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2017年03月29日

認証について 土曜日の夜学に通じる話!

カーク船長、こんにちは。 先日の夜学の、人は認証を求めている、というお話すごく面白かったです。

その帰りに、一緒にいた方にはお話ししたのですが、ちょうど、最後の挨拶の内容に近いなぁと思いました。 以下、その話した内容です。(長文ですみません)

不安や心配、自信がないことなどはマイナスの感情として出してはいけないのだと思っている人がたくさんいるなぁと感じます。ましてや、怒りや苛立ち、焦りなどもマイナスの感情だから、とそういうことを感じる自分をダメだと思う人も多いです。

私も以前はそう感じていました。でも、そうではないことを最近すごく実感するので、最後の挨拶に、感情にマイナスもプラスもないのだということについてお話しすることにしました。 イライラや不安、自分への自信のなさなど抱えているとすごくしんどいです。

大人になっても、私はこれらに振り回されることがよくあります。ただ、以前と違うのは、そういう感情を持ってもいいか、と思えることです。大切なのは、なかったことや無視しないこと。その自分をそのまま受け止めて、できるなら、話しやすい人に、腹が立ったんだとか、不安なんだ、自信がないんだとか話してみてください。

話すときのポイントは、怒りのままにぶつけたり、腹が立った対象について話さないこと。「私はこういうことで腹が立つと思った」「不安に感じた」とか、自分が感じた感情として話すと、自分も落ち着くし、受け入れてもらえます。すると、その感情は嫌なものではなくて、素直な自分の気持ちを受け止めてもらえるきっかけとなります。

心を開いて自分の気持ちを言うと、否定されたときに立ち直れないかも、と思うと怖くて出来ないかもしれないですが、繕った自分でいるよりは、ずっと良いと思います。本当の自分では受け入れられない、と思いながら過ごすよりは伝えてみて欲しいと思います。

少なくとも、思い切って話せた自分に対して自信のかけらみたいなものが付くと思います。もちろん、できるだけ、聴く人も否定とかコメントなどせずにただ聞いてあげてください。 お互いに否定せずに、そういう気持ちでいたんだな、そういう考え方なんだなと受け止めあえたら、大きな力になりますし、大きな安心感をもてます。

そのための一歩として、自分の感情をそのまま受け止めて、誰かに話してみて欲しいと思います。案外、聞いた方も、自分だけじゃなかった、と安心したりするかもしれません。 以上です。 自分自身の感情の認証、お互いに認証し合う関係を築くこと、とか、先日の夜学に通じることが多いなぁと思いました。

という文章をお送りしていること自体が、私の認証欲求なのでしょうか?(笑) これから仕事で夜学に行けなくなるのが残念です…。 私にとって、カーク船長のお話は目から鱗だったり、自分の考えの再確認になったり、非常に大切な視点を与えてくださいます。ありがとうございます。

カークのコメント
本当にそのとおりだ思います。

そして
不幸にして自分の認証欲求が受け入られなくとも構わないのです。

他者に表現できたということで自分が自分に認証を与えたわけです。
posted by 変才冨田 at 09:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 認め合うということ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月17日

使命としての仕事選び 4

前回書いたこと

さて、仕事を選ぶ条件は
1 安定しているか(公務員や大企業)
2 社会的に必要とされる有資格を取る
ということがこれまでの選ぶ基準であったでしょう。

けれど、この二つはもはや事実上瓦解しています。

博士になっておきながらワーキングプアになっている状況です。
有資格が良いということで多くの人が資格を取った結果、過剰供給になっています。
公務員指向も多いですが部署によってはブラック企業家しています。
ましてや大企業の社員さんはもはや文化的生活さえのぞめない長時間労働です。

こういう時代において幸せな人生を生き抜くにはどうすればよいのでしょうか。

1 お金に対する考え方を変える
2 社会貢献できる仕事を選ぶ
3 社会貢献が好き、という自己改造する

以上のことを提唱します。

それができるためには
これまでの価値観全体を根こそぎ変える必要がありそうです。

1はお金信仰(拝金主義)の洗脳を解かねばならないでしょうし
2は社会貢献で衣食住を得なければいけないでしょう。
そして
社会貢献で文化的生活をいとなむことも

終了

この観点でこれから書いていきます。

仕事は社会貢献で選ぶ。

むろん皆さんの現在の仕事も社会的なものなので貢献はしています。

けれども多くの仕事は貢献している相手が見えません。

やりがいが欲しいという意識は目の前の同僚や上司に貢献することに飛びつきます。

それがブラックな働きをしてしまう理由にもなっています。



どのようにこれからの仕事を選べばよいでしょうか?

企業に勤める、という思い込みを棄てることです。

起業しかありません。

けれど起業して貧困化するのは得策ではないですね。

また起業の中身も問題ですし、そもそも起業するというやむにやまれぬ突き上げてくる欲求の無い人は
起業してはいけません。

そういう欲求は徐々に温めていき、沸騰点に達するように学んでいきます。

そもそも起業は世の中の問題解決という視点がないと意味のないものです。

起業の中身とはそういことです。

それがないと仕事の内燃機関が乏しいので気持ちが冷えてくるものです。

続く





posted by 変才冨田 at 10:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 認め合うということ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月15日

使命としての仕事選び 4


野生動物の心象風景はどうなっているか。

おそらく、いつも食べ物のイメージを持っている。肉食動物ならシマウマなどのイメージがいtも渦巻いている。
繁殖期になればメスのイメージが頭から離れないだろう。

捕食活動(食欲)に生殖活動(性欲)に睡眠欲求などの三大欲求からのイメージで突き動かされているはずだ。

なんだ、これなら自分たちと同じではないか、そう思いませんか。

野生動物と人間の違いは、これら三大欲求にいろいろとデコレーションしている。

装飾音符付なのだ。

どういったデコレーションが付いているか。

動物は投げ捨てられたパンでも食べるけれど、人間は食べない。

手で食べないで箸やスプーン、お皿などで食べます。

その前には煮たり、焼いたり、蒸したり、切り分けたりします。

けれど飢えの極限にさらされれば食べる。これは人間が維持できなくなって動物になったからだ。

このデコレーションを聖書では「人はパンのみにて生きるにあらず」といっています。

性欲もそうですね。

単なる交尾ではなく恋愛とかの手続きを必要とします。

それを抜きにしてお手軽に性風俗店に通う男性もいますが、まだパンだけで生きている姿です。

箸やお皿、ふかふかのお布団や愛と言うものは全て「パン以外のもの」ですね。

それらを一括して文化といいますよね。

人間は文化的動物なのです。

「生きがい」とはこの文化活動を指します。

人が他者を助けるのも「文化」なのです。

これら広い意味での文化活動が足りなくなると、人は悩むのです。

火性で生じた人と言う動物は火性20点満点です。そして洗練されていません。
完全な利己主義で生きています。

20点満点というたくましさがこれからの生きる力になっています。

土性での過程で育てられることで徐々に人間になっていきます。
「おしめ」などは最初に接する文化でしょう。
なにが「快」で、なにが「不快」なのかを区別できるようになります。

文化とは人を次元の高い「快」に導く。

文化に接すると人は高い次元に導かれる。

人間とは動物のようにパンを必要とするけれど、パンを求める行為の内部にパン以外のものを発見し、創造しようとする。

そういう活動を阻害されると人間は疎外された感覚となり鬱にもなるし病気にもなる。

逆に云えばそういう症状になるのは、それだけ人間的活動を希求しているからにほかならない。

眠る時間まで削りそのほかは全て搾取的労働に強いられている人は、そういう症状で抗議している。

そういう意味では鬱も病気も広い意味での文化的抗議なのでしょうね。

こうした我々人間の本質を活かす仕事こそが必要です。

その仕事は安全なものではないのです。
続く






posted by 変才冨田 at 16:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 認め合うということ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月13日

感謝について

感謝は伝えなければいけないものなのでしょうか。

伝えないといけません!

特に奥様に伝えることは必須です。

もう一つは社長であれば社員に感謝は必須!

僕はこれを怠っていたのです。


では、相手に感謝を求めるのはどうでしょうか。

感謝を求めてはいけません。

どうして感謝を求めたくなるのでしょうか。

それはあなたが過剰な親切をしたからです。

過剰は努力を伴い辛いですね。

その辛さを解消するには相手に感謝される以外にありません。

俺を愛せよという男は愛されないように

感謝してください、という人も感謝されません。

エゴギョウでいえば

木が土より低いからです。

判断力が「過剰な親切」にストップをかけるのですが、

その力がないために土性の情が引っ張って過剰を生み出してしまいます。

もう一つは水性の「良い人に見られたい、褒められたい」という他者依存の生き方が相手に感謝を求めることもあります。

すんなり自然にできることであれば感謝されようがされまいが気にならないでしょう。

無理しているから求めてしまうのです。


posted by 変才冨田 at 22:38| Comment(1) | TrackBack(0) | 認め合うということ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月02日

使命としての仕事選び 3

つまり、今後の激動の時代においては仕事に安定性を求めてはいけないと覚悟することです。

同時に未来に対しても安定を求めてはいけないのです。

とはいえ人は(動物は)常に不安定ゆえに安定を求めるのは自然なことです。

不安定は活きている証であるし、だからこそ不安定にこそ生きがいなどが潜んでいます。

うかつにも安定に入ってしまったらそれを破る勇気が必要です。

さて、仕事を選ぶ条件は
1 安定しているか(公務員や大企業)
2 社会的に必要とされる有資格を取る
ということがこれまでの選ぶ基準であったでしょう。

けれど、この二つはもはや事実上瓦解しています。

博士になっておきながらワーキングプアになっている状況です。
有資格が良いということで多くの人が資格を取った結果、過剰供給になっています。
公務員指向も多いですが部署によってはブラック企業家しています。
ましてや大企業の社員さんはもはや文化的生活さえのぞめない長時間労働です。

こういう時代において幸せな人生を生き抜くにはどうすればよいのでしょうか。

1 お金に対する考え方を変える
2 社会貢献できる仕事を選ぶ
3 社会貢献が好き、という自己改造する

以上のことを提唱します。

それができるためには
これまでの価値観全体を根こそぎ変える必要がありそうです。

1はお金信仰(拝金主義)の洗脳を解かねばならないでしょうし
2は社会貢献で衣食住を得なければいけないでしょう。
そして
社会貢献で文化的生活をいとなむことも

posted by 変才冨田 at 15:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 認め合うということ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月01日

他者と繋がる言葉 人は認証されたい

人の心を汲むとはどういうことだろう。

その前に心の基本的特性を考えなければそれを汲むことはできないだろう。

心は先ず「生きたい」と欲求している。

そして

集団的生活を営む人の心は次に
つながりたいと欲求する。

人の悩みとはこうしたところから生まれるものだ。

つながりたいのにその仕方がわからないのだ。

ある漫画に興味深いものがあった。


離婚した男性を対象にしたセミナーがある。

そこでは三つの言葉をみんなで唱和する。

1 なにか手伝えることはない?

2 いつもありがとう。

3 ごめんね、君にばかり苦労をかけるね。

みんなこれが非常に言いにくいようで

講師が
「これがみんな云えなくて離婚する羽目になったのでしょうが!」

これを云われた女性は「自分の心を汲んでくれた」と実感するわけですね。



これは脳の他者認証力がどれだけあるかっていうことですね。


さて、これは一年前の今日書いたブログです。

この三つの言葉が言えるためには
他者への観察力にかかっています。

自分にはなんの値打ちもないのに(これ必要です)
こんなに自分を支えてくれているという観察です。

posted by 変才冨田 at 20:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 認め合うということ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月26日

魅力的な人があなたのそばにいますか? 3  2月の東京セミナーの内容について

つまり、あなたの周辺にいる人を見ているのはあなたなので、あなたのフィルター越しで人を見ているわけです。
そのあなたが持っているフィルターにこそあなたの外界を見る癖があるわけです。

つまり、あなたが見ている外界とは外界そのものを見ているわけでなく、あなたが着色、変形させたものを見ているわけです。

したがって、あなたの見え方こそがあなたそのものだと言えるわけです。

判断とは見たようにしか判断できない。

判断力とはあなたの観る力なのです。



腹立たしい人ばかりが周辺にいる?

あなたの眼差しや価値観がとても狭いからなのです。

見方を変えれば「腹立たしい人々」はたちまち面白い興味深い人たちに変化しますよ。

私を害する人たちという視点がダメなのです。

害されるという私がいるのです。

私に拘っているからいつまで経っても害する人がいるのです。

相手方に自分のまなざしを移せば、もはやあなたはいないので腹も立ちません。

自分から離れることが自分のフィルターを捨てる方法なのです。

そういう意味ではエゴギョウの「相手になりきり回答」はいろんな視点を与えてくれます。

東京での17,18,19日のセミナーはエゴギョウのこうした課題をすることになっています。

posted by 変才冨田 at 14:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 認め合うということ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月25日

魅力的な人があなたのそばにいますか? 2

さて、魅力のある人と感じるのはあなた自身ですね。

魅力な人が単独で存在しているわけでなく、誰かが感じて発見するわけです。

周辺に魅力的な人がたくさんいらっしゃるという場合は、その人たちを感じて発見するあなたがいるわけです。


魅力的な人が周辺にいないという場合は、あなたにそれを発見する感性がないということです。


それどころか「嫌な人だらけ」という場合は、厭なところを発見する感性があなたにあるわけです。

そういう場合はあなたが周囲から「嫌な人」になっているのです。


これは「幸せな人は幸せなことを見つける能力がある人のこと」という構図と似ていますね。








posted by 変才冨田 at 21:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 認め合うということ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月24日

魅力的な人があなたのそばにいますか? 1

何人くらいあなたの身近な人で魅力的な人がいるでしょう。

一人もいませんか?

もしもそうなら、あなたが魅力がないのです。

あなたの周囲に魅力的な人が多いなら、あなたの魅力もすごいものです。

どうしてそう言えるのでしょうか?

考えてみましょう。

posted by 変才冨田 at 18:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 認め合うということ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月04日

良かったことの中身を観察すると見えてくる恐ろしいもの 笑

1日の終わりに3つの良かった事を日記に書き留めるというものが1日の認証ワークです。

この作業は深い意味があります。

良かったことの中身によっては

苦しみの原因になるものが隠れています。

この作業は「幸せは幸せを見つける能力が決定している」ということなので、
この能力を培う為にします。

けれどもこれはほんの序章です。

21日間これを続けると心理的には積極性が生まれてきます。

そして、この21日間の良かったことリストを眺めてみます。

自分は「何を良かったことにした」のかを点検するのです。

場合によっては恐ろしいことを発見することになります。
posted by 変才冨田 at 22:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 認め合うということ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月02日

1日の認証ワークの気づき

床に着く前に
今日良かったこと3つ書きます。
これは、「幸せな人は幸せを見つける能力を持っている」
ということを確認するためのワークです。
家族でやればもっと良いですね。

そんなシーンのレポートですよ。

あけましておめでとうございます(happy)(streamers)
先生、今年もよろしくお願いします❣️
ワークをしっかりして、たくさん気づいて、2017年もこの地球という遊園地で、めいいっぱい遊んでいこう思います❣️

私「子供も同じですよー」

今、子どもと一緒にこないだの宿題してます(笑)❤️
今日、良かったこと3つ教えあいっこを息子2人と3人で、布団入った時にしてます(sparkling eyes)(red heart)(red heart)

私「おおおお〜〜、それは素晴らしい遺産になりますよ。」

なんか、子どもたちが、いうことは、なかなか感動です〜

よかったことが、思いつかなかった中で、ふりしぼって出してくれたことが、
「かーちゃんが、いてくれたから、ありがとう❣️」とかって、言ってくれたりして、ほっこりします❤️

私「おお〜〜、気づきだね〜
それこそが、このワークの目的なんですよ‼️当たり前の凄さに気づくんよね〜」

ほんとに
幸せに気づける能力が、あるかどうかですよねっ(sparkling eyes)
posted by 変才冨田 at 23:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 認め合うということ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月28日

「自分の存在意義を証明しないといけない」という病が拡がっている、現代という病。

50代男性の相談
「朝起きて台所に行くと冷蔵庫が荒らされていて、床やテーブルにお菓子袋が散乱している。どうも自分が夜中に起きてやった行為だが覚えていません。これを治したい」

それから
「13時10分から20分ころに食べないでおこうと思っていても空腹では眠れないのでついついお菓子を食べてしまいます。食べればなんとか眠れますが、我慢して食べないでおくとずっと眠れないのです」

彼は仕事に忙殺されており食事をろくに取れないまま気づいたら食事時間をとうに過ぎています。
会社に行く時間も惜しいので自宅勤務をお願いしているけれども、それでも時間が足りません。
会社はもう一人人を付けましょう、といってくれている状況です。

わたし「まず、仕事のその状況を改善しないといけないですね。それはどうなっていますか?」
彼「探していますが、雑穀に詳しく目利きできる人でないと勤まりませんから・・・」

わたし「・・・、そういう人が見つかったとして、あなたはその人に仕事を任せることができますか?」
募集する人材に最初から高い壁を突きつけているのは、無意識に代わりの人が来ることを拒んでいるのですね。

さて、改善の方法は
現在の脳の緊急事態感覚を解除する必要があります。
低血糖症候群になっており血糖値が一日で乱高下しています。
お昼は低血糖状態で焦りの時間帯、夜は補うためにお菓子で急激な高血糖です。

食べるべきときに食べていないのは
脳からみれば「現在の状況は食べ物口にできない環境に居る。チャンスがあればいくらでも食べておかねばならない」
言語が通じない脳幹や動物脳の辺縁系は「仕事だから仕方がない」とは解釈しません。
飢える状況に自分は存在しているという感覚です。
脳を安心させてあげることが第一課題です。

きっちり三食同じ時間帯でご飯を食べること。
時間になれば玄米お結びを一個確実に食べること。
これで悩みは解消されますが、もっと根が深い問題があるのです。


続く

posted by 変才冨田 at 16:57| Comment(2) | TrackBack(0) | 認め合うということ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月12日

足楽です輪の感想と認証の意味

おはようございます!
無事に品物は届きました。ありがとうございます。
代金は必ず期日内に振り込みさせていただきます。

さて、昨日仕事から帰って、早速使い始めました。
これは旧製品とは別物ですね!
先生のブログで、小指の認証の重要性を読んでから、古くなって伸びていたいた旧製品を全指に巻いていました。最近仕事(塗装業)での履物を地下足袋にしたこともあり、大分足指を使えているつもりでいたんですが、新製品をつけた瞬間の、足指が地面に吸い付く感じは全くの別次元!
驚きました。

夜、寝ていても、自分の骨格のしっかり感を感じるのはちょっと初めての、面白い感覚でした。
安物の工具を、プロ仕様の堅牢なものに持ち替えた感じ。
今日以降、実際に動いてみての変化が楽しみです。
また何かあれば報告させていただきます。
本当にありがとうございました!

コメント
前のバージョンと比べて次元が違います。
全ての指を認証すると全てが違ってきます。

同様に全ての自己や他者を認証する力はどれほどのものになるでしょうか

2016/11/09 10:46 "冨田哲秀" :
posted by 変才冨田 at 09:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 認め合うということ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月04日

エゴギョウによるカウンセリング術 意味づけの意味

トミー先生いつもありがとう〜〜
夜学の内容で好きな事と苦手でイヤな事が表裏一体っていうの何人かと一緒にやってみたらその通りでびっくり〜〜‼️
ただ項目書くんじゃなくて何が好き⁉️とか何が嫌いって理由もわかるとホント繋がりやすかったよん〜
すごいね〜面白いー
好きな事は意味付けや眼差しのデザインか出来てて
苦手でイヤな事は意味付けがなくて眼差しのデザインが出来てないだけだ〜〜って思ったよん〜
意味付け大切さがすごいわかったし、意味付けないアドバイスが意味ないってよくわかったよん〜〜ありがとう😊


コメント
「今を生きる」ことができれば人生大成功です。

そのためには「意味づけ」が必要なのです。
posted by 変才冨田 at 14:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 認め合うということ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

わたしたちはジャッジメントをなぜするのだろう 2

周辺の人々への裁きを習慣化している人々は、逆に裁きが本当に必要なことをしません。

戦争法案や、今差し迫っている緊急性のあるTPP法案に対して「裁き」をしようともしません。

これこそが「あなたの運命に関与」している事柄です。

日本の国が形を変えようとしている今現在に無関心なのです。

視野を拡大することと主体的に生きることは表裏の関係なのです。

自分を包み込む全体のどこまでを視野に捉えられるかはあなたの「活き方」に関係します。

周辺の人々をジャッジメントしている間に、日本丸という船はあなたの運命を根こそぎ運んでいるのです。

自分の「生き方に無関係」な他者を裁いてはいけません。

あなたの運命を根こそぎ変える国の「生き方」そのものを裁くところです。

では自分に大きく関係する家族に対してはどうなのか。

裁いてよいのか?

続く









posted by 変才冨田 at 10:37| Comment(1) | TrackBack(0) | 認め合うということ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月03日

わたしたちはジャッジメントをなぜするのだろう

「人を裁いてはならない」

そうあろうとしても、いつしか会話の中でも心の中でもひとを裁いています。

ジャッジメントが必要ななこともあります。

それは自分の運命に関するときです。

選挙や政治的課題に直面したときです。

ジャッジメントしてはいけないシーンとは、自分が関係していないときです。

いわゆるゴシップもそうですね。

近所づきあいや職場での人間関係もそうです。

誰がなにをしようが、自分のこととは無関係であれば一切の裁きをしてはいけません。

その時間は無駄です。浪費的な時間です。

ジャッジメントをなぜするのだろうか?

その問いかけの解答は、ジャッジメントする人とは「主体的に生きていない」ということからくるのです。

自分とは無関係のことがらに首を突っ込んで「あれはいけない、これは良い」とみんなで裁くのです。

「随所作主」という意味についてこれまでに書いてきました。

いつでも、どこでもあなたは自分の人生の主人公であらねばならない、という意味です。

自分の目の前の課題に主体的に取り組んでいる人々は、自分の活き方と無関係なことには首を突っ込まないのです。

暇な人々こそが「他者を裁く」のです。

それは人生の課題を見失った人たちです。

首を突っ込んで裁いたところで、あなたがその人の取った行動に対して責任を取るわけでもありません。

人は自分の取った行動に最終的にその人自身が責任を取るのです。

その人自身が今の自分の課題に向き合って取った行動を他者は裁けないのです。

裁けないことなのに裁くことに時間を取っていること、それが人生の浪費ということです。

それでも裁きたくなるのは、自分が自分に課している制限や禁止を他者が破っているとき黙っていられなくなるのです。

実はその制限や禁止をほかならぬ自分自身が邪魔に感じているのです。

破りたいことをやっている人を見ると自由に見えてうらやましくなるのです。

「そんなことをしていると、いつか報いがくるわよ」
と言ってあげたいわけですが、報いがくるのは他者ですからあなたには無関係なのです。
他者への忠告という名の裁きをやってはいけません。

みんな自分の課題に向き合っているのです。他者が何を見てどう取り組もうとしているかはその人たちの課題なのです。

自分とは関係のないトラブルに首を突っ込むことで、かえって他者のトラブルを大きくして
やがてはあなた自身がその余波を受けるのです。

すでに大切な取り返しようのない時間を浪費してしまっています。

自分の課題に一心不乱に取り組むには「随所作主」の徹底した主体性が必要です。

人は裁かれるのがとても嫌です。

裁かれることにビクビク恐れているのです。
裁いている人の顔は気持ちよく晴れやかです。
自分も裁かれることを恐れているので、逆に裁くことは勝利者心理を誘発して
自信ありげな顔つきになります。

そんなことに自信を持ったところで時間の無駄です。












posted by 変才冨田 at 20:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 認め合うということ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月29日

販売とは何か 3

販売とは買う人の主体性に沿って黒子のように居るものです。

販売者とは、その人が本当に欲しいものを気づくように援助するものです。

気付いた結果、それがあなたの売る商品ではないこともあり得るのです。

自動車を売る人は当然自動車を売りたいわけですが、対話した結果、

その人が「本当は自転車が欲しかった」のだと気づいた時には自転車を売ればよいのです。

その人が自分の真の欲求に気づくための援助ができたので、それは成功だったのです。

主体的な欲求に気づかせることが本当の仕事なのです。

ですから、自分の売っているものに執着してはいけません。

相手はきっとあなたに感謝するはずです。

その人が自分の真の欲求に気づくことはすごいことなのです。

販売とは誰かを背負うことに似ているかもしれません。

背負った時にその居心地の悪さにお互いが感じて、お互いの身体をゆすって

安定点を探すはずです。

それは身体の対話というものです。

そのような対話を続けることで、お互いが安心できる着地点へ向かうのです。

それが販売というものです。

そういう風に考えると、人間関係のトラブルとは相手の欲求を認めないこと、それは主体的な自由を拘束しあうから生まれるものと思えます。
posted by 変才冨田 at 00:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 認め合うということ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月27日

販売とは何か 2

問題は買う気が100を超えているのに表現しない人が一定数います。

テスト・クロージングというのはそういうときのためにあるわけです。

もちろんよく観察しておけばそういうことは判断できるようになるので、

修練を積んでいる人は何も言わずにそっと契約書とボール・ペンを差し出して

ここに書いてくださいね、というだけです。


さて、テスト・クロージングというのは買い気のバロメーターを測るためにあるのであって

テスト・クロージングのつもりで勧めてしまう人がいます。

間違っています。

それはクロージングであってテストではありません。

何かモノを買うという行為は100パーセント主体的なものですから、あなたがコントロールしてはいけないのです。

そういうやり方はバブルのときのやり方であって、今は通用しません。

通用させてもいけません。

セールス業界において「ポジティブ思考」というのは積極的に勧めるという方向に作用させるために言われていたことです。

アメリカ人はポジティブに考える人種だと思われていますが、それは大量生産で売りさばく必要が生じて生まれた自己啓発法だったのです。

ですから、1900年代から「ポジティブシンキング」の必要性が説かれたのです。

「ポジティブシンキング」とは商業主義から生まれたのです。

それが個人の生き方論にまで延長されたということです。


ところで皆さんは「ポジティブな言動」をする人と共感性を持ちやすいですか?

それとも「ネガティブな言動」の人と共感しやすいですか?

posted by 変才冨田 at 15:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 認め合うということ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

販売とは何か 1

販売の本質は買う人の側にある。

売る人は買う人が「買う」と言って初めて販売者になれる。

魚に泳ぐ能力があると考えている人は

販売する人が存在してその後に買う人が生まれると思い込んでいるわけです。

そう考えている人は販売には「努力」が必要だと考えるのです。

「努力」は「無理」と表裏ですね。

本当は水に魚を泳がせる能力があるのです。

もしも水がジェルのような粘液質ならつかれてしまって泳げなくなります。


したがって、買う人が水のようであればスイスイ買っていただけるわけです。

売る人は買う人を水にすれば良いのです。

販売が難しいものと感じている人は周辺がジェルだという思い込みをしているのです。

そういうわけで、無理して泳いでいます。

買う気のバロメーターが80の人は20の隙間があるのです。

その隙間を強引な力で埋めようとして、買わされたという思いを相手に植え付けてしまいます。

買うという行為は100パーセントその人の主体性で決まるということを腑に落とさねばならないでしょうね。

その気が100になれば勝手に買うのです。

相手が「それはどうやって買えるのですか?」と訊かれた時に販売者が初めて生まれます。

その気になるまで待てば良いのです。

売ってはいけません‼️

勧めてもいけません‼️

じゃあどうやって営業をするの?

続く


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2016年10月18日

なぜソレをしますか?

ある男性です。

しいたけと切り干し大根のスープを数か月奥様につくっていただき飲用していました。

その甲斐あって高脂血症の数値がずいぶんよくなったのです。

医師に「もう少しで正常になるので血液サラサラの薬出しておきましょう!」

その男性は薬を飲み始め、無くなったらクリニックに行って貰ってきます。

それを知った家族は「・・・」


さて、この男性はスープを飲む意味づけもなかったし、薬を飲む意味づけもありません。

奥様にスープを出されたから飲む、医師に言われたから呑む。

この男性を笑うことはできません。

わたしたちは、一日の大半の行動に意味づけないまま過ごしています。

刺激→感覚・感情が動く→反応

最後の→に意味づけをしましょう。

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2016年10月02日

食べ物の認証体験レポート4 7号食を始める前の儀式 (セミナーの中でお話しされていた「好きな食べ物を一口後に小指の先ほどの玄米を一口200回咀嚼×3回、もう一度最初に口にした食べ物を食べてみる」) を実行してみました。

ライ麦パンで、してみました。今、食べました。 最初食べたより、塩辛く感じました。 でも美味しくは思いました。 一瞬、アルコールの味がした気がしますが、酵母の味? しばらくして、舌の右端がちょっとぴりぴり。

コメント
パンは意外と塩がたくさん入っています。安物でなかったから嫌味はなかったのでしょうが、舌が鋭い!
posted by 変才冨田 at 11:13| Comment(1) | TrackBack(0) | 認め合うということ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月04日

仕事の本質 3  本能的欲求と自己犠牲の関係

コメントがありました。
>KFさん
>
>自分のことばかり考えているのは欠乏マインド、それは分かります。
>
>だけど、いくつか疑問にぶつかります。
>他に貢献するように働くことと、自分の健康を維持することのバランス。
>
>好きなことをして、まずは、自分が幸せに生きなければ、周囲のだれも幸せではない(幸せにできない)のじゃないの?ということです。
>その根底に、他のためにもなるということが、入って来ているのでしょうかね。
>エゴギョウを螺旋的に上昇するものと考えるといいのかなあ〜。
>いつも難しく思います。
>過敏性大腸症候群の子のお母さんが、自分の幸せを第一に考えるようになったら、子どもも治ってきたようです(高校生です)。
>
>自分の幸せをどこに位置づけるかということでしょうか。
>
>わかんない〜。
>
回答
根底、元に在るのは「自己」です。
赤ちゃんは「自己」主張してお母さんを振り回します。
究極の利己主義者ですね。
僕は「赤ちゃん」が大嫌いです。
僕は「赤ちゃんにならくて良かった」とほっとしているところです (笑)

さて、この利己主義者である赤ちゃんに睡眠時間まで妨害されて振り回されているお母さんのことを例にとってみます。

ただ、例としてはあまり相応しくないのです。
というのは「我が子」は延長された自己でもあるからですね。
けれど第一段階の説明としては適当です。

さて、
お母さんは大変な苦労をしています。
けれど「苦労が楽しい」という状態です。

自分でも満足しているわけです。
問題ないですね。
苦労が少しも楽しくならない、そういう状況で虐待が発生しますよね。

そうなる原因にお母さんの欠乏マインドがあります。
これが大きいと自己犠牲と感じるのです。
我慢せねばということになりますから、毎日が不機嫌になります。


恋愛は自己犠牲の練習になります。
満足な恋愛をすると子供を産む資格が与えられ
自己犠牲が楽しくなるのです。

さて、あなたが難しく感じるのは
自分を満足させたいという本能的欲求と高次な心の働きの関係だと思います。
これは次回



posted by 変才冨田 at 14:21| Comment(1) | TrackBack(0) | 認め合うということ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月03日

仕事の本質 2 夢のほとんどは妄想

先ごろ笑点の司会役になった春風亭昇太師匠の言葉です。
IMG_2060[1].JPG
「師匠、幸せになるにはどうしたらいいですかね」
「まず自分が幸せになろうと思ってる時点で無理だよ」
的をついていますね。

動機付けのセミナーなどで自分の夢の実現ばかりイメージしている時点でアウトなんです。
「夢」というのは大半が利己的なもので、そういうのは夢とは云わないで妄想といいます。

あるセミナー風景
講師「皆さんの欲しいものを紙に書いてください」
生徒「ベンツ、別荘、豪邸・・・」
講師「それらのカタログももらってきてトイレや台所洗面台のかがみなどに貼って潜在意識に焼き付けます」

もはやこれは渇望を刺激して妄想を育てています。
こんなセミナーをやっている人がいるんだ・・・。

「夢」は多くの人に役立つことが「夢」の資格であって自分のことばかり考えているのは欠乏マインドに急き立てられているのです。
それを「妄想」といいます。

posted by 変才冨田 at 23:16| Comment(1) | TrackBack(0) | 認め合うということ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

仕事の本質 1

仕事の本質とは人の役に立つことです。

役に立つことで自尊感情が生まれます。

自分の役に立つことばかりしていると、やがては息切れしてきます。

利己主義は疲れるのです。

先日パチンコ屋さんに入ってトイレを借りました。

無表情にパチンコ台やパチスロ台に見入る人たちを見ました。

みんな疲れた顔をしています。

決して楽しい顔には見えません。

誰の役にも立っていないからです。

焼き場に集う人たちの方が晴れやかな顔つきをしています。

先に逝った人が残される人たちを励ましたからです。

人は死ぬという真実を逝く人は残る人たちに教えたのです。

晴れやかな顔になったのは、これからの生き方をみんな考えるからです。

残された時間をしっかりと生きようとの想いが顔に出るのです。

仕事の本質とは誰かの役に立つことで自己存在の意味を強化することです。

シンプルな仕事はお百姓さんたちがやっています。

自分の育てた農産物で多くの人を生かしています。

生命を生み出す仕事は農作地なのですね。

これが全ての仕事が始まる原因です。

収穫物を運ぶ運転手、トラックをつくる会社、トラックが走る道路をつくる、それらを都市で販売する会社、全て命を運んでいます。

収穫物を買って料理する飲食店や主婦。命を再生する仕事です。

全て命の役に立っている仕事です。

田畑で命に関する仕事が生まれ多様な仕事が生まれています。

パチンコ屋やその中で逼塞(ひっそく)する人たちは
人の役に立つといういのちに関する仕事の輪廻から外されたかのようです。

毎朝パチンコ屋の前で疲れた顔の人々が並んでいます。
かれらこそが本当のワーキング・プアといいます。
posted by 変才冨田 at 21:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 認め合うということ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年07月28日

厭なことでも好きになる実例

好きな仕事でなくとも好きになる、という実例


http://kids.kobun.co.jp/yumemodel/kiji/0707.html

ホタル博士のお話を読んでください。

累代ホタルを増やしていらっしゃいます。

東京では板橋、関西では宇治植物園で見ることができます。

ホタル博士が直接つくった施設なんだそうです。

博士は大変きつい腰痛ですが「足楽です輪」で杖を使わなくてもよくなったそうです。

爪楊枝治療の仕方も教えておいたのでもっと良くなるでしょう。

(その後に「姿美人」をプレゼントしました)

さて

一生懸命ホタルを繁殖させていたところに、いきなりその施設にブルドーザーが入りメチャクチャに壊されてしまった。

ホタル博士は泣きじゃくりながらドロ土の中から生きているホタルを探し求めた。

すると一筋の光が泥土の中からすーっと上がりふっと消えた。

ホタルは生きたいと願っていると博士は感じました。

博士は心のなかで叫びました。

「俺は一生を賭けてお前たちを守るゾ!」

そうやって先生が手がけた施設は関西では宇治植物園、東京では板橋です。

最初はホタルが嫌いだったそうです。

それはおばあちゃんに

ホタルの光→亡くなった人の魂→霊 と教えられ気味が悪かったそうです。

業務命令で仕方なくホタルの繁殖を手がけ→ライス・ワーク

やっているうちにホタルが好きになった→ライク・ワーク

一生を賭けて守るぞ→ライフ・ワーク

見事に三段活用になっていますね。

ライフ・ワークとは「やむにやまれぬ」気持ちが起爆剤です。

意図的、意識的に考えているうちはライフ・ワークは成立しません。
ホタル博士の三段活用にライフワークの見つけ方があるようです。

どのような仕事もつまらないものはなく、ただあなたと仕事のかかわり方なのですね。

仕事がつまらない、そう思っているあなたこそが「つまらない人」になっているだけなのです。

物事は深くかかわるほど(それがたとえ意に染まぬものであったとしても)

その関係性こそがやがてライクワークへと進み始める。

「生みの親より育ての親」こそが愛情が深いものということも同じです。



その後、板橋のホタル園もブルドーザーが入って壊されました。

板橋の行政の責任者(おそらく区長)は安易に「板橋区にもなにか名所があれば・・・」くらいに考えて
始めたことなのでしょう。

けれど、命を扱うことは区長の狭い意識を凌駕してしまったのです。

ホタルが嫌いであった阿部さんもその命の輝きに魅せられたのです。

彼の一種の狂気は区長の意志を大きくはずれて「ホラル命」で動き出したのです。

それが、最後の歯かいでした。



posted by 変才冨田 at 18:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 認め合うということ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年07月27日

感じる力 2

エゴギョウにおいて感じる力の指標は火性にある。

この得点が14点以上であれば感じる力はある。

この火性の感じる力にもいろいろあって、土台は身体を感じる力だ。

あなたはどれくらい自分の身体を感じているだろう。

感じる力があればほとんどの病気は未病の段階で気づかれいち早く対策にかかれるだろう。

血液や尿検査の結果で気づくのはもはや手遅れなのであろう。

以下のことをやってみて欲しい。

左足の裏側だけを無作為に爪楊枝のとがったところでツンツンやってみます。

まんべんなくやればいいのですが、特に指の付け根も念入りにやって欲しい。

指の先の柔らかい部分も、内外のくるぶしの周辺もぐるっとやって欲しい。

最後にアキレス腱の内外側もやりましょう。

その後で立ち上がって両足裏の感覚が段違いに違うことを確認してください。

刺激のなかった右足裏は左に比べて遠い存在になっているはずだ。

刺激がないだけで感じられないということだ。

自分を感じるとはこういうことです。

続く

この記事のカテゴリーは「認め合うということ」となっているのは

先ずは他者認証や自分の心を認証する前に自分の身体を認証することが優先されるからです。
posted by 変才冨田 at 22:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 認め合うということ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月10日

あなたにプレゼント



わたしは時々この仕事をやめたいと思うのです。

けれど、辞めることの難しさを考えると「しかたないなー、続けないとしょうがないのか・・・」

などとあきらめるのです。

前回書いた内容なのですが


人間は場を「与えられ」なければ力を振うことはできないでしょう。

でも、本当は場は与えられるものでなく自らの力で獲得するものなのです。

人という動物としてはいきなり生まれおちて場を得るわけですが

それから育てられて、教育されて、次は人間として生きていく場を獲得しなければいけないのです。

その場のそばに他者の場があり、立体パズルのようにして「私」の場と「他者の場」が噛みこみ合っています。

その場からふっと抜けられることは難しいのです。

難しいほどにそれはあなたの確固たる場なのです。

あなたがいなくなると多くの人の場の力が弱まってしまうのです。

簡単に抜けられるような場であれば、もともとあなたはそこでは力を発揮できていなかったという証拠でもあるのです。

あなたが力が振えるような「場」をつくりましょう。

場のない人は力が発揮できないので「無力」です。鬱にもなってしまうのです。

ここまでが前回です。

つながりというもの

簡単に断てるようなものであれば

それはすでにほころびがあるのです。

離婚できる人は、もともとゆるーいつながりなのです。

そのゆるさは善悪ではないです。

緊密な関係がいいといっているわけではありません。

簡単に仕事がやめられないわけは

自己と仕事が同一化しているからです。

さて

自己の力をふるうには

自己を仕事へと拡大しなければなりません。

その方法は「関わる」ことです。

関わるとはつながるという言葉と同義語です。

主体的にソレに向かって発言し、自らの手を加えることです。

自らの手が加わってソレに変化を与えると、その変化があなたにも向かってきて

あなたを変化させます。

つながりとは双方向なのです。

ストーカーは一方的ですからつながったことにはならないのですね。

マイナスのつながりです。

相互に影響を与え合う関係がプラスのつながりなのですね。

いつまでもソレに評論家的、傍観者的な態度では

あなたが成長しないのです。

いろんな人や事に出会っても「あの人はつまらない人、つまらない仕事」

といっている間は

あなた自身がつまらない人、状態なのです。

やる気になれない原因を社会や仕事、他者に求めているあなたは

あなた自身が他者の足をひっぱり、やる気にさせていないのです。

動機を外に求めるのではなく

あなた自身を原因にしないといけません。
posted by 変才冨田 at 21:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 認め合うということ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月25日

なぜ結婚が必要なのか

最近は、いやずっとそうなんですが

不倫問題がマスコミでもにぎわっています。

乙武さんまで、ということで「ブルータスよ、お前もか・・・」と女性のつぶやきが聞こえてきます。

では浮気をしたという彼らは最初からそのつもりであったのかというと、もちろんそうではないのです。

プロポーズしたときは永遠の愛が続くはずと思ったことでしょう。

その愛の誓いは嘘ではなかったのです。

けれど、全ては変化するというのがこの世の掟ですから愛も変化します。

不倫は文化だと言ったタレントさんがいましたけれど、本当にそうなんのですね。

ところで「不倫」という文字は倫理道徳という意味ですね。

「愛」は関係ないのですね。

社会的な約束事を破ったという意味ですから、愛が破たんしたというわけではないのです。

さて、不倫問題の本質とはなんでしょう。

それと「なぜ結婚する必要があるのか」という問いかけは関連しています。

続く



posted by 変才冨田 at 00:12| Comment(1) | TrackBack(0) | 認め合うということ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月23日

マイナス発想の原因は自分へのつまらない肯定が原因になっている2

腑に落ちました。

「人は全体としてつながっていますから自分だけついていることを願うのは現実的ではないでしょう。 全体の運命が部分の運命を決するので、個々人は社会の動きを注視すべきでしょう。」ということと

「自己啓発セミナーなどの欠陥は運命というものをあまりにも個人だけの動機に重きをおきすぎだと私は批判します」ということは納得です。

自己中な欲望だけに終始するセミナーや自己啓発本は、 逆に暗い感じがし、 幸福な感じがしないのは社会の全体性を見ていないからなんですね。

もっと言えば、地球環境の中で生きているということを忘れていたら、本当は少しも嬉しくないということなのでしょうか。

生きるとか、幸福とか、成功とかは、長さや量ではないということなのかなあと思います。 部分は、自分の身体から、口に入れるもの一つ一つが社会の方向性につながっているということを時には考えたいと思います。

コメント
全体を観るまなざしと部分の正確に見るまなざしの統合こそが求められています。
posted by 変才冨田 at 23:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 認め合うということ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月07日

「しない」から場を持てず、場がないから力を振るえず、振るえないから力を育てられない 自分の住所番地を得ることは他者への認証しかない

以下は2012年の記事です。


わたしは時々この仕事をやめたいと思うのです。

けれど、辞めることの難しさを考えると「しかたないなー、続けないとしょうがないのか・・・」

などとあきらめるのです。

前回書いた内容なのですが


人間は場を「与えられ」なければ力を振うことはできないでしょう。

でも、本当は場は与えられるものでなく自らの力で獲得するものなのです。

人という動物としてはいきなり生まれおちて場を得るわけですが

それから育てられて、教育されて、次は人間として生きていく場を獲得しなければいけないのです。

その場のそばに他者の場があり、立体パズルのようにして「私」の場と「他者の場」が噛みこみ合っています。

その場からふっと抜けられることは難しいのです。

難しいほどにそれはあなたの確固たる場なのです。

あなたがいなくなると多くの人の場の力が弱まってしまうのです。

簡単に抜けられるような場であれば、もともとあなたはそこでは力を発揮できていなかったという証拠でもあるのです。

あなたが力が振えるような「場」をつくりましょう。

場のない人は力が発揮できないので「無力」です。鬱にもなってしまうのです。

ここまでが前回です。

つながりというもの

簡単に断てるようなものであれば

それはすでにほころびがあるのです。

離婚できる人は、もともとゆるーいつながりなのです。

そのゆるさは善悪ではないです。

緊密な関係がいいといっているわけではありません。

簡単に仕事がやめられないわけは

自己と仕事が同一化しているからです。

さて

自己の力をふるうには

自己を仕事へと拡大しなければなりません。

その方法は「関わる」ことです。

関わるとはつながるという言葉と同義語です。

主体的にソレに向かって発言し、自らの手を加えることです。

自らの手が加わってソレに変化を与えると、その変化があなたにも向かってきて

あなたを変化させます。

つながりとは双方向なのです。

ストーカーは一方的ですからつながったことにはならないのですね。

マイナスのつながりです。

相互に影響を与え合う関係がプラスのつながりなのですね。

いつまでもソレに評論家的、傍観者的な態度では

あなたが成長しないのです。

いろんな人や事に出会っても「あの人はつまらない人、つまらない仕事」

といっている間は

あなた自身がつまらない人、状態なのです。

やる気になれない原因を社会や仕事、他者に求めているあなたは

あなた自身が他者の足をひっぱり、やる気にさせていないのです。

動機を外に求めるのではなく

あなた自身を原因にしないといけません。
posted by 変才冨田 at 21:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 認め合うということ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする