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2018年12月13日

自由と努力の関係 2

平安時代に詩歌の交換をしていた彼女や彼らは努力していた感覚はなかったはずです。

ワクワクドキドキしながら推敲を重ねて創作していたはずで、努力感は微塵もなかったでしょう。

なにかの義務で好きでもない人に詩歌を送るときはきっと努力を要したでしょう。

そうです、義務感や必要性に迫られてそれが楽しくない時に努力の加勢が必要なようです。

BL研究所のインソールを作って頂いている匠に訊きました。

私「ずっと工場にこもってじっとしてひたすら作業の連続で一日中過ごしていると僕などは耐えられないです、匠はよく頑張っていますね」

匠「いや〜、僕は全く頑張っていないですよ、楽しいからいつのまにか時間が経っているだけですよ」

努力を要する時は楽しくないというヒモがくっついているのですね。

で、脳は楽しくないときは回路が閉じてしまい脳力も出ないようです。

覚えも低下するので、さらに努力が必要になり、さらに楽しくなくなる。

こうした悪循環を断ち切るためには、それをやめるか(大英断を下す)

どうしてもしないといけない場合は作業を中断して
どうやれば楽しくなるかを工夫することです。

それが自由というコトです。

食事は多くの人が楽しさを感じるのですが、さらに楽しくするために、食を高度な次元に高めると楽しさが深まるのです。

そこで素晴らしい皿や会話などを加えて楽しくするのです。

動物は自然の鎖に縛られて食べます。

我われも同じです。

けれど工夫を加えて文化として食事をするのです。

選択の自由を保有しています。

食は生きている以上必然の行為ですが、
その点は選べない不自由があります。

けれども以下に食べるかは自由な選択です。


自由とは
必然という不自由を土台にしつつ
選べる可能性のことなのです。

だけでなく、選択肢も無限に創造することができる。

それが自由ということです。
posted by 変才冨田 at 09:30| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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