玄米を食べ続けて50年
マクロビオティックの創始者・桜沢如一先生が、提唱した半断食法「七号食」を何度も実践した結果、「未精製の穀物(玄米・古代米・雑穀米)を好きなだけ食べても7号食と同じ効果が得られる」事を発見、『トミタ式七号食』の普及に努めています。

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2007年10月25日

連載4 心の目的

何度も強調しますが、
自然界に属する心と社会(人工物)に属する意識は
個人の精神内部で激突します。
精神とは心と意識の統合されたものなのですから。

同じ図式で自然と社会の問題が再現されています。

それは里山の問題です。
人工的な意識が強化された結果、意識は自然を征服コントロールの対象物にします。
昔は自然の奥山と村の間にあいまいな里山をつくりました。
里山は荒々しい自然が村を飲み込まないようにする境界線です。、
同時に奥山を人間がそれ以上に荒らさないようにします。

ところが現代は広葉樹を伐採し、金になるヒノキや杉を植林しました。
事実上日本は植林だらけの山となり、熊もそのほかの動物も棲めなくなってきています。

つまり、人工的な社会が自然界の奥山を襲っているのです。

ひるがえって
意識が心を襲っている図式がこうした構造と同質であると感じられますね。

心の声を意識が汲み取れない・・・。
森の苦しみを社会が聞き取れない・・・。

襲われた奥山から動物たちが村に出没し始めます。
「森では食えない!」からです。
社会という村ではこれはやっかいな問題です。
熊やいのししを狙撃します。
同じように
意識に制限されコントロールされてきた心も反乱します。

切れやすい心やうつ病などの増加です。
それはいけないことだと
そういう心を薬物や法律などで狙撃することになります。

では、どうすればよいのか、です。

posted by 変才冨田 at 01:24| Comment(4) | TrackBack(0) | 心の目的 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
富田先生始めまして。

マクロビオティックと先生のテキスト、哲学など参考に生活を改善したおかげで我が子のアトピーがだいぶ回復し、感謝及び尊敬しております。

ところで、先生のご意見をお伺いしたく、コメントを書きました。メールの宛先があれば良いのですが・・・。

ある食養家の弟子で、アトピーの人をマクロビオティックや自然治癒力の向上により、改善と自立に導いていくと謳っているお店をやっている人がいます。

本人も家族も、スタッフも酒飲みや肉食で、インチキな食養家であるだけでなく、店の主な収入源は、何万円もする化粧品とサプリメントです。

アトピーの人たちは藁にもすがる思いで、月に何万円も、下手をすると何十万円も費やしています。そういうお金は、経営者家族の最高級車やブランド物になっています。

これは、アトピービジネスでしょう。もし、こういう人が富田先生の弟子だったら、平気でいられますか?

それとも、相談する相手を間違っていると思われますか?弟子のその後の活動について、師匠は一切責任がないとお考えでしょうか?

ご意見お聞かせいただければ幸いです。
Posted by マクロ美男 at 2007年10月25日 17:23
コメントありがとうございます。
私には弟子などはおりません。
ですから、「平気でいられるかどうかは、よくわからない」ということになりますね。

自称弟子と言っている人は時々みかけますが・・・。
その人がわたしをどう利用しようと、それはわたしのコントロールの外にありますから、及ばないことは考えません。

一般的に見聞きすることですが・・・。
食養の大家のお弟子さんでも、やはりビジネス優先で立ち回っていらっしゃる方はみかけます。


そういう人は、自分のビジネスに役立ちそうなところだけ、いいとこ取りでその先生を利用しているように思えます。

こういう人は必ずいます。

たとえば
仏陀は、悟りに豪華な大伽藍などはいらない、としましたね。

「悟」るというのは純粋に個人体験に根ざしたものだからでしょう。
けれどその後、仏教をネタにして生きる人々がでましたね。
これは仏教ビジネス?といえそうですかね。
多くの宗教はそうなっているようですね。

こういうことは不可避的に生じるようです。
私たちは「人」という動物だからです。

要は、そのビジネスをしている人も、私も、あなたも、すべての人は自分の責任において
生きることなのでしょうね。

そういう人をみかけたら
横目で見ていることです。
いとんな生態があるなー、と観察しておけばよいのではないでしょうか。

自分の道をみつけたら、そういう他者の行動は気にならなくなります。

自分の行く道をみつけたら、ひたすらそこにだけ焦点をあてていきましょう。



Posted by 管理人 at 2007年10月25日 19:46
コメント、ありがとうございます。

そういう人と、かかわりをもたないといけない状況に陥ってしまって、困っていたのですが、距離をおきます。しばらくペースを乱されましたが、自分の道にまた戻って、下手なことくらいでは揺らがない強さを見につけたいです。
「私の師匠の富田は」ってもう、耳にタコでした。一方的な弟子だったんですね。

感謝!
Posted by マクロ美男 at 2007年10月26日 12:14
師弟関係ってなんでしょうね。

19歳くらいのとき40代の大人から師匠と呼ばれたときがあります。
なんとなく気持ちよかったという印象がありました。
その方に囲碁を教えていたのですがね。
でもその方には詩吟を教えてもらっていたのです。
わたしは先生と呼んでいました。
碁盤を囲んでお互いに「先生」「師匠」と連発しあっています。
横で見ていた人が先生よりも師匠のほうが強いんだ、とからかわれていました。
よい思い出です。

「先生」と呼ばれることは多いですが、あまり気持ちはよろしくありません。

やはり「冨田さん」「あるいは「トミー」がいいですね。

えーと「師匠」というのは一般的に指導料はただなのです。
だからわたしを師匠にしたいのかもしれませんね。 ><
Posted by 管理人 at 2007年10月28日 00:57
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