玄米を食べ続けて50年
マクロビオティックの創始者・桜沢如一先生が、提唱した半断食法「七号食」を何度も実践した結果、「未精製の穀物(玄米・古代米・雑穀米)を好きなだけ食べても7号食と同じ効果が得られる」事を発見、『トミタ式七号食』の普及に努めています。

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2018年02月15日

実は、信仰とは欲望が生みの親である

こういうことを書くと
何かを信仰されておられる方には怒られますか。

僕は、「欲望」は否定するものではないし、むしろ肯定しています。

ありえないことが起こって欲しい、ありえないからこそソレが起きて欲しい。

そういう欲望が信仰の元だと考えています。

神様を信じればきっと救われる(救われたい)。

あり得ることは信じないものです。

その場合は私は知っているというものです。

1➕1=2

これを信じているとは言いませんね。

1➕1=3

人はこれを期待します。

「信じたい」という渇望を起こします。

きっと神様なら私を助けてくれる。

「助かりたい」のです。

欲望が信じるという意識を生むのです。

周辺の人間が信じられず孤独な時には

私に繋がる過去世の人々や神様を信じようとします。

人々を信じない人々によって信仰が生み出されます。

唯一信じられるのは神だけということに信念を持っているのです。

人間嫌いが信仰を促進します。


さて、日本の土俗信仰である神々はどうか。

八百万の神々は人間味があります。

なんでもありです。

トイレにも神様がいます。

日常の中に神様は居ますので繋がり感が半端ではないです。

砂と石という風土から生まれたキリスト教世界。
土と水の温帯モンスーンという風土から生まれた日本の神々。

風土の違いが神の違いです。

けれど、私を守って欲しいという欲望が元になっています。





posted by 変才冨田 at 22:06| Comment(0) | わたしの哲学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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