玄米を食べ続けて50年
マクロビオティックの創始者・桜沢如一先生が、提唱した半断食法「七号食」を何度も実践した結果、「未精製の穀物(玄米・古代米・雑穀米)を好きなだけ食べても7号食と同じ効果が得られる」事を発見、『トミタ式七号食』の普及に努めています。

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2018年12月12日

自由と努力の関係 1

自由とは何か、そして努力の意味論

動物は自由に生きているように見えて(特に近所の野良猫たちは僕の顔見ると欠伸か緊張を湛えた顔になる)実態は自然界の鎖に縛られています。

鎖とは何か
それは喰わねば死ぬという鎖です。
腹が減ると食べ物のイメージがかってに脳に湧きだします。そして食欲を満たすために行動します。食べもののイメージが湧かないようでは死にます。
このイメージは自由に意図して出るようなものではないので、鎖に縛られていると言えるでしょう。自然界の呼びかけに応じて動かされるわけです。この点では我々も他の動物たちと同じです。
同じですが何かが違う。
それは動物は口や稀には手を使って食べますが
その肉体的な条件に縛られています。
人間はホテルで食べるか、食べながら歩くか、箸を持つかフォークを持つかは意図して選びます。
発情したオスはメスを見ればそれが発する匂いに刺激され性欲を満たそうとします。
メスは多少は相手を選ぶらしいですよ。
メスの方が自由なのかと思いますが、良い子孫を残すために選ぶので、やはり自発的な意図はないようです。
人間は男も女も選り好みします。
恋の行動というものも食欲と同じで異性のイメージが湧き出てから相手を求めるのですから、この点では自然界の呼びかけにそそのかされています。根っこのところでは自然界に支配されています。
けれど、人間は恋愛行動という高度に洗練された技法を選びます。ここにおいては自由な意図をします。
平安時代などは詩歌の交換をして愛をより高次なものに仕立てていきました。

自分の次元をあげて文化をより高度化しました。

さて、ここで努力の問題が浮かびます。

女性に送る詩歌を推敲に推敲を重ねて吟味し尽くして作品を創作していましたが、彼らは努力していたのでしょうか。

続く
posted by 変才冨田 at 13:47| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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