気づけない。

それでいながら、自分に注意を惹こうとする。

別れ話を持ち出した女に驚いて

悪いところがあれば治すから

という男は女のあなたが嫌いという感情に無関心だ。

女も自分の感情に気づけないでいるとズルズルする。

女も相手の感情には無関心だ。

お互いに注意を惹こうとする。

それが、「愛」だと勘違いして

お互いが生きづらくなる。

相手への無関心が気づけないから

わけのわからない怒りがもたげてくる。

気づけないものが生きさせて生きにくくもさせている。
posted by 変才冨田 at 00:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 認め合うということ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月02日

教育の本質

いきなり結論です。

自由にしておくこと。

これ以外に教育の本質性はないでしょう。

そういうと以下の反論が出てきます。

親の責任っていうものがあるでしょう!

自由にしておいてはわがまま身勝手な大人になるので

躾は必要でしょう!

いやいやその通りです。

自由にさせておくと言うのは躾と矛盾するものではないのです。

むしろ躾は必要です。

制限しておかないと自由に育ちません。

ここで言いたいのはただ一つだけです。

夢中になっていたら止めないこと。

それだけです。

夢中になることを止めなければ、その子は無限の創造力を獲得します。

止めると、それは夢中になってはイケナイという暗示をかけることになります。

ボヤーとしている時間が子供には必要です。

ボヤーに夢中なんです。

なにボヤっとしているのと叱責してはいけません。

ボヤっとしているのも創造力の温床です。

スタッフへ
僕にボヤーとするなと怒らないように!
posted by 変才冨田 at 10:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 認め合うということ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月01日

ターシャ トューダーの世界 私の感想文


以下は私の感想文です。

同じ映画を見ておきながら、この違いはなんでしょうね。笑

前回の感想文は感性で見て
私の感想文は恣意で見ています。
彼女は自分の視点 自分がどう感じたかを書いています。
自分がどう生きたいかにまで及んでいます。

一方私は自分が出てこないですね。
評論家のようです。
未来がある人と未来がない人の違いでしょうか


観てから外へ出ると一気に夢から醒めました。
都市生活者にとってターシャの世界は夢のようです。
都会人は浮き指どころか足全体がふわふわ浮いているようです。

ターシャからみれば都会こそ蜃気楼のような世界に見えていたのでしょうね。
実際映画館を出てから迷路のように入り組んだ地下通路をエスカレーターを何回も乗り降りしているうちに、これは悪夢かもしれないという思いがかすめました。
お金や名誉や出世を求めて、内心の火をお金や名誉や出世という不自然な人工木材で燃やし続ける人たちで都会は成立しています。
都会とは人が群れることで欲望を共有しあい、さらなる欲望を産生するところです。
一方、ターシャの世界は人が少なくなっています。自然という大きな対話者が目の前にあり、人々は自然との対話を通して共感しあえる人間関係が生まれています。
私たち都会人は自然を媒介にしないで関係性を作ります。

自然のゆったりした変化は人もゆったり変化させ、人も自然物であると気づかせ心に深い安心をもたらせます。

一方自然を仲介しない都会の人間関係はどうか。
人の心は急激な変化をしてお互いの心を不安にさせます。

都会的病理の土台はターシャのような生活から遠ざかった距離に応じているかのようです。

さて、ターシャのような生活に私たちは憧憬はするけれど、ため息つきつつ、自分にはできそうにないと思われます。

それはお金のある生活が染み付いているからです。
もはや私たちは否応なく後ろから急き立てられて動く奴隷です。
奴隷状態から脱出するには、働き方改革レベルではなくもっと深いところから掘り起こさねばならないでしょうね。

都会で子供を産み育てるという行為も、大きな視野で見れば新しい奴隷を生み出しているようです。
お先真っ暗です。

都会生活者はお金を稼ぐ機能をデザインした人だけが生きる。
けれどそれは蜃気楼の世界です。
バターだと思ってマーガリンを食べる。
イチゴが入ってると思ってイチゴ風味の香料食べる。
イチゴの形した化学肥料食べてる。
種のできない野菜食べてる。

私たちはマジックの世界で生きている。

都会生活で五感を使って
今を生きるほどに
優れた奴隷に成っていく。

ターシャの世界から生まれたターシャの言葉は奴隷の世界で生きる奴隷が聞くと違う意味で考える。

ターシャはアメリカがアメリカであった頃の30年代までを懐かしむ。
私は元々懐かしむ世界さえ持っていない。

私自身が蜃気楼だったのです。

けれど、自分が蜃気楼の世界で生きていると自覚させてくれたのは

ターシャです。

蜃気楼を本当だと騙されて生きることと
これはマジックだと自覚するのとでは天地の差があります。

世界には事実と真実があり、
事実の生活の向こう側に真実の生活を見ておく必要があります。

家族関係にも血で繋がっているから家族という事実の向こうに
真の愛ある家族関係があります。
愛のない家族関係もあるのです。

血で繋がっていなくとも愛ある家族関係も成り立ちます。
坂爪さんの「ごちゃ混ぜの家」構想はそういう視点がありそうです。

機能的にデザインされた家族は役に立たねば認証されませんが、
アートを基盤にした家族は居るだけで良いという愛を基盤にした真実の家族関係です。

こうした愛を基盤にした家族関係は自然という媒介無くしては成り立ち難いですね。

ターシャはむしろ花のない雪に覆われた冬が好きだと言っています。
全ての季節を認証できているわけです。

どんなことも楽しいと言っていたターシャは全てを受け入れて生活をしていたのです。

そこに愛ある本当の生活がありそうです。

田舎に引っ越してしまいそうです。


posted by 変才冨田 at 12:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 認め合うということ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月10日

坂爪氏の「ごちゃ混ぜの家」構想 2

坂爪さんの記事のご感想はどうでしょうか。

このblogの読者であればきっと面白いと思うでしょうね。

さて、彼のごちゃ混ぜの家構想は言い換えると家族性は血縁関係だけからしか生まれないのか?

そういう問いかけのようですね。

家族性の特徴に「あなたは居てるだけで良い」ということが挙げられます。

役に立たなくて良いですよ、ということです。

一方に社会的な人の関係性は役に立たなくて存在は許されない、というものです。

会社はまさしくそういうことです。

家族性と社会性はその立っている基盤が違うわけです。

坂爪さんが今さらその家族性を問いかけるのは理由があるようです。

それは現在において急速に「居てくれているだけで良い」という土台が崩れていると感じられたのではないでしょうか。

資本主義社会の仕組みというものは全てを役に立つデザインされたもの、つまり商品化させます。


学校経営とか家庭経営という言葉に代表されるように学校や家庭が会社化してきています。

教育投資という言葉に代表されるように子供は投資の対象になるのです。

子供には投資に見合った活躍が期待されます。

投資された子供には親の役に立つ生き方を求められます。

そういう意味では家族性の崩壊は貧困家庭のみならず中産階級に際立っていると思われます。

投資するからには子供は都合の良いようにデザインされます。

けれどもいくらデザインされようが現実が急速に変化しているので、商品はすぐに陳腐化します。

現実にはそのデザインは役に立たないのです。

デザインされすぎて、あるいはされなさ過ぎて大人になった人達は

役に立たなくて社会から疎外されます。

存在そのものが揺らいでいる人が増加しているようです。

自分は役立たずの存在だから消えてしまっても仕方がない。

「ごちゃ混ぜの家」構想はこうした状況に問いかけているように見えます。

役に立たなくては存在が許されない

そういう人間観は全ての人間観に影響を与えそうですね。

人種や育ちや出自への差別感情、学歴差別、 性差における差別感情

つまり恋愛観にも結婚観にも影響を与えています。

続く


posted by 変才冨田 at 16:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 認め合うということ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月05日

人間の存在価値の復権 坂爪氏さんの「ごちゃ混ぜの家」構想 1

坂爪さんが提案された「ごちゃ混ぜの家」はクラウドファンデイングは募金で大成功でした。

200人以上から500万円近くの募金がありました。

多くの賛同者を得た「ごちゃ混ぜの家」とはどういうものか。

これは僕の最近の考え方とオーバーラップしており

注目するようになりました。

人生をデザインするのかアートするのかの実践版といえそうです。

人は役にたたねばならないのかというあたりですね。

先ずは彼の文章をどうぞ。

以下は引用

昔から「家族とはなんぞ??」という思いがありました。多分、私は『ごちゃまぜの家族』をつくりたいのだと思います。

ごちゃまぜの家をつくりたい! - CAMPFIRE(キャンプファイヤー)

▼はじめにご挨拶

わたしは、いまから3年ほど前から「家のない生活」を2年間ほど続けていました。きっかけは、当時、東京都内で同棲をしていた彼女と別れたことで、荷物の少ないわたしが家を出ることになりました。当時、林修先生の「いつやるの?」という例のアレが大変流行をしておりまして、当時の彼女が「いつ出るの?」とわたしに尋ねるものですから、わたしも咄嗟に「いまでしょ!」と答える流れになりまして、その日のうちにホームをロスすることになりました。人生は何が起こるかわからないなあなどと思いながら、同時に、わたしは常々「東京の家賃は高すぎる!これでは、家賃を払うために生きているみたいなものじゃないか!」などと勝手にふんがふんがしていたものですから、家がなくなったいま、ふと「家がないということはもしかしたらチャンス!月々の家賃がかからなければ、生きるハードルも一気に下がるのではないだろうか」と閃きまして、これはいい機会だということで「家がなくても生きることはできるのだろうか」ということを自分を使って試してみることにしました。



同時期にブログを開設していたので、わたしは「これこれこういう思いで家なし生活を試してみようと思う」と書きました。すると、非常に幸運なことに様々な方々から「それなら我が家においでよ」とか「渋谷に来たらラーメンを奢るよ」とか「この家は使っていないから自由に使っていいよ」的なご連絡を大量にいただきまして、誘われるがまま呼ばれるがままに足を運ぶようにしておりました。最初は「もしかしたら危ない目にあうかも…最悪の場合は殺されるかもしれない…」などとビクビクおびえていたりもしたのですが、よくよく考えてみるとわたしを殺すメリットは何もない(当時から、ブログなどでも「わたしにはおうちもなければお金もありません」などと書いていました)ということに気づきまして、あとは野となれ山となれの精神で突撃をする日々を過ごしておりました。すると、みなさま非常に良い方々ばかりで、ああ、ひとは優しいのだなあという当たり前のこと(しかしながら忘れがちになっていたこと)を、強く実感しました。



それからいろいろとありまして、やがて県外の方からも「君は不思議な男だね。交通費を出すから泊まりにおいでよ」的なご連絡をいただくようになり、家のない生活も2年目にはいる頃には海外からも「航空券を用意するから遊びにおいでよ」などと声をかけてもらえるようになり、結果的に日本全国47都道府県、国外も20カ国近くに足を運ばせていただけることになりました。元来、旅好きでもなんでもないわたしも「旅人」などと呼ばれるようになり、改めて人生は何が起こるかわからないなあと思いました。そして、家のない生活は様々な気づきを与えてくれました。わたしは、家がなければ生きていけないと思っていたのですが、「家がなくなったら生きていけないばかりか、家があった頃には到底出会うことのできなかった(お金もなかったので海外にも行くことはできなかった)面白い目にあえているこの現状はなんだ!!」と、自分でも自分に起きていることの意味がよくわからなくなってしまいました。



▼このプロジェクトで実現したいこと。

家のない生活は2年間ほど続いたのですが、その後、ブログ読者の方から「さすがに家のない生活は大変でしょう。熱海でもよろしければ家をご用意いたします」という連絡をいただきました。わたしはなんだかびっくりしてしまって、なにはともあれ一度その方にお会いさせていただくことになりました。実際にお会いしてみると、その方はほんとうに素晴らしい人柄の女性で「ああ、このような方が用意をしてくださる家に住めるだなんて、自分はなんて幸せな人間なんだろう」と感慨に耽り、結果的に(なんだか漫画のような展開でもあるのですが)その方が熱海に家を購買してくれることになりました。この時点で、およそ2年間におよぶ家のない生活はピリオドを迎えます。いまは熱海に家があるのですが、引き続き、何かしらの要件でわたしを使っていただける方がいる限り(そして自分の予定があう限り)どこにでも足を運ぶ日々を過ごしています。



これまでの日々と、そして、このような形で与えられた熱海の家は完全に「みなさまの善意【自力ではなく他力】」によって授けられたものになりますので、自分のためだけにこの家を使うのは何かが違うと思ったわたしは、熱海の家を「誰でも使ってください」と完全に開放をしました。家の鍵はかけず、家にあるものは(家主が不在の時でも)なんでも使ってOK、玄関には『みんなの財布』と銘打って出し入れ自由の財布を掲げてみました。ただ、熱海はどうしても都心から距離もあるためになかなか誰でも気軽に足を運ぶということができません。そのため、こういう完全に開放をされた家が日本のど真ん中にもあったらどうなるのだろうかということに最近では強い興味を持つようになりまして、今回、このような企画を立案させていただく運びとなりました。



話が長くなってしまいました。わたしがやりたいと思っていることは「東京にごちゃまぜの家をつくりたい!」ということで、その空間は完全に無料で開放をされていて、場合によっては無料の喫茶店や食堂としても機能をするような(365日炊き出しが可能であるようなイメージ)、手料理をつくりたいひとは手料理をつくり、手料理を食べたいひとは手料理を食べる、誰かと話したいひとは誰かと話し、誰とも話したくないひとは(用意できるかどうかは未定ですが)個室などで静かに本を読む、希望者の方は無料で宿泊をできて、欲しい本があればそのまま持ち帰ってもOK、ある程度の人出が集まった暁には「一時的な託児所的な役割」も気がついた頃には勝手に担ってしまっているような、ある種のカオス、それでいて空間全体の調和がとれているような「ごちゃまぜの家」を東京につくれたらいいなあと思っています。



▼プロジェクトをやろうと思った理由

人間の三大欲求は「食欲」と「性欲」と「睡眠欲」などと言われておりますが、よくよく考えてみると「これって全部家で叶えられるヤツだね!」ということに気がついてしまいました。性欲とは、多分、コミュニケーション欲求(必ずしもセックスのことだけを意味するのではなく、誰かとつながりたいと願う感覚)のことだと思うのですが、いまはちょっと誰かと話したい気分だな、だけどなかなか気軽にひとと話せる場所ってないよね、なんて思われたことのある方は、きっと、わたしひとりだけではないと思います。人間の三大欲求を叶えるベースになる場所、今回は「手料理」というものがなんだかものすごい大切なキーワードになるような予感がしているのですが、誰もがふらっと立ち寄ることができる場所、そこに行けば手料理をつくってくれるひとがいて、手料理を食べながら話したり話さなかったりできる場所、そういうものの第1弾を東京につくりたいと思います。
posted by 変才冨田 at 18:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 認め合うということ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ミッションとは何か?

ミッションを遂行すると楽しく生きることができます。

ミッションとは命の使い方を言います。

命は非常に個別的ですからミッションも個性的になります。

つまり、自分の命の個別性に気づくことが自分の価値の気付きになります。

ミッションとは自分の価値を社会に気付かせることです。

ミッションとは、そういう意味で自分の個別性に気づいて

自分の価値を社会に役立てることです。

自分の価値に気づいた瞬間にミッションは生まれます。

あとはそのミッションを

どのように役立てるかの課題になります。

おここからが「好きを仕事にする方法」という課題です。

「好き」とは非常に個別性があり、それ自身が価値になります。

「好き」を観察することで価値に気づきます。

「好き」を実行する過程で周辺を巻き込んで行くのです。

ミッション化ですね。

後は好きで食べられるようにする課題です。

以下は本日のyahooの記事から引用

https://news.yahoo.co.jp/pickup/6238730


ぼくにしかできない店 できた 発達障害の15歳・岩野さんが桐生に開店 味覚生かしコーヒー豆焙煎
上毛新聞 5/5(金) 6:01配信

ぼくにしかできない店 できた 発達障害の15歳・岩野さんが桐生に開店 味覚生かしコーヒー豆焙煎
「どんな入れ方や飲み方をしてもおいしい豆を提供したい」と話す岩野響さん
 群馬県桐生市小曽根町の岩野響さん(15)が、自家焙煎(ばいせん)したコーヒー豆を販売する「HORIZON LABO(ホライズン・ラボ)」という店を、同所の水道山中腹に開業した。店のキャッチコピーは「ぼくができることから ぼくにしかできないことへ」。発達障害の一つ、アスペルガー症候群と向き合いつつ、高校には進まない選択をし、自分にしかできないことを探している。

◎優れた味覚と嗅覚駆使 「水平線のように広く自由に」
 響さんは障害の影響で空間をつかむ力が弱く、黒板の字を書き写せなかったり、運動が苦手だったりした。学校の授業と部活動の両立ができず、中学1年の10月に不登校になった。

 物心ついた頃から、同じ調味料でもメーカーの違いが分かるほど優れた味覚と嗅覚を持つ。両親に毎日出していたコーヒーに興味を持つようになり、中学2年の5月に知人から手回しの焙煎機をもらった。一つのことに熱中する性格で、市内の伊東屋珈琲(コーヒー)のロースター、古谷哲成さんらとも意見を交わし、焙煎する時間と温度でコーヒーの味がどう変わるのかを研究した。

 中学3年の夏に家族とタイ・プーケットの海を見て、水平線(ホライズン)のように広く自由に生きたいと思った。自分を表現できるコーヒーの研究成果を発表する形で店を出そうと決意。自宅近くの空き小屋を父の開人さんと共に改装し、4月にオープンした。

 商品は月替わりの1種類で、グアテマラや東ティモールなどの豆をブレンドする。今月はすっきりと飲みやすい味に仕上がった。温度を上げつつ時間をかけて焙煎することで、酸味をなくして深みのある豆を提供する。鮮度にこだわり、3、4日以内に焙煎したものを販売しようと心がける。「誰がどんな入れ方や飲み方をしても楽しめる豆を提供したい」と話す。

 営業は毎月1〜7日の午前11時〜午後7時。

引用終了

ここで、使用価値と存在価値の概念が必要です。

役に立つという機能性、つまりデザインが使用価値ですね。

存在価値はアートです。

これだけではよくわかりませんね。

続く



posted by 変才冨田 at 11:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 認め合うということ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月26日

存在の認証と役に立つという認証の関係

日本の自殺者は3万人を超えていますね。

この理由に存在の認証という命の土台にあたるものが希薄ということがありそうです。

それに対して
その人の機能的な部分、つまり
役に立つという能力が強く求められているということです。

能力がなければ(一面的な能力)存在してはいけないという脅迫観念に駆り立てられる。

役に立つことが、存在を保障する関係ですね。

家庭においては「あなたはいてくれているだけでいいよ」
という関係性ですが、家庭においても役に立つことを土台にすると
その人は大きく揺らぐことになります。

そうやって大人になってしまうと
役に立つことで存在価値を他者や会社、
あるいは妻や夫、恋人に求めてしまう関係性しか作れなくなってしまいます。

僕はいつも思うのですが

能力が求められる会社においてでも

存在価値を土台にした運営ができないものかと。
家族的会社経営っていうことですね。
posted by 変才冨田 at 13:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 認め合うということ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月29日

認証について 土曜日の夜学に通じる話!

カーク船長、こんにちは。 先日の夜学の、人は認証を求めている、というお話すごく面白かったです。

その帰りに、一緒にいた方にはお話ししたのですが、ちょうど、最後の挨拶の内容に近いなぁと思いました。 以下、その話した内容です。(長文ですみません)

不安や心配、自信がないことなどはマイナスの感情として出してはいけないのだと思っている人がたくさんいるなぁと感じます。ましてや、怒りや苛立ち、焦りなどもマイナスの感情だから、とそういうことを感じる自分をダメだと思う人も多いです。

私も以前はそう感じていました。でも、そうではないことを最近すごく実感するので、最後の挨拶に、感情にマイナスもプラスもないのだということについてお話しすることにしました。 イライラや不安、自分への自信のなさなど抱えているとすごくしんどいです。

大人になっても、私はこれらに振り回されることがよくあります。ただ、以前と違うのは、そういう感情を持ってもいいか、と思えることです。大切なのは、なかったことや無視しないこと。その自分をそのまま受け止めて、できるなら、話しやすい人に、腹が立ったんだとか、不安なんだ、自信がないんだとか話してみてください。

話すときのポイントは、怒りのままにぶつけたり、腹が立った対象について話さないこと。「私はこういうことで腹が立つと思った」「不安に感じた」とか、自分が感じた感情として話すと、自分も落ち着くし、受け入れてもらえます。すると、その感情は嫌なものではなくて、素直な自分の気持ちを受け止めてもらえるきっかけとなります。

心を開いて自分の気持ちを言うと、否定されたときに立ち直れないかも、と思うと怖くて出来ないかもしれないですが、繕った自分でいるよりは、ずっと良いと思います。本当の自分では受け入れられない、と思いながら過ごすよりは伝えてみて欲しいと思います。

少なくとも、思い切って話せた自分に対して自信のかけらみたいなものが付くと思います。もちろん、できるだけ、聴く人も否定とかコメントなどせずにただ聞いてあげてください。 お互いに否定せずに、そういう気持ちでいたんだな、そういう考え方なんだなと受け止めあえたら、大きな力になりますし、大きな安心感をもてます。

そのための一歩として、自分の感情をそのまま受け止めて、誰かに話してみて欲しいと思います。案外、聞いた方も、自分だけじゃなかった、と安心したりするかもしれません。 以上です。 自分自身の感情の認証、お互いに認証し合う関係を築くこと、とか、先日の夜学に通じることが多いなぁと思いました。

という文章をお送りしていること自体が、私の認証欲求なのでしょうか?(笑) これから仕事で夜学に行けなくなるのが残念です…。 私にとって、カーク船長のお話は目から鱗だったり、自分の考えの再確認になったり、非常に大切な視点を与えてくださいます。ありがとうございます。

カークのコメント
本当にそのとおりだ思います。

そして
不幸にして自分の認証欲求が受け入られなくとも構わないのです。

他者に表現できたということで自分が自分に認証を与えたわけです。
posted by 変才冨田 at 09:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 認め合うということ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月17日

使命としての仕事選び 4

前回書いたこと

さて、仕事を選ぶ条件は
1 安定しているか(公務員や大企業)
2 社会的に必要とされる有資格を取る
ということがこれまでの選ぶ基準であったでしょう。

けれど、この二つはもはや事実上瓦解しています。

博士になっておきながらワーキングプアになっている状況です。
有資格が良いということで多くの人が資格を取った結果、過剰供給になっています。
公務員指向も多いですが部署によってはブラック企業家しています。
ましてや大企業の社員さんはもはや文化的生活さえのぞめない長時間労働です。

こういう時代において幸せな人生を生き抜くにはどうすればよいのでしょうか。

1 お金に対する考え方を変える
2 社会貢献できる仕事を選ぶ
3 社会貢献が好き、という自己改造する

以上のことを提唱します。

それができるためには
これまでの価値観全体を根こそぎ変える必要がありそうです。

1はお金信仰(拝金主義)の洗脳を解かねばならないでしょうし
2は社会貢献で衣食住を得なければいけないでしょう。
そして
社会貢献で文化的生活をいとなむことも

終了

この観点でこれから書いていきます。

仕事は社会貢献で選ぶ。

むろん皆さんの現在の仕事も社会的なものなので貢献はしています。

けれども多くの仕事は貢献している相手が見えません。

やりがいが欲しいという意識は目の前の同僚や上司に貢献することに飛びつきます。

それがブラックな働きをしてしまう理由にもなっています。



どのようにこれからの仕事を選べばよいでしょうか?

企業に勤める、という思い込みを棄てることです。

起業しかありません。

けれど起業して貧困化するのは得策ではないですね。

また起業の中身も問題ですし、そもそも起業するというやむにやまれぬ突き上げてくる欲求の無い人は
起業してはいけません。

そういう欲求は徐々に温めていき、沸騰点に達するように学んでいきます。

そもそも起業は世の中の問題解決という視点がないと意味のないものです。

起業の中身とはそういことです。

それがないと仕事の内燃機関が乏しいので気持ちが冷えてくるものです。

続く





posted by 変才冨田 at 10:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 認め合うということ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月15日

使命としての仕事選び 4


野生動物の心象風景はどうなっているか。

おそらく、いつも食べ物のイメージを持っている。肉食動物ならシマウマなどのイメージがいtも渦巻いている。
繁殖期になればメスのイメージが頭から離れないだろう。

捕食活動(食欲)に生殖活動(性欲)に睡眠欲求などの三大欲求からのイメージで突き動かされているはずだ。

なんだ、これなら自分たちと同じではないか、そう思いませんか。

野生動物と人間の違いは、これら三大欲求にいろいろとデコレーションしている。

装飾音符付なのだ。

どういったデコレーションが付いているか。

動物は投げ捨てられたパンでも食べるけれど、人間は食べない。

手で食べないで箸やスプーン、お皿などで食べます。

その前には煮たり、焼いたり、蒸したり、切り分けたりします。

けれど飢えの極限にさらされれば食べる。これは人間が維持できなくなって動物になったからだ。

このデコレーションを聖書では「人はパンのみにて生きるにあらず」といっています。

性欲もそうですね。

単なる交尾ではなく恋愛とかの手続きを必要とします。

それを抜きにしてお手軽に性風俗店に通う男性もいますが、まだパンだけで生きている姿です。

箸やお皿、ふかふかのお布団や愛と言うものは全て「パン以外のもの」ですね。

それらを一括して文化といいますよね。

人間は文化的動物なのです。

「生きがい」とはこの文化活動を指します。

人が他者を助けるのも「文化」なのです。

これら広い意味での文化活動が足りなくなると、人は悩むのです。

火性で生じた人と言う動物は火性20点満点です。そして洗練されていません。
完全な利己主義で生きています。

20点満点というたくましさがこれからの生きる力になっています。

土性での過程で育てられることで徐々に人間になっていきます。
「おしめ」などは最初に接する文化でしょう。
なにが「快」で、なにが「不快」なのかを区別できるようになります。

文化とは人を次元の高い「快」に導く。

文化に接すると人は高い次元に導かれる。

人間とは動物のようにパンを必要とするけれど、パンを求める行為の内部にパン以外のものを発見し、創造しようとする。

そういう活動を阻害されると人間は疎外された感覚となり鬱にもなるし病気にもなる。

逆に云えばそういう症状になるのは、それだけ人間的活動を希求しているからにほかならない。

眠る時間まで削りそのほかは全て搾取的労働に強いられている人は、そういう症状で抗議している。

そういう意味では鬱も病気も広い意味での文化的抗議なのでしょうね。

こうした我々人間の本質を活かす仕事こそが必要です。

その仕事は安全なものではないのです。
続く






posted by 変才冨田 at 16:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 認め合うということ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月13日

感謝について

感謝は伝えなければいけないものなのでしょうか。

伝えないといけません!

特に奥様に伝えることは必須です。

もう一つは社長であれば社員に感謝は必須!

僕はこれを怠っていたのです。


では、相手に感謝を求めるのはどうでしょうか。

感謝を求めてはいけません。

どうして感謝を求めたくなるのでしょうか。

それはあなたが過剰な親切をしたからです。

過剰は努力を伴い辛いですね。

その辛さを解消するには相手に感謝される以外にありません。

俺を愛せよという男は愛されないように

感謝してください、という人も感謝されません。

エゴギョウでいえば

木が土より低いからです。

判断力が「過剰な親切」にストップをかけるのですが、

その力がないために土性の情が引っ張って過剰を生み出してしまいます。

もう一つは水性の「良い人に見られたい、褒められたい」という他者依存の生き方が相手に感謝を求めることもあります。

すんなり自然にできることであれば感謝されようがされまいが気にならないでしょう。

無理しているから求めてしまうのです。


posted by 変才冨田 at 22:38| Comment(1) | TrackBack(0) | 認め合うということ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月02日

使命としての仕事選び 3

つまり、今後の激動の時代においては仕事に安定性を求めてはいけないと覚悟することです。

同時に未来に対しても安定を求めてはいけないのです。

とはいえ人は(動物は)常に不安定ゆえに安定を求めるのは自然なことです。

不安定は活きている証であるし、だからこそ不安定にこそ生きがいなどが潜んでいます。

うかつにも安定に入ってしまったらそれを破る勇気が必要です。

さて、仕事を選ぶ条件は
1 安定しているか(公務員や大企業)
2 社会的に必要とされる有資格を取る
ということがこれまでの選ぶ基準であったでしょう。

けれど、この二つはもはや事実上瓦解しています。

博士になっておきながらワーキングプアになっている状況です。
有資格が良いということで多くの人が資格を取った結果、過剰供給になっています。
公務員指向も多いですが部署によってはブラック企業家しています。
ましてや大企業の社員さんはもはや文化的生活さえのぞめない長時間労働です。

こういう時代において幸せな人生を生き抜くにはどうすればよいのでしょうか。

1 お金に対する考え方を変える
2 社会貢献できる仕事を選ぶ
3 社会貢献が好き、という自己改造する

以上のことを提唱します。

それができるためには
これまでの価値観全体を根こそぎ変える必要がありそうです。

1はお金信仰(拝金主義)の洗脳を解かねばならないでしょうし
2は社会貢献で衣食住を得なければいけないでしょう。
そして
社会貢献で文化的生活をいとなむことも

posted by 変才冨田 at 15:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 認め合うということ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月01日

他者と繋がる言葉 人は認証されたい

人の心を汲むとはどういうことだろう。

その前に心の基本的特性を考えなければそれを汲むことはできないだろう。

心は先ず「生きたい」と欲求している。

そして

集団的生活を営む人の心は次に
つながりたいと欲求する。

人の悩みとはこうしたところから生まれるものだ。

つながりたいのにその仕方がわからないのだ。

ある漫画に興味深いものがあった。


離婚した男性を対象にしたセミナーがある。

そこでは三つの言葉をみんなで唱和する。

1 なにか手伝えることはない?

2 いつもありがとう。

3 ごめんね、君にばかり苦労をかけるね。

みんなこれが非常に言いにくいようで

講師が
「これがみんな云えなくて離婚する羽目になったのでしょうが!」

これを云われた女性は「自分の心を汲んでくれた」と実感するわけですね。



これは脳の他者認証力がどれだけあるかっていうことですね。


さて、これは一年前の今日書いたブログです。

この三つの言葉が言えるためには
他者への観察力にかかっています。

自分にはなんの値打ちもないのに(これ必要です)
こんなに自分を支えてくれているという観察です。

posted by 変才冨田 at 20:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 認め合うということ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月26日

魅力的な人があなたのそばにいますか? 3  2月の東京セミナーの内容について

つまり、あなたの周辺にいる人を見ているのはあなたなので、あなたのフィルター越しで人を見ているわけです。
そのあなたが持っているフィルターにこそあなたの外界を見る癖があるわけです。

つまり、あなたが見ている外界とは外界そのものを見ているわけでなく、あなたが着色、変形させたものを見ているわけです。

したがって、あなたの見え方こそがあなたそのものだと言えるわけです。

判断とは見たようにしか判断できない。

判断力とはあなたの観る力なのです。



腹立たしい人ばかりが周辺にいる?

あなたの眼差しや価値観がとても狭いからなのです。

見方を変えれば「腹立たしい人々」はたちまち面白い興味深い人たちに変化しますよ。

私を害する人たちという視点がダメなのです。

害されるという私がいるのです。

私に拘っているからいつまで経っても害する人がいるのです。

相手方に自分のまなざしを移せば、もはやあなたはいないので腹も立ちません。

自分から離れることが自分のフィルターを捨てる方法なのです。

そういう意味ではエゴギョウの「相手になりきり回答」はいろんな視点を与えてくれます。

東京での17,18,19日のセミナーはエゴギョウのこうした課題をすることになっています。

posted by 変才冨田 at 14:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 認め合うということ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月25日

魅力的な人があなたのそばにいますか? 2

さて、魅力のある人と感じるのはあなた自身ですね。

魅力な人が単独で存在しているわけでなく、誰かが感じて発見するわけです。

周辺に魅力的な人がたくさんいらっしゃるという場合は、その人たちを感じて発見するあなたがいるわけです。


魅力的な人が周辺にいないという場合は、あなたにそれを発見する感性がないということです。


それどころか「嫌な人だらけ」という場合は、厭なところを発見する感性があなたにあるわけです。

そういう場合はあなたが周囲から「嫌な人」になっているのです。


これは「幸せな人は幸せなことを見つける能力がある人のこと」という構図と似ていますね。








posted by 変才冨田 at 21:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 認め合うということ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月24日

魅力的な人があなたのそばにいますか? 1

何人くらいあなたの身近な人で魅力的な人がいるでしょう。

一人もいませんか?

もしもそうなら、あなたが魅力がないのです。

あなたの周囲に魅力的な人が多いなら、あなたの魅力もすごいものです。

どうしてそう言えるのでしょうか?

考えてみましょう。

posted by 変才冨田 at 18:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 認め合うということ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月04日

良かったことの中身を観察すると見えてくる恐ろしいもの 笑

1日の終わりに3つの良かった事を日記に書き留めるというものが1日の認証ワークです。

この作業は深い意味があります。

良かったことの中身によっては

苦しみの原因になるものが隠れています。

この作業は「幸せは幸せを見つける能力が決定している」ということなので、
この能力を培う為にします。

けれどもこれはほんの序章です。

21日間これを続けると心理的には積極性が生まれてきます。

そして、この21日間の良かったことリストを眺めてみます。

自分は「何を良かったことにした」のかを点検するのです。

場合によっては恐ろしいことを発見することになります。
posted by 変才冨田 at 22:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 認め合うということ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月02日

1日の認証ワークの気づき

床に着く前に
今日良かったこと3つ書きます。
これは、「幸せな人は幸せを見つける能力を持っている」
ということを確認するためのワークです。
家族でやればもっと良いですね。

そんなシーンのレポートですよ。

あけましておめでとうございます(happy)(streamers)
先生、今年もよろしくお願いします❣️
ワークをしっかりして、たくさん気づいて、2017年もこの地球という遊園地で、めいいっぱい遊んでいこう思います❣️

私「子供も同じですよー」

今、子どもと一緒にこないだの宿題してます(笑)❤️
今日、良かったこと3つ教えあいっこを息子2人と3人で、布団入った時にしてます(sparkling eyes)(red heart)(red heart)

私「おおおお〜〜、それは素晴らしい遺産になりますよ。」

なんか、子どもたちが、いうことは、なかなか感動です〜

よかったことが、思いつかなかった中で、ふりしぼって出してくれたことが、
「かーちゃんが、いてくれたから、ありがとう❣️」とかって、言ってくれたりして、ほっこりします❤️

私「おお〜〜、気づきだね〜
それこそが、このワークの目的なんですよ‼️当たり前の凄さに気づくんよね〜」

ほんとに
幸せに気づける能力が、あるかどうかですよねっ(sparkling eyes)
posted by 変才冨田 at 23:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 認め合うということ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月28日

「自分の存在意義を証明しないといけない」という病が拡がっている、現代という病。

50代男性の相談
「朝起きて台所に行くと冷蔵庫が荒らされていて、床やテーブルにお菓子袋が散乱している。どうも自分が夜中に起きてやった行為だが覚えていません。これを治したい」

それから
「13時10分から20分ころに食べないでおこうと思っていても空腹では眠れないのでついついお菓子を食べてしまいます。食べればなんとか眠れますが、我慢して食べないでおくとずっと眠れないのです」

彼は仕事に忙殺されており食事をろくに取れないまま気づいたら食事時間をとうに過ぎています。
会社に行く時間も惜しいので自宅勤務をお願いしているけれども、それでも時間が足りません。
会社はもう一人人を付けましょう、といってくれている状況です。

わたし「まず、仕事のその状況を改善しないといけないですね。それはどうなっていますか?」
彼「探していますが、雑穀に詳しく目利きできる人でないと勤まりませんから・・・」

わたし「・・・、そういう人が見つかったとして、あなたはその人に仕事を任せることができますか?」
募集する人材に最初から高い壁を突きつけているのは、無意識に代わりの人が来ることを拒んでいるのですね。

さて、改善の方法は
現在の脳の緊急事態感覚を解除する必要があります。
低血糖症候群になっており血糖値が一日で乱高下しています。
お昼は低血糖状態で焦りの時間帯、夜は補うためにお菓子で急激な高血糖です。

食べるべきときに食べていないのは
脳からみれば「現在の状況は食べ物口にできない環境に居る。チャンスがあればいくらでも食べておかねばならない」
言語が通じない脳幹や動物脳の辺縁系は「仕事だから仕方がない」とは解釈しません。
飢える状況に自分は存在しているという感覚です。
脳を安心させてあげることが第一課題です。

きっちり三食同じ時間帯でご飯を食べること。
時間になれば玄米お結びを一個確実に食べること。
これで悩みは解消されますが、もっと根が深い問題があるのです。


続く

posted by 変才冨田 at 16:57| Comment(2) | TrackBack(0) | 認め合うということ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月12日

足楽です輪の感想と認証の意味

おはようございます!
無事に品物は届きました。ありがとうございます。
代金は必ず期日内に振り込みさせていただきます。

さて、昨日仕事から帰って、早速使い始めました。
これは旧製品とは別物ですね!
先生のブログで、小指の認証の重要性を読んでから、古くなって伸びていたいた旧製品を全指に巻いていました。最近仕事(塗装業)での履物を地下足袋にしたこともあり、大分足指を使えているつもりでいたんですが、新製品をつけた瞬間の、足指が地面に吸い付く感じは全くの別次元!
驚きました。

夜、寝ていても、自分の骨格のしっかり感を感じるのはちょっと初めての、面白い感覚でした。
安物の工具を、プロ仕様の堅牢なものに持ち替えた感じ。
今日以降、実際に動いてみての変化が楽しみです。
また何かあれば報告させていただきます。
本当にありがとうございました!

コメント
前のバージョンと比べて次元が違います。
全ての指を認証すると全てが違ってきます。

同様に全ての自己や他者を認証する力はどれほどのものになるでしょうか

2016/11/09 10:46 "冨田哲秀" :
posted by 変才冨田 at 09:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 認め合うということ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月04日

エゴギョウによるカウンセリング術 意味づけの意味

トミー先生いつもありがとう〜〜
夜学の内容で好きな事と苦手でイヤな事が表裏一体っていうの何人かと一緒にやってみたらその通りでびっくり〜〜‼️
ただ項目書くんじゃなくて何が好き⁉️とか何が嫌いって理由もわかるとホント繋がりやすかったよん〜
すごいね〜面白いー
好きな事は意味付けや眼差しのデザインか出来てて
苦手でイヤな事は意味付けがなくて眼差しのデザインが出来てないだけだ〜〜って思ったよん〜
意味付け大切さがすごいわかったし、意味付けないアドバイスが意味ないってよくわかったよん〜〜ありがとう😊


コメント
「今を生きる」ことができれば人生大成功です。

そのためには「意味づけ」が必要なのです。
posted by 変才冨田 at 14:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 認め合うということ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

わたしたちはジャッジメントをなぜするのだろう 2

周辺の人々への裁きを習慣化している人々は、逆に裁きが本当に必要なことをしません。

戦争法案や、今差し迫っている緊急性のあるTPP法案に対して「裁き」をしようともしません。

これこそが「あなたの運命に関与」している事柄です。

日本の国が形を変えようとしている今現在に無関心なのです。

視野を拡大することと主体的に生きることは表裏の関係なのです。

自分を包み込む全体のどこまでを視野に捉えられるかはあなたの「活き方」に関係します。

周辺の人々をジャッジメントしている間に、日本丸という船はあなたの運命を根こそぎ運んでいるのです。

自分の「生き方に無関係」な他者を裁いてはいけません。

あなたの運命を根こそぎ変える国の「生き方」そのものを裁くところです。

では自分に大きく関係する家族に対してはどうなのか。

裁いてよいのか?

続く









posted by 変才冨田 at 10:37| Comment(1) | TrackBack(0) | 認め合うということ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする