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2016年07月14日

意味づけ

脳は意味のないことをすることにストレスを感じますが、このあたり難しいです。

意味づけの無いまま実行することで、手探りを続けることで意味が意識に立ち上がってくることもある。

誰かに指示をする時に意味を教えるのはスムーズに仕事を進めるためなのだが、意味を教えることはある種の方向性を暗示して誘導することでもある。

手探りでする場合は、その人の身の丈にあった意味を発見するが、誘導された場合は必ずしもその人の実力外か為にならない方向へ導いてしまうかもしれない。

徒弟制度や弟子制度では意味づけをしないですね。
職人技を身に着ける制度ですね。

意味づけをするのは、どこか遠いところで能率主義が采配しているようです。

最近は意味さえ教えないでマニュアル通りに実行させるようです。

意味をおしえることも非能率ということでしょうか。

派遣労働が主になるとチャップリンの映画「モダン・タイムス」さながらになります。

チャップリンもマルクスも予見していました。「労働の人間疎外」ですね。



病気の方に食養を教えるときに意味づけをしておくと実行に拍車がかかり、早く良くなります。

意味づけをしない場合は失敗に終わることがほとんどです。

このことを次回考えてみます。
posted by 変才冨田 at 00:16| Comment(0) | TrackBack(0) | わたしの哲学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年07月12日

7号食レポート 知識と知恵の違いは?

7号食のセミナーに参加して一通りのことを知った段階は知識です。

実践すると体得ということが起き、これが智恵に昇華します。

智恵とは身体で判っているという状態で、このことを「腑に落とす」ともいいます。

全てのことは実践を抜きにしては机上の論理ということになります。

7号食を実践した人たちは食べ物に対して体得しています。

なんども実践すると、その理解は深化して深い知恵になります。

食べ物が自分の命を質、つまり運命を担っているのだという知恵を獲得します。

この内容物はあなたのこれからの三日間の元気な命がパックされています。
IMG_1110[1].JPG

これを実践すると命に対する深い知恵を体得します。
http://www.bl-oosaka.org/トミタ式7号食/トミタ式7号食中にオススメの商品/

posted by 変才冨田 at 20:17| Comment(0) | TrackBack(0) | わたしの哲学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月28日

即利主義的考え方

現代は「すぐに役立つ」ということを求められています。

ハウ・ツー主義ということです。

「なぜそれをするのか?」

そういう問いかけよりも

「どうやってやれば早くてうまくいくのか?」

前者の問いかけは深く探索しようという姿勢を生み出しますが

後者は皮相なものの見方でおわります。

うわっスベリな生き方が生まれる理由です。

7号食二おいても

「ダイエットできるならしたい、やり方を教えて!」

7号食セミナーで深い意味付けにまで切り込んでいることの理由を考えて欲しいのです。

全てには意味があり、その意味づけをするあなたにも独自の意味づけがあるのです。

どういう意味づけをするかはあなたの深さや高さ広さを表現するのです。

posted by 変才冨田 at 21:36| Comment(0) | TrackBack(0) | わたしの哲学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月24日

先日のカラス 刹那の命とわkっておれば潔い生き方になる

子カラスはまだいました。

よたよたしておりました。

少しは飛びますがまだ初心者で高いところにまでは飛べず、手すりにつかまっています

困った風ですが、困っていないかのように首を後ろに回して眠っているフリもします(笑)

先日は親カラスがひつこくわたしを威嚇して飛び回っていましたが、今日は二匹ともおりません。

もう子カラスを見放したのでしょう。

子離れしないといけないようです。

初飛行が親離れだったようで、親も得心したのでしょう。

いつまでも関わらないようで凄いです。

何を「為すべきか」はもうわかっているのでしょう。

考えてみれば生まれたての蚊でさえ自分が何を為すべきかわかっています。

だれに教えられたわけでなく人の肌にしたいよって、その繊細な針で刺し血を吸います。

人間だけなにを為すべきかわかっていないようです。

もうじきセミも鳴きだすでしょう。

セミなどは地中に居るときから地上に這い出すときになにをするのか分かっているのです。

メスは内臓を持たず卵巣だけでお腹を一杯にして出てきます。
オスも消化器官をもたないで空っぽのお腹を共鳴箱にして鳴くつもりで出てきます。

目的はたった一つ、交尾です。
決然としたものですね。
潔いです。

4年前に書いた詩です
「ひぐらし」の永遠と刹那について

ひぐらしはたった一つの事を為すために地上に這い出たのです
ただそれだけのために 消化器官も捨ててきたのです

雄のお腹が空洞なのは より鳴き声を遠くにいる雌に届けるため
雌のお腹は消化器官の替りに卵だけで一杯に膨れ上がっているのです

彼と彼女は
たった一つのことを実現するためにだけ この世界へやってきたのです

なんと、きっぱりとした、潔い生き方なのでしょう

ひと夏の限られた時だから 身を振り絞って鳴き続けるのです

もっとも大切のことだけを その凛たる鳴動は森を突き抜ける刃となって 語り続けるのです



人間だけはああでもない、こうでもないと迷っています。
posted by 変才冨田 at 00:18| Comment(0) | TrackBack(0) | わたしの哲学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月11日

自尊感情は一所懸命の時だけ生まれる 2

良い小指は親指の役に立って貢献しようなどとは思っておりません。
小指としての責任を全うするだけで一所懸命です。
良い小指は自分のことだけを考えているのです。
なぜ頑張れるか、それは体重を受け止めないでよけてばかりいると
小指自身が美しくなくなるからです。
しっかりやらないので血液も来なくなり爪さえ小さくなってしまいます。
増して浮指ともなればその存在は脳に忘れ去られます。
孤島の駐在員が無線で本国に連絡しなくなると本部もその孤島の存在を忘れるようなものです。
脳が悪いわけでなく小指自身が問題なのです。
ところがそうした小指は脳が血液を送ってくれないからと責任を転嫁するのです。
全力を出さない人は暇ですから他者のアラ捜しをするのです。
他者の責任にするためです。

何かの役に立とうなどと奢ったやわな心は「褒めてもらおう」などという邪心が見え隠れしています。
そんな心境では全力の出しようがありません。

結果として「役に立って良かったなー」が最善です。

この世界の繋がり方はそういう仕組みです。

稲は人に食べていただこうなどと思っていませんね。

栄養がどんどん根からやってくるから仕方なくタンクを作ってそこに溜めおきます。

満ちれば落ちます。まあ、イネにとっては実は「ウンチ」なんですねえ。

結果としてそれは再度芽を吹きます。

蟻は小さな実を見つけたら精一杯身体にくっつけて運びます。

全部巣に運べればいいのですが落としながら進みます。

落とされた小さな実は、あちこちで芽を吹きます。

それは運んでいる当の蟻にとっては大失敗なのですが、マクロには大成功です。

再度芽吹いた雑草は小さな種を落としてくれます。

蟻は一所懸命に小さな種を運んでいただけです。

一所懸命にしたことが結果として他の役に立っています。

鳥は蟻には運べない大きな実を食べます。

一所懸命に食べてはあちこちで糞をして、その種を遠くまで運んで糞に混ぜて落としているのです。

消化できなかったのは大失敗ですが、マクロには大成功です。

蟻も鳥も次の世代のための食糧を準備したのですから。

そして蟻や鳥の失敗分担作業で森が形成されるのです。


一所懸命やって失敗すれば、それはあなたの認識には捉えられなくても
大きななにかを創造しているかもしれない。

褒められようなどと考えてした行為は失敗してもなんの役にも立っていない。

一所懸命の失敗は世界を創造することに一役立っている。

考えてみれば教育者というのはろくでもない人々かもしれない。

自分一個の人生を全力で生きていない隙間があるから教えるという行為があるのかもしれません。




posted by 変才冨田 at 20:59| Comment(0) | TrackBack(0) | わたしの哲学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月08日

自尊感情の微妙な境

自尊感情は必要ですが自然にこの感情が育つわけではないですね。

他者の役に立ってこそ生じて育つものです。

ところがきわどい意味がありそうです。

他者の役に立つには自分が全力で自分の役目を全うしてこそです。

小指が寄ってきた体重をしっかり受け止めれば、体重は親指に向かいます。

親指は押し寄せる体重をはねのけて蹴ることができます。

もしも体重が小指が支えられなくて小指の外へ抜けていってしまったら

親指はその逞しい機能を発揮できません。

小指が頑張れなかった結果として親指も頑張ることができません。

小指がしっかり体重を受け止めることができれば親指がその機能を使えます。

幸せの仕組みは簡単なもので

自分の持てる機能を使い切ったら幸福感を感じるのです。

鳥の翼は大空をはばたくためにあります。

捕えられて狭い籠に入れられた飢える心配が無くなっても不幸です。

翼ははばたいて幸せなのです。

小指は体重が外へ流れてきたときにシッカリふんばって受け止める役目なのです。

その責任を全うすれば親指もその機能を果たすことができて、親指も幸せになります。

親指は小指に感謝します。

その時こそ小指に自尊感情が育つのです。

その存在する意味ある場所であなたは機能を使い切っていますか?

誰かの役に立って喜ばそうなどと思っている間はダメなのです。

あなたが存在する場は誰も存在することができません。

その存在する場ではあなたにしかできないことがあるのです。

自分だけにしかできないことを全力ですれば、結果として誰かが幸せになるのです。

自尊感情とはそういうときに芽生えます。

喜ばせて褒められようなどと思っているのは依存と言うのではないですか?

随所作主 立処皆真  とはそういうことのようですね。



ついでに
責任を全うしていない小指は

爪が天井向かずに壁に向いている

赤味があり膨らんでいる(鬱血)

薬指にピッタリくっついている

そのために靴の外側が片減りするのです。

そのために

脚の外側におかしな筋肉ができて硬直し、蹴れないので足首が太くなり

逆に内側の筋肉が育たないのです。

そのために歩行や姿勢を保つのに

おかしな過度な頑張りが必要になって、疲れるのです。

小指が責任を全うしなかったことから不幸がふりまかれてしまいます。

「足楽です輪」を作った理由です。

小指を「認証」することで小指に自尊感情を持っていただいたのです(笑)


http://www.bl-oosaka.org/%E5%90%84%E7%A8%AE%E5%95%86%E5%93%81/?logout=1






posted by 変才冨田 at 23:33| Comment(1) | TrackBack(0) | わたしの哲学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月03日

何を問題にするかがその人の問題

大きな問題があるのだが、ソレに気づかないこと、あるいは気づかなために本来は問題でないようなことを問題にしてしまうことが我々にはある。

問題の取り違えは意図的、あるいは無意識的にやっている。

大きな土台から突き付けられている問題は絶えず波のように押し押せてきているのだが

その因ってきたる出所が不明なとき、些細な問題を前面に出して意識を紛らわせることがある。

なんだか難しい言い回しですね。

本来の問題というのは「いかに生きるか」という人生上の、あるいはいのちの問題というものです。

たとえば、わたしたちは死生観を今のうちつくっておいた方がよい。

けれど、「自分は死ぬ」ということを自覚しないように日常を生きているのでつくりようがないですね。

この「自分は死ぬ存在だ」ということがわたしたちの最大の問題なのですが、

それを忘れるために日常の問題を極大化しているということがあります。

やがては死ぬ存在ということを腑に落とし、その影を日常に落としておけば

全ては「怒るにも意味ない」問題となるのではないでしょうかネエ。






posted by 変才冨田 at 11:47| Comment(0) | TrackBack(0) | わたしの哲学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月25日

怒りと期待過剰分の関係


「怒り」は他者への依存があります。

生き方が他者に寄りかかりすぎなので怒りがわいてきます。

他者への「期待度」が高すぎなのですね。

その過ぎた期待分だけ自己に都合がいいわけです。

期待することが全ていけないわけでなく、過剰分が利己に傾いているからです。

さらに「怒って」も他者が怒らないことを期待しています。

その気分には自分が上であるという上下感覚も見過ごせません。

他者の善意に依存しています。

暴走族が他者がよけてくれるだろうという他者の善意に依存していることと同じですね。

支配欲に見合った怒りを人は内臓するものです。
posted by 変才冨田 at 22:21| Comment(1) | TrackBack(0) | わたしの哲学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月20日

癌になったら 1

癌になってから、「どうする?」

これでは遅いような気がします。

癌になる前に態度を決めておきましょう。

この場合の癌とは転移癌でほぼ治る見込みがない癌のことです。

悪性癌ですね。

先ずどこから考えるのかですね。

僕は最終的に自宅で死にたいのか病院で死にたいのかの選択から始めればよいと思います。

未来の選択を決めることで、つまり未来を原因にして現在を決めましょう。

あなたはどちらで死にたいですか?

僕は病気で死ぬなら癌が一番良いなーと思っています。

癌ならラッキーです。

続く



posted by 変才冨田 at 23:36| Comment(0) | TrackBack(0) | わたしの哲学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月02日

主体的な生き方をしているかどうかの見分け方

「人生は選択の連続だ」といわれているけれど、これには違和感がある。

なぜ、わたしが違和感があると思ったのか考えてほしいのです。

と、三年前に書いたまま放置されていました。

続きを書きます。

選択をする時に自分の頭で考えて選択するということが「主体的に生きる」ことでしょうか?

それは違うと思うのです。

それではゲームをしている人と変わらないようです。

目の前に与えられた選択肢から選んでいるようでは受動的です。

選択肢をどう増やすか、与えられた条件以外に自分でもっと条件を増やす生き方があるはずです。


posted by 変才冨田 at 23:08| Comment(1) | TrackBack(0) | わたしの哲学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月19日

食への構え方 食の認証

食にあなたの全ての存在の仕方が表現されています。

そのことは重要な情報なので、今は納得できなくとも覚えておいてください。

納得理解はしていなくても「食べなければあなたの存在はない」のだということは理屈の上では分かるでしょう。

存在できるのも食べ物のお蔭だし、実はあなたが何を選ぶか、如何に食べるかも世界に対する存在の仕方や構え方を決定づけている。

食への態度は他の全ての態度に関与している。

続く



posted by 変才冨田 at 00:47| Comment(0) | TrackBack(0) | わたしの哲学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月08日

もう一度、最も大切な話

「随所作主 立処皆真」が幸せな成功のキーワード 1

「随所作主 立処皆真」
これについては過去に何度も書いてきました。

再度揚げます
主体的に生きる、これが自己中心主義の意味なのです。

主体的に生きるとはすべての責任を一身に背負って生きるということでもあるのです。

人や条件のせいにしない、ということです。

禅では「随所作主 立処皆真」と言っていますね。

この解釈はいろいろ言われていますが、私は

「どういう場でも自分が主体的にかかわれば、最初はつまらないことと思っていてもこの世の本当のことがわかる」と解釈しています。

本当のことは自分が正面からそのことに向き合わなければ永遠にわからないと考えています。

一所懸命という言葉に通じるもので、懸命にかかわるということが「作主」、つまり主体的に生きるという意味なのでしょう。

けれど懸命にかかわったからといって
必ず真実がわかるわけではないですね。

自己の課題に向き合ったかどうかがカギになります。

他者の課題に懸命に頭を突っ込んでも、それは主体性を発揮したことにはならないわけです。

B級の映画を見て「つまらなかった」という人はその映画に対して「随所作主」で対峙しなかったからです。

懸命にその映画にかかわれば、世界の真実に行き当たるはずなのです。

なにごとにでも主体的にかかわれない人は「つまらない人」になっているわけで、つまらない人の周辺はすべてつまらないことだらけになるのです。

「随所作主」とはどんな時でも、どんな場でも主人公として自分を扱うということなんですね。

積極的にかかわらないと、人生の主人公にはなれないということなんですね。

明日はそのように生きたいですね。

ここまでが以前書いたもので、そのほか「随所詐主」で検索してでいればもう一度読んでください。
このことは私たちの人生にとって非常に意味の深い内容をもっているのです。

「随所作主 立処皆真」これはすごい言葉なのです。

その瞬間の時間に真正面からソレに向き合うとなにがこれまでと違うのか?

先ず、それを体験している時間が異様に濃密になり、その結果異様に長く感じます。

そのことから覚めれば異様に瞬間の出来事として感じます。

子供の頃夏休みがそれこそ一生続くかのような感覚がありませんでしたか?

それに比べて今は異様に時が早く過ぎる感覚になっていませんか?

わたしなんかもついこの間60歳になったと思っていたら、気づいたらもう66歳になろうとしています。

年齢を重ねるほど時間は加速度を持ちます。

これは何故か?

おそらく子供の頃は1秒を24コマで目の前のできごとを見ていたのです。

今は8コマくらいになっているのでしょう。

子供の頃は今の三倍も時間が濃密だったのです。

ですから体感時間は今の三倍です。

今は脳の情報処理スピードが遅くて16コマ分スベってしまっているのです。

情報処理スピードが遅くなっただけでなく

目の前の出来事や世界の出来事を見ようとしなくなったのです。

つまり、無関心になったのです。

無関心の対極に随所作主があるのです。

続く


ここから新たに書きます。

世の中には「つまらない」ということはありません。

深く関わろうとしないことが「つまらない」をつくっているだけです。

見た目のカッコよさに拘る分だけ関われないのです。

他人のことを考慮しないで一所懸命関われば
他者に良い影響を与え感動さえ呼び起こすのです。


posted by 変才冨田 at 23:28| Comment(0) | TrackBack(0) | わたしの哲学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月04日

この世界の中心的な構造を理解すれば、すべては解決する

この世界の中心法則を理解することは生き方に関わってきます。

魚は水を理解はしていないでしょうが、皮膚感覚で水を納得しているので自由に泳げるわけです。

この世界の中心法則とはなにか。

それは「無常」ということです。

これは仏教の哲理でもあるのですがマルクスの弁証法的唯物論でも言われています。

「すべては生成変化する」

そして

「すべては連関(つながっている)しつつ変化しあっているとも」

これは仏教でも「縁が因果法則の元」であるとも言います。

さて、「無常」を理解するだけではダメで腑に落としてこそ生き方が変わります。

「無常」を胃の腑に落とせばあなたはただちに「明るく」生きることができます。

人の煩悩の原因は「無常」がわからず、永遠に変わらないことを願っているからです。

「永遠の愛」などないのです。

永遠の愛を誓ったのに裏切ったという「憎しみ」が生じます。

続く
posted by 変才冨田 at 00:55| Comment(0) | TrackBack(0) | わたしの哲学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月03日

幸せな人生を創造するなんでもない方法3

以下は5年前の記事です。

「今日で7号食が三日目です」という女性がいらっしゃいました。

彼女は7号食のベテランです。

何回もできるというのは日常化しているわけで、日常化できるのは動機が強いからです。


動機は「いつまでも美しくありたいから」ということです。

もう一つは身体的な危機感です。


この二つの動機が7号食を成功させているわけです。


この場合の「願望実現」とは「美と健康への欲求」ということですね。

どのような願望も動機の強さが成功に比例的に働くわけです。


そういう意味では

7号食という短期間ではなく日常的に「美と健康」を追求できる動機こそが必要です。


7号食を実行する動機よりも日常の「快楽食」への動機の方が強いのです。

ですから、太ってきて体型の崩れや身体の違和感という現象をつくりだすわけです。


いけない習慣にはいけない動機があるのです。

動機の底にある欲求がなぜ生まれるのかを考えることは

良い習慣に切り替えることになります。


こういうことは仕事にも言えます。

突貫的な仕事をするときは強い動機がありますが(7号食をする動機も同じですね)

(私のように「締め切りに追われているとか」)

やはり良い仕事の習慣を創造するには動機をこそ強化すべきです。

「願望実現」の願望の生まれる原因になる欲求を考えればよいでしょう。

あなたの願望はどのような欲求から生まれているでしょうか。


ダイエットや健康を実現するには

基本食が楽しいという動機をどう強化するかが課題です。

仕事も同様で、日常的な仕事の動作を実行することが仕事成功への必須です。

日常的な繰り返しの仕事をどう楽しくするかも、その底にある動機の強化なのです。

保険業界では人が動く大きな理由に

1 恐怖からの回避欲求 

2 安心への欲求

その他「これをすると1万円収入が増えますよ」よりも「これをすると1万円損をしますよ」の方が強烈に人を動かすといいます。


みなさんはどう思われますか。

ここから新しく書きます。


1も2も「楽しい」ということは書かれていませんね。

人が動く動機は恐怖や不安からの回避があると言うのです。
詳しく言うと恐怖感であり不安感という感覚から逃げるということなのです。

一言で云えばわたしたちの内部にある「獣の感覚」に従わされているということです。

こういうことは仕方のないことでもあるのです。

恐怖心を失うと危険なところに平気で出かけて命を失う恐れがあるので、こういう装置に従うようにできているのです。

けれども、わたしたちの脳はそうした不安や恐怖を感じる下位の脳の上に大脳皮質と言う発達した新皮質を創造したのです。
それには理由があるはずです。
動物のように恐怖感や不安感では「よりよく活きられない(つまり、もっと楽しくしたい)」ので、それらの感覚や情動を乗り越える脳を創造したわけです。

大脳辺縁系という動物の脳でもおそらく発達した哺乳類ほど「楽しさ」は感じているでしょう。
子犬も子猫も楽しそうにじゃれていますからね。
けれどその「楽しさ」も感覚的です。ですから永続性がありません。
猫じゃらしなどのなにか外部からの刺激に対して反応しているだけなので依存的といえます。

「楽しみたいという」自発性を促す欲求はあるようで、動かなくなった毬を自分で動かしてじゃれていますね。
けれどマリを自分で作ることはできないのです。
だからここで進化はストップするのです。

ところが

毬をつくればもっと楽しめるじゃあないか・・・
ということで
毬のイメージを脳に保存して(毬・楽しいというセットで保存)
毬のイメージを実現しようします。
毬をイメージするとセットになっている楽しさも感じることができワクワクします。
毬をつくるためには適当な材料が必要です。
材料集めに「ワクワクして頑張ります」

ところが材料が集まっても、それをどう毬にするのか。
これも毬のまあるいというイメージがあるので手で丸く固めていきます。
「もっといい方法がないか?」
ということで固める道具のイメージを作ります。
これは手で固めるイメージからスタートしています。

つまり遊ぶための道具をつくるための道具を作る、という飛躍した意味を持ちます。
道具作りもワクワクと夢中でやります。
どこにも頑張っているという辛いイメージはないですね。
それが人間の誕生ですね。

ここから判ることは働くことが辛くなり理由はどこにもないということです。
仮にあったとしても、それは楽しい辛さなのです。







posted by 変才冨田 at 18:34| Comment(1) | TrackBack(0) | わたしの哲学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

幸せな人生を創造するなんでもない方法2

要は「つまらないこと、苦手なこと」を楽しんでできるようにすればいいわけです。

「今、辛いけど努力すればそのうち楽しくなるだろう」

これは、やがては

「一向に楽しくならないのは自分の努力がまだ足りないからだ」

と、さらに我慢して努力する。

こういう人はどんな成功を思い描いているのか顔を見てみたいです。

不憫でなりません。

ガっついているのです。

実は最小の努力で最高の結果を望んでいます。

貪りは楽しからずや、という言葉もあります。

本音は努力したくないのです。

けれど、努力しないと幸せになれないという「思い込み」があるので
我慢して苦しそうな顔して努力しようとします。

顔は他者に見せるためにあるので、その顔を誰に見せようとしているのでしょうか。

おそらくは両親に見せないと立つ瀬がなかったのでしょう。

両親は楽しく勉強ができるということを知らなかったのでしょう。

楽しく勉強をしている顔を見たら「勉強していない」と思って叱責したかもしれません。

楽しんではいけない!そうした暗示を与えているのです。

そうした暗示が心に入っている人には「今を生きている人」は1人もおりません。

さて、幸せになる方法は「今を生きる」以外にありません。

そして、その「今が楽しくてしかたない」ということです。

どうやればそのような状況を創造できるでしょうか。

続く




posted by 変才冨田 at 17:00| Comment(0) | TrackBack(0) | わたしの哲学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

幸せな人生を創造するなんでもない方法

冨田先生! 塚田農場 銀座店の尾形瞳です!
つんつん爪楊枝してもらった火性のワガママ女です! 昨日はお忙しいところ、 本当に勉強になるお話をありがとうございました!
楽しすぎて、全然眠くならなかったです。笑 ブログ読み返します(^-^)/ ぜひ塚田農場にも食べにきてくださいねー♪♪

回答
彼女から題の質問がありました。
さて、なぜ眠くなるのかにはいくつかの理由があります。

@睡眠学習に意欲が高い。
A講師の声に催眠効果がある。
B子供の頃にインストールされたOSに勉強すると早死にするという暗示がある。
などが考えられます。

対策
わたしの講演では眠る人はあまりいませんが、それでも眠くなる人は昨晩夜更かしをしているのです。
そう思うようにしているのです。
講演している最前列でいびきをかいて眠られると、窓から飛び降りたい衝動に駆られ
その人を身代りに落としたいと願います。

眠くなるのは講師やその話の内容にあるわけではありません。
まして講師の顔にあるわけでもありません。

例外として
電話帳を棒良読みするセミナーでは眠くなる可能性があります。

棒読みではなく唄うように電話帳を朗読されれば眠らないでしょう。


さて、ニーズを感じられなければ集中できないのです。
この話を聴いた後でテストがあり、合格すれば1万円プレゼント
あるいは、合格しなければ1万円徴収されます。

そういうセミナーであれば眠らないでしょう。

要はあなたのニーズなので、原因はあなたにあるのです。

それは生きる幅がまだ狭いのでニーズも小さい。

様々なことに興味を持つ人はどんな内容でもそれなりにニーズが生じるのです。

そこで対策ですが

面白くない講師の話をする講師を観察するところから始めます。

頭の先から靴まで観察します。

そして講師自身がその話に退屈していないのかを観察します。

嘘をついているかどうかも観察します。

眼をよくしばたたせる人は嘘つきです。
わたしを観察してはいけません。

講師の姿勢を観ます。
それで、ああこの人は右の腰痛があるなーとわかります。
今朝のこと、右重心で奥さんに後ろから抱き付いて背負い投げをくらったな、くらいはわかります。

話の内容も「どうして面白くないのか、自分だったらどう話すのになー」と考えるのです。

どうですか、眠る暇なんてなくなりますよ。


さて、これは昨年の文章なのですが重要な問題が孕んでいますので、再度考えます。

重要な点は
「さて、ニーズを感じられなければ集中できないのです」

「要はあなたのニーズなので、原因はあなたにあるのです。

それは生きる幅がまだ狭いのでニーズも小さい。

様々なことに興味を持つ人はどんな内容でもそれなりにニーズが生じるのです」

というところですね。

セミナーなどでどうしても眠ってしまう、という相談は結構多いのです。

脳は成長したがっています。

なのに眠ってしまうのには二つの理由が考えられます。

脳は興味のある場面では集中力を発揮します。

@眠ってしまうのは興味が薄いわけです。

愉しければ絶対に眠りません。

A興味はあるのに眠ってしまう。
この理由は情報の未整理にあります。
入力された多くの情報がネットワークを組んでいないのです。
知識として脳のなかで孤立しているので有機的につながっていない。
情報がネットワークを組んでいると新しい情報はそこにすぐに組み込まれますので
新しい発見として脳は楽しみます。

では、どうやってネットワークを組むか。
それは一段上のマクロな視点が持てれば組めます。
これがハナムラ先生のいう「まなざしのデザイン」なのですね。

学び方はこれに尽きます。

一段視野を上げたセミナーで学べばいいのです。
そうすると脳は楽しくなり集中制を勝手につくるわけです。

そんなセミナーがあるのですか?

ありますよ。

確か冨田というのがやっているセミナーがそうじゃあないかな・・・。










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2016年03月26日

ハナムラチカヒロ先生との対談

以下はハナムラ先生のファイス・ブックでの発言です。

本日の午前中は♭にて冨田先生と対談を。
先生とはこれまで散漫に対話を重ねてきたが、これをきっちりと記録して発信することにする。

冨田哲秀先生は2014年から♭に入居しているバイオライン研究所の所長で、東洋思想による食養学の専門家。
食と身体と精神と環境がいかに結びついているのかという観点から、膨大な研究をされている民間の研究者だ。
僕自身のまなざしのデザインや風景異化論とも非常に呼応していて、いつも二人で話しこんでしまうが、その内容が非常に刺激的で、二人で話するのがもったいないので、これを映像や本などの媒体で、社会化していければと考えている。
僕自身は、この冨田先生の膨大な経験をちゃんと理論化して、自分の研究の中にも取り入れたいと考えている。

対話の大きなテーマとしては「生命と環境の進化」について。
一回目の本日の対話のテーマは「姿勢」で、2時間ほど対話した。

姿勢は「姿(すがた)の勢い(いきおい)」と書くが、動くエネルギーと動物の身体の構造とには密接な関係がある。
内臓系が集中する動物の前面と、体壁系で構成される背面との関係が、実は人間の「欲望」と「意思」と関係している。
人間の前面と背面は、足の内側と外側の筋肉とつながっていて、それが最終的には足の裏の構造、特に親指と小指と中の3本から構成されるアーチへとつながる。
だから足型を見ると実は、その人の身体のどこに問題があり、どういう性格をしているのかは全て理解できるというのが、概ねの冨田先生の話の骨子だ。

その他にも、進化する際の「まなざしの高さ」が動物の判断力とどう関係するのか、内臓や四肢と脳がいかにつながるのか、意識と無意識が近代以前の文明と近代の文明との違いにどう影響しているか、など多岐に渡って話をさせて頂いた。
これらをテキストに起こして、対談本として育てていきたい。

それを仕込みつつ、まずは自分の今書いている「風景のジャメヴュ」を完成させねば。

終了

最近、冨田短命論が出てきたのか「死ぬ前になんとかトミタの考えていることを文章で残しておこう」
ということがあるようだが、あいにくと僕は100歳までは生きているだろう。

けれど、その前に「ボケが入るだろうと」とも予測されての企画になったらしい。

さて、この対談の前に何回も夜に「与太話」を繰り広げてきた。
その内容は縦横無尽、横断歩道、言語道断なもので、これは残しておきたいということになっていた。

対談とはなにか。
それは会話ではなく相手の発言に触発され、誘導されどこに行きつくのかわからないけれども
終わった後思考の跡がこれまで以上に整理され、止揚された状態で残るということです。

第一回目は「姿勢」がテーマでした。

姿勢を裏付けているもの、我々を立たせ、起たせる動機がある。
その動機は「腹が減った」に他ならず、その欲求が起因となって人を立ち上がらせ、その目的に適った姿勢を取ることになる。

欲求は腹から(内臓)生じて、それを実現するために背中という壁が前面の柔らかい内臓を持ち上げて立ち上がる。
その結果を人は「姿勢」と呼ぶわけだ。

その姿の勢いは内臓の欲求に対応するだろう。
欲求のない「姿勢」は目的を失っているので「立ちすくみ」ということになるだろう。

背中は精神を生み出し、内臓は心という欲求を生み落とし

精神は督脈(背中)、心は任脈(お腹)に運ばれ頭蓋骨内で合流する。

二つの力は頭蓋骨内で渦を生じさせ、意志を生み出す。

精神と欲求に裏付け指示された意志は脚を目標に向けて踏み出す。

とまあ、こういう感じで始まったのが第一回目の対談でした。



posted by 変才冨田 at 17:06| Comment(0) | TrackBack(0) | わたしの哲学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月16日

現代的奴隷制度

先日はありがとうございました。
ブラック企業。 そこに染まってしまうと、元の自分とずれてしまっていることを意識できないので大変だなと思います。
当時、ブラック企業で働いている時に周りをみてそう思いました。 僕は、1年で退職しましたけれど (^^)

コメント
「元の自分とずれてしまっていることを意識できないので・・・・」

千尋が働いていた湯屋はブラック企業で、多くの女性たちがそこで名前を失っていました。

周囲の期待に応えようとするほど自分を見失ってしまい、もともとのゾ分の名前を忘れてしまいます。

こういう人たちの別名を「現代的奴隷」と言います。
潜在脳はこれに気づき、最終手段が「鬱」になって自分を取り戻そうとするのです。
posted by 変才冨田 at 01:58| Comment(0) | TrackBack(0) | わたしの哲学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月14日

本日は夜学です

今回は「する」ということを考えます。

「する」ことでなにが得られるのか。

「しない」ことでなにを失うのか。

教育で「しない人」を「する人」に変化させられるのか。

人を育てるとはどういうことなのか。

仕事ができる人がなぜ人を育てられないのか。

しない千尋がなぜ「する」人になれたのか。

このあたりが判ればだれでも「する」人になれるわけです。
posted by 変才冨田 at 23:37| Comment(0) | TrackBack(0) | わたしの哲学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月13日

その働きは自覚的か無自覚か?  それが問題だ

千尋はハクに「ここでは働かないと消されるか豚にされてしまう」と聞かされ
湯バーバに頼んで働くことになりました。

名前を取られて「千」に変えられ
寝る以外は働かされるというブラック企業も青ざめるような魔界の湯屋で一所懸命働きます。

他の者たちはすでに元の名前を忘れてしまっていますが、ハクに「自分の名前を忘れるな」と忠告されています。
このあたりが非常に重要なところです。

ブラック企業では名前を忘れてしまった人たちが大勢います。

それに気付いて鬱になる人や自殺という手段で自己を取り戻す人もいます。

働くことそのものが目的化すると名前を忘れてしまいます。

なんのために働くのか、それを忘れてしまった人々は奴隷化するわけです。

よく働いていると湯バーバに褒められて、そのことで「褒められる」ために働くことをしません。
賃金が多いというのは「褒められた」ことと同じで、それが労働の目的になってしまいます。

今、自分がなんのためにどういう「意味づけをして働いているのかを自覚している人は奴隷になれません。

どんな長時間労働でも自覚的な人は名前を忘れないのです。



posted by 変才冨田 at 23:39| Comment(2) | TrackBack(0) | わたしの哲学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

潜在意識に働きかける1

多くの病気は潜在意識が引き起こしていると思うのです。

なぜなら 顕在的な意識では病気になろうとしても無理なのです。

胃に穴を穿けるなど意識でできるものではないのです。

一種の超能力ですね。

潜在意識にはこの意識を超える能力があるのです。

ですから、治癒へと導くためには潜在意識の協力が不可欠なのです。

潜在意識の扉を開けるには病になった理由が物語られる必要があるのです。

その物語は間違えてても一向に構わないのです。

本人がそれを「本当だ」と思えればいいのです。

民族固有の神話も、個人的な思い出の中に宿る誰にも語られなかった神話があります。
それは自分の存在への意味づけです。

それらは間違いや思い違いであったとしても、そしてそれが現実を生きにくいものとしていたとしても

存在への意味づけなのです。

マイナスにであれプラスに作用してであれ、それは自己存在の物語です。

潜在意識はその物語で生きています。

マイナスに作用しているのなら、それで病気を表現しているのなら

新しい建設的な意味づけをすればいいのです。

どのような病も物語られることを欲しています。

潜在意識に新しい物語を吹き込めば風向きが変化して病は癒されます。

その物語が間違っていたとしてもいいのです。

なぜなら潜在意識は癒されたがっているからです。

太古の昔のシャーマンはこれをやっていたのです。

「あなたの病は狐が憑依しておるからで、今追い出してやったぞ」

こういう物語で実際に平癒する人もいたのです。


仕事でうまくいかない!

それも病として捉えれば

潜在意識がそのようなうまくいかないという物語を信じているからなのです。




posted by 変才冨田 at 01:28| Comment(0) | TrackBack(0) | わたしの哲学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月12日

「生きる力」は自覚的な「する」が引き出す  千尋に見る覚醒

これも過去記事ですが、最後に追加します。


人は気分のよくないときは力を発揮できないのです。

一番気分がよいときとはどんなときでしょうか?

そう、遊んでいるときなのです。


人が智恵を発揮するときも遊んでいるときなのです。

頑張っているときは緊張過度でうまくいきません。


「智恵を出さない人は助けない」

そう云った大臣が辞任しましたね。

現在被災して気分がよいわけがない人たちに「知恵を出せ」と強要したのです。


でも、「智恵を自ら出す人が救われる」ことは真実です。

でも、誰かに助けてもらうわけではありません。

上から目線で助けてやろうというのは、実際には助けられないのです。


さて千尋は湯屋で智恵をだしました。

それこそ起きて寝るまでの長時間労働です。

けれど、千尋はそこの労働で自己を回復したのです。

両親と車の中でのあのアンニュイな千尋はいなくなりました。

わたしたちの労働と千尋が湯屋でした労働に違いがあったのでしょうか。

あるのです。

同じ労働という名がつきながら天地の差があったのです。

それは主体的な、つまり自覚的な労働であったか、無自覚の労働であるかの違いです。

前者は建設的、後者は浪費的(時間の)です。

posted by 変才冨田 at 20:43| Comment(0) | TrackBack(0) | わたしの哲学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月06日

現実に、たった今に働きかける方法

現実世界と抽象世界

日々ニュースで流れる世界の映像は抽象的世界。

目の前のあなたの眼に流れている映像は現実世界。

前者の人々は手で触れることはできませんが

後者の人々は手で触れることができます。

確かめるには

目の前の女性にタッチしたら確実にビンタがもどってくるかもしれません。

痛いおもいをします。

相互に影響をしあっているのが目の前の現実。


ところが目の前の人は、あなたが目の前にいないときは別な現実を体験しています。

それぞれの人の目の前にはあなたの知らない無数の人々がいます。

そして、その無数の人々の目の前には無数の人々が折り重なって存在しています。


それは前者の世界そのものです。

つまり

目の前の人からあなたと世界はつながっているわけです。

目の前の人は世界を代表しているのです。

目の前の人を認証して幸せにしよう。

そして目の前のモノを認証しよう。

あなたの持ち物は世界の人々が無数に重なって出現したモノです。

要らないものは「ありがとうございました」と言って捨て

要るものとはあなたの意識が認証したもの。

それはあなたの一部。

だから、それらを見失うとはあなたの一部が見失われたこと。

置き場所を確定するとはそのモノを認証したことです。

そして

そして

目の前ではなく、目の奥

つまり、あなた自身の認証をしよう。

今どこに自分が存在して、何をしているのか、一瞬一瞬の自分の住所を知っておこう。

それは世界のスタート。

「隗より始めよ」というように

あなた自身を好きになって、あなたから幸せにしましょう。

自分を好きになれない人がどうやってコミュニュケーションがとれますか?

世界を変えるにはあなたから。

posted by 変才冨田 at 11:17| Comment(0) | TrackBack(0) | わたしの哲学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月05日

自分が何をしているか分からない なぜ人は仕事をするのか?

あなたはどうしてそれをしているのですか?

仕事であれ、何気ない日常であれ行為には理由があるはずです。

理由なき行為は「意味づけができていない」ので、何をしているのか無自覚状態です。

人が仕事をする理由に「しなければ上司や嫁やクライアントに怒られるから」というのがあります。笑

でもよく考えてみればそういうことはみなさんも思い当たるでしょう。

僕もよく怒られるので仕方なくやっているということはあります。
image.jpg
こんな人が僕をいつも怒っています。
天罰が起きたのでしょうね。さっき彼女から頭が締め付けられそうな頭痛で死にそうと相談を受けました。
一瞬死んでしまえと思いましたが、化けて出て怒られるので思いとどまり
「締め付けられる頭痛は熱した油の摂取があったんじゃあない?」
「天ぷらに厚揚げを連日食べていた」ということでした。
酸化した油が頭に回って痛いのですネ。
この場合は「干しシイタケ中位を一つ、切り干し大根一つまみを400CCの水から煎じて三分の一になったら少し醤油を落として飲用します」

そして、聴覚トレが良いのです。

けれど話しているうちに頭痛が取れてきたと言うのです。
これは私と話しただけでよくあるという癒し効果なのですね(笑)

さて、余計な話でした。

人はなぜ仕事をするのか?
ここから始めなければ、人の行動は全て夢遊病となります。

続く


さて、この記事を書いてから上記の女性から「本当はもっとかわいいから!」と抗議ありました。
そうなんです、そこで以下の写真も掲載(脅えて)
IMG_1602[1].JPG



posted by 変才冨田 at 22:40| Comment(0) | TrackBack(0) | わたしの哲学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「自分がなにをしているのか分からない」という状況の現代人3

コメントがありました。

おはようございます! 七号食や伝田式聴覚トレーニングをしていると、自然にあるべき方向に行動できるようにも思います。

ですが、しばらくして、食生活がおかしくなってくると、自分の軸が狂ったり、神経がおかしくなって、判断能力が無くなってきます。

七号食を数回していたら、少し、そういうことがわかるようになってきました。

また、食事だけでなく、他の影響、人間関係のストレス(たぶん自分の考え方)、運動不足、睡眠不足などから、食事に対する判断がおかしくなることも感じます。 「変になってるわ〜私」と分かるようにはなってきました。

普段から、「中庸」ということを意識はするようになりました。 たまには、変なことをする、変なものを食べるということもありますが、どこへ戻るのか知っているだけでも、七号食をしてよかったと思います。

どこへ戻るのかということは、
軸を確認できるということかなと思います。 そして、それは、頭で考えていただけではできないということなのかなあとも思います。

身体を整えるということですかね。 前の風邪が治ってから、1月、またまた、ひどい風邪をひいてしまったのは、何かがおかしかったのかな〜と思います。 無理矢理、調整させられる感じ。

わたしのコメント
自分が何をしているのか分からない状況は、自分が住所不定になっているホームレス状態だということです。

お片付けの本でベストセラーになっている「トキメキの・・・」著者である近藤まりえさんによれば

先ずは「一気に捨てる」捨て方は「ソレを心臓にあててみてトキメクかどうかで決めるそうです
二番目に残されたモノの住所番地を決める、というものがあります。

自分自身をモノであると考えたとき自分の生きる中心軸を失ったときこそ、それは「自分がなにをしているか分からない」という漂泊した感覚になるのではないでしょうか。


7号食をしつつ自分の活きる軸を考えてみませんか?

http://www.bl-oosaka.org/トミタ式7号食/トミタ式7号食中にオススメの商品/



posted by 変才冨田 at 09:16| Comment(1) | TrackBack(0) | わたしの哲学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「自分がなにをしているのか分からない」という状況の現代人2

以下は原発のベテラン労働者の告発です。

現場に職人が少なくなってから、素人でも造れるように、工事がマニュアル化されるようになりました。

マニュアル化というのは図面を見て作るのではなく、工場である程度組み立てた物を持ってきて、現場で1番と1番、2番と2番というように、ただ積木を積み重ねるようにして合わせていくんです。

そうすると、今、自分が何をしているのか、どれほど重要なことをしているのか、全く分からないままに造っていくことになるのです。

こういうことも、事故や故障がひんぱんに起こるようになった原因のひとつです。

 また、原発には放射能の被曝の問題があって後継者を育てることが出来ない職場なのです。原発の作業現場は暗くて暑いし、防護マスクも付けていて、

互いに話をすることも出来ないような所ですから、身振り手振りなんです。これではちゃんとした技術を教えることができません。

それに、いわゆる腕のいい人ほど、年問の許容線量を先に使ってしまって、中に入れなくなります。だから、よけいに素人でもいいということになってしまうんです。

 また、例えば、溶接の職人ですと、目がやられます。30歳すぎたらもうだめで、細かい仕事が出来なくなります。

そうすると、細かい仕事が多い石油プラントなどでは使いものになりませんから、だったら、まあ、日当が安くても、原発の方にでも行こうかなあということになります。

 皆さんは何か勘違いしていて、原発というのはとても技術的に高度なものだと思い込んでいるかも知れないけれど、そんな高級なものではないのです。

 ですから、素人が造る原発ということで、原発はこれから先、本当にどうしようもなくなってきます。

終了

仕事が細分化という名の分断が起きてマクロな視点が持てなくなってきています。

広島、長崎の原爆を製造していたマンハッタン計画の現場でも同じ状況であったようです。

時のルーズベルト大統領は「この二発の原爆を作るのにおよそ十万人が関わっていたが、自分がなにを作っているのかわからない人々が大半だった」と述べています。

例えば恐ろしい地雷が開発されています。

戦闘が終了して死体が散乱している戦場後で占領した側が死体の処理をします。

その横たわった死体の下に地雷が隠されていて死体を移動した瞬間に地雷が吹きあがり上空で爆発して
周辺100メートルに存在する人々に散弾が振りかけられ全員死亡するそうです。

このような兵器は人間が設計しているわけです。
その兵器の設計やアイデアに関わった人々は「自分がなにを作っているかわかっていた」はずなのですが
本当の意味では「自分がなにをしているのか分からない」といえます。

キリストは磔にされるときに、自身を十字架に磔にした人々を「神よ彼らを許したまえ、彼らは自分がなにをしているのか分かっていないのですから」と言ったそうです。

もっと卑近な例を挙げましょう。

ストレスから自分をなだめて「ストレス食い」になっているときにも
やはり「自分がなにをしているのか分かっていない」のです。

朝起きると食卓に食べ物が散乱して冷蔵庫のなかが荒らされているので気味が悪かったという女性がいます。
誰かが侵入したと思ったのですが、これが続いたとき自分の仕業だと気づいたそうです。

夜中に夢遊病のようにして食べ物を漁っていたのですね。

けれど誰も彼女を笑えません。
多くの人が「自分の今の行為の説明をキチンとできない」という状況があるのです。


で、以下の記事も書いたのです。

判断力が低いというのは

自分が何をしているのか分からない

ということです。


広い意味での痴呆状態に現代人はなっています。

怖いですねえ。

前回、「人生には意味も意義もない」と書きましたが、

その本意は判断力が低下してしまっている状態の人は「自分がなにをしているのか分からない」ということですから、やること為すこと意味も意義もないというの当たり前ですね。

神経が鈍感ということが最悪の状況ということです。

で、打開策として以下のようなことも提案しました。

ゆっくりやろう! ということです。

不倫議員さんなど、毎日多い時で400回も女性へlineをしていたとか。

ほぼ夢を見ているような日常だったのではないでしょうか。

フワフワと脚が地に着いていないような状態ですね。

この議員さんをわたしたちは笑えません。

多くの人が「今まさに自分がやっていることも、その意味もわからなくなっている」

おそらくそうなったのはスピードを増している日常と関係しそうです。

そのスピードにどんどん脱落し、脱落した人は「負け組」ということなのですが

その果てしなくスピードを加速させるウオーキング・マシンから落ちた方がいいのではないでしょうか。

どうやって落ちるかの方法は「試しになにもかもゆっくりやってみる」から始めるのです。

もっとも効果が高い方法は二つです。

@食事を超ゆっくりやってみる。
歯の感触や味の変化をひたすら観察するのです。
100回噛むという意識ではダメなのです。
100回に意識が飛んで「今食べている」という事実を見逃してしまうからです。
増してや食事しながら他のことを考えているという状態こそ「自分がいま食べてるという事実をわからない」ことにしてしまっているのですから。

A15分だけ超ゆっくり呼吸の瞑想をやってみる。

「自分がなにをしているのか分からない」のは認識が滑っているからです。

今、やっていることをしっかり確認するには「ゆっくり」やって観察する以外にないのです。

目の前で起きていることをジット観るということをするのです。

聴覚トレなども最適ですね。

音の豊かな変化、遠くで聴こえている山鳥のささいな音にも気づくように注意して聴くのです。

もう一度、言います。

「頭が良い」とは今自分がなにをしているかが判っている脳のことなのです。

ハナムラ先生が気づいた「知恵」とはそういうことのようです。


7号食の取り組みにこれを生かしてやってみませんか?

7号食を単なる「ダイエットをしている」では、まだ「自分が何をしているのか分かっていない」状況なのですよ。







posted by 変才冨田 at 00:15| Comment(1) | TrackBack(0) | わたしの哲学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月19日

自分が何をしているのか分からない、という状況の現代人

不倫議員さんなど、毎日多い時で400回も女性へlineをしていたとか。

ほぼ夢を見ているような日常だったのではないでしょうか。

フワフワと脚が地に着いていないような状態ですね。

この議員さんをわたしたちは笑えません。

多くの人が「今まさに自分がやっていることも、その意味もわからなくなっている」

おそらくそうなったのはスピードを増している日常と関係しそうです。

そのスピードにどんどん脱落し、脱落した人は「負け組」ということなのですが

その果てしなくスピードを加速させるウオーキング・マシンから落ちた方がいいのではないでしょうか。

どうやって落ちるかの方法は「試しになにもかもゆっくりやってみる」から始めるのです。

もっとも効果が高い方法は二つです。

@食事を超ゆっくりやってみる。
歯の感触や味の変化をひたすら観察するのです。
100回噛むという意識ではダメなのです。
100回に意識が飛んで「今食べている」という事実を見逃してしまうからです。
増してや食事しながら他のことを考えているという状態こそ「自分がいま食べてるという事実をわからない」ことにしてしまっているのですから。

A15分だけ超ゆっくり呼吸の瞑想をやってみる。

「自分がなにをしているのか分からない」のは認識が滑っているからです。

今、やっていることをしっかり確認するには「ゆっくり」やって観察する以外にないのです。

目の前で起きていることをジット観るということをするのです。

聴覚トレなども最適ですね。

音の豊かな変化、遠くで聴こえている山鳥のささいな音にも気づくように注意して聴くのです。

もう一度、言います。

「頭が良い」とは今自分がなにをしているかが判っている脳のことなのです。

ハナムラ先生が気づいた「知恵」とはそういうことのようです。











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2016年02月18日

本日の対話 ハナムラチカヒロ氏「知恵とは今じぶんが何を感じているのか、自分になにが起きているのかがわかっていること」

ハナムラ先生との対話です。

ハナムラ「夢から目覚めてわかった!と叫びました。知恵とは今なにが起きているのかがわかっていることだと」
わたし「ほうほう」
ハナムラ「ヴイッパサナーの観察する瞑想法はその知恵を獲得する唯一の方法だとわかった」
わたし「ほうほう!」

ここから5時間くらいの対話が始まりました(笑)

世の中の多くの人は(全員ですが)自分がなにをしているのか分からない、という無明にいる。

わからないのは、自分の周囲で、世界でなにが起きているのかがわからないからだ。

自分の身体の観察を経て、その観察の仕方で世間を、社会を、世界を、宇宙を観察する。

それが般若(知恵)に至ること、それが悟りへの道筋になっている、などの話でした。



ハナムラ「聖書にもキリストが磔になって処刑されるとき、神よ彼らを許したまえ。彼らは自分がなにをしているのかさえ分かっていないからです。というのがあってキリストも仏陀に近い線を行っていたのではないだろうか」

ということは

殺人の罪に対して未成年や心神耗弱状態であったという理由で無罪や減刑がなされたりしますね。
自分のしていることの意味をわかっている犯罪は確信犯といったりしますね。

わたしたち人間の大半が「なにをしているのか分からない」という無明状態であるということは
本質的に罪が問えないのかもしれない。

問えるとしたら「お前はアホであることを無意味に続けていたので罰する」ということくらい。


ハナムラ・わたし「頭を良くした。とても良くしたい。性能を上げたい。だけでなく、これまでの配線を抜いて違う配線につくりなおしたいものだ」
という結論でした。



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2016年02月17日

食べるということの意味を掘り下げてみよう   食べ物を認証するっていう意味がわかる

以下は2013年の記事です。

今、これを読むと私自身のテーマの発展が見えます。

執念深く、ずっと掘り下げてきたのですね。

食べることの本質的な意味

いったい「外界のモノを食べる」とはなんなのか?

マクロな視野で観れば

それは自然界の命の大循環システムに組み込まれている行為といえます。

この世界は全てはつながっていますが

命あるモノ同士は食べ合うことでつながっています。

食べ合うことで命をリフレッシュしているのです。

物理法則にエントロピーの増大という絶対法則があります。

それは秩序あるものは無秩序へ向かうということです。

命もその法則から逃れることはできません。

いのちは秩序を保っていますが、これも「やがては無秩序へ」と向かいます。

即ち組織の崩壊、つまり「死」です。

ですから

そのままでは地球の命は全て滅亡します。

そのエントロピー増大の法則から逃れる手段として生命はリフレッシュを選びました。

生殖をして次代を産み、フレッシュな命を創りだすのです。

生命は死に合うことで食べ合う契機をつくり、生命大循環を創造しました。

自己の死を否定する(自己肯定)ことは新たな生命の否定になるわけです。


さて

食べるとは子孫を生み出すこととセットになっています。

食と性は表裏になっているのですね。

したがって「食」にも子孫繁栄の原理が貫徹しています。

カタカムナでは「ムスビ」と言いますが、これは男女のセックスのことも表現しています。

結婚という時にも「ムスビ(結)」が入っていますね。

これはお互いの性器をつなげる(結び)という意味なのです。

陰(女)と陽(男)が結んで、子孫が誕生します。

結ぶことは新たな生命をつくるということになります。

おむすびというモノ。

これも陰(右手)と陽(左手)の結びです。

片方だけではおむすびさえ作れないのです。

「食べる」とは結びです。

陽性の生きたあなたが陰性な死物と結び合って

新たな明日の生命へと向かうのです。

いわば「食べる」ことの本質は結婚と同じ意味があることに気づくべきです。

その一食はそれとの結婚なのです。

あなたが「美味しそう!」と叫ぶ時

それは食卓に置かれたお見合い相手を気に入ったということです。

結婚式が厳粛であるように食卓も実は厳粛な意味をもっています。

生死に関係するからです。

なぜ、結婚式で飲食を共にするのか。

食と性の切ろうとしても切れない意味があるからです。


けれど

気に入った相手と結婚しても不幸になるかもしれないように

美味しいというだけでそれを食べては不幸になるかもしれません。

相手を選ぶ真眼が必要ですね。

けれど、問題の相手(食べ物)でも

よく噛むことです。

噛むことはカミ、神にて通じて

あなたに同化することでしょう。

噛むことは結婚生活そのもので

相手を噛むことで理解してコミュニュケーションをとるのです。

食べるとは食べられるものとの対話になっているのです。

いえ対話とはどちらが主体になって食べているというものではなく
お互いが食べあっているのです。

私がニンジンを食べている=ニンジンがわたしを食べている
という関係です。

その対話をしないで「早呑込み」すると

相手は自己と同化しにくくなり、出て行きたがります。

それが病気の症状ということです。
posted by 変才冨田 at 23:40| Comment(0) | TrackBack(0) | わたしの哲学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月16日

「する」ことからしか始まらないでしょう?2

「しない」と決めている理由

前回は

出来ない=しない という関係が成り立つと書きました。

「できない」と言うのは「しない」と言っているに等しいという関係ですね。

この関係を心のなかに堅持している人は、「わたしは変わらない」と妄想しています。

こういう人を「頑固」というのです。

この世界は「変化する」が法則ですから、そのなかにあって「変わらない」というのは妄想であるし、

傲慢というものです。

真実は「できない」と「しない」は全く関係しないのです。

この関係性を等価にしている原因は「できなきゃダメ」という思い込みにあるのです。

出来なくとも(完成しなくとも)そこへ少しでも近づければいいのです。

近づいた分だけ力がついているのですから。

できなければダメ、その妄想は根深いですね。

もう一つあります。

それは「バカにされたくない」という生き方です。

続く

posted by 変才冨田 at 23:30| Comment(0) | TrackBack(0) | わたしの哲学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする