玄米を食べ続けて50年
マクロビオティックの創始者・桜沢如一先生が、提唱した半断食法「七号食」を何度も実践した結果、「未精製の穀物(玄米・古代米・雑穀米)を好きなだけ食べても7号食と同じ効果が得られる」事を発見、『トミタ式七号食』の普及に努めています。

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2007年10月17日

1プロローグ 健康を考えるための前提

これから何回かにわけて以下の項目で書きます。

これは講演でのレジュメですが、ブログ上で詳しく詳解します。

プロローグ
ある医師の発言
「え?食べ物で治したい?病気とは関係ないからなにを食べたっていいのですよ」苦笑

人とはなにか、人間とはなにか
@ 人は土でできている
死んで放置しておけば土になること。
一個の受精卵が60兆個になる過程
一個の受精卵はなにからできたか
A 環境を煮詰めて濃くなり、環境から高次の環境へ飛躍し、やがて崩壊し戻るもの。
B 人は「自然界への働き(略奪行為)」を介して、他者との共生的関係性を結び人間になった。その後生産力の発展とともに剰余生産物が生まれ人間は人間からも略奪するようになり初期の共生的な人間性は内に隠れ、弱肉強食の性質となった。
C その時より今日まで人間の目的は「人間性の回復」が課題になっている。
ユングが言うところの「内在する完成された自己」へ向かっている人類史的視点。
現代とは、「人類前史から後史へ向かう節目の段階となっている」といえるだろう。

食べ物とはなにか
@動物の食べ物とは質が違うモノ。
食べ物の二重性
人間の食べ物とは自然界のモノでありながら、同時に社会的生産物であり、それを食することで人は人間になれる。
人が人を信頼できる根源はここにあると言えるだろう。
陰陽新聞参照
A食べ物の輪廻転生という考え方
物質のより高次への段階的発展→物質が物質を観察する脳への発展
しだ植物と両生類 裸子植物と爬虫類 被子植物と哺乳類
植物界と動物界の対話 植物界の環境対応が動物界の環境対応を促した
B食べ物と人間社会の対話により社会も道具の発展から段階的発展を遂げる
 生産力と生産関係の対話
CBからより高次の言葉を生み出し、それが人間の知性、霊性の発展を促す
食べる行為とはなにか 「わたしという現象」
@食べることは食べられること これも対話
A噛むことは主体性の生まれる根元であり、環境との対話の唯一の現場である。
 噛まないことは環境とのコミュニュケーション不足となり、環境と矛盾を起こす病気体質となる。(自律神経失調)
食べる行為の始まり
人体と食べ物の対話のはじまり
手相の三大線から考える
生命線(消化器系)と知能線(神経系)
二大線は不可分からスタートして分離した
肺(親指)と大腸(人差し指)から右3本で合わせれば口になる。
口→腸→神経→頭脳
感情線(循環器系)小指側(心・小腸)から始まり人差し指を目指す線
この三つで多細胞生物のいのちは営まれる。
紅タナゴとわたしの関係
ため池→生き物→水田→人 この文章構造は普遍的なもの。
クエンサンサイクルというものもこの構造化であること。(下記参照)
posted by 変才冨田 at 23:49| Comment(0) | TrackBack(0) | わたしの哲学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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