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2018年05月18日

所有感覚という洗脳が人間関係の最期の障害

活きるに都合の良い「与えられた価値観」は洗脳とは言いません。
まあ、都合の良い「思い込み」ってことですね。

負の洗脳というのは明らかにソレによって生きづらくなり
その生きづらさは誰かの生きやすさにつながっている場合です。
ハッキリと奪われるものと奪うものの存在があるわけです。

恋人同士 夫婦 親子 上司と部下
これらの人間関係の中でも洗脳があります。

平等な関係性が気づかれていないと、奪う奪われるという洗脳が存在するでしょう。
「家族という病」という本もこうしたことが背景です。

日大のアメフトクラブの部員が試合中にやった傷害事件も
部員と監督コーチは平等でない!ということから
監督の部員への洗脳が容易に行われていたのです。

レスリング界でもトラブルがありますが、
これも平等な人間関係が土台に失われていることが背景にあります。

役割が違うだけなのに人間の上下が持ち込まれています。

人間界はまだまだ猿と同じ域から抜け出ていないようです。


さて、原因はどこにあるか。

それは人間の奥深くに居座る所有意識があるように思えます。

自分のモノに手を出された時の不快感をというのは、
この世に「自分のモノ」と主張できるモノが存在するという思い込みです。

不快感が伴ってしまうので
@ 取り返す手段を講じる。
A 相手のモノを奪って不快感の代償を得る。
B 暴力を行使して咎める。
B 倫理道徳で相手に 説教する。
C 裁判に持ち込む、警察に訴える。

考えてみれば倫理道徳や各種法律などは人の所有意識から作られる必然性があったのですねえ。
聖書にも「汝、盗むなかれ」があります。

所有意識の芽生えとともに倫理道徳や法律が生まれたものと思われます。

持つものと持たざる者の関係が平等な人間関係を築けない障害になっています。

この問題は深いです。

「人類皆兄弟」と素朴に唱えられないものです。







posted by 変才冨田 at 13:37| Comment(1) | わたしの哲学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
先生でした?何かの本で読んだのか、電車の立つ場所さえ、自分の場所だと思っていることがあるとありました。
それ以来、自分のこともそんな分に観察しています。
なるほどなって思います。
電車なんてみんなで乗ってるのに、自分の立ちたい場所に誰かいると、がっかりする。
人のかばんが当たったら、痛くもないのに不快に感じる。
15分の通勤電車は、観察の時間に適しています。
乗り降りする人がたくさんいるのに、ドアの前から全く動いてくれない人・・・あれも何かなとか。
そしたら、今度は、それを押して行く人とか(笑)。
小さな戦争ですね。

そんなことが、内面でも、周囲の物理的なものにも、社会でも繰り広げられてるってことですね。

Posted by kF at 2018年05月21日 08:28
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