玄米を食べ続けて50年
マクロビオティックの創始者・桜沢如一先生が、提唱した半断食法「七号食」を何度も実践した結果、「未精製の穀物(玄米・古代米・雑穀米)を好きなだけ食べても7号食と同じ効果が得られる」事を発見、『トミタ式七号食』の普及に努めています。

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2017年10月02日

栄養学と食養学

江戸時代後期に水野南北という有名な観相家がいます。
南北は人相を観るに「万に一つの過ちなし」と言われていました。

その南北の言っていたことです。
「非常に福相であるのに現在の境遇が悪い人、非常に凶相であるのに幸せな境涯を送った人がいる。この理由を研究すると、裕福になって食べ物を贅沢にした人が運気を損なっている。お金が入るようになっても、食を質素に保った人はたとえ凶相であっても運勢が良い。つまり食こそがその人の運命を決めているのだ」と人生の真実を喝破したのです。

現代の日本は長寿にはなっているけれども慢性疾患や痴呆や癌疾患、さらには鬱まで増加の一途をたどっています。
南北の喝破通りではないですか。豊かになるにしたがって飽食グルメを実行した結果が現状でしょう。
それは同時にカロリー学説を土台にした現代栄養学の敗北とも言えそうです。それが役に立つものであれば人の健康づくりの防波堤としての役割を果たすはずだからです。
栄養の「養」とは羊を良くすると書くように、決して人間だけを対象にしているわけではないのです。羊や牛を良くするとは「病気にしないことと太らせる」ことです。
家畜を栄えさせるという意味が栄養学にあるのです。人間にとって都合の良い育て方をすること、「つまり太らせることが栄え」なのです。
どんどん食べさせれば食産業にとって都合が良いのです。人の家畜化を実現させたものが栄養学の本質です。

一方食養学はどうでしょうか。
「食」の字は人を良くするとありますね。食養とは人を対象にするだけでなく大切にしているのです。
それゆえに栄養学のようにマスで個人にあてはめるのではなく、民族性、住んでいる場所の緯度、個々の体質の違いなどを考慮する個別性に食養学では重点が置かれます。

posted by 変才冨田 at 00:36| Comment(0) | わたしの哲学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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