玄米を食べ続けて50年
マクロビオティックの創始者・桜沢如一先生が、提唱した半断食法「七号食」を何度も実践した結果、「未精製の穀物(玄米・古代米・雑穀米)を好きなだけ食べても7号食と同じ効果が得られる」事を発見、『トミタ式七号食』の普及に努めています。

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2018年03月16日

有限の中に無限がある ように、必然の中に偶然がある

例えば1センチから2センチの間にどれだけの長さがあるか。

1ミリの中にどれだけの長さがあるかい

0.1mmの中にどれだけの長さがあるか。

それは途方も無い眼の眩むような無限が横たわっている。

小学生のころ、降るような星空を見て、その星のさらに向こうを想像した時の眩みとそれは同じ性質だろうと思う。
きっと宇宙は有限なのだと思う。

無限を感じるのは有限を直感しているからだ。

無限は遠い先にあるのではなく、物差しの中にさえある。

必然というのは出来事の確率上という有限の中のことだ。

けれどもその必然の中に規定されているけれど、
偶然は無限にある。

全て偶然に起きたように見えているけれども
(目の前の一瞬の現象は0.0001mmの幅よりももっと小さな単位で起きたものだ。
0.0001mmの範囲での出来事以外は起きない。

漁に出かけるという有限の幅があって(目的とは設定された幅なのだ)
魚の群れに出会うのは偶然だ。
まして、その群れの中の一匹を釣り上げ得る確率は無限だったのだと思う。
その親が産卵してからそれが特定のその人に出会う確率なんて無限でしょう?
その漁師も存在できる確率は無限です。

魚も漁師も無限性の中の産物で、いわば偶然存在したもので、
その偶然の存在同士が海で出会うなんて奇跡的な確率です。

人が魚を食べ得るという有限性と魚が食べることができるもの

つまり、お互いに食べなきゃ生きられないという必然という幅の中で起きた偶然なのですネエ。

僕がここで言いたいこと。

人生に目的という制限を立てることがないと
期待する偶然は起きない。

すみません
かなり閃き的なことを論理立てるのは難しいです。
posted by 変才冨田 at 00:34| Comment(1) | わたしの哲学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
こんにちは

今日ちょうど、「最高に自分らしく生きる」という目的を立てたところでした。

その幅のなかでで私はたくさんの幸せや喜びの偶然と出会う。

船の上からキラキラ光るら大きな魚や小さな魚が見えるようでニンマリ顔になりました♪
Posted by ちーちゃん☆ at 2018年03月16日 16:18
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