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2012年09月12日

子宮頸癌が消失した きむちさんからの報告

以下はkimuti さんからの報告です。

約4年半前に子宮頸部に癌?(たぶん上皮内がん)と診断され、その2カ月後円錐切除術で検査兼治療。細胞が7ミリあったので子宮頸癌・・・と断定。

先生と出会ったのは、診断を受けて間もなくでした。

その後、玄米菜食をこわごわスタート、早4年3カ月。2年間は定期健診ごとに癌と診断。昨年あたりから高度異形成に変化。

そして、とうとう・・・昨日、癌も高度異形成も見られないと診断をうけました。(^^)v

なにもでなかった!!とのことです。

帰宅後すぐに先生にご報告を・・・と、電話したのですが、接客中とのことで、スタッフの方に伝言を託した・・・という次第です。


長い間、先生にはたくさん相談に乗って頂き、その都度不安を取り除いて頂きました。ありがとうございました。

これで完治・・・とはまだ言えないとは思いますが、すごい進歩だと感じています。

なにせ、癌と診断され4年半、初めての事ですから。

昨日は、なぜか素直に喜びきれず・・・。
とにかく、これまで私を支えてくれた人全員にメールを入れ、報告兼お礼を言いました。
もちろん、日ごろお参りしている観音様にも、帰り道にお礼詣りをしてきました。

たくさんの方に支えられてきた事に、心底感謝の気持ちでいっぱいでした。

今日の午後になってようやく、素直に嬉しい!!と感じ、こころからの笑顔になれました。

待ちに待った結果だったのに、あまりに突然で、
もしかしたらそろそろ…とは考えてたものの、いざそうなると、何だか不思議で、「えっ・・!!」というかんじで、実感がわきませんでした。


ここまで報告しておいてなんですが、直接先生とお話したいので、木曜以降お電話いたします。

本当にありがとうございました!!

が、私の実験はまだまだ続きます。(^^)v


終了

キムチさんは何度も7号食を実行しては、食べ過ぎも繰り返していました。

けれど子宮頸ガンの原因となる食べ物はなかったので治癒の方向へ続いていました。

良い物を食べる効果は30%いけないものを食べない効果は70%なのです。

これでホッとして「バンザーイ」と言いながら子宮頸がんの原因を作った食べ物に戻ると

これを「バンザイ突撃」といって玉砕の道になります。

きむちさんならもうそういう心配はないでしょう。
posted by 変才冨田 at 23:01| Comment(2) | TrackBack(0) | 癌 完全なる治癒 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月01日

乳がん闘病記17

変才からの一言
乳がんはおそるべき早さで拡がっています。
最近も38歳という若さで女性シンガーが亡くなられました。

この闘病記を寄せられた女性はなかなかの木性人ぶりを発揮して
体験されたことを冷静に記述されています。
乳がんの方だけでなく女性は必見のもので、乳がん闘病の全体像をつかんでいただけたらよいです。


科学の進歩、治験データも日々世界レベルで塗り替えられている? これが医療現場? ネット情報に感化されているのかも知れませんが、提案された治療は、冨田先生が言われた「覚悟」が私にはとてもできない気がしてきました。迷いながらの選択。選択理由は、治療を始めなければ〜という焦りかもしれません。家人も治療を始めるのは当然という選択でした。

病院の治療-3 治療中の検査と薬の中断
 治療効果を計る検査は保険適応の場合、対象が病気・期間など詳しく決められているようです。個人的にその回数を上回る検査を希望すると自費になるとか。私は検査期日もお任せし、「早く薬の効果が知りたい」という思いを我慢しました。検査による放射線やその他の薬害が気になります。お任せコースの検査では私の病気検査は3ヶ月〜6ヶ月毎のようです。結構、気長でしょ。
posted by 変才冨田 at 16:24| Comment(4) | TrackBack(0) | 癌 完全なる治癒 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月25日

乳がん闘病記16

薬は数種類ありその選択に対して、患者への説明及び選択権はありませんでした。先ずやってみて効果や副作用をみながら使用する薬を変えていくらしいです。

飲み薬と体内で1ヵ月中徐々に消費される
「除放剤」なる種類の注射の二種類でした。

製薬会社が発表している薬の作用機序によると、注射が曲者かと考えました。脂肪層に注射をするとそこがプックリ膨れ、看護婦説明のとおりにカプセル状になるらしい。

一定量の薬剤が毎日体内に放出される。工業的な意味でのテクニカル面では夢のような薬剤効果を得られるわけです。効果はこれまでの同内容薬剤の約100倍とか…。

100倍って肯定的に考えると「効く」と捉えるのでしょうが、副作用はかなり心配。さらにネットでこの薬の体験談を調べてみると、前立腺ガンの処方に対し「半年以上続けてはいけません」という文章に出会いました。いつまで続けるのか私は説明を受けていない…。

これまでも「ガンの特効薬」と新聞などをにぎわした薬剤が、「死亡事故」の発生を告げる問題ニュースになるような〜。日本では抗がん剤が主流なだけに、薬に振り回された治療なのでは?
posted by 変才冨田 at 16:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 癌 完全なる治癒 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月24日

乳がん闘病記15

病院の治療-2 ホルモン療法

治験を薦められたホルモン療法でしたが、次回受診時は「あ、ゴメンごめん。貴方の場合はリンパ節転移があるから、今回の治験の対象外でした。もちろん自費なら受けられますよ。」とのこと。

私の主治医はこの治験の大学内責任者だったのですが〜。お口あんぐり。続く医師のお話は「どのような治療を選ぶかは、患者さん本人の選択です。手術前の化学療法(抗がん剤やホルモン療法)は、事前に薬の効果を調べる目的があります。手術後の化学療法の効果を。うまく効けば手術の範囲を縮小できるかも知れない。

人によっては、化学療法で腫瘍がなくなる場合がありますが、この時でも手術は必要です。組織をきちんととって調べないと病巣の様子が分からない。

また手術で取り除いても、目に見えないガン細胞があるわけで、これに対して手術後に放射線治療を1ヵ月間行います。手術や放射線は部分治療なので、全身治療として化学療法を5年程度必要です。」等とのこと。

posted by 変才冨田 at 22:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 癌 完全なる治癒 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

乳がん闘病記14

主人と突然失礼だと憤慨して病院を出て、交差点に憮然と立っていたところ、あるほっそりとした女性に声をかけられました。

見ても誰だかわかりません。見覚えも?とにかくアッタマに来ていたので、判断できない状態だったのかもしれません。先方が名乗ると、なんと私服姿の親切先生ではないですか。

病人のようにほっそりとした姿と、先日来診療室であっている堂々とした白衣姿は想像が付きませんでした。「検査結果を私も見ましたが、ホルモン療法も貴方にあっていると思いますよ」とか少し声をかけてくれました。

すごくほっとしました。まるで旧知の恩人にでも会った様な感慨まで覚えてしまうのです。(これ、病人心理なんでしょうか)。

その後、事前に質問メモを書いたり、言葉遣いを変えて同じ事を質問するなど三度ほどトライしましたが、新しい主治医とは全く意思の疎通を図ることができず、通院の前後はひどく不機嫌になった6ヶ月を過しました。

そのくせ、受診日が迫るとなぜか怖いんです。医師からなにか怖いことを言われそうで。メモが多いと面倒がるし、「食事で気をつけることはありますか。例えば甘いものとか〜」との質問に「誰がそんなことを言ったの? 糖分は脳に必要なんですよ」と憮然と言い、これでおしまい。

4回目からは3分といわず、医者がしゃべり終わったと思ったらすぐに椅子を立つ様にしました。

「まだあるんだから、まあお座りなさいよ」と言われれば憮然と座る。態度ワル〜と思われてもいいや。これが私のメッセージ、(食って掛かりそうだから)言わないだけと。

損をするかもしれないけど、それほど医療に期待が持てないです。患者の会でも皆さん、主治医との会話に苦慮されているようでした。
posted by 変才冨田 at 00:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 癌 完全なる治癒 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月18日

乳がん闘病記13

病院の治療-1 医者との会話

医者との関係が重要と聞いたことがあります。そのために患者はかなり気を使うようです。(服装や言葉遣いなども含め、接し方にも一工夫するらしい。目をかけてもらいたいから? 女性の本能? 本来的にはお客さまだよ〜)。

告知を受けた親切先生が、東京の有名大学病院の勤務医で、通院が楽なこと・病理が信頼できるだろうとここにしました。ちょっと身分不相応なブランド病院ですが、ダメなら変えれば良いか。なにせ、どこでも大丈夫な病状と言われたことだしと。

この病院の受付は時間帯予約ですが、毎回4時間以上の待ち時間。主人は一回で疲れたとイヤになったとのこと。あとは一人で受診です。

初回は親切先生が対応してくれて各種検査予約。『あれ〜、この間やったばかりの検査をもう一度やるの?』と思いつつ、大人しく受診。検査料の出費大・大。

検査結果が出揃い、いよいよ本番先生とのご対〜面。正直待ちに待っていたこの2ヶ月間。「貴方の場合はホルモンの受容体が最高位にあります。二種類とも。現在、治験をやっていますから、いかがですか。専門スタッフに詳しく説明させます。」とすぐに別室へ。

若い女性スタッフが数名出てきて、治験の説明文を次々に読み出します。私たちは「ホルモン療法ってナンですか? 「受容体」って? 抗がん剤を聞いていたんですが〜。ホルモン療法のことは勉強してきていません」というと看護婦がバタバタしだしました。

posted by 変才冨田 at 20:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 癌 完全なる治癒 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

乳がん闘病記12

料理の本はたいしたコメントが書いてないのに、読むたびに自分の間違いを見つけてドキリ。

私って、本当に料理嫌いらしいとの思いを強くした日々でした。今は結構手際よくできますデス、はい。

このように作った料理は、正直美味しいです。野菜の味も再確認。おいしいお米や野菜たちと作ってくれてる人々に感謝・感謝です。「野菜っておいしいんだね。

今まで何を食べていたんだろう」と主人と話しています。スーパーで普通に買っていた食材は?

ほのぼのさんというすばらしいフォローアドバイザーに恵まれたのが、本当に幸いでした。無理なく寄り添ってくれるというか、質問すると親切に道案内してくれるのですが、よけいなことは言いません。

すばらしいフォロアー。感謝でいっぱいです。

posted by 変才冨田 at 19:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 癌 完全なる治癒 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月16日

乳がん闘病記11

連載の続きです


食養を始めて
「病気は病院に行って、医者に治してもらうんじゃないの?」
「あれ、健康ってなんだっけ? 体がどんな状態をいうのかしら。病気がないって事?」

「早期発見、早期治療というけど、その治療を受けた人たちはどう思ってるわけ? 体は治療で治る?」

疑問は次々と湧き、確信的な回答は得られない。実験材料は自分の体〜というのは、チョイ辛いものがありますよね! どうしようっかなあ。わっかんないよね〜。

「解らないときには、先ず実践。そうねえ、半年ぐらいやってから決めても遅くないよ、きっと」
(「きっと」は私の楽天主義のせい。「半年ぐらい」は物の本のアドバイス〜)

セミナーでは「自分で作った病気は自分で治せる。そのためには食事」。「はあ、そうなの?」と私。

食養法はこれまでの常識から大きく逸脱したことばかりのように聞こえ、身に付けるといっても料理嫌いの私はマゴマゴ…ちょっと気がめいるよなあというのが率直な感想。(2〜4時間ぐらい台所に立つと足が疲れますデス)。

本当に食養で病気が治るんかい?と思いつつ、複数の物の本に「ガン治療は半年程度の余裕があるもの。自分で納得してから治療を受けても遅くない」と書かれており、それを鵜呑みにすることにしました。

「そんなものかなあ」と思いつつ、やってみなけりゃ解らない。やれば何かが見えてくるに違いない。「そうだ、『医食同源』でいこう。」仕事ができないんなら、せめて主人に美味しいものを作って上げられるようになれば、有意義かも〜と自分を励ましつつの日々。

 これまで身に付けてきた常識(なんとなくそう思い込んでいた?)を根本から変えるようなことの連続で、「驚いてばかりはいられない。しっかり受け止めて、考えなきゃ」。

でも実際は、まあよく迷ってました〜。これで良いのか。じゃ、なければどうする? やっぱり今は食養と。「シドロモドロ状態」というのが正しいかも。冨田先生の言葉で「覚悟が必要」と言われます。「覚悟・カクゴってなに? どうすりゃできるんじゃい!」とブッチブチ独り言を吐きながら…。
posted by 変才冨田 at 05:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 癌 完全なる治癒 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月26日

乳がん闘病記10

告知後の私の方針。

偉そうですが二つあります。

先ずはこれ以上病気を自分で増やさないこと。がん患者の6割がうつ病を併発すると物の本に書いてあったからです。

家ではギャーギャー言って立ち往生していましたが、これは即断しました。そのために楽しいことを残しておこうと、主人の薦めもあり、半年前からはじめたテニススクール通いはずっと続けています。

実は検査中、実は気が気ではなくて、とてもコートでボールなんか追えな〜いという心境が続き、足が宙に浮いたような状態でも、とにかく続けました。

終わると「私って、なんて偉いんだろう。こんな時にテニスができるなんて〜」とメチャメチャ自分を褒めてしまいます。こんな時は自分しか褒められる人はいないから。

もう一つは『何かする』ことです。告知した医者が真剣に言ったこととして「ホルモン治療中でも仕事を続ける人もいます。治療だけでなく、なんでもいいから何かしたほうが良い」と。

骨折後の運動も軌道に乗り、そろそろ仕事再開と思った矢先のガン告知です。

今度はどうしよう〜と思った時、冨田先生のセミナー参加。このセミナーでも『趣味を見つけて』と力説されます。

食養には料理が必要。野菜の旬もおぼつかない私です。この際、料理・食養料理を覚えようと決めました。(他にはホルモン治療中の半年間はパートも経験)。

主人は食いしん坊なのに、なんとなく毎日誤魔化し料理でしのいでいたところです。運良く彼は玄米大好き人間で、友人達が「白米が美味しいからみんな白米を食べてるんでしょ」と言っても「だって玄米のほうが美味しいよねえ」ですって。お陰様でこれからも、ずっと我が家は玄米です。

posted by 変才冨田 at 16:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 癌 完全なる治癒 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月25日

乳がん闘病記9

ものの本には「身近な人の情報を」とか書いてあったので、そんなものかなあと年上の女友達に話してみました。

ご主人がクモマッカ出血を経験され元気になった方なので、闘病免疫があるかと。「今度また電話してもいいでしょ?」「いやよ〜」「エッ、なぜ?」「だって、よくなってよかったわねえっていえないじゃない〜」。

これはガ・ガ・ガ〜ん!体験でした。これでは友人がいないことになってしまう〜。

こんなに心細いのにそれは寂しい〜。こんな時の友人じゃないの〜?(後日談で、この友人とは現在また楽しいダベリング関係再会。

マクロビの本を進呈したところ、食材の『陰陽』表が大変喜ばれ、玄米をはじめ、無農薬野菜に興味を持ち、時々メール問合せが来るようになりました)

ガン患者って、友人関係にも気をつけなければならないとは〜。教訓でした。

他にも色々な対応を経験します。例えばお姉さんが看護婦という主人の友人は、三ヶ月間ほど2日に空けず私と長電話をし、「手術・手術」と薦めます。

再発したらまた手術をすればいいと。夢にまでみて、彼のために手術をしようと朝起きたこともありました。ほとほと手を焼き、主人にグチグチ。

また女友達たちは、年齢が近いこともあり、自分の乳癌を心配します。人により対応は本当に様々のようです。

今回はじめて病人になりましたが、がん患者なればこその気遣いって必要なようですね。ガンは治らない病気と思われているから?
posted by 変才冨田 at 22:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 癌 完全なる治癒 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月24日

乳がん闘病記8

がん患者となり

ちょっとほっとしました。変な言い方だとは思いますが。ここ数年、最寄の内科数院で採血を断続的に繰り返してきました。

なんだか体が変。体調不良。更年期かとも考え友人に紹介してもらった更年期外来の有名病院にも行きましたが、これといった症状は発見できず〜です。

 家族の病歴を聞かれますが、父は喉頭がんで手術し存命・祖父は胃がんで死亡・年下のいとこが再生不良性貧血で中学1年で死亡。私はがん家系だと思っておりながら、タバコは長年吸うし、仕事は時間が不規則なうえに長時間労働、料理には興味がなくフライパン一つで終了の簡単メニュー。

長年一人暮らしをエンジョイ?し、50才も目前という年齢です。結婚は4年前で、一昨年はウォーキング中に自転車に撥ねられ、鎖骨骨折・頭蓋骨骨折。翌年はガン発覚と情けな〜い〜の極みです。

主人の両親が長野におり、時々野菜やおいしい山菜料理を送ってくれます。話そうかどうしようか。

結婚十数年ならそれもそれですが、結婚数年でこう立て続けに病院通いとなると本当に申し訳ないという気持ちだけがいっぱい心に広がりました。

仕事は数年前にリストラにあい、結婚を機に派遣を数年続けましたが、交通事故で中断。

とにかく今まで体験したことがないほど中途半端な状態での「ガン」です。病気療養の大儀名文ができた気がしてしまいました。で、ちょっと「ほっとした気分」です。

posted by 変才冨田 at 20:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 癌 完全なる治癒 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月21日

乳がん闘病記7

頭はグルグル。「ガン・がん・ガンになった」と繰り返すだけ。

心は混乱! 何も手に付かない。こんな状態で、病院選択や後悔しない治療の選択なんて、できないよ〜。誰か変わって〜」

次回はお昼前に来てくださいといわれ、最終告知(=?)と予想し主人とともに受診。約一時間半にわたり私たちの無知な思いつき質問に、嫌な顔すらせずに答えてくれました。

この間、急いで本を二〜三冊読んでみました。で、現在私の乳癌知識はこの程度しかないので、ご説明をお願いしますと。

病状はU-B(多分これは軽いレベルで言っている様子)。

手術は全適、リンパ節の二段階切除。また乳房からも二度目の色素検査でガン細胞と判断され、書面でも提示されました。脇下のリンパ節は38ミリと大きい。

ただ、ガンの発祥時期は最近ではないようで、1pになるのに数年かかるとか。

これを聞き、私は姑息にも即座に自分の平均寿命と今後大きくなる腫瘍サイズを計算していました。(暗算が不得意なので時間が必要〜)

この女医さんは鋭くその辺を察知し、「このまま放って置かないほうがよいです。治療ははじめたほうが良いですよ」とこちらをまっすぐ見て真顔です。『しまった!ばれたか〜』と思いつつ、

今後の病院の選び方・手術の範囲や方法・抗がん剤のことなどを本当に詳しく話してくれました。

病院はどこでも標準治療が受けられる病状。ただ「病理(細胞のガン判定をする部門)」が重要です。セカンドオピニオンは2つ3つといわず、気が済むまで受けられ、納得することが大切。

何枚でも紹介状を書きますから。医者と患者がついになって、病気を治していくんですよ」と。次回までにセカンドオピニオンの病院を決めるように言われ帰路に。

医師との面談中、妙に気分がハイで気分が明るいのが我ながら不思議でした。とても涙なんて出ないのです。

「どうする? 突然細胞レベルの事を言われてもわかんないよねえ。病院のことも詳しくないし〜。あ、入院費の高い・安いはあるらしいから電話して聞いてみよう」そんな会話を主人としました。

数ヵ月後、治療方針で迷った時に思い出したのは、この時の先生が話してくれた内容です。治療の現状の骨子、ご自身が受けてきた乳癌治療法、病院により異なる対応などを非常に端的に、濃縮して話してくれたとは今でも感謝しています。

セカンドオピニオンは免疫療法に行き、標準治療を薦められました。
posted by 変才冨田 at 12:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 癌 完全なる治癒 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月20日

乳がん闘病記6

病気の告知
歩いて5分のところに地域の中核病院があり、毎年職場の健康診断で指摘される精密検査をし、検査データを集積していました。

今回も先ずはここで受診。キリスト教の病院で、普通の病院より明るくフランクなフインキの病院です。受診は新設の「乳腺外来」。

わきの下のシコリが一年前から気になっていたためです。今回は初めての女医さんでテキパキ・テキパキ。

1回目から細胞検査を提案され、戸惑いながら受診。次はその結果が思わしくないと外部検査機関のマンモグラフィーやMRIを薦められ受診。そんなことが数回続き、なんだか不安〜。

「脇の下のリンパ節からは初回細胞検査で「ガン細胞」発見。

リンパ節が病気発祥とは考えられないので、乳房転移を想定するが、乳房の色素検査はグレー。

よって前回検査の細胞を別の色素検査にまわす」とのこと。

もうこのあたりになってくると、いくら鈍感でも想像できます。「あとは印籠を渡されるのみかあ。ウエ〜どうしよう。でも、今はどうしたらいいかなんてわっかんないなあ。

頭はグルグル。「ガン・がん・ガンになった」と繰り返すだけ。心は混乱! 何も手に付かない。こんな状態で、病院選択や後悔しない治療の選択なんて、できないよ〜。誰か変わって〜」
posted by 変才冨田 at 12:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 癌 完全なる治癒 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月19日

乳がん闘病記5

標準治療
保険適応の医療で直せたらゆうことなしです。

ですが現実はどうも違うらしい。ガンという病気の恐ろしさの一つに、終わり(治癒)がなさそうと思えることではないでしょうか。終わりは人生の本当の終わりになってしまいそうな気がします。

標準治療のイメージを知るには、「患者の会」が医師やソーシャルワーカーの手も借りて翻訳してくれたスイスの「ザンクトガレン(St.gallen)・コンセンサス会議」が役に立ちました。

2005年に日本乳癌学界もこれに加盟したため、現在の標準治療の基礎になるものです。日本ではさらに「日本乳癌学界」が標準治療の患者用ガイドブックが、大手書店などで2000円程度で入手できます。

エビデンスに基づく治療というのが今の医療のトレンド(?)ですよね。特に乳癌は患者数が多いので豊富なデータがあるとか。治療データに基づいたコンセンサス(合意)なわけですが、医療に疎い私にはデータの集積としか理解できず、自分が受けるはずなのに興味は持てませんでした。

そこには人の命に関わる「医療」が全く見えてこない。モルモットデータの集積なら、もう少しカッコをつけた理屈と分析が欲しいなあといったところ。

興味は湧きませんが、医者との会話で何がしかの役に立つかもと考え、乳癌では有名な慶応大学放射線医師の近藤誠氏の本も主人と数冊読むと、病気の成立手順・医者の論戦・専門語との医学学会などについて、なんとなくイメージがつかめてきました。

医療は産業であり、見積もり不要・請求書に明細不要・患者の医療を選ぶ権利は限りなく狭く盲目的で、インフォームドコンセントなどお題目? 検査は医療現場のドル箱化…。

もちろん医者は職業であり、しかも多忙。私が通ったK大学病院の担当医は昼食もとらずに午後3時過ぎまで3分間診療を続けていました。ご苦労なことです。

ですが、自分が受けると思っていた抗がん剤の本は超・集中して読めちゃいました。

厚めな二冊を新刊で買い込み、近所のファミレスに篭り約三時間。一気にガンの常識やら抗がん剤などの必要項目をほとんど読破。

しかも頭に知識が入っているのです。こんなに集中して本を読んだことははじめてかも(苦笑されそうですが)。

「わたしったら抗がん剤に興味があったんだわ」と気づきましたが、あまり生産的じゃない。というか希望が持てないと感じました。

治療って直すことであって、毒には毒で制すというのはいかいかがなものか〜。あくまで素人考えですが、私は受けたくないと強く思いました。

posted by 変才冨田 at 07:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 癌 完全なる治癒 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月11日

乳がん闘病記4

乳癌キャンペーン

乳癌キャンペーンが昨年秋も大々的に実施されています。私が患者になったから目に付くだけではありますまい。

テレビのニュースで取り上げられたり、患者体験をしたタレントさんたちのご出演をよく目にする昨今です。

私の素朴な疑問は「本当に片っ端から手術したり、抗がん剤をやっちゃうの? 本当に標準治療で安心? 直るの? みんなマジ?」。現在の医療は局所のみの対処療法。まして患者の心とはほど遠い医療現場です。

患者の体験記を数冊読みましたが、本当に暗い気持ちになりました。

患者が医者の場合ですら同様の本に当たってしまい、がん患者になるということは『かなり暗い人生』になると思い知らされた感じです。

患者たちが主催する「聞きあいの会」に数回参加した体験で、抗がん剤で指の爪がなくなり、一年半経って「やっとここまで爪が生えてきたんです」という女性と話したり、「最初に左胸をとり、転移で右胸も取りました。

タモキシフェンを飲んでいる間はずっと体が火照って暑かったですね」という方、一度リンパ浮腫になると直らない〜等など症状は様々ですが、皆さん「再発」に高い関心をお待ちです。とにかく手術や投薬では安心できないというのが私の得た感触でした。
posted by 変才冨田 at 21:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 癌 完全なる治癒 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

乳がん闘病記3

民間療法
数冊読んだ本に「ガンはほとんどの場合、半年ほど猶予があるもの。その間に自分で納得する治療方法を見つけよう」と書かれた言葉が心に残り、さて何をしようかと本や薬局、友人に聞きまわりました。

友人が玄米を食べていると聞けば「玄米って体に良いって言うじゃない」と主人に相談し、おコメを玄米に変えました。

西式治療法では青汁と柿の葉茶・入浴法などを薦められて実行。

通っている整体師が「核酸の『○○ドリンク』で知人がガンを治した」と聞いては「先ずはやってみろよ」と主人のアドバイスで3ヶ月ほど試飲。

病院の検査でお会いした乳癌患者からは「核酸のサプリメント、ビタミンCは抗酸化剤最強」といわれて、3ヶ月ほど飲んでみたり…。

(まさか同じ病気の方から、病院の検査所でサプリメントの営業をかけられるとは…。疑ってはみたもののまさか・まさか〜。がんビジネスは日常的にはびこっているのですね。いえ、この方の方法でしょう。)

定着したのは、玄米菜食・タカダイオン器・酸素カプセル。脇見の必要もなく、シンプルです。

posted by 変才冨田 at 13:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 癌 完全なる治癒 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月10日

乳がん闘病記2

食養を始めてからは、あっという間というか、結構忙しかったです。

忙しい理由は、えっと〜、恥ずかしさを神棚に上げて言うならば「食養の勉強と実践、それに楽しみを兼ねた自主トレの運動(テニスやウォーキング)」というところでしょうか。

食料は「買出し」気分で色々と店を探しました。毎日朝一番の「ウンチ観察」は、楽しみでもありまた恐ろしくも…。「昨日の私はよく生きたか」を知る貴重で重大な毎日の結果発表のひと時です。

 今回は冨田先生から「他人のために何かできる事を〜」とチャンスを頂き、私の体験などでお役に立つならと思いつつ、自分のためにも今までをしっかり振り返って見ようと思いました。

これからの生き方を考える上でも。他の人のためと言いつつ書き始めてみると「頭にきた〜」ことを書きなぐりそう。

 病気の治し方・付き合い方は千差万別。同じ病気でも症状は様々で、対応もそれぞれ。その人なりの方法を見つけていくうえで、ほんの一文でも参考になればうれしい限りです。

つたない文章で恐縮ですが、しばしお付き合いいただければ幸いです。
 
posted by 変才冨田 at 13:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 癌 完全なる治癒 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月09日

乳がん闘病記1

以下のレポートは乳がん闘病をして約一年になる方のものです。

彼女は木性が高い値なので、後続の方のためのレポートになっています。
同じ乳がんの方が読めば非常に参考になるものです。

第一回
はじめに
2008年1月初旬、3ヶ月にわたる検診結果で「乳癌」と名づけられてから早1年半。告知を受けて「本当にマジ? 本当にホントにがん患者? 
まいったなあ。怖いよね、どうしよう」と立ち往生。治療はホルモン治療で、抗がん剤より楽と医者の薦めで受け、本人希望により半年後に中止。

 5月から富田先生のセミナーに参加しシドロモドロながら食養を始め、9月のある日に「ガンは心配ないですよ」と富田先生と明石の歯医者さんから教えられました。

私としては「はあ?」本当ならうれしいんだけど〜。信じていいの?というのが当時の正直な気持ちでした。

8月一杯でホルモン療法を中止し、11月に病院検査で「腫瘍は見えない・リンパ節の腫れはある」ことを確認。

その後半年以上過ぎた現在も乳房に腫瘍はなく、リンパ節の腫れは半分以下に縮小、転移なしです。リンパ節の縮小傾向は現在も続いてあともう少しかと思っています。

続く
posted by 変才冨田 at 15:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 癌 完全なる治癒 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月03日

連載15 癌 完全なる治癒

富田先生に教えていただいた事をずーと続けていました。そんな中もっと玄米菜食の勉強をしようといろいろな本を読み始めました。マクロだとか自然治療だとか、いろいろな先生と呼ばれる人達の講演会や料理教室、次から次へと取り憑かれた様に勉強しました。

しかし気がつくと何だか変でした。外食は絶対しない、コンビニのものなんて食べたら死んじゃうよ!スーパーになんて行くはずもなく、主人とたまにイトーヨーカ堂に行っても何にも買えず気分が悪くなってしまう。

そんな私と一緒にいる主人は「あなたといると、全てが楽しくなくなるよ。」自分でも身動きができなくなっていることに気づきます。離婚するために自然食食べてる訳でもないし、なんだか楽しくない。突き詰めてマクロの世界に入ろうとした事もありました。

○○先生の講演会にもよく出かけましたが、富田先生とはほど遠く怖い方でした。お弟子さんという人の料理教室にも定期的に通いましたが、「私は無償でみんなに与えている、○○先生にも全財産をあずけて一文無し、」とのことでしたが、裏返せば、「だからと言って無償を返せとは言ってない、解るでしょ、ちゃんと返しなさい。」なんて感じの複雑なはっきりしない言葉が並んだお手紙が毎月お料理のレシピと一緒に送られて来ました。そうやって富田先生の言うとおりかなりゆーっくり遠回りして歩いていました。


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連載18 癌 完全なる治癒番外編

16回の連載にわたった「癌 完全なる治癒」でした。

人はオギャアと生まれた日だけが誕生日ではないのですね。
人は生まれ変わり、進化します。
死なないと生まれ変われない人もいますが
本当は生きているうちに何回でも生まれ変われるのです。

病気と言うものがその人の進化を促します。
進化しようとしてもできない時に、病気となってその進化を促します。

命がけの病気となって、命を賭けた進化を果たそうとします。

なにかが間違えていたと潜在脳が気づいたとき、
潜在脳はその超能力を発揮します。
意識して自己の細胞を癌化させるのは普通の能力ではできないことなのですから。

そのことに気づくかどうかが、分かれ道になります。
全ての病気には心身の奥底からの信号があるわけですが、
そのせっかくの信号を聞かないで、焼く、切る、叩くという治療にのみ依存すると、進化の筋からそれてしまいます。

彼女の人間的変化は「生まれ変わり」という言葉がふさわしいですね。

別な連載に「心の目的」があります。
心はなんのためにあるか?
それは「人とつながるためにある」と定義しました。

その心の機能が阻まれた時、異変が生じます。
病気になった時、それは社会的(人と人の関係性で生じたこと)ですから、人の助けが必要となります。
人が手を差し伸べてくれます。
そのときに「人とつながれる」のです。
心の機能はその呼吸を思い出します。

差し伸べられたその手をとるかどうかが、その人の素直さということではないでしょうか。

素直は素晴しい能力なのです。
疑い深い心は、他者を受け入れないばかりか自己をそもそも受け入れていないので、進化が難しいのです。

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2008年01月02日

連載17 癌 完全なる治癒

私は産まれて35年目になります。以前は「幸せ」なんて実感した事も、よく結婚式のお祝いに「どうぞお幸せに。」とか、「皆様のご幸福をお祈りしています。」なんて書いてはみるものの、どんな感じなのか実感したこともありません。何だか実はない、それは言葉だけのものかも。なんて感じていました。

ところが最近「ウオー何だか私幸せだぞー」と実感するのです。なぜでしょう。例えば富田先生から中国の天日塩を購入し説明書を読んでいると。フランス産ゲランド天日塩も良いと書いてある。ふーんそうなんだーと思って、「あ、そうそうこの間何だかふらりと入ったスーパーでふらりと買った塩」そう思いラベルをみるとゲランド産天日塩と書いてある。

今まではカチカチに調べて見てさわって、聞いて、ドタバタ頑張って努力して、疑って威嚇して、警戒してまず信用しない。そうやって生きてきたけれど。そんなこと全然忘れて、なるがまま、なるようになる、だけどポイントはずれない。そんな感じです。

息子の幼稚園に入園した当初は誰からも声をかけてもらえないことで、主人に「どうして、初対面の人は、私に声をかけてくれないんだろう。みんな初めて出会う人同士挨拶しあって話しているのに、私には誰も声をかけてくれない。」と言うと、「あなた顔怖いもん」と一言。それから2年たって今年下の娘を幼稚園へ、入園させると、まるで違う。みんな知らない人が声をかけてくれるしニコニコと私の方へ近づいて挨拶をしてくれる。チョット怖いぐらいでした。

まとめてみると、私は病にかかった事により多くのことに気がつき経験し、生き甲斐を意識しなくても、生き甲斐を感じれます。いつもニコニコが自然な状態になり、
頑張ろうなんて忘れてます。母に怒られる事も怖くなくなりました。(35才にして)お金ないと困るだろうけど、お金を儲けるために仕事しようとか、何かしようとは全く思わなくなりました。お金を当てにしない様になりました。

そしてこの間先生が言っていたようにまさにセンサーが、直感と言いますか、鼻が利くと言いますか。努力しなくてもちゃんと備わってゆくし必要ならば必要な様にそう言う時間がやってくる。

私は今先生の好意により、みどりのお米が必要な人に届ける事をしています。そんな自分が無心な働きアリの様な子どものように思えるとき微笑みがあふれこぼれるのです。

富田先生には心でも表現できないほどの感謝でいっぱいです。
どうしましょう。先生!
先生有り難うございます。これからも先生の何か役に立てる事があるようセンサーを働かせてついてっちゃいます。
だらだらと長くなりました。忙しい先生に私の想いを知っていただく機会を与えていただいた事に心から感謝します。
どうぞこれからもよろしくお願い致します。

すみません。付け加えます。
先生の言うように、いいこと、悪いことなんて今思うとないように実感します。

自分を取り巻く事柄は、よく表現できませんが、意味があってつながってくる。とか、自分だけが自分ではなく多くの自然の一部分だと言うことはとてもよく感じます。

先生の荒れた畑や崩される山を見たときどう思うか?と言うあすなろ新聞の記事で私は、子どものころからひどく寂しさを感じていました。その気持ちは、小さな頃から父が往復8時間かけて年に2回お墓参りに愛知県まで連れて行かれた時いつも思っていました。お墓参りは好きではありませんでしたが。そこにも今の自分につながる事が沢山あるんですね、先生。

なぜそう思うかなんて考えた事がなかったのでそれを気づかせてくれた先生に感謝です。
今私は大きなものの中の一部分なのだと言うことをとても強く実感しています。



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連載16 癌 完全なる治癒

息子が5才、私の父が脳梗塞になりました。

何度も、何度も気分が悪くなり救急車で病院に運ばれました。そのたびに点滴をして、気分が良くなると自分で「風邪だ、もう大丈夫」と言って家に帰ってきてしまいます。そんなことを繰り返しある日、「お父さん、しゃべりにくい、しゃべり方変じゃない?」と何度も聞いてきたり、真っ直ぐ歩けなくなったりしましたが、「疲れてるんだなー」と言って絶対病院には行きませんでした。

ところがとうとう、思うように歩けなくなった時脳梗塞を経験した人に「脳梗塞よはやく病院行きなさい。」と言われ、一目さんに専門医に行くとその場で入院となり、すでに頭の中では3回も血栓の後があるような状況でした。

病院でも仕事道具を持ち込みやはり仕事の事ばかり考えていました。手術などはしないで薬だけで完治し、退院できる日に血便があり胃カメラを飲んで胃癌と解りました。

「癌かよーそんなはずないのにー」県立癌センターに移りやはり胃癌で胃を全摘出とのことでした。そうすれば、あと20年生きられるといわれ、父は「先生、あと20年しか生きられないんですか?」と質問すると、「鈴木さんあなた63才でしょ、あと20年生きれば充分でしょ」なんて言われてました。

私はすぐに富田先生に連絡し相談させていただきました。先生はいつものように優しく、あすなろ米と黒米を食べなさい等いろいろ指導していただきました。すぐに送っていただき父も喜んで食べ始めました。とても元気でしたがまだ血便は出ていました。たびたび癌センター(すごい名前ですよね)でたびたび主治医の先生に脅かされてました。

「はやく切らないと手遅れになります。今切っておけば安心です。手術さえできない人がいる中、鈴木さんはラッキーですよ。(ラッキーとかアンラッキーとかの問題?)胃はなくても大丈夫、脾臓も取ります、私の同期も脾臓を摘出してますが、全く問題なく生きてますし。何の支障もありません。念のため、リンパも取りましょう。」

なんなの、この人、かなりむかついた私は、若い主治医を質問攻めにしました。が、何だか人間の殻相手にしゃべっているようで。父に手術は反対だと何度も言い理由も説明しました。父も手術しないでどうにかなるような気がする。と言って、黙って富田先生に言われたものを食べていました。

しかし、問題は、心と、生活です。自営業の父は車の板金の工場の職人です。寝ないで仕事をしてしまいます。何度言っても生活を変えようとはしません。そんなとき検査で血便はなくなっていることがわかり、体の状態もかなりいい状態でした。細胞も何にも問題ない。だけどCTに写っている癌に癌の根っこというものも写っていました。

この根っこが胃を貫いてリンパに到達するギリギリのところだと言われ、ましても「急がないと、急がないと手遅れになる。」を連発され私が反論しても父は「たかこ止めて、もう先生の言うと通りにする。じゃないと心配でどうにかなりそうだ」

例へ、自分の父親でもその人の命、決めるのは私ではなくて本人にしかできない・・・とても、身にしみた経験でした。地獄のさたも金次第とは医者彼らに対する言葉だと言われ母は「お父さんが一生懸命働いたお金、先生によけいに渡してきちんとした手術をしてもらう」と言って大金をもって行きました。リンパもとらない、脾臓も残す、もしお腹を開けて内視鏡でとれる様だったら、胃はとらないでほしい。」と頼みましたが、リンパと脾臓は様子を見て大丈夫だったらとらないが、一度開けたお腹を何もしないで閉じることは責任が終えません。」と受け入れてもらえませんでした。

手術当日、摘出した胃を目の前に主治医は言いました。「実はCTに写っていた癌の根っこは消えてありませんでした。なので本来内視鏡でとれた癌です。脾臓は残しましたが、リンパは何となくはれている様なので2つとりました。」

家族は皆無言でした。・・・ほらね・・でも富田先生ってすごい!!
あすなろ米、たった2ヵ月半食べただけだったのに!!
手術後2日目には父は意識もはっきりしていました。その話をすると「えーじゃー胃とってない?」「だってお父さん取っちゃう様な先生で良いって自分で決めたんじゃないの、みんなが反対したにもかかわらず」「そうですねー・・」

その後3年近くたちますがやはり言葉では表現できない苦痛と共に元気に生きています。そして家族みんな富田先生に感謝の気持ちでいっぱいです。
今でも「みどりのお米をたべ、癌になった友人にせっせとみどりのお米と自分の話をしてお米を配っています。
posted by 変才冨田 at 18:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 癌 完全なる治癒 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月30日

連載14 癌 完全なる治癒

子どもはすくすく育ちました。産まれてから富田先生にもみせに行きました。

先生は、男の子だと言うことに何か意味がある様なことを言っていましたが、その時は専門用語が沢山あってあまり理解できませんでした。子どもの耳のかたちの事も教えていただきました。そしてこれから、どのようにしていけば良いかも相談しました。

母乳は6才まであげても良いのです。おしゃぶりも与えてよいとの事でした。理由も納得がゆくようお話していてだきました。息子には歯が生えて来る迄母乳以外のものは一切与えていませんでした。1才児検診の時、小児科でとても有名な先生に診察していただいたとき、看護婦さんに母乳以外与えていないと言うととても強い口調で怒鳴られました。

「いつまで、母乳あげるつもりなの!だめよ!」「ああー、6才まであげて良いと言われてますから。・・」
「誰が、そんなこと言ってるの、そんなのダメですよ!」
それを見ていた先生が息子の診療を終えた後にニコニコしながら、「あなたのお子さんは、100人に1人いるか、いないかの最高な赤ちゃんです。最近はなかなかこんな赤ちゃんみません。いろいろな事を言う人がいますが、お母さんあなたが赤ちゃんにしてきた事は自信を持って続けてください。何も間違っていませんよ。」と言われました。

かなり嬉かったものです。その後の食生活はだんだん力が入って頑張っていました。どうしても甘いものと、パンが食べたくなり先生にお願いしてみました。お願いされても、って感じですよね。甘みはメイプルなら少し食べても良いとのお許しが出ましたが、パンはまだダメでした・・。

posted by 変才冨田 at 22:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 癌 完全なる治癒 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

連載13 癌 完全なる治癒

その後妊娠8ヵ月の頃、本来ならば死んでいるはずです。全然元気に生きていました。血液検査、尿検査、エコー検査、(このときは卵巣癌をエコーで診ることはできません)全ての検査から癌を疑う数値は消えていました。いつも担当医は吉野先生でしたが、最後、お腹の子の心臓に穴があいてないかの検査の結果を診た別の先生が驚きの声を上げて、
「あなた何かしてるでしょう!」
「何かって??言えません。」
「どうして?あなたの血液や尿検査の数字を診ると、妊婦とも思えないし、普通の状態でもこういう数字は出ないのよ。」
「それって、良い事なんですか。悪いことですか。」
「良いも悪いも、すごい事よ、何してるの教えてよ。」
「エー、嫌です。いろいろ言われるし、もうあんまりいろいろ言われたくない・・」「言わない、いろいろ言わないから」
「あー、玄米?玄米食べてます。」
「「やっぱりねー、それだけ?それだけじゃ無いでしょう」
「あー、玄米菜食?です。それと白いお砂糖の入ったものは一切食べたり飲んだりしないです」

その先生はその言葉を素早くメモしていました。それから出産予定日に近づいて来たとき、病院から入院時必要なものが入っている袋をもらい助産士さんと話す日がありました。ひとつ疑問に思っていたことがありました。「あのー、私いろいろ事情があって一般の妊婦より3倍も4倍もエコー検査しているんですが、母にそんなことして大丈夫なの、止めなさいと言われるんです。でも、病院では私が望む望まない関係なく定期的にエコー検査するけど、これって子どもに影響とか無いんですか?」と聞きました。

すると「医学的に良いか悪いか、お腹の子どもに影響があるか無いか、はっきりわかってないのよ。その結果が出るのはまだ数年先の話しかもねー。何年後にはエコー検査止めてるかも知れないし。それは今は何もわからないのよ。」
ひっくり返りそうになりました。瞳孔が驚きのあまり開いたと思います。
病院ってこんな所だよねー・・恐ろしい・・

その後、病院で出産しました。普通分娩でした。お腹に機械を付けて陣痛が来るのをわかる様にしていました。これが味わった事のない苦痛でした。主人が時計を見ながら「はい、後1分、後30秒、はい来るぞ!」そう言うと本当に陣痛が来て、陣痛がこないときと、来た時のあの違いが耐えられず・・しまいに主人は、横で冷静に本を読み出し、「本なんかもって来るなー、何であなたは、普通でいられて私だけこんなにつらいの!!!」それが22時間続きました。
そして、無事出産も終わり、助産士さんや先生に「こんなに肌の綺麗な赤ちゃんらしい赤ちゃん見たことない。」と言われました。

子どもと逢えないと思っていた時もあったので、それは、それは嬉しかったです。母乳も何の問題もなくすぐにでました。病室では母乳が出なくて痛くてなくお母さんもいました。「このかさぶたとれたら、母乳が出るのかと思っていた」と言うお母さんもいました。私は富田先生に薦めていただいてた大麦若葉も飲んでたし!楽々でした。

posted by 変才冨田 at 22:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 癌 完全なる治癒 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

連載12 癌 完全なる治癒

食器を洗うときも、お手洗いにいるときも、何をしてても頭の中は何十もの事柄を次から次へとずーと考えていましたが考えない、考えないそう言い聞かせていました。

食生活も楽でした。産婦人科では30種類をバランスよく食べる様言われていました。頭痛がしたものです。一体全体どうやって30種類の食材をバランスよくとりゃーいいんだい?!見本を見せろ!!なんて、思っていたので先生の食事は玄米・ごま塩・みそ汁(豆味噌)ひじき・をお腹がすいた時食べればよい。白い野菜を水炊きにして、大根おろしと、にんじんをおろしたものとポン酢で(動物だしの入ってないもの)食べる。飲み物は番茶(茶色いお茶)、母乳が出やすいように大麦の粉を少々。これだけでした。ひたすら守って食べました。主人も同じものを食べていました。

その後、大医学病院の婦人科の○○部長先生に事情を話し、何かあった時の責任はとれないがずっと経過を診てくれると言われ、定期的に血液検査と、エコー検査、尿検査、内診を続けてもらいました。

自分の病気を友達に話すとみんな私のまわりからいなくなっていました。「そりゃーそうだよね、もうすぐ死んじゃうかも知れないんだーなんて相談されても返す言葉が見あたらないものだし。」いつもそばにいてくれたのは、飼い犬のタバサでした。彼女は私が不安になって泣いているとすぐにそばに寄り添っていてくれました。泣くと病気が悪くなるし、お腹の子どもの目も悪くなる、と鍼の先生に言われていましたが、泣かずにはいられない時もありました。犬をなでていると不思議と涙はすぐに治まります。自宅にいてふと孤独を感じる時、精神的に飼い犬のタバサに支えられました。

この頃、両親には、まだ病気のことを、詳しく話していませんでした。ある日お腹が強く張った時がありました。
いつもより痛みがありどうにもならず、母に電話をしすぐにタクシーで病院に駆け込みました。病院に行くと何の異常も無く、すぐにお腹の張りはおさまりました。病院の前にいると母が全速力でこちらに走って来ます。その姿を見た瞬間「お母さん何でそんなに走ってるの!!」と思いましたが、本当に嬉しくて、私はこの人の子どもなんだ。「お母さん、お腹何でも無かった。赤ちゃんも大丈夫だって。来てくれて有り難う。」そう言うと「良かったわ」母の経営するお店から結構な距離があるのに、本当に走って来てくれた事が嬉しくてたまりませんでした。

帰りふたりで歩いていると「なんか、食べて帰ろうよ、お腹空いてないの。」すいてない・・と思ったけれど、「食べよー、お母さんの好きなもので良いよ。」「じゃーお好み焼きやさんにでもいく?」母は、お好み焼きが大好きでした。その日は、少しつきあった様に思います。

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連載11 癌 完全なる治癒

その後、卵巣癌であと4が月の命と言われても手術にも踏み切れず、だからと言って死ぬのも寂しいどうするか考えている間に何か体にいい食べ物とか本とか無いだろうか、と思いながら、あるお店に初めて行ったのでした。

なぜ、本屋さんとかじゃ無かったのかなぜ、その店だったのか今でも不思議な感じです。そのお店のオーナーは私の質問に「神戸から富田さんと言う食事で病気を治してくれる人がいるのよ、もうすぐここに来るから会ってみれば」と言ってくれました。約束の日、富田先生に会いに行きました。

私は結構必死で自分のこれまでの病状を先生に話しました。先生はゆるーく笑いながら「あなた、大丈夫ですよ」そう言っていろいろと教えていただきました。とても優しかったです。

でも話しの後半はあまりよくわかりませんでした。陰性とか陽性とか陽性って妖精さんの事ですか?でも聞けない・・なんて思いながら、波動測定器も何だか信用できず、「大丈夫でしょうか、なんかインチキな所にきてしまったかい?」なんて思っていました。結果を診た先生が言うことは医者に言われた血液検査や尿検査の結果とほぼ一致していましたし、時々胸がどきどきとして呼吸がうまくできない症状も先生に指摘されました。

動物、白砂糖、その他甘いもの、乳製品、小麦粉これを止めなさい、あれを食べなさい。いろいろ教えていただきました。すると先生は「あなた、明太子大好きでしょ、口寂しくなると冷蔵庫からチーズとか取り出して食べてない?」驚きました。その通りです!明太子は欠かした事はありません、口寂しくなると一口サイズの牛の絵が描いてあるキューブチーズが必ず冷蔵庫にあり食べていました。

次に先生は、私のエゴギョウを診て言い始めました。「あなたは、外側の殻がとても固くでも中には柔らかいものをもっているんだよ、きっとご主人はあなたの中の柔らかいところをわかっているんでしょう。」その言葉に私はこう思いました。

卵巣癌だと言われた時、「道にお財布が落ちてたり、知らないおばあちゃんが道に迷っていたり困った人を見ればすぐに助けたり、今までバカ正直に生きてきた、私は絶対いい人だったはず!なのになぜ、そんな私がこんな目にあうのだろうか。たまにお父さんのカバンからお金を盗んだ事もあったけど・・・(初告白!)

命が助かるならいくらお金を払えばお医者様は助けてくれるだろう。地獄の沙汰も金次第って言うし。(意味違う?)時間を巻き戻しするにはどうすればいいんだっけ?そこからもう一度精進していい子になりますから病気は無かったことにしてください。」

先生の「外側の殻はとても固い」と言う言葉にもかなり身に覚えが・・私は口癖の様に「私の事はあなたに理解してもらわなくて結構ですので、これ以上私に近づいて来ないでください」とよく口にしていたし、口に出す前に顔と態度で威嚇していました。「貴子さん怖いよね」と言われる事は全然嫌ではありませんでした。むしろ喜んでいたと思います!
卵巣癌を告知された時「私はいい人、優しい人。なのになぜ?」そればかり頭を巡っていました。

先生は私に優しく言いました。「心と体は別々に存在しているわけではありません。ひとつです。あなたの心が病を体につくりだしたんです。頑固ものに多い病です。」
先生はこうも言いました。「あなたは、近道ばかりしようとして、自分で無駄だ邪魔だと思った事を全て切り捨てはやく目的地までたどり着こうと今までしてきたんですよ、目的地が一緒ならゆっくり遠回りしてもその分みえてくるもの出会うものもある、ゆっくり遠回りすることは大切です。それと、人を変えようとするのは止めなさい、寝るときに自分の心とずっと話していると思いますが、1分前の過ぎたことはもうもとに戻せないのですから、考えても仕方無いのですよ。野村さちよさんのようでいいんですよ!にやにや。」
先生はまた緩やかに笑って。「あと、あなたは言葉がたりない」またゆるーく笑いながら。
その日から先生に言われたように食生活を変え、ものの考え方も意識しながら過ごしました。

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連載10 癌 完全なる治癒

その大学は、音楽の勉強もできる大学だったので、卒業間際マリンバ演奏をしている生徒を見て「私の居場所はそっちだったかも・・」と後悔しました。

その後、先生に公共広告機構(字が違っていると思いますが)で公共広告がつくりたいと言うと、電通に就職しなさいと言われ、推薦してくれました。会社訪問の日行ってみると、女性はニューヨーカーの様にスカートスーツで仕事をするべし!なんて事を耳にして、生意気にも「長いものには巻かれたくない」そう言って断りました。

その後も何だか「大人の世界ってすごいのだろうナー、全てがビックなんだろう!」なんて胸ときめかせていたのに何だか違うぞーと思うようになりました。

さて、どうしよう・・・と考えていると、大学で知らない先生に「君は、私の母親に似ている」と言われその後、就職することになる広告代理店を紹介し推薦してくれました。「ここなら自分が出せるかも。」いくつか広告のコピー大賞なんてものもいただいてたので、すぐにその会社の内定が決まりました。このときも母は私には何にも相談がないと怒っていましたが私は自分が思っただけで人にも伝わっていると思いこむところがありました。

その会社で人を必死に自分の言うように変えようと来る日も来る日もまるで憑き物がついてるかの様に7年間毎日過ごしてきました。会社を辞める時に一番気のあった上司にやっと憑き物がとれたねと言われました。その時は、何言ってるのこの人!としか思いませんでしたが・・
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連載9 癌 完全なる治癒

まだまだいろいろありますが、父と母は私と妹と必死で生きていた印象があります。夕方になると母は「お父さんの工場に電話して」と言って毎日私達が電話をして「何時に仕事終わる?ご飯できてるよ」必ず夕飯は毎日家族そろって食べました。母は一生懸命父のために沢山の夕飯をつくってお昼も母はお弁当をつくっていたし、残業の時は3人で父にお弁当を届けていました。

父は祖父と本当の祖母のお墓参りを年に2回40年近く一度も欠かさずにしています。愛知県の鳳来寺という所へ車で5時間かけていきます。子どものころ旅行は年に2回のお墓参りでした。今でも続いています。主人と私と子ども達を、連れて。
ずっと習い事の毎日を過ごした私は、自分の意志ではなかったので結果はどれもよくありませんでした。続ければ続けるほど、ぱっとしない感じです。

塾も本当に「なぜここにいるのか、何しに来てるんだっけ」あんまり実感無くただ通うだけ。塾の成績をよくするために家庭教師をつける、でもいつもおしゃべりだけで終わっていました。
唯一マリンバと言う楽器を4才の頃から習わせてくれた事は今でも心から感謝しています。が、練習は恐怖に満ちあふれていました。家での練習は横に母がマリンバをたたくバチをもっていて間違えると手や頭、バシバシたたかれます。

「私はマリンバか」なんてたたかれ泣きながら思っていました。妹はその状況をいつも見ていたので「絶対マリンバはならいたくな」と口癖の様に訴えていました。が・・とうとう妹も習わされる日が来ました。マリンバの教室で先生や他の親子の前で必死に大声で泣き叫び抵抗する妹の姿は、今でも目に焼き付いています。思い出すと笑いが止まりません。私はその時一緒にたたかれ、痛みを分かち合える仲間ができたと、チョッと喜んでいました。

小さな頃は恐怖のマリンバ練習も小学生高学年になると楽しくなりました。
なんと言ってもマリンバをひいている間気持ちがのっていると、無の状態になります。何にも考えない状態です。心が真っ白くなるというか何とも言えない状態になります。その時はすばらしく気持ちがいいのです。発表会の時もそうです、大勢の人の前で、うまくとか、間違えないようにとかそんな事を考えると全くうまくひけません。楽器を弾くときは、現実感のない別のところにいる感じがいい感じです。気づくと曲をひき終わって拍手の音で気がつく・・気持ちが良い瞬間です。

母親は、音大に行ってほしいと思っていたようでしたし、先生からもすすめられましたが、ピアノが弾けなかったので受験のためにピアノの練習をするのが何だかインチキ臭くてあまり受け入れられませんでした。尊敬する先生も大学には行っていない先生だったので。先生とマリンバで共演したとき「うわー、才能ないやー」とほとほと気がつきました!大人になって「お母さん、マリンバ弾けるんだーてな感じで充分だ」、と思ってしまい、音大には行きませんでした。高校生の時自分の進路を決めなければならなくて、勉強は苦手だし、進学クラスには行かず就職クラスにいた私は、学校の廊下の窓からオフィスビルの小さな窓の向こうで、小さな人達が机に座って仕事をし、電話でしゃべっている風景を見て、あんな小さな箱の中で生きたくない・・。

そう思い7クラスあった就職クラスの中で唯一1人無理矢理短大を受験しました。先生からも無理だ無理だと言われたけれど、その時公共広告や、環境問題にとても関心があったので、広告の勉強ができる短大を受験し合格しました。

合格発表の日は大雪で大勢の人が群がる発表台の前で思いっきり滑って転んでなんて縁起が悪い人だ!!!と思われてる、・・なんて。起きあがり見上げると自分の番号があった時はさすがに嬉し涙があふれました。滑って転んだけど大丈夫だったー!!
posted by 変才冨田 at 16:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 癌 完全なる治癒 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月29日

連載8 癌 完全なる治癒

母は幼い頃それはそれは悲惨なこども時代をおくり大人になってからも親戚から嫌なことばかりされて過ごしてきました。私が知っているだけでも本か何冊も連載できるほどです。父も6才の時母親が泡を吹いて倒れ脳梗塞で目の前で亡くなり、祖父はとてもいい人でしたが再婚したためその母親に父は殺されそうになるなど、大変なおもいで生きてきた人でした。

私は常に家族以外は信用できず、親戚や父の祖母から優しい言葉すらかけてもらった覚えもありませんでした。母は口癖のように「あんた達姉妹は仲良くしてね」そう言っていました。父は私達に「大人って、本当に汚いんだよ、」と言っては親戚や、他人がしてくる嫌な事を悲しい表情で私達に話しました。

母は自分がしてもらえなかったことを私達にしてくれました。習い事は週5日必要なものは「どうせ買うなら良いものを」と言っておもちゃ以外のものは、何でも与えてくれました。子どものためならお金なんておしくない。学校も当然私立で受験勉強を4才からしていました。幼稚園は仏教の教えのある厳しい幼稚園でした。今でも意味もわからない般若心経を忘れることなく覚えています。

先生から意地悪をよくされていました。いつも幼稚園の同じ子ども達の中にいても言いようのない孤独感を感じていました。ある日幼稚園が終わってから園の中で絵画教室の習い事をしていたとき、日頃意地悪をされている子どもに、ここは通ってはダメだと言われ無視して通ろうとすると、頬に噛みついてきました。噛みついてきた子どもは力いっぱい震えながら私に噛みついていました。声も出ずに目で誰かを捜すとその絵画教室の先生が見ていましたが助けてはくれませんでした。自分でじっと噛みつかれるのを止められるまでじっと我慢していました。

父と母はとても怒って相手の子どもの両親と幼稚園に話しをしに行っていましたが、それからもその幼稚園に通っていました。とても大嫌いな幼稚園でした。母と父はとても仲良しでした。喧嘩も見たことがありません。母はよく怒る人でした、カッとなるとすぐにぶたれたり髪の毛を引っ張られたり、親戚中から「あんたのお母さんは血圧が高いからヒステリーで子どもはかわいそうだ」言われていました。塾で頑張っても母にほめれれた覚えはありません。

よく台所で夜ご飯の支度をしている母の横に行き今日の出来事を話そうとすると、嫌がられました。2才下の妹がいたためか私はに抱っこしてもらったり、手をつないでもらったりした記憶はありません。よく母には、「この人は産むとき本当に苦しまさせられた。4350グラムもあったんだから、4日間病院で苦しんだのよ、おっぱいなんてでなかったから、同じ病院に入院している人達に、おっぱいもらってたのよ、あなた大きいから、よく飲んでみんな喜んでたわ。」

母乳の出ない女性なんていないと知った私は、いろいろ母に聞いてみると、出産3ヵ月前からアメリカの粉ミルクを大量になめていたそうです。私は産まれて病院にいる間の1週間だけよそのお母さんから母乳をもらっていました。(なんとありがたい!)

退院してからは、アメリカの粉ミルクで育ちました。その粉ミルクのカンは今でも覚えています。(すごい記憶力!)父は自営業だったので男の子を望んでいました、母は自然分娩でかなり苦しんだ後、帝王切開し吸引機で私を取り出したため、頭をけがししかもタコのように長く伸びていたため、毎日母の見舞いには来ましたが、私には会わなかったと母から聞きました。(笑い)
posted by 変才冨田 at 20:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 癌 完全なる治癒 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

連載7 癌 完全なる治癒

今度は以前とは違う病院へ行きました。妊娠初期軽い切迫流産もありましたが、家で安静にし乗り切れました。妊娠4ヵ月の時右の足の付け根の上あたりに違和感を感じてたまに痛みを感じたりしていました。

そんな時以前のあの病院の術後の検診の予約の知らせが届きました。
産婦人科の先生に相談すると、今は何も異常がないから行って検診を受けて来てもいいと言われ、行ってしまいました。

そして内視鏡を入れたまま担当医が、「管先生呼んで!癌かも」そう言って10分以上そのまま待ちました。

すると管部長先生は「あー後4ヵ月もつかってとこだね!あんた、切るか切らないか、自分で決めて、あの時切とけば助かったのにって後で訴えられても困るから」そう言われ、診察台から降りて着替えながらその言葉を聞いていました。

言葉は耳に入って来るけど意味が理解できない・・そんな感じで、主治医の前に座ると「どうする、切る切らない?」と再度それだけを聞かれ、「病気の説明もなく、切るか切らないかを聞かれても答えられませんので、とりあえず家に帰ります・・」すぐに掛かり付けの産婦人科の先生に電話をし、事情を話すとすぐに来るようにいわれ、話しをしました。「あなたが癌だって!余命4ヵ月!、すぐに別の大学病院の先生達に話して診てもらおう」それから、ありとあらゆる病院の名医と言われる先生に診察してもらいました。

そのたびに、主人と一緒に話しを聞き、採血しエコーを撮り、人間の血って無くならないんだなーなんて思いながら。
結果は変わりませんでした。血液検査の結果も尿検査の結果も、エコー検査の結果も悪性の癌、あと4ヵ月しか生きられません。そのままほっておけば8ヵ月の時には癌が外に出てきて、あなたも赤ちゃんも死にます。だから来月5ヵ月までにお腹を切ってそのまま癌治療をします。赤ちゃんはあきらめてください。来る日も来る日も同じ言葉でした。

27才の娘と初孫は、あと4ヵ月で死んじゃうってお医者さん8人に言われた・・なんて、親不幸すぎて両親には言えないナー。
posted by 変才冨田 at 13:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 癌 完全なる治癒 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする