玄米を食べ続けて50年
マクロビオティックの創始者・桜沢如一先生が、提唱した半断食法「七号食」を何度も実践した結果、「未精製の穀物(玄米・古代米・雑穀米)を好きなだけ食べても7号食と同じ効果が得られる」事を発見、『トミタ式七号食』の普及に努めています。

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2007年12月30日

連載9 癌 完全なる治癒

まだまだいろいろありますが、父と母は私と妹と必死で生きていた印象があります。夕方になると母は「お父さんの工場に電話して」と言って毎日私達が電話をして「何時に仕事終わる?ご飯できてるよ」必ず夕飯は毎日家族そろって食べました。母は一生懸命父のために沢山の夕飯をつくってお昼も母はお弁当をつくっていたし、残業の時は3人で父にお弁当を届けていました。

父は祖父と本当の祖母のお墓参りを年に2回40年近く一度も欠かさずにしています。愛知県の鳳来寺という所へ車で5時間かけていきます。子どものころ旅行は年に2回のお墓参りでした。今でも続いています。主人と私と子ども達を、連れて。
ずっと習い事の毎日を過ごした私は、自分の意志ではなかったので結果はどれもよくありませんでした。続ければ続けるほど、ぱっとしない感じです。

塾も本当に「なぜここにいるのか、何しに来てるんだっけ」あんまり実感無くただ通うだけ。塾の成績をよくするために家庭教師をつける、でもいつもおしゃべりだけで終わっていました。
唯一マリンバと言う楽器を4才の頃から習わせてくれた事は今でも心から感謝しています。が、練習は恐怖に満ちあふれていました。家での練習は横に母がマリンバをたたくバチをもっていて間違えると手や頭、バシバシたたかれます。

「私はマリンバか」なんてたたかれ泣きながら思っていました。妹はその状況をいつも見ていたので「絶対マリンバはならいたくな」と口癖の様に訴えていました。が・・とうとう妹も習わされる日が来ました。マリンバの教室で先生や他の親子の前で必死に大声で泣き叫び抵抗する妹の姿は、今でも目に焼き付いています。思い出すと笑いが止まりません。私はその時一緒にたたかれ、痛みを分かち合える仲間ができたと、チョッと喜んでいました。

小さな頃は恐怖のマリンバ練習も小学生高学年になると楽しくなりました。
なんと言ってもマリンバをひいている間気持ちがのっていると、無の状態になります。何にも考えない状態です。心が真っ白くなるというか何とも言えない状態になります。その時はすばらしく気持ちがいいのです。発表会の時もそうです、大勢の人の前で、うまくとか、間違えないようにとかそんな事を考えると全くうまくひけません。楽器を弾くときは、現実感のない別のところにいる感じがいい感じです。気づくと曲をひき終わって拍手の音で気がつく・・気持ちが良い瞬間です。

母親は、音大に行ってほしいと思っていたようでしたし、先生からもすすめられましたが、ピアノが弾けなかったので受験のためにピアノの練習をするのが何だかインチキ臭くてあまり受け入れられませんでした。尊敬する先生も大学には行っていない先生だったので。先生とマリンバで共演したとき「うわー、才能ないやー」とほとほと気がつきました!大人になって「お母さん、マリンバ弾けるんだーてな感じで充分だ」、と思ってしまい、音大には行きませんでした。高校生の時自分の進路を決めなければならなくて、勉強は苦手だし、進学クラスには行かず就職クラスにいた私は、学校の廊下の窓からオフィスビルの小さな窓の向こうで、小さな人達が机に座って仕事をし、電話でしゃべっている風景を見て、あんな小さな箱の中で生きたくない・・。

そう思い7クラスあった就職クラスの中で唯一1人無理矢理短大を受験しました。先生からも無理だ無理だと言われたけれど、その時公共広告や、環境問題にとても関心があったので、広告の勉強ができる短大を受験し合格しました。

合格発表の日は大雪で大勢の人が群がる発表台の前で思いっきり滑って転んでなんて縁起が悪い人だ!!!と思われてる、・・なんて。起きあがり見上げると自分の番号があった時はさすがに嬉し涙があふれました。滑って転んだけど大丈夫だったー!!
posted by 変才冨田 at 16:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 癌 完全なる治癒 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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