「名」は個性の代名詞である。
「名」忘れた人々は責任からはずれる。
「千と千尋」の物語においては「名」も「顔」もなくなった怪人が登場する。
お金を湯水のように使い飽食をするシーンがある。
あの「顔なし」とは現代日本のことで、東南アジアにおいては日本はあのようなイメージなのだろう。
「顔なし」は食べれば食べるほど胃が巨大化し、欲望は果てしがない。
現在、中国がこの「顔なし」に変貌しつつあり、日本はその脅威を感じている。
東南アジアの人々の感情がわかりはじめるだろう。
「名」を忘れた人々は、つまり無個性化しており、名を使わないということは無氏名でありそのまま無使命となる。
個性的に生きないとはその命を使えないことであり、
同時にいのちは「生かしあい」の関係であることから自己も他者も生かさない人生となる。
他者を生かさない生き方は自己も生かしえないだろう。
今こそ「名」に恥じぬ生き方が必要だろう。
戦国武将においては「名を惜しむ」生き方こそその存在理由であった。
名を生かすために死を選んだほどだ。
それほど大切な「名」とは単なる記号ではない。
「名」にこめられたアミニズム的な考え方がある。
マクロビオティックの創始者・桜沢如一先生が、提唱した半断食法「七号食」を何度も実践した結果、「未精製の穀物(玄米・古代米・雑穀米)を好きなだけ食べても7号食と同じ効果が得られる」事を発見、『トミタ式七号食』の普及に努めています。
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2008年02月26日
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