玄米を食べ続けて50年
マクロビオティックの創始者・桜沢如一先生が、提唱した半断食法「七号食」を何度も実践した結果、「未精製の穀物(玄米・古代米・雑穀米)を好きなだけ食べても7号食と同じ効果が得られる」事を発見、『トミタ式七号食』の普及に努めています。

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2018年02月27日

人々は残酷だ、けれど人は優しい 2 タゴール

あったはずの個性が集団に入ると希薄になるのは仕方ないことです。

仕方がないという理由は、
本来個性というものは集団意識から分化したからであろうと思うからです。
個人の集合が集団意識を生み出したのではなく、集団意識が個性に分化したのでしょう。

国民性とか民族性、県民性が基盤になって個性が生まれます。

ここからわかることは
「個人の一人一人が平和を希求し、
個人の心が平和になれば世界平和は達成される」
その考え方は誤っているということです。

個々の人間の本能が戦争を起こすわけでなく、
集団意識が戦争へ流れる。

注意すべきは集団の規制です。

集団意識は放っておけば危険です。
国家は危険です。

集団的組織が悪いことをしないように国家規模のルールがあり、
憲法は国という組織への足枷として作られています。

憲法の平和主義を実行するための各種ルールを変えてはいけないです。
個人が人間としての尊厳を失わないような手立てこそ
個性を豊かに育てる栄養です。

第25条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
2 国は、 すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。

この25条を国に守らせ、生活保護の受け方を周知させることです。


さて 本題です。

子煩悩で家族を大切にしている、
そういう選挙候補者のイメージを選挙民に植え付けます。

選挙民は、優しい人のようだからいいんじゃあない、
というイメージで投票をします。

けれど政党という集団に属していますからその議員は別人です。
生活保護などの福祉を冷たく切り捨てることなど平気です。
どんなに優しい人でも軍隊に入り戦場に行けば鬼になります。

私たちには個と衆の関係を混同するという錯誤があるのです。

では個人が培ってきた性格や生き方が集団に影響を与えることはないのか。

あるのです。

そのためには自覚的、自律的に生きる必要があります。

以下の引用は非常に重要な概念です。


25条は、国家に依存して貧困を救済してもらう恩恵的権利というよりむしろ、理不尽な政策や社会構造自体を排除する権利なのです。自分たちが連帯して力をつけ、悪辣な企業に要求して、自らの権利回復をはかる主張を憲法的に支える武器なのです。そう考えれば、生存権は立憲主義と矛盾するものでないどころか、そのような人権として強く主張することを通じてはじめて十分に実現される人権といえるのです。

引用終了

つまり国家に救済をお願いするような依存はかえって国家に好きなようにさせてしまうのです。
国民が国の主人公たるべく生きることは、自分の人生そのものを豊かにすることにつながるのです。

こういう時代であるからこそ個性豊かな人々が集団を引っ張って行くのです。
集団に溶け込んで個性を吸収されるようなことでは
自己として生きる意味が消え失せます。






posted by 変才冨田 at 21:11| Comment(0) | わたしの哲学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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