玄米を食べ続けて50年
マクロビオティックの創始者・桜沢如一先生が、提唱した半断食法「七号食」を何度も実践した結果、「未精製の穀物(玄米・古代米・雑穀米)を好きなだけ食べても7号食と同じ効果が得られる」事を発見、『トミタ式七号食』の普及に努めています。

ブログ記事も8000を超えました!


2014年01月06日

仕事と生き方5


問題

大きな犬を連れて出かけました。

目的の場所に行くのを犬が嫌がった時は必死で引っ張ることになり疲れ果ててしまい

目的地へ行けません。

あなたはその犬をどうしますか?
posted by 変才冨田 at 22:55| Comment(2) | TrackBack(0) | 心の目的 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

悲しみの疾走 1

そういったのは小林秀雄でモーツアルトの音楽の本質性を喝破しました。

あの一見楽しそうな音楽の中心部分の悲しみを感知したのですね。

わたしも同じでモーツアルトを聴くととても悲しい気分になるのです。

いえ、とても楽しいのですがとても悲しくもあるのです。
不思議ですね。

わたしはよく歌を唄うのですが

明るい歌を悲しそうに唄うのは得意です。←自慢している^^

ピアノを弾いていても、長調の曲想なのに無意識に短調に転調して弾いてしまっていることがあるのです。

良い曲は明るい曲でも悲しみを抱えているもののように思います。


なんでそうなるのか・・・。

これは探ってみるととてつもなく壮大な話につながってしまいそうです。

いのちとは何かという命題にまで突っ込んでいきそうです。

わたしの場合は生命の根っこから疎外された感覚があるようで、

このことはわたしの本質的な孤独気質に関わっていそうです。

これが因になって今の仕事につながっているようですね。

続く



続く
posted by 変才冨田 at 19:16| Comment(1) | TrackBack(0) | 心の目的 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

仕事と生き方4

以下、引用

「福祉は尽くしてナンボ」


 関東地方の障害者施設で働く20代の男性も「もう辞めたい…」と劣悪な労働環境に苦悩する。15人ほどいる従業員のうち、年に3、4人が辞めていき、慢性的な人手不足が続く。

 時間外労働は月120〜150時間に及ぶが、残業代は出ず、毎月手取り約18万円が支払われるだけだ。残業代について施設長に聞いたことがあった。施設長はこう言い放ち一蹴した。

 「何言ってんだ。福祉は利用者に尽くしてナンボの仕事だろう」

 1日5本ほど栄養ドリンクを飲み仕事をする。夜勤明けで車を運転していると、睡魔に襲われ対向車線に出てしまったこともある。

 「とにかく残業代を支払ってほしい。いつも眠く、体調も悪い」

 男性は職場環境を改善しようと労働組合に相談している。

引用、終了

現在の日本はライス・ワークさえできない状況です。

充分なライス・ワークを成り立たせなければライクにも及ばないでしょう。

ではどうするか。

彼のように全体のために闘うのです。

ここから急速にライクやライフが立ちあがってくるのです。


ところでワタミや介護関係の会社はスタッフの使命感を利用して搾取する傾向があります。

むしろ使命感を育てようとしている感があります。

やる気にして、けれど報酬は与えない・・・。

現代の時代が徳川時代と違うのはこの点でしょう。

徳川時代は農民に対して「生かさず、殺さず」という搾取でしたが

現代は「やる気にしておいて、ギリギリ生かして殺す時もある」ということで

よりえげつないですね。

全てはライスの為にやむなく闘いへ!

それが生きがいというものの必然のコースになります。

ところで「やる気にしておいて」のやる気と。自覚的なやる気の違いはどこにあるのでしょうか?



posted by 変才冨田 at 14:16| Comment(1) | TrackBack(0) | 心の目的 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

想(そう)について 気分を変えれば行動が変わる

想とはイメージですね。

ある種の映像的な、あるいは雰囲気、あるいは情緒的な感覚です。気分的なものということです。

対人関係においてもこの想が大きく影響します。

仕事においても困難な場面に遭遇したときに、それを重く、あるいは軽く、暗く、あるいは明るく感じるような想は大きく後の行動に影響します。

気分が悪くなるような毎日を続けていると、それから逃れようとして病気になります。

あるいは想が良ければ乗り越えてもっといい気分がやってくるかもしれません。

宗教の役割の一つに、この暗いイメージを祈りによって明るい気分に転換させてくれるということがあります。

どうしても自力では乗り越えられないと直感したとき「祈り」はやむにやまれずしてしまうものです。

わたしは無宗教なので祈ることはしませんが、気分を変えるいくつかの言葉をもっていて

その言葉を唱えることで気分を変えることがあります。

気休めなのですがね^^;

一つは「遊びやせんと生れけむ」
これはつまらないことにこだわっているときに使う言葉です。

重要な選択に迫られたときは

「どうせ死ぬのだからね、もっと楽しもう」

そうやってしない選択よりはする選択をしてきました。



posted by 変才冨田 at 01:18| Comment(2) | TrackBack(0) | 心の目的 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年01月05日

仕事と生き方3 ライスからライフへ旅立つ方法

ライス・ワークはライク・ワークやライフ・ワークの土台になりますから重要です。

世界的には貧しい国が多く、その国の人達はライス・ワークもできていません。

ライス・ワークに子供も巻き込んで、それこそ「必死」でやっています。

けれど、そういう状況だからこそライク・ワークもライフ・ワークも満ち満ちています。

命がかかっているところには、それこそライフ・ワークが存在しています。

自分だけの「いのち」から進まない人はライス・ワークにとどまり、

多くのいのちに関わる人はライクからライフへの道筋に乗っかるでしょう。


要は「いのちとはなにか?」という生命観なのですが、

その生命観は必死でライス・ワークすることからしか生まれないでしょう。

人間の労働は意識とは関係なく

多くの人の役に立っています。

自分の労働の及ぶ範囲をどこまで見つめられるか。

範囲が拡大するほど、その働きはライクへライフへと進化します。

人は自分の働きの結果を賃金だけでなく、どう役に立っているかを知る必要があるのです。

わたしだって同じです。

食養指導をした結果を知ることで、どれだけ生きる力が励まされることか。

自分の働きの結果を知ろうとする欲求はどこから生まれるでしょう。

テスト勉強を一笑懸命した人はその成果をとても知りたくなるでしょう。

しなかった人は、きっと結果に関心もなくなるでしょう。

つまり

自分として最高の仕事を心がけることが、自分の働きの範囲を拡大して見つめることができるのです。

学生なら先生の板書をノートに写す時、その日最高の字を書くことを心がけるのです。

嫌だと思っている仕事でも最高の丁寧さで実行すれば、それはライクからライフへの道筋になるのです。



posted by 変才冨田 at 20:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 心の目的 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年01月03日

仕事と生き方2

多くの人はライス・ワークをしながら、けれど家族愛や友愛などの人生体験を積み重ねて人生を終えます。

それで充分じゃあないか、そうも思うのですが・・・

けれど、そうは思えない人が
おそらくこのブログの読者には多いと思うのです。

やはり「人はパンだけではないなにかを求めるもの」なのです。

では、その何かとは何か?

それは多くの人との感動体験の共有ということでしょう。

仕事とはその感動共有の体験をするための場なのでしょう。

ライス・ワークのときはおそらくその場ができていない。

ライク・ワークにはそれが多少とも混じっている。

ライフ・ワークともなれば、おそらく私心も無い、私心もないから私欲もない。

「私」という存在が無限に拡大している状態こそが究極のライフ・ワークなのでしょう。

滅私と無私は似ているが対極にある概念です。

無私とは私が無くなったのではなく、拡大したので私という存在が見えなくなったのです。

人生の目的とはそこにあり、それに至る筋道は全て「生きがい」に満ちているはずです。

仕事をともにする仲間は、この目的が見えている人としたいものです。

さて、ライス・ワークを打ち破ってどうライク・ワークからライフ・ワークに至るか。

続く









posted by 変才冨田 at 22:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 心の目的 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年01月02日

仕事と生き方

何年も仕事をやってきても

いまだにライス・ワークから抜けられない人は

ただちにその仕事をやめるべきです。

人生の無駄遣いをこれ以上続けることはやめましょう。

早くライク・ワークを見つけるべきでしょう。

ライス・ワークは長年やっていると義務的になり

主体性も衰退してしまい

あなたの人生そのものも輝きを失ってしまいます。

ライク・ワークを経験しなければ

遂にあなたはライフ・ワークという宝を見つけられないでしょう。
posted by 変才冨田 at 22:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 心の目的 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

仕事と生き方

以前のこと書いたことがある。

いくつか抜粋します。

長いですが・・・。


仕事には3つのステージがあるといいます。

1ライスワーク お金のため

2ライクワーク 好きだから

3ライフワーク 使命感

なかなかうまいですね。

これは人間の発達段階のことですね。
2は1を否定しているのではなく、1を土台にして引き上がっています。
3も1,2を肯定した上で発展しています。

人はパンのみにて生きるに非ず、とはパンも必要だけどねっていっているわけです。

あなたは3つのうちどの段階でしょうか?

わたしのライフワークは今の仕事の先にありますが、今の仕事を土台にしていますので

むろん、今の仕事もライフワークだといえます。

ライフワークだと言えるようになったのは40台後半のことです。

みなさんも焦らないでください。

ライフワークだという時の別な表現があります。

「生まれてきてよかった、あなたに会えたから」

と同じです。

「生まれてきてよかった、この仕事ができて」

そう言えるもの、これがライフワークです。

以下は以前の記事です。

動機について20
動機とは動氣のことであって、氣が先行して動きが生じるものですね。

「その氣」がなければ動(どう)にもならないのです。

東洋医学では「氣・血・水」といいますが、本当は「氣→動→血→水(リンパなどの体液や細胞内水」なのです。

身体的な動きがなければ血も水も動きようがありません。

けれど「動き」は氣の量やその方向性に左右されます。

「その氣」の無い人を「その氣に」させるのは難しいものです。

これは対人関係のみではなく自分自身の動かしようの難しさをみなさんは日々感じているはずです。

そこで一般的には「利」や「理」を説いて自分や他者を動かそうとします。

「利」とはパンのことであり、「理」とは聖書にある「パンのみにて生きるに非ず」のことです。

「パンのみにて生きるに非ず」の意味は、

人という動物はパンも必要だけれど、

社会的動物の人間なのだから「パン以外のことも必要だよね」と同意を求めているわけです。

「利」と「理」どちらが大切で根源的なものかというと

もちろん「利」なのです。

パンに触発されて、パンを求める道程のなかでパン以外のものを発見します。

パンのために就職するわけですが、その職場(食場)で生きがいを見つけるわけです。

最初からパン以外のモノを探してはいけないのです。

もっとも人間にはその育ちから向き不向きがあります。

その職場で自分に向いているモノをみつけることです。


ここで重要なことは

そこで1年経過して食べられないのであれば対策を立てねばなりません。

漫然としていては年齢だけ重ね、大切な時を失ってゆきます。

そこが向いているのであれば、それを続けることです。

続けるためには食べられなければ無理というものです。

別に食べる対策を講じなければいけないでしょう。

そして3年を経過してもそこで食べられないのであれば

そこに分岐点があると知らねばなりません。


起業の考え方。

起業したい人は多いです。

最初からお金を借りて起業するのはだめです。

自分で我慢して資金を溜めて起業することです。

その我慢が忍耐心を鍛えてくれます。

その忍耐心が起業の資格になります。

お金の稼ぎ方を知らないうちに使い方だけを知るのはだめなのです。

我慢することが起業の資格なのですが、我慢できるかどうかはあなたの「夢」の質とボリュームにかかっています。

できうればその「夢」の質が個人や家族の枠を突破して無数の人々と共有できる「夢」であることです。

共存できる夢は実現できるのです。

ライス・ワークの人の仕事に対する考え方は

1 時間給で判断する。

2 キツサで判断する。

3 休日が多いかどうかで判断する。

4 将来性で考える。

ライク・ワークの人の考え方は

1 向いているかどうかで考える。

2 その仕事が楽しいかどうかで考える。

3 人間関係が良いので(いい人たちが多い)ので働く。

4 将来性で考える。

両方に将来性が出ていますが、これはカッコつきになります。(あとで詳しく述べます)


ライフ・ワークの考え方

1 なにも考えていない、将来のことも・・・。

ライフワークが「なにも考えていない」と書きました。

これは夢中でやっているという状態です。

そこには今しかなく、将来のことなど心配する余地もないのです。

したがって蓄えのことも考えません。

「今しか」ないのですが、その今は確実に未来が内包されており

「今だけ」という過去も未来も切り離した「刹那」ではないのです。

幼児教育のオーソリティである庄司正子先生は

「子供が夢中になっているのを止めるな」といいます。

夕食時間だからなどというつまらない理由でとめると

それは「集中してはいけない」というOSを子供につくってしまいます。

中学生になってから「うちの子は集中力がない」などと嘆くのは

無夕になった子供を止めたからです。

ライフワークは夢中と友達です。

夢の中なのですね。

一瞬の夢だと思っていても

目が覚めると何時間も経ています。

「爛斧らんが」という言葉。

これは村人が山を歩いていると二人の仙人が囲碁を打っているところにでくわします。

見えいるうちに夢中になってしまい、やがて仙人が碁を終えたとき

我に返ります。

斧を探すと、すでに斧は腐っていたということです。

夢中は一生です。だからライフワーク。

動物はライスワークを日々やっています。

わたしたちも人という動物ですからライスワークもやっています。

人間の行動様式は多の哺乳類に比べて多様なので、ライクワーク出会うチャンスもあるでしょう。

ライクワークをやっているうちに、それがいつしかライフワークに発展します。

対象と関わりが深くなるほどそれが好きになり、やがて病みつきになります。

病みつきは夢中と同義です。

そうなった時ライフワークになっています。


さて、ライスワークから全ては出発するということです。

二十歳の時「人の悩みの根源とはなんだろう」と自分に日々問いかけていました。

それから数日後だったでしょうか

「人はジッとしていても腹が減る存在なんだ」と気がついた瞬間、解答が得られました。

もしもジッとしてさえいれば腹が減らないのならばどういうことになるか。

人は洞窟から外の世界へ飛び出していかないでしょう。

そうするとなにも出来事は生じない。

それは死の世界と同義です。

腹が減らないというのは満ち足りた状態です。

満ち足りた状態も死と同義です。

わたしたちの宿命とは「じっとしていても腹が減る」存在であるということです。

洞窟の外には多様な世界が待ち受けていて、進化するための装置が満載です。


ところで

現代社会では洞窟から外へ出ない人もいます。

「ひきこもり」ですね。

ひきこもりの人たちが洞窟を出ないのは洞窟で自足できているからです。

決して腹が減らなくなっているわけではないのです。

食べ物を親が運んでいるので自足状態です。

もしも親がいなければたちまち腹が減って解決を迫られます。

やむにやまれず洞窟を這い出ることになるでしょう。

その時から止まっていた時計が動き出します。

人生開始のゴングが鳴ったわけです。

そういう意味で

私たちは「ジッとしていても腹が減る存在」だからこそ

人という動物から人間へ進化したとえいます。

ライスワークは動物から人間へ向かうために必要なことだといえるでしょう。

ですから

「お金のためにだけやっている仕事は虚しい」と考えることはおかしなこと言えます。

全ては、先ずはライスワークから始まるのです。


アダムとイブの楽園追放劇もその筋の物語だったのです。

続く

二人は神の禁止を破って「知恵の実」を食べて楽園を追放された、ということですが・・・。

以下は過去の記事から引用です

自由とは楽ということですね。

固定化されると苦痛です。

苦楽は表裏です。

苦から逃れる道は移動です。

止まると苦がやってきます。

わたしたちが「移動」するのは苦から逃れるためです。

働くという時は「人が動」くとあります。

働くのは苦から逃れるためです。

ですから「働く」ことは楽への道なのです。

エデンの園の二人は働かなかったので、実は苦痛だったのです。

そこでエデンの園から逃れたのです。

神に追放されたわけではありません。

荒野に舞い降りて「働く」ことは神に罰を与えられたわけではないということなのです。

荒野に下りた二人は人類史上初めて「いきがい」を働くことでもてたのです。

エデンの二人の話が出たので、ついでに続けます。

エデンの園ははたして自由楽園であるのか、っていうこと。

神によって仕切られた壁に囲われて神の監視下で暮した状態です。

動物園と大差ないですね。


さて

言いたいことは

動物と人間の自由に違いがあるのかっていうこと。

動物は自然界の秩序法則という網の目の掟があって、それに忠実です。

人は法則を利用してなにか事を為そうとします。

これを自由というわけです。

人間の知恵で法則を研究して、これを利用する。

水が落下するのは自然法則。

その落下エネルギーを使って電力を生み出す。

自由とは秩序法則を自由に侵すことではなく

法則にかなったやり方でできなかったことをできるようにする・・・。

自由とはそのことです。

そういう意味でアダムとイブには自由はなかったのです。

火性の心とは制限を嫌うのですが

木性の知恵で火性の自由への志向を助けてあげると

自由を獲得できるわけです。

リバティは与えられた自由をイメージしますが

フリーダムという自由は獲得する自由というイメージですかね。

84歳のおじいちゃんが

「我に自由をよこせ!」と娘さんに要求していたことを思い出しますね。

危ないからという理由で出歩きを禁止されていたのです。

そこでインソールを注文されて「ほら、つえなしで歩けるではないか!」と

自由を獲得されたのです。





posted by 変才冨田 at 21:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 心の目的 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

芸術になにができるか2

花村先生がバングラデイッシュでなにをしたか?

これは写真を見た方がよいでしょう。

花村先生!

写真を送ってください^^

info@shunki.com
へお願いします。
posted by 変才冨田 at 21:32| Comment(1) | TrackBack(0) | 心の目的 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年12月29日

芸術になにができるか

花村周寛さんという面白いことを考えて実行している方が、おかしな女性に連行されてやってこられました。

http://www.kobeikumen.com/producer.html

と、今年の2月1日にご紹介しました。

http://inyan.seesaa.net/article/317475924.html

↑その時の記事です。

昨日、やはり同じおかしな女性と一緒にやって来られました。

その時のお話です。

先生はバングラデイッシュに行ってきたそうです。

世界中からアートな人たちがやってきて、そこで自分たちになにができるかという課題で集いました。

バングラデイッシュは世界一貧しい国です。

世界で最も人口密度の高い国である。1平方キロメートルあたりの人口は2012年現在で1173人になり、しばしばインドネシアのジャワ島と比較される。人口爆発が社会問題となっているため、政府は1992年より、人口調節を推進して人口の増加を抑えようとしており、一定の成果を上げつつある。1992年に4.18あった合計特殊出生率は2001年には2.56に、2011年には2.11まで減少している。[24][25]。

先生が訪れた場所は不法占拠の場所で、トイレでさえ所有できないくらいの貧しいところでした。

池は排泄物が流れ、そこで米を洗い、歯も磨いています。


先生はその場所を観察してなにができるか考えました。

多くのアーテイストは子どもたちのために巨大な造形物を作ったりしましたが

先生は心の癒やしよりも、そこの人たちの生活に役立つものを考えたそうです。

生活に役立つこととアートを統合しようとしたのです。

ここが重要なところです。

アートとは人間の生活の質を上げることとその精神性の向上にその本質性があるのです。

その場所の人々は毎年雨季になると防波堤が崩れて浸水し、毎年4ヶ月はその場所から逃げ出して路上生活状態になるのです。

防波堤をつくろう!

そう考えたのですが、みなさんだったらどういう防波堤をつくるでしょうか。

続く

そうそう、花村先生には2月中旬以後に研究所で話していただく予定です。




posted by 変才冨田 at 20:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 心の目的 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年11月06日

建前と本音3

仕事は建前だけでは絶対にうまくいかない。

それは人は感情の動物だからだ。

建前で責任を相手に言えば相手は仕方ないと屈服するだろう。

それは勝利だ。一時は気持ちよい。

けれど屈服させられた方は、どこかで仕返しを考える。

逆に相手に非があっても、それを許すことで相手に負債を与えることができる。

どこかで借金を返したくなる。

いい情報があれば早く伝えてくれるようになる。

屈服させると情報を出さなくなる。


相手に勝つことは自分に薄味をつくり

譲歩して相手に貸すと厚味をつくり、つまり信用をつくることができるのだ、
薄くてペラペラの生き方より分厚い生き方をしたいものだ。

建前で勝ってはいけない。

どこかで復讐されるのだ。

正論の金性だけで生きている人にはそういう人しかつかないので

いつも勝ったの、負けたのという生き方になってしまう。
posted by 変才冨田 at 03:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 心の目的 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年11月04日

本音と建前1 現代人は分裂病

ある青年が「自分は玄米が嫌いだけれど、健康食品と同じ売り方で売れるからかまわない」と言いました。
大きな勘違いです。

玄米を販売することは健康食品の販売とは根本が違う。

自分が食べないものをどうして人に勧められるのか。

昔のこと

「玄米を食べないと人間でない」みたいなことを言っていた人がいました。

この人は玄米は食べていませんでした。

結局は大腸がんになって早世しました。

この人は人間にとって最も重要な「誠実さ」を理解しないままこの世を去ったのです。


玄米を仕事として携わっている人が玄米を食べないというのは、それは即刻その仕事を辞めるべきです。

こういうことが起きるのは「仕事と行き方は違う」という根本矛盾に向き合わず

それはそれ、これはこれと分離した生き方をしています。

分裂病とは現代人の生き方の病です。
posted by 変才冨田 at 15:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 心の目的 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年10月28日

若い人に期待する2 過度に期待してはいけない1

人は自分にとって都合のよいことを他者に期待する。

宝くじに当たることを期待して買うのだが

当たらなかったからといって宝くじ売り場の人に怒りだすことはないでしょう。

それは当たるわけがないとも思っているからです。

本当は期待していないのです。


犬のしつけとは飼い主の都合が主にあります。

うまくいかないと犬を叩いてしまいます。

育児もそうですね。

虐待する親は過度に子に期待するからです。

夜は眠って睡眠を妨害しない、忙しい時にはじっとしていること。

そういう自分に都合のよい期待をします。

で、相手も期待しています。

お互いの期待をぶつからせて

おりのよいところで妥協します。

それが一般的な社会維持のためのコミュニュケーションですね。

問題は相手の期待を考慮しないで自分の期待だけを相手に押し通そうとすることです。

続く
posted by 変才冨田 at 19:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 心の目的 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年10月18日

結婚が素晴らしいわけ2

もし本当に人は死なないとしましょう。

そうすると全てのしなければいけないことは先送りでもかまわないことになります。

なにもしない世界が拡がるでしょう。

なにもしないという世界は変化がないのでそれは死の世界です。

ずっと生きていると思うとソレは死の世界につながっています。

自分が死ぬと考えると、全ての仕事には期限がつくことになります。

仕事に期限がつく理由は「わたしたちは必ず死ぬ」からなのです。

ソレが分かった人は「必死」になるのです。

必死の努力とは、死ぬことが腑に落ちた人の行為なのです。

だから満足のいく一生になるわけです。

死ぬことを考える人は生きることを考え始めるのです。

努力が報われるためには木性の「判断力」も必要ですが

努力できた人はそうでなかった人よりも満足感が高いでしょう。


さて、結婚を素晴らしい行為にできるかどうかは

相手がやがては死ぬのだとわかった人です。






posted by 変才冨田 at 23:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 心の目的 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年10月17日

結婚が素晴らしいわけ1

え?

ナンダ、コレ><

今までは結婚は愚行だっていってたじゃない><

前回、「結婚が愚行であるわけ」の最後に書いたように

愚行にするにも、素晴らしい行為にするにも

その人次第なのですよ。

ただ、ほとんどの人は愚行になっているとう話です。

結婚しているあなたに質問です。

あなたの結婚は愚行でしたか?

愚行だったかどうかの判断基準は

お互いに他者を活かすという方向で活きてきたかどうかということです。


さて、道元の話の続きです。

志を持てるかどうかは、何によって決まるのかということです。

これはひすいこたろうさんの「明日、死ぬかも」からの引用です。

面白い本ですよ。

道元は応えました。

道元「それは、自分が死ぬと思っているかどうかだよ」

なるほどー、これは凄い!

この凄さをみなさんも考えてください。

今、考えてください。

死ぬと思っている→志をもてる→だから努力できる→満足な一生になる

こういうつながりが成立する理由です。
posted by 変才冨田 at 13:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 心の目的 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年10月05日

結婚が愚行であるわけ

結婚とは必ずしも愛情が土台にはなっていません。愛情とは関係のない行為なんです。

前回の最後に書きましたが

自分を高く売りつけるチャンスとみて結婚する人は大勢います。

これは三十代も半ばになると自分が安くなると感じて焦りがでてくることと表裏です。

相手の条件で結婚をする人もいます。

男性医師が多く参加する合コンは女性が多く出席するそうです。

これは売春婦が高級ホテルのロビーに出張ってくるのと変わらないでしょう。

違うのは長期売春契約が結べる相手を探しているか、一夜だけの契約かの違いです。



posted by 変才冨田 at 02:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 心の目的 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年10月04日

未来を感じる人なのか?

交際している彼の収入が5万円と聞いて驚きました。

という女性がいます。

結婚もしたいのにどうしよう・・・。


5万円!

これで一人暮らしで家賃も安いとはいえ払っています。

どうやって生活しているのか・・・。

彼は印刷会社で働いていますが・・・、どうなってる?

しかも彼はその給料で不満じゃない・・・。

どうなってる?

彼はもしかしたら大人物なのか?

20代をお金のことは一切考えないで仕事をする男は大人物の可能性があるのです。

わたし「あなたが問題にするのは彼の給料の額ではなくて、彼のそういう考え方なんでしょう。
    生活を創造していこうとする意欲のなさ?
    要は彼を愛しているかどうかが土台ですね。どういうところが好きなの?」

彼女「優しいこと、一緒にいて疲れない、浮気をしそうにない、音楽をつくる・・・」

わたし「安心できることなんですね」


彼がいくら収入があっても挙動不審の夫ではあんしんできないでしょうね。

彼の携帯メールを気にするような関係は、すでに終わっているわけです。

結婚の形はいくらでもある。

女が生活費を稼いで彼が主夫をやる形だってあるわけです。


人が愛し合うとき、なにを愛するのかですね。

それはその人に含まれている全未来の可能性なのです。

未来の可能性を含んだ生き方をしている人は自立しています。(現在の収入は関係なし)

自立していなくとも自立の可能性とか志を感じて愛する事が出来ます。

未来を感じさせてくれない人を愛するときというのは

それは腐れ愛で、腐れ縁になります。

そういう時は精神的に双方とも依存しあっているのでしょう。

共依存、これが腐れ縁です。

posted by 変才冨田 at 20:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 心の目的 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年06月06日

エゴギョウ講座 自分で決められない3

「失敗への恐れ」をどう考えればいいのかのヒントです。

以下、引用

<すべてが幸せ>

――阪神の選手はおとなしいという印象ですか。

「おとなしいっていうか、他の球団と違って人気球団なので、ミスしたら大きく取り上げられ、ちょっと活躍したらすぐ名前が売れるデメリットとメリットがある。

それをデメリットと思うのか、それだけ注目されるところで野球ができることを幸せだと思わないといけない。

毎日、10人、20人という記者に囲まれて勝った時は気分がいいし、マスコミの質問にも簡単に答えやすい。でも、自分のミスで負けた時はいやなことで囲まれるわけじゃないですか。

それも幸せなことだと思って欲しいのです。

ボクもパ・リーグ(千葉ロッテ)にいてましたけど、どれだけ活躍してもどんなすごいミスをしても、記事は小さかった。そういうことも経験しています。

アマチュアだったらそれでもいいですけど、マスコミに取り上げられて有名になっていくのがプロの世界だと思うし、そこで結果を残さなければクビを切られるわけですから。この球団はすべてが幸せなんだよと、プラスのことと考えて欲しい。ボク自身、いまそう思ってやってますから」

――西岡選手が出塁するとベンチが活気づきます。

終了

失敗もすることができるということの幸せがあるのです。

それはなにかを「やった」から起きたのです。なにかをした失敗は幸せな失敗です。

成功失敗は表裏ですから、失敗経験は成功の裏付けです。

本当の失敗は「なにもしなかった失敗」です。

文中で言えば「おとなしい」ということでしょう。

阪神の選手が「おとなしい」というのは失敗への恐れがあるからなのでしょう。

以前在籍していた新庄選手は大言壮語をよくやっていましたね。

有言実行は不言実行勝ります。

posted by 変才冨田 at 14:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 心の目的 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

個から衆へ

コメントがありました。


三度、取り上げていただきありがとうございます♪

7号食終了後1ヶ月の現在、さらに2kg減量の原因は ・基本食は6号食 ・快楽食は週2以下 ・ウォーキング1時間以上を週4 ・午前中と夕方18時以降は固形物を口にしない ・18時以降、口にするのは温かいNUKAteaのみ

以上、心あたりを列記してみました。 読み返してみると、非常に禁欲的な生活を送っている印象ですが、快楽食とのメリハリを楽しんでおり、ストレスは全く感じません♪

それから、 大人の中耳炎から難聴になるケースは少なく、私自身が発病の際、情報収集にたいへん苦労しました。 ですから、発病から完治までの軌跡をブログの形で纏めようと考えてます。

難病指定されている病気を患い、西洋医学に失望されている私のような方々に、何かのお役に立てればと… 今回の経験を伝えずにはいられないのです。 (ニコッ♪)
posted by 変才冨田 at 01:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 心の目的 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年05月27日

主体的な生き方をしているかどうかの見分け方2

「人生は選択の連続だ」といわれているけれど、これには違和感がある。

なぜ、わたしが違和感があると思ったのか考えてほしいのです。

というのが前回でした。

これには二つの問題がありそうです。

一つは与えられた選択肢で選択することは本当に主体的に選んだといえるのかということ。

例えば、癌になった人が医師から「抗癌剤、放射線、手術の方法があります。それぞれのメリット・デメリットはかくかくしかじかですよ。どうしますか」

そこから選ぶのは本当に選んだことになるのか、ということです。

自然療法という選択肢や放置するという選択肢もあるはずなのです。

最後の二つの選択肢を増やすには患者自身が学ばないとありえない選択肢になります。

2つ目の問題がここにあるのです。

選択肢を増やす生き方こそが主体的といえるのではないかと。

選択肢が与えられただけでは試験を解くようなものです。

主体的な生き方とは自らが自らに問題を出すことなのです。

それが自らが選択肢を開拓するということなのだと考えます。

posted by 変才冨田 at 21:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 心の目的 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

結婚相手の選び方2 それ以前の問題

問題がある人と結婚するより出来上がった人と結婚するほうがいい?

という問題です。

もちろんのことですが、それを追求すると結婚できません。

完成された人はいないからです。現実的にはどこで妥協する?という問題にずれていきますね。

その結果、木性が高い女性はなかなか結婚できないで歳だけ重ねることになります。

妥協の決断がつかないのです。


さて、こういう考え方でいいのか?ということです。

そう考える女性が妥協してやっと誰かと結婚できたとしましょう。

結果は不幸な男一人をつくることと元々不幸な女性が不幸だったと確認できるだけです。

こういう考え方の女性は結婚観が甘いのです、人生観はもっと甘いのです。

要は「タナボタ期待」の人生観なのです。

こういう女性は結婚できる準備が考え方のなかにできあがっていないので

結婚する資格がないのです。

結婚すれば迷惑なのです。

posted by 変才冨田 at 00:08| Comment(1) | TrackBack(0) | 心の目的 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年05月26日

主体的な生き方をしているかどうかの見分け方

「人生は選択の連続だ」といわれているけれど、これには違和感がある。

なぜ、わたしが違和感があると思ったのか考えてほしいのです。
posted by 変才冨田 at 23:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 心の目的 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年05月23日

知らないということと主体性

瀬戸際に立たされたとき、その人の主体力のちからが現れます。

ある高僧が入院していました。

主治医が、この人は悟りを得ている人だから大丈夫だろうとガン宣告をしました。

すると高僧は衝撃でベッドから転げ落ちたそうです。


会社経営では積極的でそれこそ主体力でグングン会社を引っ張っていた人が

癌の診断をされたときたちまち気弱になり、治療法の選択を医師任せにしてしまう。

なぜそうなるのか。

それは知識がないということからくるのですね。

つまり「知らない」ということはその人の主体性を削いでしまうということなのです。

学ぶことは主体的な生き方に欠かせないことですね。

posted by 変才冨田 at 16:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 心の目的 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年05月13日

「ありがとうカウンター」が無料で配られているらしい・・・^^; 2

奇特な方、ご本人からコメントがあったので再揚します。

世間には奇特な人がいて

幼稚園など子供が大勢集まるところで「ありがとう」と感謝を伝える意味を絵本などで教えて、

最後に「ありがとうカウンター」欲しい人にはあげると云うと全員が手を上げるそうです。

ちなみに「ありがとう絵本」も「ありがとうカウンター」も無料なんだそうです。

ありがとうと云うたびにカウンターを押して1万回になると奇跡が起きるそうです。

この企画自体がもはや奇跡的です。

考えて実行しているひとは「奇跡の人」といえそうですね。

小さい時から「ありがとう」を連発する習慣はおそらくその子の人生をも大きく変えてしまうことでしょう。

起床して朝食にありがとう、お母さんにありがとう、出かけるときにありがとう、先生に授業を教わってありがとう、掃除のおじさんにありがとう、答案用紙もらってありがとう、友達に遊んでもらってありがとう、

一日にありがとうと言えるシーンはその子の想像力にかかっており、また想像力を鍛えそうですね。


このことは決して「ありがとう」と言ってはいけない事象があることも理解できるようになるかもしれません。

ありがたくないことには抗うことも学べそうです。

ありがとうとは有難うであり、難に出会えることに対して感謝するということです。

ご本人からのコメント

そうなのです。しあわせな大人になってもらいたいし、そんな子供達にごきげんで夢のあふれる社会を作ってもらいたいと思い、全国的に活動いたしております。本当にありがとうございます(*^◯^*)お会いできることを心より楽しみにいたしております。
http://hokencom.com/arigatou-counter/
posted by 変才冨田 at 21:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 心の目的 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

無意味な長寿

みんな長生きをしたいと考えていますが、盲点があります。

90歳も過ぎると「早くお向かいが来て欲しい」と言う人がけっこう多いのです。

「だって、友達がいなくなった・・・」

人間は関係性で生きていますから、長生きをしても仲間がいないと孤独を感じますよね。

そういう意味では

みんなで健康にならないと意味がなくなりそうです。

自分だけの健康を願うことの誤りですね。

健康はみんなで実現して意味があるわけです。

自分だけの健康を願うことの無意味さがわかりますね。

意味のある長寿を実現しましょう。
posted by 変才冨田 at 20:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 心の目的 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年05月11日

アートの役割

「芸術は生活の過剰から生まれた」

これは芥川龍之介が何かから引用したものです。

生活の過剰とは人が生きる上で一日分のごはんの余りのことです。

これは時間の過剰ということでもあるでしょう。

1日の食べるものを得るのに精一杯という状態は、同時に時間がない状態です。

少し余りが出た。

この余りをどうするのか?

貯蓄するのか、分け与うのか、出来た時間でさらに明日の食べ物を追うのか?

現代は生活の過剰が膨大に生まれています。

直接的に食べ物の生産に携わっている人は少ないけれど

その人達が生活の過剰を生み出しています。

現代の職業の多様性は生活の過剰が原因しています。

その一つにアートがあるのですが

利益追求で過剰を消費して新たな過剰を生み出すことと

アートで消費してなにかの過剰を創出することとは質が違っていますね。

続く

posted by 変才冨田 at 22:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 心の目的 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年05月03日

仏様のような人

そういわれていたのは私の父です。

「いい人だ」ということなのですが、それはそういった人にとってはね、という意味です。

父は他社にとって都合のいい人だったようですね。

一般に言われる「いい人」は冠に「自分にとって都合が」がつきます。

他社にとって都合がよい人は自分の欲求は後回しになるので不自由であったでしょう。


逆に「あいつはいやな奴だ」と嫌われている人が多いほど

きっと、自由な生き方をしている。

もっとも周囲に嫌われすぎているとかえって不自由にもなるでしょうがね。

posted by 変才冨田 at 00:31| Comment(1) | TrackBack(0) | 心の目的 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年05月01日

食べるために生きる

食べるために生きる

から

活きるために食べる
posted by 変才冨田 at 21:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 心の目的 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ホタル博士のこと ライフワークの見つけ方

ホタル博士の三段活用にライフワークの見つけ方があるようです。

どのような仕事もつまらないものはなく、ただあなたと仕事のかかわり方なのですね。

仕事がつまらない、そう思っているあなたこそが「つまらない人」になっているだけなのです。

物事は深くかかわるほど(それがたとえ意に染まぬものであったとしても)

その関係性こそがやがてライクワークへと進み始める。

「生みの親より育ての親」こそが愛情が深い、ものということも同じです。

posted by 変才冨田 at 01:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 心の目的 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年04月30日

ホタル博士のこと2

一生懸命ホタルを繁殖させていたところに、いきなりその施設にブルドーザーが入りメチャクチャに壊されてしまった。

ホタル博士は泣きじゃくりながらドロ土の中から生きているホタルを探し求めた。

すると一筋の光が泥土の中からすーっと上がりふっと消えた。

ホタルは生きたいと願っていると博士は感じました。

博士は心のなかで叫びました。

「俺は一生を賭けてお前たちを守るゾ!」

そうやって先生が手がけた施設は関西では宇治植物園、東京では板橋です。

最初はホタルが嫌いだったそうです。

それはおばあちゃんに

ホタルの光→亡くなった人の魂→霊 と教えられ気味が悪かったそうです。

業務命令で仕方なくホタルの繁殖を手がけ→ライス・ワーク

やっているうちにホタルが好きになった→ライク・ワーク

一生を賭けて守るぞ→ライフ・ワーク

見事に三段活用になっていますね。

ライフ・ワークとは「やむにやまれぬ」気持ちが起爆剤です。

意図的、意識的に考えているうちはライフ・ワークは成立しません。
posted by 変才冨田 at 21:24| Comment(1) | TrackBack(0) | 心の目的 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする