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2016年01月01日

宇宙の夕暮れ時の渚にて

全てには終わりがある。

始まったものには終わる宿命がある。

終わらないものは何もない。

その終わりの背後には始まったものが必ずある。

枯葉を落とした枝を見なさい
新芽が枯葉を追い落としたのだ

始まりは必ずある。

始まりのないものは何もない。

始まりと終わりは宇宙から見れば同時だ。

あなたが大切にしてきたものとは必ず別れる。
あなたが執着したものはゴミ屑だと判るときがくる

そんなことはないと考えるのは執着なのだ。

全てに終わりがあるというのは、実はあなたが必ず死ぬということがあるからだ。

全てのいのちは文字通り「必死」で生きているのだ。

「必死」だから生きていられるのだ。

今、宇宙の果ての渚に打ち上げられたばかりの貝殻のように佇んでいるあなた!

夕暮れの渚はもうじき暗闇になるけれど

再び曙光が射して 
新たな始まりが始まる

今年一年も最善を尽くそう

この葉のように落ちて汚れてしまった彼も必死で生きたのだ
IMG_1297[1].JPG



posted by 変才冨田 at 00:27| Comment(0) | TrackBack(0) | いのちについて | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月27日

違いが判断できるようになったのは凄いですよ。

年の瀬も迫り、玄米菜食とは程遠い生活になってきました。
一度、二度と続けて砂糖、小麦粉を多く使った料理を食べると、
また食べたい!という気持ちが強くなり、
中々抜け出しにくくなりました。

美味しく、有名なパン屋でパンを購入し、
2日連続で朝食をパン食にしたら、2日とも
頭は痛い、ダルい、何かをする気力がわかない状態になりました。
昔はパンを食べても感じませんでしたが、7号食をきっかけに気がつくことができたのかなと思います。

また、飲み会も続き、食生活が完全に乱れてきて、
体重も2週間で2キロ増えてきた頃から
尿も便もとても臭い!
生理がちょうどきたら、経血も臭い!
肉、小麦粉、砂糖、乳製品摂取するだけで、
こうも臭いも体調も違うのかと思い、ゾッとしました。

外食は食べてる間は美味しいなあと思いますが
家で玄米を食べると美味しいと感じるうえに
なんだか身体がほっと落ち着きます。
やはり身体が求めているのは玄米なんですね。

今日から1.5日甘酒生活をして、
年末年始は極力玄米生活して、
身体を少しずつ戻していこうと思います。

コメント
以前であれば困ったことなのに困ったことと判断できなかったはずです。

「尿も便もとても臭い!
生理がちょうどきたら、経血も臭い!
肉、小麦粉、砂糖、乳製品摂取するだけで、
こうも臭いも体調も違うのかと思い、ゾッとしました」

以上のことは以前なら「あたり前」だったはずですね。

posted by 変才冨田 at 22:59| Comment(0) | TrackBack(0) | いのちについて | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年05月22日

癌の対処と生き方

乳がんの相談がありました。

それも一日で二件。

乳がんは確かに増えている・・・。

「転移はしていないけれど全摘出しましょう。そうでなければ放射線と抗癌剤で」

という医師の判断なのだそうです。

この時、本人に正しい判断が求められるわけですが、患者側には判断する材料を持ち合わせていないことが多いわけです。

なにもしなければどうなるか・・・。

そのあたりのことを医師に訊く患者は少ない。

また訊いたとしてもそれだけでは正しい判断をするには不十分です。

自分で調べるというような生きるエネルギーの少ない人は自分の命を他者に任せることになる。

こうしたことは日常にあります。

自分が判断しないといけないことを人に判断を委ねます。

委ねた結果うまくなければ人のせいにします。

原因を人のせいにする人は生きるエネルギーがそもそも低い。
posted by 変才冨田 at 22:23| Comment(2) | TrackBack(0) | いのちについて | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年02月23日

ええー! 子供ができちゃった

せんじつから就職などの相談を受けていたカップルですが

そのことで、彼らを紹介した友人に電話したところ

「それがねー、ビックリの急展開でー、赤ちゃんが彼女にできたの」

わたし「あー、よかったねー、彼にあかちゃんができたらびっくりだからねー」

彼女「そうじゃなくって><」

上記のようなことはけっこうよくあることですね。


そういうことで「できちゃった婚」になるのですが・・・。

わたしは「できちゃった婚」は理想的な流れではないかと思うのです。

なぜそう思うのでしょうか。
posted by 変才冨田 at 14:19| Comment(0) | TrackBack(0) | いのちについて | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月24日

滞在時間はわずかなのだから

人の一生は短い。

列車から降りて、次の列車を待っているわずかな時間。

それが人生。


たまたまホームで出会った人たち

それが縁というもの。

わずかばかりの会話を残して

それぞれが次の列車に乗り込んでゆくものだ。


だからこそ魂に触れる会話をしよう。
posted by 変才冨田 at 22:42| Comment(0) | TrackBack(0) | いのちについて | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月28日

飼っている金魚が死んだらどうする?4

キリスト教の葬儀にはお通夜がありませんし

火葬が翌日であれば棺はひっそりと置かれ、人はみな帰ります。

驚いて問うと

「遺体にはすでに彼はいません。天に召されているのですから、これは単なる亡骸です」

遺体は文字通り抜け殻、物体であるという認識ですね。

アメリカ流のプラグマティズムになるとさらに徹底して

金魚は生ごみかトイレで流すのは当たり前ということになります。


日本でも似たようなことがありますね。

保険所で殺処分した犬や猫の遺骸はどうなるのでしょう。

焼いて埋葬さえしないようですね。

行政がそんなことにお金を使うとなにを云われるかわからないですね。

骨粉業者がやってきて`5円なんだそうです。

再利用するということなんですね。

どこへ行って誰がそれを食べることになるのでしょうね。

商売ということになるとどの国、民族を問わずドライになります。

「いのちの尊厳」など古語ですね。

posted by 変才冨田 at 21:54| Comment(1) | TrackBack(0) | いのちについて | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月19日

ギャンブル中毒の君へ2

無明の世界にいるのはなにも君だけじゃないのです。

わたしも無明で生きているのです。

君よりは少し周囲が明るいだけなのです。


ギャンブルやアルコール中毒だけでなく

ありとあらゆる中毒に罹っている人々はみんな無明の世界にいるのです。

最も多いのはお金中毒でしょうか、それとも差別中毒でしょうか・・・。

ゲーム中毒でしょうか、引きこもりという中毒でしょうか・・・。

嫉妬や怒りや嘆きや・・・、感情に追い回されている感情中毒患者でしょうか。


どの中毒であれ、あることに気づかないという特徴があります。

当たり前のことに気づかないという不思議な頭になっているのが中毒患者なのです。


その当たり前のこと、それが北斗七星にあたる当たり前の言葉なのです。



posted by 変才冨田 at 01:41| Comment(0) | TrackBack(0) | いのちについて | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月18日

ギャンブル中毒の君へ

君は、いったい自分がなにをしているのがわからないことでしょう。

ギャンブル中毒でなくとも

中毒と名のつくことを無心(心にないこと)にしている人は

みんな、自分がなにをしているのかがわからないのです。


仏教では「無明」という言葉があります。

視界が明るくないのです。暗い所で棲んでいて周囲がどうなっているのかもわからないのです。


あなたは「無明」という場所で生きているのです。

その場所は人によっては暗闇であったり、少しほの明るさがあたっりもします。

でも遠くが見えないので一体じぶんがどこにいるのか自覚できないのです。


でも、そういう「無明の世界」から脱出できる言葉があります。

北斗七星のように、それを観れば自分がどこへ向かっているのかがわかる言葉です。

続く



posted by 変才冨田 at 15:28| Comment(0) | TrackBack(0) | いのちについて | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月03日

文化活動を開始します


気分の良い時間をみんなで過ごしましょうということです。


幸せは苦労してつくりあげるもの。

そうやって気分の良いじかんをたくさんつくることなのです。


経済活動ばかり、つまり生存する事だけに生きるのは「カタワ」です。

会社も同様で経済活動のみの会社は「カタワ」です。


経済活動の余剰は文化活動に転化させてこそ

人という経済的動物から人間への道だと思うのです。

これから

コーラスだけでなく

マジック倶楽部、健康体操クラブ、ドラム教室、読書会や朗読会、ピアノ、囲碁など

多彩な活動をしますので



コーラスは他者との深い場所でのコミュニュケーションが成立します。

他者の息遣いや声を聴いて、自らの息や声を調整します。

その結果、空間に織り成されたハーモニーは気持ちの良いものです。

コーラスの醍醐味は歌声の厚みを体験する事にあります。


希望者はどうぞ!

実験的にこのブログは閉鎖しましたが

うまくいったので

明日から永久に閉鎖になります。

まだID、パスワードをもらっていない方は

http://www.shunki.com/contact.html

ここでお問合せメールでお申し込みください。









posted by 変才冨田 at 19:49| Comment(2) | TrackBack(0) | いのちについて | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月27日

声診断

その人はメンデルスゾーンの「歌の翼に」を歌いました。

きれいな声で、聞き入ってしまいました。

でも、その人の苦手である客観化はクリアされていません。

次に

今習いに通っている「お謡い」を謡っていただきました。

なんと見事にクリアーされていたレインボーボイスになっています。

そのまま続けるとどうなるかを聞いてみると、さらに強化されています。

「お謡い」は抑揚のあまりない平坦で淡々としたもので、

非常に瞑想的です。

客観化とは「我から離れて、我を忘れる」という状態です。

この女性は「お謡い」を謡うことで瞑想できて

苦手な客観化という課題をクリアーできたのです。

その響きは確かにその場の空気をを神聖なものに一気に変えてしまう力がありました。

このように声はその人のすべての情報を知っているようです。



posted by 変才冨田 at 20:57| Comment(0) | いのちについて | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月23日

好奇心→光輝神

「あなたは好奇心の旺盛さで失敗してきたのでしょう」

そういわれてきた人が書き下ろしをしてもらったら

好奇心は光輝神への道だからと書いてあったそうです。

彼女は感涙したそうです。

なるほど!

子どもは神様といわれるゆえんは好奇心があるからです。

その好奇心が沈滞した世界に活気を与えるのです。

好奇心が豊かな人は豊かなインナーチャイルドが息づいているのです。

神寄心ともいえます。

神に近づく心ですね。
posted by 変才冨田 at 21:19| Comment(0) | いのちについて | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月08日

これからは楽しい事するねん

長年連れ添ったご主人を亡くされた奥さんがそういいました。

ところがなにかしている様子はありません。

つまり

楽しい事をしてこなかった人は

今後もできないのです。

楽しむ事ができる能力はもともと無かったわけです。


なにかをできるという能力よりも

なんでも楽しめる能力こそが

本当の能力のある人なのです。
posted by 変才冨田 at 20:54| Comment(0) | いのちについて | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月21日

意識と心1

意識、精神、心、魂・・・、こうしたものの判別は数年前に試みたことがあり、今でもその判別はおおむね正しいと思っています。

心は内臓から出発し、精神は背中側から出発する。
この二つの潮流は頭という先端で合流し、渦を巻き脳になる。

その渦巻きの最先端で前頭葉が出現し、そこから社会的脳としての前頭葉に言語が生まれる。

前頭葉で言語が生まれ、この単語の並び方が意識というものを生み出す。

内臓とは静止する植物性由来であり食と性の相がある。この変転が心を生み出す。
精神とは移動する動物のいわば「心」であり、どこへどのような構えで向かうかという姿勢のありようを精神という。

まっすぐに立つのは体壁系としての背中側が担っているのだが
我々の根源は内臓にあるので、内臓に支えられなければ正しくまっすぐに立つこともできないし、どこへ向かって進むのかさえわからない。

このことは重心軸が正しくなったときのみお腹の中心に力が入り、その結果体壁系の運動がスムーズになることからわかる。
力の入れ方が楽になり、しかも力が入り易くなる。
(このあたりは重心調整用インソールをお使いの方はわかるでしょう)

精神は内臓の食と性の相に指示され(あそこに餌がある、あそこに素敵なメスがいる)、それを実現するためにある。
頭とは内臓神経と運動神経が交流して渦を巻いている現場であり
、そこで交流し精神は方角がわかるというものである。

ある心構え、姿勢を持つ精神が目標を実現させるために他者との協同を学びその結果として言語、つまり意識が生まれた。

意識とは社会的な脳なのである。

こうしたことを平たく言えば
内臓で食欲と性欲が生まれ、それを実現するために内臓を食と異性の居る場所へ連れて行く役割を持つものが体壁から分化した手足です。





posted by 変才冨田 at 02:49| Comment(0) | TrackBack(0) | いのちについて | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月18日

いのちについて20

みなさんは
生の先に死があるとお考えでしょうか?

生の終着点が死でしょうか?

実はそうではありません。

生死は表裏ですから
今このときも私は死んでいます。
今このときも私は生きています。

これからはやっと生死の弁証法について考えてみたいと思います。
そのことがわかると病気の積極的な意味がわかってくるのです。
posted by 変才冨田 at 00:11| Comment(0) | TrackBack(0) | いのちについて | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする