玄米を食べ続けて50年
マクロビオティックの創始者・桜沢如一先生が、提唱した半断食法「七号食」を何度も実践した結果、「未精製の穀物(玄米・古代米・雑穀米)を好きなだけ食べても7号食と同じ効果が得られる」事を発見、『トミタ式七号食』の普及に努めています。

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2007年12月28日

連載6 癌 完全なる治癒

また、以前と変わらない生活に戻った私は相変わらずの生活をしていました。

ある日、仕事中目がかすかにしか見えなくなり、背中から頭に向かって電気が走るようにビリビリビリーと、仕事中椅子に座って電話で話していても何だかジッとしていられず、むずむずとして単純作業がイライラして出来なくなり、頭の中で黄色信号がみえて「何だかこれは大変かも」となぜか?上司に相談しました。
すると名医だと言う鍼の先生を紹介してもらいそこへ、行きました。

○鍼灸院の○先生は女性の先生です。鍼灸は気持ちのいいものだとばかり思い、治療を始めるとこと6時間使い捨ての鍼を前も後ろも、頭から足の先まで何百本もの鍼をうち全ての鍼にもぐさを付けて火を付け、最後は背中に剣山の様な(見たことはないので)鍼がたくさんついたものを、背中に刺し血を吸い出す治療をいくつもして、「二度とこんな所にはもうこない!」と思いながら、治療が終わると「あなたの体25才の体じゃない、70才の体だ。どんな生活してるの、全くどんな仕事の仕方してるか想像できない。上司に言ってやる!体ぼろぼろだよ、これじゃ赤ちゃんなんて出来ないし、子宮筋腫もあるよ、もし手術なんてしたら、あなた離婚だよ。子宮切ったら夫婦生活なんて出来ないからね、悲惨な人生になる。毎週ここに通え、仕事は続けるか考えた方がいい。」

毎週そこへ通うのが苦痛で、つらくてたまりませんでしたが体は、治療が終わると、とても楽でした。黒っぽい顔だったのに、頬が赤くなり体中の痛みがなくなり軽くなりました。しかし生活が変わらないため同じことの繰り返しでした。会社を辞めようと思ったのは、○先生の鍼治療に通いたくないからでした。

「人になろう・・何にもしないで家で掃除とか散歩とか少しボーとしてもいい?」そう、主人に言うと、賛成してくれました。
○先生にその事を言うと「会社やめるのか、そうかそうか、それが良いと思ってた!私嬉しい!良かった、良かった。」それから何回か○先生の治療を受けてから、先生が耳元で「赤ちゃんできる体になった!赤ちゃんつくりなさい!もう大丈夫」それからすぐ妊娠しました。27才です。
posted by 変才冨田 at 16:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 癌 完全なる治癒 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月27日

連載4 癌 完全なる治癒

すると、すぐに婦長さんがかけてきて来て、「あなた、○先生みたいな方に治療していただいてありがたいとおもわなくちゃ!つらいかもしれないけど、抗ガン剤治療も出来ない人だっているのだから甘えたこと言わないの!治療出来ない人のことを考えれはあなたはまだ幸せですよ!」と怒られていました。

なんだか恐ろしい説明で、聞こえていた私は、思わず「そんなー・・・」と思いました。私は、病室にいても仕事のことが気になって気になって仕方がありませんでした。会社で出血しながら「明日提出しなければならない企画書が出来るまでは、病院に行けない。」そう仕事仲間のスタイリストの女性に言うと、「何言ってるの!自分だけの赤ちゃんじゃないんだよ!旦那にそんな理由つうようしないよ。病院行けー」そう言われ病院に行ったのです。

でも、入院してもずっと電話で仕事のやり取りをしてました。お見舞いに来てくれた後輩があきれたのか、「○子さんがいなくても仕事はスムーズに進んでいます。いなくても全く問題ありません。○子さんがいなくても大丈夫なんですよ。だから治療に専念してください。」

その言葉で風船がしぼむ様になり、それからお腹の赤ちゃんのことだけを考える日々になりました。遅すぎましたが・・。

病室で私はお腹の赤ちゃんにしっかりつかまっていてください、と泣いていました。診察を受けると、状態を若い先生が説明してくれました。

「まあるい袋この中が細胞分裂してなくてはいけないのに、していない。袋も大きくならないし、ダメだね。まー自然淘汰だから仕方ないよ。」なんて言われていました。私はあんたに自然が語れるの!

この病院の中で自然と言う言葉を聞くとは・・なんて思って耳は傾けずきっと赤ちゃんに逢える、なんて思っていました。病室に戻ると、前のベットの女性が話しかけてきました。「手術後の体調がとてもいいから私は抗ガン剤治療しなくて済むと思うのよ!明日先生と話すんだけど。」とても元気な人でよくおしゃべりもするし、食欲も一番あるし、歩き回って私はもう大丈夫、と言っていました。お子さんも3人いてまだみんな小さいお子さん達で、よくおばあちゃんと一緒にお母さんを心配してお見舞いに来ていました。

次の日先生が病室に来て「抗ガン剤治療します。今日からです。2種類打ちますから、体に合うか合わないかわからないけどとりあえずこれから始めます。」
そう言って準備がはじまりました。その女性は一言もしゃべりませんでした。
みんなと同じように頭にドライアイスをかぶり夜抗ガン剤治療が始まりました。
私は、相変わらず止血剤を点滴し変わりなくベットの上で安静にしているだけでした。
2日後、私は夜中激しい腹痛になり赤ちゃんが・・そうおもって泣きながら先生を呼びました。看護婦が来て「当直の先生に聞いたら、腹痛を止めるには、薬を飲まなければならない、でも飲むと赤ちゃんは助かりませんよ。どうしますか?」変な質問だなーと思いました。私はなぜここにいるんだっけ?「じゃー薬は飲みません」痛みは治まらず、大量に出血しました。

そのまま朝になり、担当医が来て検査した結果その小さな小指の先ぐらいの袋はなくなっていました。彼のそのときの第一声は、「一度手術します。子宮診ないないといけないです。朝ご飯食べちゃった?」「いいえ、食べてません」そう言うと、後ろにいた看護婦が「私が朝ご飯食べないよう指導しました!先生!」

「素ばらし!機転が利いているよ、ナイスだね」若い医師に誉められた看護婦さんは、とても誇らしげな顔で嬉しそうにわたしを手術室に誘導してくれました。医師に「この場合家族のサインはいらないのですぐに手術します。」と言われましたが、急いで主人に電話をし状況を早口で説明しました。

誰にも会えないままベットに寝たまま運ばれ自分で動けるのに「1,2,3,ハイ」と看護婦が声を掛け合って私をベットからベットへ移し替えていき、気がつくと手術室でした。「どうしよう、このまま死んじゃったら・・これが私の最後なのか・・

主人にも家族にも誰にも自分の気持ちを伝えないまま死んじゃうかも知れないなんて・・」涙が止まらず、恐ろしさのあまり声を出して泣いていると若い医師はため息をついて「あなた、お酒強い?」耳にはビーズと言うアーチストの音楽が大音量でかかっていて、聞き取りにくく手術室でまさかお酒強い?なんて聞かれるはずないなんて思っていると、「アルコール注射打つんだよ、ははは」

「ああ、どうでしょう強いのか弱いのか・・」そう答えて、ふと病室の右端をに目をうつすと、堅くなってじっとこちらを診ている若い男性がたっていました。「私が生きていた最後と死ぬ瞬間をあの知らない男の人は、私に知らされる事なく、立ち会って子宮も診られるんだ・・最後に見る顔があれなのか」一層泣きが声が大きくなり暴れはじめると、看護婦が「大丈夫、赤ちゃんはまたあなたのところに来ますからね。」と小さな優しい声で言いました。そのまま眠り気付いた時は、主人が隣で私の名前を何度も呼んでいました。

「ああ、死ななかったんだ・・よかった。」主人に会えたことでほっとしまた眠りました。
目が覚めた時は病室でした。主人と少し話しをしていると、前のベットの女性が「体が熱い死んじゃう、私死んじゃう」とベットの上で暴れて泣き叫んでいました。

看護婦と主治医が来て「やっぱダメかー、大丈夫です、大丈夫!抗ガン剤が合わないだけだから、この注射すれば落ち着くからねー」と言ってみんなで暴れる彼女を押さえつけて注射を打ちました。しばらくすると嘘のように治まりましたが、女性が「オシッコとウンチが全部出てしまいました。」と泣きながら大きな声で言いました。急に主人は私をおんぶして「もうここにはいなくていい、はやく帰ろう。」と言って荷物もそのままで病室を出ました。

私は車の中で主人を待っていました。荷物を持って手続きをすませた主人はしばらく何も言いませんでした。少しして「体が熱い死んじゃうと言っている人にあの医者笑いながら、注射しやがって。あんな病院もう行くな」そう言いました。
posted by 変才冨田 at 20:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 癌 完全なる治癒 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

連載3 癌 完全なる治癒

そんな日々仕事もますます順調に日々鋭くとげとげにトガッテ仕事をしていた矢先、結婚して少しして赤ちゃんを授かりました。

すぐに病院に行きました。恐ろしい病院をわざわざ自分で選んでその婦人科の○部長先生にわざわざ進んで5時間待って診察していただき自分としては、テレビで見るような「おめでとうございます!ご懐妊ですとか、赤ちゃんがいますよ!妊娠3ヵ月です」そんな言葉を期待していましたが、

言われたことは、「あんた、チョット検査してよ、」と言われ、10本注射で血液をとられ、看護婦さんに「あの〜私何で、こんなにたくさん採血しなくちゃいけないんですか」と聞くと「あなた、入院するのよきっと!」なんて言われ心電図やらそれはそれは、2階から5階までありとあらゆる検査を総なめして、朝の10時から夜の7時まで主人となぜ検査を受けなければいけないのか???最後まで理解できないままで、いたたまれなくなって、何の検査なのか再度聞くと、

「今は、言えない」と言われ、暗くなって家に帰ってきました。それから1週間地獄の様な不安な日々、再度病院へ結果を聞きに行くと「子宮外妊娠かと思ったけど違ったみたいだ」その後、すぐに出血して妊娠5・6週目に切迫流産、懲りずにまたその病院に緊急入院、病室は、子宮癌や婦人科系の癌の人達と一緒の病室でした。

同じ病室の女性は夜になると抗ガン剤の副作用で朝までおう吐を繰り返し、髪の毛が抜けないようみんなドライアイスを頭に付けています。昼間となりの女性が泣きながら、先生に「こんな治療はもう耐えられない、もうどうなっても良いから家に帰りたい。」と涙ながらに何度も訴えていました。○部長先生は、「1週間続けて治療するから効き目がある、続けなければ意味がない。後、4日間我慢しなさい。」そう言って立ち去りました。
posted by 変才冨田 at 20:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 癌 完全なる治癒 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月26日

連載2 癌 完全なる治癒

原文から差しさわりのある名前などは伏字になっています。

冨田先生へ

今年のはじめ先生の勉強会に参加した時お話が終わってから、参加していた女性達が先生を囲んで大きな声でわはははは!きゃっキャきゃっキャ!と笑いながら料理の仕方を次から次ぎに質問している風景を少し離れたところで眺めていた私は、自分がこんな笑いの飛び交う人達の中にいることに自分が変化出来たことを深々と感じ思わず頭をふるわせてしまいました。

夢じゃないか、現実かーなんて感じに。息子を通わせた安部幼稚園というところで知り合ったお母さん達です。その風景は私にとって今まで歩んで来た道のりの結果でした。すると、後ろから13才のころからの友人が「○○ちやんはそうやって、よくじっと待ってられるね、ああやって人のこと待ってないで、さっさと自分の質問したら帰ればいいジャン」そう言われ、以前の自分と今の自分を象徴した言葉でした。

「そうね、一応私がみんなに声をかけたから、最後まで見届ける気持ちしかなくてね。みんな楽しそうにしてたし、旦那さんの食事や、家族の体のことを一生懸命質問しているのを見ていると、うわーって、何だか嬉しくなるというか、ははは」

この日私は、自分の命と息子の命、家族の命を救ってくれた富田先生にきちんと御礼を言っていなかったように想い、先生と出会って8年の日々がたった今頃・・・「あーーーどうしたことか・・!!」そう心が痛くなりました。しかし、次の瞬間(大丈夫!私が先生に出会ってすぐ主人のことを相談すると、「あなたは言葉がたりないんだよ。」と言われたことを良いことに、急いで先生に手紙を書こう、書いて気持ちを伝えようと思いました。)

先生と出会う前の私は、広告代理店で今は恥ずかしくて使えない言葉ですが、クリエイティブディレクターなんて言われて、男性ばかりの中でバッキバキ過ごしていました。高いヒールを履いて、白いワイシャツに黒とか紺とかのバーニーズニューヨークのパンツスーツ、ワイシャツも既製品ではなく自分だけのものをつくって、名の知れたブランドを身につけるのは、自分に自信がないから、私はみんなと違うブランドで身につけものを選ぶのではなく、自分らしさを表現できるのがたまたまブランドだった、それも直接パリコレで買い付けてもらっているもの!絶対普通の人は手に入らないものしか持たない!!!!

こんなバカな人間でした。。。ホントに恐ろしい。
だけど一丁前に、健康には興味があり仕事が忙しくて外食ばかりきっと体に悪いそう思い、行きつけのお店に自分が提案する食事を特別料金を払って契約してもらおう!!!!そんなことを考えてはいました。実現しなかったので、どんな料理をお願いしたのか今となってはわかりませんが、きっとご飯と生野菜となんかってなものを頼んだのでしょうねー
posted by 変才冨田 at 21:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 癌 完全なる治癒 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする