玄米を食べ続けて50年
マクロビオティックの創始者・桜沢如一先生が、提唱した半断食法「七号食」を何度も実践した結果、「未精製の穀物(玄米・古代米・雑穀米)を好きなだけ食べても7号食と同じ効果が得られる」事を発見、『トミタ式七号食』の普及に努めています。

ブログ記事も8000を超えました!


2008年02月23日

共時性についての一考察

意味のある偶然とユングは言いました。

こうした偶然的でありながら同時多発で起こる現象に私たちは不思議さを感じます。

けれど不思議と感じるのはわたしたちの認識が全体性を見失っているからに他ならない。

例をあげて考えてみよう。


当研究所には不思議な小さな直径3ミリ程度のセラミックボールがあります。

これを身体に近づけます。5センチ以内であればok.

筋反射テストを実施すると、いきなり力が入っていることがわかります。

脚にも手にも指にも力が同時に入っています。

右手が言います。
「おーい左手よ、俺いきなりなんだかわかんないけど力がついた。」
「え〜、お前もか。なんだかわかんないけど俺も力がついてるぞ。」
「おいおい俺は脚だけど、俺もなんだかわからんがいきなり力が入るぞ。」

このように個々は意味を認識できないけれど、同時に同じ現象が生じています。

これは全体に対してある方向性をつける力が加わったとき、部分もそれに方向付けられて同じよな現象が起きたわけです。

意味のある偶然の「意味」とはこの全体へのインパクトが作り出しているのだろう。

わたしたちの認識はきわめて部分的なので、この全体にかかったパワーがわからないので、「偶然」という言葉を使う。

そういう意味で人類全体にのしかかるプレッシャーは共通の無意識で認識しある方向性の夢を同時に見たり、無意識で共通の行動をとる。

ところで東洋医学的な病気観もこの共時性的な見方をとる。
身体に起こるあらゆる症状はその病根を同じと観る。

「わたしは慢性的な胃潰瘍をもっています。これをなんとかしたいです」
「ほかになにか困ったところはありませんか。」
「そですねー、水虫も治りませんし、まぶたが垂れて見えにくいです」

西洋医学的にはまったく違う病名になり関係あるとは考えられていませんが、つまり「意味のない偶然」なのです。

これを東洋医学的には「意味ある偶然」と観るのです。
もっとも専門的には偶然とも捉えられず、蓋然性のあるものとして考えますよね。

偶然と観ている間はまだ認識が全体性を把握していないということですね。
posted by 変才冨田 at 23:49| Comment(0) | TrackBack(0) | わたしの哲学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]


この記事へのトラックバック