玄米を食べ続けて50年
マクロビオティックの創始者・桜沢如一先生が、提唱した半断食法「七号食」を何度も実践した結果、「未精製の穀物(玄米・古代米・雑穀米)を好きなだけ食べても7号食と同じ効果が得られる」事を発見、『トミタ式七号食』の普及に努めています。

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2007年12月29日

連載8 癌 完全なる治癒

母は幼い頃それはそれは悲惨なこども時代をおくり大人になってからも親戚から嫌なことばかりされて過ごしてきました。私が知っているだけでも本か何冊も連載できるほどです。父も6才の時母親が泡を吹いて倒れ脳梗塞で目の前で亡くなり、祖父はとてもいい人でしたが再婚したためその母親に父は殺されそうになるなど、大変なおもいで生きてきた人でした。

私は常に家族以外は信用できず、親戚や父の祖母から優しい言葉すらかけてもらった覚えもありませんでした。母は口癖のように「あんた達姉妹は仲良くしてね」そう言っていました。父は私達に「大人って、本当に汚いんだよ、」と言っては親戚や、他人がしてくる嫌な事を悲しい表情で私達に話しました。

母は自分がしてもらえなかったことを私達にしてくれました。習い事は週5日必要なものは「どうせ買うなら良いものを」と言っておもちゃ以外のものは、何でも与えてくれました。子どものためならお金なんておしくない。学校も当然私立で受験勉強を4才からしていました。幼稚園は仏教の教えのある厳しい幼稚園でした。今でも意味もわからない般若心経を忘れることなく覚えています。

先生から意地悪をよくされていました。いつも幼稚園の同じ子ども達の中にいても言いようのない孤独感を感じていました。ある日幼稚園が終わってから園の中で絵画教室の習い事をしていたとき、日頃意地悪をされている子どもに、ここは通ってはダメだと言われ無視して通ろうとすると、頬に噛みついてきました。噛みついてきた子どもは力いっぱい震えながら私に噛みついていました。声も出ずに目で誰かを捜すとその絵画教室の先生が見ていましたが助けてはくれませんでした。自分でじっと噛みつかれるのを止められるまでじっと我慢していました。

父と母はとても怒って相手の子どもの両親と幼稚園に話しをしに行っていましたが、それからもその幼稚園に通っていました。とても大嫌いな幼稚園でした。母と父はとても仲良しでした。喧嘩も見たことがありません。母はよく怒る人でした、カッとなるとすぐにぶたれたり髪の毛を引っ張られたり、親戚中から「あんたのお母さんは血圧が高いからヒステリーで子どもはかわいそうだ」言われていました。塾で頑張っても母にほめれれた覚えはありません。

よく台所で夜ご飯の支度をしている母の横に行き今日の出来事を話そうとすると、嫌がられました。2才下の妹がいたためか私はに抱っこしてもらったり、手をつないでもらったりした記憶はありません。よく母には、「この人は産むとき本当に苦しまさせられた。4350グラムもあったんだから、4日間病院で苦しんだのよ、おっぱいなんてでなかったから、同じ病院に入院している人達に、おっぱいもらってたのよ、あなた大きいから、よく飲んでみんな喜んでたわ。」

母乳の出ない女性なんていないと知った私は、いろいろ母に聞いてみると、出産3ヵ月前からアメリカの粉ミルクを大量になめていたそうです。私は産まれて病院にいる間の1週間だけよそのお母さんから母乳をもらっていました。(なんとありがたい!)

退院してからは、アメリカの粉ミルクで育ちました。その粉ミルクのカンは今でも覚えています。(すごい記憶力!)父は自営業だったので男の子を望んでいました、母は自然分娩でかなり苦しんだ後、帝王切開し吸引機で私を取り出したため、頭をけがししかもタコのように長く伸びていたため、毎日母の見舞いには来ましたが、私には会わなかったと母から聞きました。(笑い)
posted by 変才冨田 at 20:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 癌 完全なる治癒 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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