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2018年01月25日

マクロビオティックと性 2体位の陰陽

さっきの長い記事の反響がけっこうありました。

アバターの体位がなぜ陰陽なのか教えてくれという 笑

けっこう食いつきの良いテーマでした。笑

形の陰陽について
横に長いのは陽
縦に長いのは陰です。

その意味で陽性の男が横になって
陰性の女が縦になって自然な姿です。

陰性の女性がさらに腕を天に伸ばして縦の陰性を強め
手のひらで広大な宇宙の陰性から降り注ぐ陽性の意思を受け止めます。
陰性が陽性を惹くのです。

女性の方が宇宙の波を受け取れるのです。
女性が宇宙の波動を受け止めて陰性に加工する事で
陽性に横たわった男に情報を少し渡せます。
少しです 笑

一方正常位はどうか。

これは野菜の重ね煮と同じ原理 笑

陰陽の衝突と交流がスムーズです。

宇宙を組み込んだ(宇宙とのコミュニケーション)ものではなく
マイホーム的なものです。


もう一つの質問は
チャクラとの関係です。
チャクラの流れを良くするという治療面が主のセックスもあります。
ヨガをしているご夫婦であれば良いですね。
これについては機会があればまた書きます。


このブログでここまでセックスを連呼して体位のことまで書いたのは初めてですね。
ずいぶん昔に合宿時に深夜の夜学で話したこともありました。
posted by 変才冨田 at 23:59| Comment(0) | わたしの哲学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

マクロビオティックと性 精神性の発展

 性行為などで感染する梅毒が若い女性らに広がり、国立感染症研究所の集計によると2017年の患者数は、現行の集計方式となった1999年以降で初めて全国で5千人を超えたことが分かった。うち3割を占め、患者数が最多の東京都は感染拡大に歯止めをかけるため、18年度から検査態勢拡充などの対策に本腰を入れる方針だ。
引用終了
検査体制の強化が梅毒の感染の歯止めになるのでしょうか。

風俗で働く女性の検査を義務化でもして感染確認されれば業務停止でもする対策でしょうか。

都市圏で梅毒が流行る理由は風俗が良く利用されているからでしょう。

かなり以前にみじかな男性数名に訊いてみました。

風俗体験者は半分を超えていました。

女性のみなさんはこれってどう思われますか。

ある既婚の女性がご主人から感染させられたという相談がありました。

ご主人は風俗のリピーターです。

「男ってそういうものだから浮気されるよりはマシ」
こういう感覚の女性は多いのでしょうか。
彼が風俗に通うのは浮気ではないと考えるのですね。
乙武さんの不倫問題で奥さんはその点の理解を示されていましたね。

男性が風俗に通うきっかけは
最初は上司に連れて行かれて、、、、、
が最多でした。

さて 、ここで感染した男性が別の風俗の女性に感染させて
次に恋人や奥さんに感染させてと拡大して5,000人を超えた。
おそらく潜在患者はこんな数ではない。
恐ろしい数になっているでしょう。

余談ですがベートーベンも梅毒であったという報告があります。
難聴はこれが原因だとも。
母子感染説がありますが
ベートーベンの日記に「愛を伴わない肉の交わりは虚しい」という記述があり、この時に感染したのかもしれないですね。

日本では遊郭のあった頃は花柳病と言われていましたが
これは淋病のことなのかどうか。

元々梅毒はアフリカに起源があって奴隷売買とともにヨーロッパに感染が拡大したそうです。
野口英世はこの研究で有名です。

さて
ここで言いたいことは
性の哲学です。
ここでも「人はパンのみにて生きるにあらず」が登場します。

パンは必要だがそれだけではないよね、と言っているのです。
パン無くしては生きられないけれど、パンを求める過程にパン以外のものを見つけようと言っているのが聖書の文言です。
まぁ、聖書においては神の僕として生きるという意味なのですが。

人は経済動物として生きる
社会的動物として人間には文化がある。
経済動物として生産力をアップしてきて、その先に文化を創造する余力をつけたわけです。

いくらお腹が減っていても人間は路上に投げられたパンは食べません。
本能は食べたいのだけれど発達した本能である良心はそれを許さない。
高邁な人格を身につけるほど食べません。

文化とはお皿や箸のことです。
パンのみにて生きるにあらず
お皿や箸はパン以外のものです。

長々と前提を書きましたが性においても同じです
「人はセックスのみにて生きるにあらず」
なのです。
ではセックス以外のものとはなんでしょうか
ソレは「愛」と表現されているものです。
「愛」の概念はキリスト圏のもので私たちにはわかりにくいものです。

江戸時代のキリシタンも聖書のlove がわからなかった。
そこでlove を「お大切な人」と訳しました。

皆さんはどういう感覚でしょうか。
「愛」が、わたしにはわからない」という若い女性がいましたが、
正直なところそういう感覚は皆さんにもないでしょうか。

それよりも「あなたは大切な人です」と表現した方がしっくりこないでしょうか。

明治大正昭和初期の文豪たちにも「愛 love 」がわからず悩んだ形跡があり、とうとうキリスト教に入信した作家も大勢です。

さて
知らない異性が風俗で出会う性の交渉には
パンはあってもソレ以外のものがない。
肉欲のみです。

それよりも大切な人との性の交歓は本能の悦びを高みに引き上げ感激的なセックスになります。

人は性欲から出発しますが、生きる過程で人が人間へと進化するにつれて
愛というものを創造したのです。

愛への希求は進化した人々の証明です。

その限りにおいて不倫とかの良し悪しのジャッジは意味のないものになります。

75歳で毎日毎日三回のセックスをするという和歌山の男性が実在します。
しかも若い美人女性ばかりで三回とも違う相手だというのです。
一回40万円がセックスの対価だそうです。
これまでに三十億円を使ったそうです。
そんなある日そのうちの女性が6,000万円を盗んで消えたそうです
それで事件になってこの男性が有名になったようです。

(この男性の身体を調べてみたいものです 笑)

きっとこの男性は大切な何かに出会っていないのです。
したがって満足がなく猟奇的なセックスの数だけ増えているのかもしれないですね。

こうした男性の同タイプが風俗通いをしているのでしょう。


マクロビオティックにおいてはセックスは「ムスビ」という宇宙的な交歓と捉えており
神聖な行為です。

道祖新は男女の性器をシンボルにしていますね。
非常に性に対しておおらかな時代の痕跡です。


だからといって
それが現代の風俗につながっているわけではありません。

確かに古代社会においては群婚でした。
女性は同時に多くの男たちと交わっていた証拠が遺伝子的にあるようです。
それは優秀な遺伝子を遺す機能と子を作って部族が栄えるための
生存に関わる行為でした。これに是非はないですね。

けれど生産力の発展が人を人間に高め
今日の「大切な人とだけ」という歓びに性を高めたのです。

貞操というなんだか古い概念は
単に私有財産を継承するためのもので愛とは全く関係しないものです。

愛あるセックスは男女の高い精神的なコミュニケーションです。

このコミュニュケーションを最高のものにするには
男性の身体の陽性力とそれに見合った陰性の高度な陰性の精神性
女性の身体の陰性な力とそれに見合った陽性な精神性が
衝突することで宇宙の片隅での宇宙の意思が実現します。

アバターという映画にジャングルの中の小さな空間でこのシーンがあって素晴らしいものでした。
騎乗位は陰陽のすがたで女性の腕は天に向きその手のひらは宇宙の気を受け取るアンテナになっていました。







posted by 変才冨田 at 18:18| Comment(0) | わたしの哲学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月24日

死ぬ原因は欧米流でも良いのか

ある民族主義的思想を持つ右翼の男性がおりました。

延暦寺で雲水から修行して住職になられたお坊さんがいました。

二人からそれぞれの健康相談でした。

二人とも重度の肝臓病と心疾患がありました。

これは古来の日本の伝統にはなかった病です。

右翼の男性は神道などの造形も深く
日本の伝統が大事でアメリカナイズされていく文化を悲憤されていました。

心疾患などはアメリカで流行り肉食過剰が
日本の食生活文化を一掃しての結果です。

言ってることとやってる病が矛盾しているではないか!

死因がアメリカ流で良いのか?

こうした矛盾に気がつかないのは視点が低すぎるためです。

視点が高いというのは思考に抽象度を上げるということです。

高い抽象度で眺めれば自分のやっていることの滑稽さが見えてきます。

このお坊さんも欧米流で死ぬのは気にならないのでしょうか。


もう一つ 滑稽なシーン

糖尿病の患者が糖尿病の意思に相談している。

日本って変な国です。
posted by 変才冨田 at 19:29| Comment(0) | わたしの哲学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

釣り人はなぜ何時間も座っていられるか?

真冬の砂浜や岸壁で何時間も座っている釣り人を見かけます。

彼らはどうしてそんなことができるのでしょうか?

その秘密がわかれば私たちの人生の秘密が解けるかもしれませんよ。

つづく
posted by 変才冨田 at 18:53| Comment(0) | わたしの哲学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月23日

奴隷とは頭の中のことです。

コメントがありました。

先生、こんばんは。 私は、お金をもらっている今の仕事よりもそれ以外のことの方が、人生を切り開く感じがしています。 今の仕事は、意味を見出せないわけではないが、身の危険を感じるので、お金があれば辞めたい…

わたし
いったいどんな危険が!
職業はゴルゴなのか!

さて
最後の「お金があれば辞めたい」

定額の収入が貴重な意味は生きるのに定額のお金が必要だからです。

だから嫌々やっているのに辞められないのです。

それを奴隷労働というのです。

別に

お金の奴隷とも言います。

一生奴隷でいる覚悟してください。

お金があれば辞めたい

そう考えることが奴隷根性なんです。

そう考えていない人は奴隷状態であっても奴隷ではないのです。

頭の中が奴隷なんです。

奴隷脱出計画を企んでいる人は奴隷ではありません。

脱走計画書を販売しています。

買いますか?



posted by 変才冨田 at 23:10| Comment(3) | わたしの哲学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月22日

現状からの脱出か遁走か

身体には恒常性機能があります。
血中カルシウム濃度を一定に保つために
骨からカルシウムを出すことでつじつまを合わせます。
体温も血糖値も血中PHも一定を保つようにします。
生命にとって安定が何より必要だからです。
自律神経はこの安定を作っています。

同時に人の設定も安定を好みます。

自分はこのような人間だと設定すれば、そこから逸脱しないように無意識が働きます。
人格の安定ということになります。

その設定が揺さぶられるような事態が生じた時に設定を強固に守ろうとして避けるか勇敢に変化に突入するか?

これは火性と金性の相克の物語ですね。

火は変化しようとして
金は殻を守ろうとして
矛盾が生じて苦しくなります。

そして今のあなたの現状がその矛盾が戦った結果です。

火が勝利していますか?
金ですか?

変化というのは何かこれまであったものが
消失し(死んだ)新しいものが生まれた、ということですね。

死の恐怖心というものは変化が怖いということです。

心の恒常性というのはそうしたものです。

変化する間際の不安定を嫌うのです。

住居だって安定させたいですよね。
勤め先もパートナーも安定させたいのです。

この人の世はあなたは不変であるという前提(契約社会)になっていますから変わりにくいのです。

けれども比較的に火の人は気がコロコロ変わりやすく、金の人は強固に変えません。

その両方を心に同居させている人は苦しいです。

変化しようとする力と変えない!という力がいつもぶつかり合っているからです。

僕はいつも変化を好むので金性の人は僕をコロコロ変わると不満をもつかもしれません。

(弁解をすれば
僕は肝心な最終ゴールはまるで変化していません。
ゴールに到達する過程での目標は常に変化させています)

さて
皆さんは現状を変えたいでしょうか。


posted by 変才冨田 at 20:53| Comment(0) | わたしの哲学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月05日

ホリスティック思考とは全体性を見る哲学です。 なぜ自分の考えを広げるのか

表題の答えは
そうした方が自分にとって生きやすい環境を作るからです

もっと自由に生きようよ!
そういうわけは
自分の周辺が不自由な人ばかりだと
自分が自由になれないからです。

新自由主義がこれほど世界を席巻したのは多国籍企業にとって都合の良い世界を作れるからです。
これが実現できるのは多国籍企業が金という力を持っているからです。
民主主義国家は建前としてどこの国も国民主権です。
選挙で代表が選ばれます。
その代表が新自由主義が良いと思えばそれに賛成します。

そういうわけで日本は小泉さん以来新自由主義の嵐が吹きました。
結果は彼らが願ったようになりました。
金持ちがより金持ちに、持たざる者はより持たなくなりました。
ある意味、断捨離が勝手に行われたのです。

けれど、自民党に投票された人たちはみんなこうなって欲しかったのですか。
選挙演説で候補者が「私は金持ちはより金持ちにします。貧乏人はより貧乏にします。
その結果は子供の貧困はより増します。
そして結果として国の政策に反対する人も多く出るので、国の方針に反対するような危険性のある人への対策として共謀罪も早く通します。
武器も輸出できないと軍需産業が兵器開発に遅れをとりますので
防衛(攻撃?)予算をさらに増やします。
兵器は消耗しないと次が作れないので軍需産業は衰退します。
自衛隊がどこかへ行って鉄砲を撃つ必要もあります。
そのためには憲法が邪魔なので変えます。
戦後押し付けられた憲法だから変えるわけではありません。
平和憲法が邪魔だからです。
国は武力で守ります。
そのためには財源も必要なので消費税を増やします」

そんな演説が前回の衆院選挙で聴いたでしょうか。

誰も聴いていませんね。

また、当の候補者もよくわからんのです。
自分が選挙で勝つことがどういう意味を持っているのかわからんわけです。

全体として自分がアメリカ多国籍企業のグローバリゼーションの片棒を担いでいるという自覚のある議員さんは少ないでしょう。


さて、良い世界というのは大多数にとって都合の良い世界です。

なぜ、多数者にとって都合良くならず、少数者にとって都合の良い世界が続いているのでしょう。

それは多数者が多数者だと自覚していないからです。

自覚してもらっては困る人たちがマスコミや教育事業に干渉して

自覚させないようにしているわけです。

その方法は分離分割思考を教えるからです。

目の前しか見えない、現象だけ追いかけるという思考です。

人間にはグループ化という癖があり、グループ化はどれかのグループに違いを見つけて(些細な違い)

グループを強化するという癖です。

子供は親よりも子供集団で生きようとしますからグループに順応します

親が教えない言葉は自分のグループで覚えます。

勉強すること 成績が良いのはカッコ悪いとすれば

すぐに勉強しなくなります

親が作った教育環境はすぐに崩れます

支配する人はこのグループを作りたがる人間の癖を増長するだけです。

ヘイトスピーチなどに見る人種差別は思うツボです。

人を下品だと言えば、それは上品と下品のグループわけして全体が見えなくなるのです。

自分はあの人たちとは違う!

自分とみんなは違いはあるけれど立場は同じ!

どちらが全体を見ているでしょう。


肝臓は胃とは違う、俺の方がずっと貴重だ。

肝臓は部分思考ですね。

胃も心臓も腎臓も違うから全体に奉仕できているのです。

それをホリスティック思考というのです。

ホリスティックを標榜しながら、自分の担当は健康問題だけと限定するのは

もはやホリスティックではないです。

ホリスティックは世界を一つの全体として見る思考法です。

世界を救う思考なんです。

身体も全体として観察して不具合の部分を是正しようとしています。

自然は巧まずしてホリスティックになっているのです。

それを分離分割思考が干渉して薬物で全体性を崩してしまうのです。

posted by 変才冨田 at 22:04| Comment(0) | わたしの哲学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月03日

マクロビオティックの性の考え方 3

性の解放とは人の経済からの解放とリンクしています。

経済条件で性は拘束されているからです。

女性が男性を選ぶ条件ですが

25歳までは男は顔!
26歳からはお金だと言うのです。

そういう点では男性にとって甘い世の中です。

だって人格を磨くより経済力をつければ女性に選ばれるのですから。

つまり男性もお金に拘束されるのです。

けれど年収が300万円時代です。

経済力のある男性はすでに結婚しています。

経済力のある男性は需要があるけれど供給少なく
過当競争になっており、40歳を過ぎて独身という男女が増えています。

女性の側から見れば何も苦労して家事労働だけが増えるより
今のままで気楽が良いと考え、男性は自信なく沈んでいるだけです。

性の自由は経済力だけではなく現行の倫理道徳の克服もあります。

道徳の「道」とはタオという意味があり、このタオの原型は陰陽です。
陰陽とは人間で言えば性の交流のことで
道とは性の交流、簡単に言えばセックスのことです。

同祖神があります。祀っているものは男女の性器ですね。
道祖神でもあるのです。
これを生命の源と捉えて大切にしています。

では性愛ではなく愛そのものってあるのでしょうか?

皆さんは赤い色の存在は分かるでしょう。


けれどそれは赤いポストであったり、赤い布であって初めて認識できます

赤そのものだけでは存在できません。

愛も同じです。

人が存在しないところには愛も現れないですね。

愛は関係性において現象するものです。

男女の性に起因して愛は存在します。

だから性愛なのです。

性は遺伝子の継続欲求を具現化するものです。

(同性愛のことは別に書きます。ここでは、その存在は自然界によくあるミスコピーとしておきます。本道は男女の性差における愛です。こんなこと書くと炎上するかもしれないですね)

では、性愛は社会性があるのか、社会的なものが作用するのかということです。

性愛は環境の影響を大きく受けるのでしょうか。

不倫というもの。

これは起きてあたりまえのことです。

遺伝子の欲求は宇宙の意思なので倫理道徳では制御できません。

制御できないので社会的な圧力を加えるのです。

けれどその不倫のニュースが耳目を集めています。

一夫一婦制では包みきれないものがあって、こぼれ落ちるものが不倫です。

男はいつでも精子を配りたい。

女は卵子のコストと子育てのコストがあるのでより吟味したい。

これでは乱婚になります。

そうです。
おそらく人類の婚姻形態は

狩猟生活とリンクして乱婚を出発点にしている。

その方がお互いに都合が良いからでしょう。

夫が一人だと亡くなるとたちまち庇護を失い困ります。

誰の子かわからないのは都合が良いのです。

男たちみんなの庇護を受けられるのです。

男たちにとっても、誰の子かわからないけれど自分の子である可能性があることで満足です。

なぜなら遺伝子の伝達以前に生存しなければいけない。

生存するには若い世代を増やすことの方が有利です。

男たちは女の奪い合いという競争をするようなことは飢えと隣り合わせではできない。

性をお互いに共有し合うのは都合が良かった、というよりそうなるのは必然的です。

ではお互いの遺伝子を生存させる競争はどこでしていたか。

女性に生殖器の中で精子が戦っていたのでしょう。

これには男性性器の形から説明されているようです。


では、なぜ一夫一婦制が現代の標準になったのか。

それは剰余生産物が産まれたからです。

余分な食べ物はどこかに仕舞っておける。

そうなるためには腐らない食べ物が必要でした。

穀物の発見から栽培に移行した時

私有財産がこの時に生まれ

私有財産の継承と遺伝子の継承が一致して
一夫一婦制が生まれました。

私有財産が子育ての裏付けになったので乱婚で男たちに守られる必要性が薄れてきたのです。

男も完全に自分の子であるという保証が得られました。

農耕は広い土地を必要として土地の私有制も生まれました。

定住が始まります。

移動する民と定住する民は存在基盤が違うのです。

考え方も文化も違うのです。

農耕は生存に有利です。

穀物は貯蔵できるので飢餓対策ができました。

狩猟時代が200万年
農耕時代は2万年

身体の生理は圧倒的に肉食時代に作られたので
人は肉食に適応しているという糖質制限食からの意見もあります。

僕は2万年の適応を過小評価しているとい考えています

貯蔵ができたことで生存数が増え、剰余の食べ物が労働から解放し文明文化の基礎を作った。

つまり穀物食が人を社会的な動物、すなわち人間に進化させたと考えています。

穀物食に適応するために生理的仕組みも短期間で変更しましたが、それ以上に

考え方をドラマチックに変えたのです。


(なんとなく書いてはきましたが、こんな話はおもしろいでしょうか)



長い


posted by 変才冨田 at 10:51| Comment(0) | わたしの哲学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月02日

マクロビオティックにおける性の考え方 ドキドキしない恋愛

相手から申し込まれてから交際一年で相手はすごく優しく安心できる人です。

一流の企業にも勤めていて経済も安定しており、最近は結婚の話も出ています。

けれどドラマやコミックの主人公のようなドキドキがなく会う時の高揚感がありません。

私はドキドキする恋愛をしたいのです。


というような質問を脳学者にしている女性の文書を見つけました。

脳学者は誰にも未知の部分がありそれを見つけられるシュチュエーションを工夫すれば良いという意見でした。

皆さんはどう考えますか?


ドキドキというのは心臓の鼓動が高まる状態です。

普段からの心拍数が関係します。

普段から心拍数の少ない人はドキドキレベルになかなか達しにくいようです。

興奮レベルに達してドーパミンやセロトニン分泌にもっていくと

至福感がやってきます。

走ることが好きな人にはこの心拍数が普段から少ない人がいらっしゃるようで

走ることでドキドキレベルを引き上げて興奮したいようです。


吊り橋効果というものがありますね。

恋愛関係にない男女が一緒に吊り橋を渡ると

双方ともに怖い緊張でドキドキするのですが

このドキドキを相手に対するドキドキであると錯覚して

恋愛感情と錯覚するというわけです。

恋愛関係にない男女が一緒にスリルを味わうと

恋愛に発展するというわけです。

その点は僕はかなりイケてるようです。

僕といると不安定感満載です。

どこかに行けば方向音痴なのでどこへ連れて行かれるのかわからないというドキドキもあります。

仕事も常に変化させるので安心感が永久にないのです。

僕も心拍数が少ない方なので

冒険する事で心拍数を上げて快感レベルにしようとしているのでしょう。

こうした冒険心に富む男性は女性の心拍数を上げることに貢献して

恋愛感情を起こしやすいようです。

そしてこれはDNAの伝達にも有利です。

冒険心のある男は生き抜く力が強いので

その遺伝子を残したいので女性は惹かれます。

こういう男は男性ホルモンのテストステロンも多く分泌して

より一か八かの勝負を求めます。

以上は動物としての魅力です。

けれど私たちは人間という社会的動物です。

社会人は安定を求められます。

女性もイザ子育ての段階に至ると安全と安心を求めます。

ここに矛盾が生じるわけです。

人という本能的な動物性と人間という社会的動物である人間との矛盾です。

私たちの日々の煩悶の原因は常に人と人間の矛盾で起きるのです。

エゴギョウで言えば、火性と金性の矛盾ですね。


冒険心に富む男か安全安心を提供する男か。

どちらを選ぶかは女性の心拍数レベルに左右されるかもしれないです。

恋愛はカッコいい男
結婚は安心感ある男。

恋愛相手と結婚相手は別と割り切っている女性は
この辺りを体感しているのかもしれませんね。

けれど、このあたりに不倫という問題があるのでしょう。

W不倫が昨年はニュースになって賑わしていました。
(こんなものをニュースにする日本が問題です。恋愛などは完璧に個人のレベルで放っておきなさい!
安倍政権の綻びがこれで糊塗されていました)

W不倫は背徳性ということが双方の心拍数レベルを引き上げてドーパミン分泌に一役かって
不倫を快感レベルに引き上げています。

つまり日々の安定性を壊すことが快なのです。
どれくらいの心拍数を上げればその人にとっての快なのかは違いがあるようです。

以前書きましたが

日常のケの積み重ねに時々は非日常のハレの日を作っています。
祭りや祝いの日を作って心拍数を上げてきたのです。

ある国語学者の記述に

乱婚は日本においては普通にあった。
近代にまでその風習がある村もあった。
実際に調査でその村に出かけたというのです。

昨晩がその日でした。
新月の暗闇に村人たちは河原に行き乱交します。

村の若い衆も結婚しているものも総出です。
近隣の村からも遠くからも来ます。
お祭りですね。
みんな心拍数を上げています。ハレの日です。

翌朝のこと宿泊させてもらった庄屋での会話。

主人があたりまえのような口調で
「お前は昨日の相手は誰だった?」
奥さん「暗くてわからなかったよ」
主人「ふーん、そうか。俺もわからんかった」

さて
恋愛はハレであり結婚はケです。
長持ちする夫婦は適当にハレの日を設定していると思います。
ケばかりの夫婦は本能を抑えられない日がやってくる可能性があるのです。



さて
女性の排卵は貴重です。数が少ないのですから。
男性の精子は無限です。コスト安いですね。

女性は生き抜く力を秘めた冒険心のある遺伝子を求めます。
ところがそういう男はリスクが大きい。
試しにテストステロンステロンを胎児の時にたくさん浴びると薬湯が人差し指よりもかなり長い。
ドキドキする相手がいたら指を観察しましょう。

大成功か大失敗がその男の運命です。
こういう男との生活は安全安心ではないですね。

そこで結婚は安定感満載の男を選びます。

けれど安全安心を求めてそれを実現すると退化につながります。
(子孫がたくましさにかけるだけでなく
一生においても安全安心の実現は能力を削ぎます)

優秀な遺伝子を残すか、安全安心の子育てがいいか?
この二律背反を解決する方法は
ドキドキする男性の子を産み
子育ては安定感のある男と育てる、という解決です。

これは殺人事件にまで発展する可能性がありますね。
「嫉妬」という厄介な本能があるからです。
続きあり


posted by 変才冨田 at 11:56| Comment(0) | わたしの哲学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月25日

暮らしの中に根をはろう

これは僕の永遠の初恋の人、吉永小百合さんの歌の一節です。

暮らしの中に根をはらないと、その人は立ち枯れしてしまいます。

デラシネというのは根無し草のきとです。

デラシネは水の流れに従って漂流するのみです。

根をはる とは

毎日しっかり自分でご飯を作って食べること

食器を洗うこと

部屋の中を清潔に保つこと(これは僕は失格)

命の糧を得るためにしっかり働くこと

働けば自然に世の中に役立ち

結果は根をはれる

人の生活には日常の ケの日
非日常の ハレの日がある。

ハレは特別な日でご馳走を食べたり、感動的な日であるのです。
ドーパミンが分泌される。
ケの日は淡々とジンワリした幸福を感じる日々です。
セレトニンが分泌される。

このバランスが重要で
ドーパミン活性の大きな感動ばかり求めていると
根をはれなくなります。

ケの日が重要でこの日々が根をはるわけです。

根をはったからハレの日が生まれ感動の花が咲くのです。

毎日が感動ばかり楽しいばかりを求めていると

やがては立ち枯れになります。

ハレを人生にとって重要な日にしてしまうと

ケの日々は鬱々と過ごすことになります。

ケの日々にこそ蕾を育てる根があるのです。

ケの日々をこそじっくりと楽しもう。
posted by 変才冨田 at 23:12| Comment(0) | わたしの哲学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月09日

子宮とはお宮様だった

読んで字のごとく子宮とは子が鎮座するお宮様でした。

そう考えると神秘的な匂いがします。

毎月このお宮様ではお灯明が灯り
祀りの準備が始まるのです。
受精卵の降臨を待つのです。

すべての始まり

受精した卵子は宇宙の舞踏を見せながら
子宮に着床します。

多くの場合は舞踏をしない未受精卵です。

お祀りに使った舞台や幕などはかたずけられ
出血とともに流されてしまいます。
月経とは宇宙のため息だったのです。

このお祀りを女たちは毎月やっているのだ!

宇宙の偉大な大仕事を毎月平然とやっている。
女は偉い❗️


だからこそ

男たちはこのお宮様にお参りしたいのですね。

posted by 変才冨田 at 00:38| Comment(0) | わたしの哲学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月30日

「迷い」の探求ミッションとワーク 4 そもそも欲求力が低い人に

人が迷い始める大きな原因は欲求が低いことにありそうです。
欲求力が高い人々は考慮する前に掴みにかかります。

爬虫類脳や猫などのように大脳辺縁系の電圧が高いのでしょう。

小さい頃に不快と快のオンオフの切り替えができる環境だったと思います。

エゴギョウで言えば火性力を削がれなかったのです。
火性の阻害因子ももらったのでしょうが火を消されなかったという意味で両親に感謝ですね。

後は木性の判断力を磨く課題です。

さて
欲求の低い人々の特徴に
「心配性」というところがあります。

逆に言えば火性の高い人々は一切の心配をしません。
この原因は両親が「心配性」でなかったからです。

ではなぜ心配するのか?

両親が過度な安全癖にあると子供の安全に過度に心を配ります。
「心配」とは安全の対義語と言えます。

両親の心配への心の動きが子供にコピーされるのですね。

続く
posted by 変才冨田 at 10:51| Comment(0) | わたしの哲学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月29日

ミッションとワーク 3 強い欲求に支えられたミッションがワークを支えるらしい。

今回はワークについて。

ワークとは文字通り手作業です。

手作業は手や身体に覚えこませることが
この場合のワークにおける目的(ミッション)になります。

一例
超一流のピアニストにインタビュアーが質問しました。

「演奏に個性が表現できるようになるには何が必要ですか?」
「それには超絶技巧の曲を目隠しして弾けるようになってからです」

いかがでしょう。
ワークとミッションの関係を見事に表現されていますね。

個性は表現されることで個性と認証されます。
つまり、表現とはワークで表せられるものなので、
ワークに習熟することしか個性的な表現者になれないのです。

習熟していない人の表現は個性的なのではなく
ある種の失敗を個性的だと誤認されているのです。
事実失敗の仕方は多様ですから誤認されやすいのです。

ピアニストがひたすらにハノンなどの指の器械体操を何時間でもできるのは良い表現者になろうとするミッションがあるからです。

日常のワークをおろそかにして一流を目指すというのは
妄想だということですね。




posted by 変才冨田 at 17:07| Comment(0) | わたしの哲学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月26日

「迷い」の探求 2 失敗できる能力

さて
迷う原因の3つ目です。

欲求は高いのに迷うという問題です。

これは「過度に失敗を恐れる」というカラクリがありそうです。

エゴギョウの水性や木性の高低が関わっていそうですね。

失敗を何故恐れるのかわからないまま盲目的に恐れています。

おそらく私たちは失敗というものを誤解している。

かなり前に書いていた文章がありましたので引用します。

人が完全主義の陥穽に陥る原因は失敗を恐れるからです。

仮に完全に準備してそれができたとしましょう。
意図していたことが成功したのだから満足してしまい、
その時に失われたものは意識していないでしょう。

つまり、失敗した時に得られるものを失っている。
成功したということは失敗できるチャンスを失っているのです。

失敗できる能力を磨けば考えも及ばなかったことに気づきます。

失敗は偶然が入り込む余地が多い時に起きます。
偶然性に出逢うチャンスを失ってはいけないし、
偶然性に恐れてはいけない。

意図したように物事が進行するのはまずいことなのです。
成功を意図しながら失敗できる余地が必要です。

ですから、完璧に準備しなくて良いですよ。
30パーセント失敗できるぐらいにゆるく走り始めましょう。



posted by 変才冨田 at 23:19| Comment(1) | わたしの哲学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

食が運命を変える 水野南北の深い洞察

江戸時代末期の有名な観想家であった水野南北はその著書「食が運命を変える」で述べています。
それは現代人に向けたメッセージのように聞こえます。
耳を傾けてください。

福相であるのに現在不遇、凶相であるのに幸せな境遇の人を時々見かける。
何故そうなっているのかが理由がわからなかったが熟考した末に解答が出た。

経済が豊かになって食を華美にした者は運気が衰え、お金の有る無しに関係なく貧しい頃の食事を買えなかった人は運気が盛んである。

いかがですか?
この警告を無視した者こそ現代の日本人ではないでしょうか。

戦後頑張って経済を豊かにしましたが、豊かになるにつれて食事を華美にしてきました。
その結果が糖尿病や癌の蔓延です。

続く



posted by 変才冨田 at 10:37| Comment(1) | わたしの哲学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月25日

「迷い」の探求

猫は迷うのだろうか?

迷うことはあるだろうが、そういうシーンにはあまり出くわせない。

おそらく猫は選択が明快であるからだろう。

不快か、そうでないか。

恐れを感じれば逃げる、それだけだ。

快を感じれば向かっていく、それだけだ。

おそらく「迷い」の感覚自体が不快なのであろう。

猫はエゴギョウ分析では火性が強いので快不快がハッキリ自分で選別できるのだろう。


さて、人はなぜ迷うのか?

1 決めたくない!実行したくない!という目的で無意識に迷う。
不快を無意識に感じている場合「迷う」という形のサボタージュに及びます。

2 判断できないから、と迷う人は言いますが判断できなくとも飛び込む人もいるのです。
  
  人間の行動の土台には欲求があるのだが、この欲求は判断を度外視して(乗り越えて)行動させます。

つまり1の人も2の人も「欲求力不足」で迷っている。

3 あるいは「欲求」はあるのだが「欲求」に対抗する疎外因子が強い場合も迷う。

まあ、欲求が高くなるほど迷いにくくなり、低いほど迷う。

〇△したい!これが決断の土台なわけだ。

では強い欲求はどのようにして生まれるのだろうか?

これは育ちの問題と思われる。

「欲求」の生みの親は「快不快」感覚の鋭敏さだろう。

つまり最初の猫の話題に戻ることになる。

快不快感覚が弱いので欲求が高められず、結果としては「迷う」人になる。

例えば

おむつを塗らせてその不快感覚で泣く。

泣けばお母さんがおむつを取り替えてくれる。

不快が取り除かれてご機嫌になる。

つまり快というものはもともと無く、不快が取り除かれた状態を快と感じるわけ。

これがタイミングよく交換が繰り返されることで赤ちゃんは快と不快の違いがハッキリわかるようになる。

食事などは毎日が快不快の学習の機会になる。

お腹が減る→不快→母乳を吸う→不快がなくなった。

不快が取り除かれるシーンではお母さんが常にいる(当たり前だが)のでお母さんに愛着が湧く。

お母さんも泣いている子を見るのは→不快だ→母乳を与えるとすやすや眠る→不快がなくなった→快だ!
子供が安らいだことで不快がない→快だ
子供への愛着が湧く

こうしたことが連続的に毎日繰り返されることで快不快感覚が身に沁みついてくる。

大人になってもなにが自分にとって「快か不快か」がわかる。

こういう人は迷わない。

こういう人の判断力はするかしないかで迷うのでなく、どのようにするかだけの選択で迷う。

こういう迷いは悪くない。建設的で積極的な迷いといえる。

するかしないかで迷う人はしてもしなくとも不快感がつきまとう。

しなかった後悔としてしまった後悔だ。

さて3はもっと複雑です。

続く







posted by 変才冨田 at 19:39| Comment(0) | わたしの哲学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月21日

自然医学と生き方

自然医学の考え方の根本は奈辺にあるか。

自然医学は未来を考慮に入れないということがあります。

なので、自然療法を実行する人は

「私の病気はいつ治るか?」と訊いてはいけない。

自然医学の本質は

治るか治らないか?

そういう問いかけ自体が無意味なのです。

なぜなら、自然医学の対象は「今のみ」にあるからです。

自然医学は「今」の何を対象とするのか?

それは「今、不快でない」という感覚や感情を対象とします。

未来の感覚や感情を対象にしないのはあたりまえのことで、

未来は未だ来ていないのでコントロールできる範囲ではないからです。

もちろん過去も同じです。

意識でコントロールできないことは自然医学の対象になり得ません。

従って、自然医学は死んでからのあの世のことは口にしませんし、

過去のトラウマも一切問題にしません。
、、
「今」という生きている時だけを重要視します。

それ以外は「妄想」とみなします。

目的は「今!不快でない状態」を作り出すことです。

今、楽しいという状態も目的にしません。

なぜなら、「楽しい」という状態とは不快でない状態と同じなのです。

癌やアトピー性皮膚炎や重病を闘病中の方は、

これからどうなる?

それに焦点をあてないことです。

どうなるかわからない未来のことを煩うことは

妄想に身を委ねて却って良くない状態を作ります。

妄想とはコントロールできないことに囚われている状態をいうのです。

日々不快でない状態を連続することです。


そうやって考えると自然医学の考え方は生き方全般にわたりますね。

友人知人や親子、夫婦などの人間関係で生じる不快も

実はコントロールできない相手をコントロールしようとして不快を生み出します。

コントロールすることで未来の結果を期待しているからです。

そもそも期待とか希望も未来の想定概念ですね。

希望や未来が自己都合から発している場合は妄想になります。

今を生きる、というのは今を不快に生きないということです。


ということが自然医学の論理なので、その療法や生き方が確かなのかという根拠(エビデンス 科学的根拠)も問題にしません。

今を不快でない状態を日々連続させることで、結果として治病という現象が起きるのみです。

それは身体という自然が勝手に起こすのです。

私たちは自然をコントロールできませんが、自然力が当たり前に生じるように舞台は作れます。

人間には人参を作ることはできませんが土を作ることはできます。

同じように病的になった組織や細胞は自然が仕方なく必要で作ったものですから

私たちには消すことができません。

けれど、私たちは土でできているのだと思い至った時、

篤農家のようにもう一度ふかふかの土を作り出すような心構えで身体という大地に取り組めば

病的な組織や細胞は元に戻るのです。

同じ意味で冷たい硬くなってしまった心も

ミネラル豊富な水と太陽光を与えることで

柔らかな心を取り戻せます。

不快な心とはブルドーザーで土を固めたからです。

良い言葉と良い行為こそが柔らかな弾力ある心に撒く肥料です。

身体と心は一体のもですから

篤農家のように身体と心に接しましょう。

それが日々を不快でない状態を作るのです。

私もそのように生きようと思いますよ。








posted by 変才冨田 at 13:36| Comment(0) | わたしの哲学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月17日

自分で起こした問題は解決できる

「人類は解決できる問題のみ問題にする」

非常に凄い「まなざしのデザイン」ですね。

これを個人レベルにおとしてみましょう。

あなたが作った病気で巣から自分で治せます。

あなたが最大限できる範囲でなした暴飲暴食ですから

それはあなたが治せる範囲です。

それを治すのにあなたができる以上の方法を取れば

それは禍根となります。

薬物治療はどうでしょうか。

あなたの能力で作れないものを利用しているのです。

過剰の心身への干渉は、その過剰の逸脱分だけ

責任を取ることになります。

それを副作用と言います。


あるカップルが結婚をするときに夫の両親が

家の購入資金の半分を出してくれました。

後になって

奥さんが帰宅して洗濯物がベランダから片付けられていることに気づきました。

不気味ですね。

義理のお母さんが雨が降っていたので、家に入って片付けたと言いました。

義理のお母さんは「良いことをしてあげた」という意識ですね。

奥さんは驚きです。

鍵を持っていたんだ‼️

夫に言っても「してくれたんだから良かったじゃあないか。何が問題なんだ?」

結果は離婚です。

お母さんにすれば半分を出したという意識が

無意識に自分の家という感覚だったので鍵を所有していたのですね。

二人の生活は二人の実力の範囲内で賄うことをしなかったのです。

過剰分のトラブルは解決不能です。


生活習慣病は自分の能力の範囲内で作った作品ですから、

自分で作り直すことができますよ。

その実例は7号食をした人ならわかるでしょう。

7号食についてはBL研究所のHPや

このブログ「あすなろ日記」のカテゴリー7号食レポートをご覧ください。

明日の佐賀セミナーの主催者も自分で責任を取って身体に借金を返されたようです。

詳しくは明日続きを‼️



posted by 変才冨田 at 23:55| Comment(0) | わたしの哲学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

壊れやすさが自由を保証する。

壊れることはあたり前で自然なことです。

壊れない方が困るのです。

小腸の細胞は毎日ハード・ワークをやっています。

川のように絶えず上流からドロドロになった食べ物が流れてきます。

それを吸収したり、いらないものを拒否したりと忙しいのです。

ですから傷みます。

傷んだ細胞がいつまでも居座っていては機能不全になりますね。

そこで早く交代できなければいけないのです。

小腸の細胞は2,3日で入れ替わります。

そのためには壊れやすさこそが重要です。

食べ物も同じで「代謝」というものは

食べ物が壊れるから成立します。

食べ物が壊れなければ、それは食べた人の命に変化しません。

壊れやすい食べ物が必要です。

マーガリンの脂肪などは壊れにくいので代謝できないのです。

防腐剤や着色料なども同じですね。

壊れないから長期間身体に留まり悪さをします。

優しい食べ物とは壊れやすいものなのです。

消化器や酵素は食べ物を壊す働きをもっているのですから、それを拒否する食べ物は困りものです。


さて、人生においても変わらぬ目的とか夢を持てと言われます。

目的や夢も壊れにくいものでは困ると思うのです。

途中で目的にないものだけれど、素晴らしいものに出会うことは常です。

旅行の目的は次々変えて良いと思います。

最初に夢や目的ぬ執着しないことが自由なんです。
posted by 変才冨田 at 09:18| Comment(0) | わたしの哲学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月15日

難問 人はデザインされるべきか、アートされるべきか?

日本の自殺者は3万人を超えていますね。

この理由に存在の認証という命の土台にあたるものが希薄ということがありそうです。

それに対して
その人の機能的な部分、つまり
役に立つという能力が強く求められているということです。

能力がなければ(一面的な能力)存在してはいけないという脅迫観念に駆り立てられる。

役に立つことが、存在を保障する関係ですね。

家庭においては「あなたはいてくれているだけでいいよ」
という関係性ですが、家庭においても役に立つことを土台にすると
その人は大きく揺らぐことになります。

そうやって大人になってしまうと
役に立つことで存在価値を他者や会社、
あるいは妻や夫、恋人に求めてしまう関係性しか作れなくなってしまいます。

僕はいつも思うのですが

能力が求められる会社においてでも

存在価値を土台にした運営ができないものかと。
家族的会社経営っていうことですね。


若い頃の話です。

ある会社にハンテイングされました。

私「御社が期待するような成績が出せないかもしれませんよ」

相手「いや そんなものは期待していませんよ。冨田さんが居てくれれば凄く明るい雰囲気の良い社内になりそうです。それだけで良いので、たとえ売上なくても良いですから来てください」

忘れやすい性格なのに、妙に鮮明に覚えているのはどうしてでしょうか。

僕のセールス能力を評価されたのではなく、人格を認めてもらったのですね。

世の中にはどんどん役に立つものが生まれており、周辺は役に立つもので溢れていますね。

そうなると自分も役に立つべきものという想念が湧いてきます。

デザインとは役に立つものです。

一方アートは実用にはなりません。

みなさんは自分自身や人生をデザインしますか?
アートしますか?

デザインできなかった時
つまり有用になれなかった時

自分は役立たずだから居ない方が良いと考えてしまいますね。
存在の否定です。

自分はポンコツの出来損ないだと考えるのは、
役に立てないという自己への失望感ですね。

会社では有用性を求められるのですが、
家庭はその対極ですから
居てくれるだけで良いという基地になっています。
(この辺り微妙です。育児に夫が役に立とうとしないというのが離婚を考える理由になっていますので。
日常的には役立つよう活きる。病気で家庭に一切役立てなくても存在は許されるような関係性が家庭であろう)

その家庭が会社のように有用性を求められたら
役に立つことを証明せねばならなくなります。

その結果、自分の存在価値を証明をするために余計な仕事を増やし、
ストレスフルを自ら作り出すのです。
役に立つことを証明しないと安心感ができないというのは、それだけで不幸ですね。
posted by 変才冨田 at 19:02| Comment(0) | わたしの哲学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ご飯を食べるが如く人を食べよ

前回にコミュニュケーションのあり方について書きました。

対話とはお互いに変化を促しあって、結果として両者ともに元の立ち位置に戻れなくなる。
すなわち思考の発展が刻印されて、もはや以前のレベルに戻れなくなるということです。

料理もコミュニュケーションです。
小豆とカボチャを鍋に置いただけでは対話はできませんね。

対話に至るには条件があります。

そう、水に浸けること。
それだけでもダメですね。
そう、熱を加えて煮ることです。

鍋と水に熱を加えて「対話の場」が生まれ、
それは小豆とカボチャが変性する場です。

小豆とカボチャのいとこ煮の完成ですね。
もはや小豆とカボチャは元に戻れません。

それどころか、元々両者に無かった性質が生まれていますよ。
これを食べると(対話すると)糖尿病が改善するのです。

糖尿病という波を起こしている場にいとこ煮の場が入り対話が始まります。
料理とは素材を切ることで、調理とは素材同士のそれぞれの波を混合して
、つまり対話してもらうことです。
塩と熱によって素材は混濁し変性します。

対話には鍋と水という場だけではダメなんですね。

二人が部屋(鍋)に居るだけではダメで、なんらかの共有している
方向性(水)があり、そこに熱が加わると対話に至ります。

お互いの熱意で変性場が出来上がります。

料理も調理も人の対話も同じです。

もう一つ重要なことがあります。

続く
posted by 変才冨田 at 17:54| Comment(0) | わたしの哲学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月09日

千と千尋 12 ワークとミッション

カボチャを大きく切った彼は味噌汁を作るというミッションが無く、
ワークとして野菜を切っただけなのです。

ミッションを失うとワークも無意味にしてしまいます。

ミッションのないワークができるのは「名を奪われている」状態だからです。

名を奪われている状態とは主体性を失った状態と同義語です。

では、彼は料理の面だけが主体性がないのかというと

人生において全てです。

これを同質性の構造というのです。

こういう人は自分が選択して決めておきながら
(本当は決めていない)
うまくいかないと他者や条件のセイにするのです。

千が最後のシーンで豚の群れに両親はいないと判断できた理由は
豚にされてしまった両親を人間に戻すというミッションを忘れていなかったからです。


ワークだけで生きている人は
ミッションを忘れ
ミッションを忘れた人は洗脳されます

自分で主体的に決められない人は失敗を恐れています。

失敗を恐れている人はミッションを失った人です。

ミッションを忘れていない人は失敗への考え方が違うのです。

一つ失敗した時に
この方法ではダメだと気付いただけです。

失敗は成功への手段だと思っているのです。

ミッションこそが必要です。


ミッションはワークを丁寧に繰り返してできる耐性を作るのです。

ミッションのない生き方は生きてはいるけれど

活きてはいない状態なのです。

ミッション
あなたはありますか?






posted by 変才冨田 at 01:44| Comment(0) | わたしの哲学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月08日

千と千尋 11 ワークとミッション

久しぶりに千と千尋の続きです

洗脳される条件に自らのミッションを保有していないということがあります。

日常がワークの連続でしか生きていない人です。

ワークのみで生きている人は視野も狭く、考慮する範囲が今だけです。

卑近な例がありました。

東京分室でのセミナー参加者の為に玄米ランチを作りました。

お味噌汁はいつもの精進出しで作ります。

セミナーの内容は7号食だったので、
14日目の回復食の具沢山味噌汁でオススメの甘い野菜です。

キャベツ カボチャ 人参 玉ねぎ

どれも煮込めば甘くなる野菜たちです。

たまたま訪れた若い男性に人参とカボチャを切っていただきました。

私「お味噌汁を作るのでその具としてカボチャを切ってください」

切る厚さは薄く切ってください、とだけ伝えました。

これは甘さを引き出す為です。

さて、私がお鍋に切った野菜を投入しようとしたところ、

カボチャが大きすぎるのです。

そのカボチャを三つに切ってちょうど良い大きさになります。


味噌汁を作るのはミッションで野菜を切り分けることはワークです。

続く

posted by 変才冨田 at 00:37| Comment(0) | わたしの哲学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月31日

自分が何をしているか?

人は今自分が何をしているかがわからない存在だ

その発した言葉や行為の意味をどこまで捉えているだろう。

善意でやっているつもりが、実は真逆であったりする。

その言動の結果が未来に何を生じるのか予測できない。

僕は子供の頃

当時は白衣を着て路上でアコーディオンを弾く男によく出会った。

傷痍軍人が食べるために芸を見せて寄付を募っていた。

マア、乞食ですね。

僕は彼らを見るとそのアコーディオンの悲しい響きに誘われ
母から小銭をもらってその前に置いてある空き缶に入れていた。

僕はその行為を大人になった時恥ずかしいと思った。

posted by 変才冨田 at 22:31| Comment(0) | わたしの哲学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月19日

千と千尋 10 洗脳の定義

私たちは社会的に生きているので、その社会の仕組みに順応するようになっています

その仕組みが良いとか悪いとかはないのです。

意味付けなどは後です。

取り敢えず適応するのです。

気がついたら適応していたのです。

これは洗脳と言えなくもないのですが、

もう一つの洗脳と比較できなくなります。

要は洗脳されて有利な場合は洗脳とは言わない。

生きていくのに結果として不利になる適応を洗脳と言います。

誰かが君臨するために意図的にその他の人に植え付ける価値観を洗脳と言います。

要するに支配しやすい仕組みに洗脳は付き物なのです。

母親が子供に父親の悪口を日常的に流す。

子供を味方にするためで、子供たちのためではないですね。

母親が子供に君臨しているのです。

子供たちの父親を見る眼差しにフィルターをかけています。

立派な洗脳です。

ある事例
そうやってお父さんが大嫌いという姉弟がいました。
お父さんが末期ガンで一時的に帰宅になる日。

母親が自宅で休んでいるお父さんに出先から電話しました。
それは車で迎えにきて欲しいという内容です。

それを聴いて息子と娘は驚きました。

ええー、お父さんは末期ガンで休んでいるのに迎えに来いって言っているお母さんってなに‼︎

それから親戚中にリサーチしてお父さんは素晴らしい人だということがわかりました。

洗脳が解けたのですね。

決して浮気ばかりしていたお父さんではない。
実は真面目なお父さんだった。

今までお父さんが自分たちにしてくれていたのは真心だった、お母さんが言うようなご機嫌取りではなかったと。

事実は全て逆だったのですね。

このように特定の人や団体に有利になる情報だけを選別して流し
その他の人々の目に特殊なフィルターをかける行為を洗脳と言います。


湯婆婆は主体性を剥奪する象徴としての名を奪い
ハクや湯屋で労働する人々に君臨しています。

湯婆婆は洗脳していますね。

お金にだけ価値があると言う洗脳です。

洗脳とは単一のものにだけ価値があると言います。

あれもこれもそれも良いですよ、は洗脳ではないですね。

一神教はその点で洗脳です。

選べない‼︎ という状況は洗脳の基本です。

二者択一は洗脳から覚める状況作りです。

湯婆婆は最後に豚の群れから両親を見つけろと言います。

千はどうしてそこに両親が居ないとわかったのか?

豚の群れという限定された状況の中で探させること。

これが洗脳の技法なのです。

選んでいるという錯覚を作るのです。

選択は自由意志でしたという錯覚を作るのです。

千は限定された状況から視野を広げ

豚の群れにいないかもしれないという広い視野を得ました。

主体性とは提供された状況を乗り越えることなのです。

千はすでに名を取り戻していたのでそれができたのですね。


さて、僕は本日に期日前投票に行ってきました。

豚の群れから本物を選んできましたよ。

最近できたなんとかの党なんて本当に豚の群れという感じがします。
自分の当選というパンのこときりしか考えていない群れです。

さらに、日本の湯婆婆は自民党と希望の党という選択肢だけ提示して見せて、どちらかを選びなさいと言っているようです。

自由に選択したという錯覚を起きさせていますね。

実際は豚の群れから選んでいるのにネエ 笑










posted by 変才冨田 at 00:54| Comment(0) | わたしの哲学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月18日

千と千尋 9

現行医療に対する洗脳は小さい時から始まっていますから強固です。

洗脳されているかどうかは、その行為に自身で意味付けしていないことでわかります。

ある事例

ある男性です。

しいたけと切り干し大根のスープを数か月奥様につくっていただき飲用していました。

その甲斐あって高脂血症の数値がずいぶんよくなったのです。

医師に「もう少しで正常になるので血液サラサラの薬出しておきましょう!」

その男性は薬を飲み始め、無くなったらクリニックに行って貰ってきます。

それを知った家族は「・・・」


さて、この男性はスープを飲む意味づけもなかったし、薬を飲む意味づけもありません。

奥様にスープを出されたから飲む、医師に言われたから呑む。

この男性を笑うことはできません。

わたしたちは、一日の大半の行動に意味づけないまま過ごしています。

刺激→感覚・感情が動く→反応

最後の→に意味づけをしましょう。


私たちは普通洗脳されており、この洗脳が生きていくのに都合が良いかどうかです。

ただ、ここで洗脳の定義を付けておきます。


続く



posted by 変才冨田 at 14:04| Comment(0) | わたしの哲学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月17日

なぜ、我々は穀物が命なのか?

元米と健康づくり
(1) 人類と穀物
穀物の発見は人類史上非常に大きなエポックで、穀物のメリットを得て人類はやっと歴史時代が始まったと言えるだろう。
人類にとっての穀物のメリット
1 貯蔵できる食べ物
エンゲルスは「猿が人間になるにあたっての労働の役割」で、肉食は高エネルギーを得ることで剰余時間を与えた。この剰余時間で労働や創作活動時間が与えられ知能を発達させたと述べている。
ところが獲物を射止めてもその肉は貯蔵できず速やかに腐ってしまう。しかも、獲物が狩ることができないことも多かったはずで、剰余時間どころか飢餓に悩まされていたはずだろう。
おそらく森林火事の焼け跡で焼き米が皮の中でできており、その香ばしい匂いに惹かれて見つけたのでしょう。
そして、同じ被子植物を求めて歩き回り貯蔵したことと思われます。
たくさん集めることで飢えから解放され、その栽培にも乗り出したことでしょう。
貯蔵できるということと栽培できるということが道具をつくる労働時間を保証しイメージを拡大できる偉大な脳を作ったのでしょう。

昨今に流行りの糖質制限食の論がある。「人類は元々は肉食であったから、肉の方が米よりも生理的、体質的に適合している」と言うが、穀物の発見こそが人類の心身を進化させたことを見ていない無知な論だと思う。
その後の人類は穀物食に適合する生理的進化を遂げただけでなく、穀物の栽培によって天文などの知識、栽培法の知識を学ぶことで脳をも進化させた。
しかももっと後年になっからですが穀物の安定確保は野性の動物の家畜化も可能にした。動物を殺すと腐敗をおこすので、新鮮にその肉を保つ方法は飼うことです。
飼うためには食べさせなければならず、飼える動物は肉食獣では危険なので草食性の動物を飼うことは必然です。豊富な草原や「穀物の貯蔵があって初めて家畜化のイメージをもつに至ったのです。
posted by 変才冨田 at 18:45| Comment(0) | わたしの哲学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月14日

千と千尋 9 洗脳のされ方

自分は洗脳などされていない‼️

簡単な事例から考えてみます。

薬です。

風邪を引いて風邪薬を、痛いとロキソニンを、
血圧が高いので降圧剤を服用する。

立派に洗脳されています。

風邪引いて病院に駆けつける人は「つける薬がない」くらい洗脳が進行しています

薬は毒であるという真実を知らないのです。

冷え性の方が「体温を上げるためには何を食べれば良いですか?」
と尋ねられます。

世の中には冷やす食べ物があると信じられています。
それは相対的なものです。

食べ物は全て体温をあげます。

もしも何かを食べて体温が下がったらそれは毒物です。

降圧剤はどうでしょう。

血圧が下がったらそれは毒物に対しての身体の反応です。

毒物の効果が血圧低下です。

下がりましたねえ、と医者と一緒に喜んでいる場合ではないのです。

解熱剤も同じです。

せっかく治癒反応として熱を正しく上げた天晴れな身体の意思に反して
薬で邪魔しています。
毒物を盛った結果が体温低下です。

痛みも治癒反応です。
そのまま放っておくのです。
治そうとして血液通そうとしている時に痛みます。
痛み止めは血行を止めることで痛魔なくさせるのです。

正座して立つ時に痺れが起きるでしょう。
どうしますか?
結構回復を待つでしょう。
痺れ止めの薬を服用しますか?

薬に対する意味づけのないまま服用しています。
自分が何をしているのかがわからないのです。

薬や病院に頼っている人は多いです。
薬や病院が疾患を治してくれるものと信じています。

洗脳は日常的ですね。
posted by 変才冨田 at 23:23| Comment(0) | わたしの哲学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

千と千尋 8 洗脳のされ方1

自分にしかできない役割に気づいていない状況が洗脳されている。

気づいた瞬間に洗脳が解ける。

その瞬間に自分が自分として活き始める。

自分を取り戻すということを
宮崎駿は「名を思い出す」と言っているわけです。

ところで釜爺は洗脳が解かれています。
けれど、釜爺は湯屋において過剰適応(手足が仕事順応で伸びきっている)
でもはや他所では生きていけないことに気づいています。

資本主義という仕組みに過剰適応してしまった人々がいかに多いか‼️


さて、洗脳されている状況とはどうなっているか?

1 自分の言動の意味がわからない。
2 というよりも、自分の言動の意味を自分に問いかけられない。
3 問いかけても、その解答自体がある与えられた枠組みの範囲で、
その制限の枠を超えられない。

最後の「制限された枠を乗り越えられない」こそが洗脳の仕組みです。

大阪府大の花村先生の提唱する「眼差しのデザイン」は乗り越える転機を与えます。
これについては改めて書きます。先生の本が近く出版されますのでBL研究所でもご紹介します。

続く
posted by 変才冨田 at 09:43| Comment(0) | わたしの哲学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月13日

千と千尋 7 名の意味

宮崎駿が考えている名とは誕生して両親によって付けられた名ではない。

では、宮崎駿が言うところの名とは何なのか?

それは自の主体に目覚めた人が自ら命名する名です。

つまり、自分の使命に気づいた人がその使命に名を付けるのです。

名とは使命の内容に付ける役職名のことなのですね。

ニギハヤミコハクヌシというのがハクの名前ですが、コレ役職名ですね。

つまり、

自分の命を何に向かって使うかに気づいた人。
自分が何の役に立つのかに気づいた人。

その瞬間に『名」を思い出すのです。
奪われていた名を思い出し取り戻したのです。

これは洗脳が解かれた瞬間ですね。

問題は「名」をなぜ奪われたのか?

それは次回




posted by 変才冨田 at 22:15| Comment(0) | わたしの哲学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする