玄米を食べ続けて50年
マクロビオティックの創始者・桜沢如一先生が、提唱した半断食法「七号食」を何度も実践した結果、「未精製の穀物(玄米・古代米・雑穀米)を好きなだけ食べても7号食と同じ効果が得られる」事を発見、『トミタ式七号食』の普及に努めています。

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2017年09月04日

神は死んだ! 若者よ、その安穏な望みをこそ壊せ!

これはニーチェの有名な言葉ですね。
現代風に云えばキャッチ・コピーですね。

この場合の「神」とは現行の価値観という「権威」です。
私たちの考え方はこの「権威付け」された価値観の奴隷になっています。

社畜という言葉がありますが、サラリーマンでなければ生きていけないという考え方に縛られています。

大手の会社に勤めているときに、そのブラックな勤務に気づいて公務員試験を受けて晴れて公務員になりました。
けれどその給与や、大して変わりないブラックな勤務形態にいや気がさして、現在はさらに大きな自治体の公務員試験を受けようとしています。
そちらの方が給与が良いからとのことです。

20代の若さでありながら現代の「神」を信仰しています。

「鶏口となるも牛後となるなかれ」と言います。
別に鶏頭となるも牛尾となるなかれとも言います。これは誤用ですが意味は通じています。

小さい組織でもトップが良い。
牛の肛門を甞めるなということです。

大きな組織で自分の活き方を考えるな、という意味です。

自分が全て決める、つまり主体者となれ!
これがニーチェの「神は死んだ」の真意です。

大きな組織で大本を握られた状態で、限られた範囲での主体性は意味のないものです。

大きな組織で安心を保証された状態で自分を活かす、というのでは
一度だけの人生をボロボロになっても生き抜くという気概が失せています。

安全は死を招き
危険は生を躍動させます。

ブロイラー飼育の鶏舎のなかのような一生を終えてもよいのか、
自分たちの子供も鶏舎で生んでよいものか

当たって砕けろ!
これは勇気を出せ!
ということですね。

それができないのは
自分にありもしない価値を付けているからでしょう。

命には価値がない。
その価値のない命が紡ぎ出す人生にも価値もない。

もともと価値がない自分をどうして安全な場所において守るのでしょうか。


僕のところに相談に来る人の多くは安穏を望んで生理や自律神経を損なっています。
身体が病もうがどうなろうが本当はどうでもよい生き方があります。

その生き方をすると自分のことが気にならないのです。
そういう人は病を得たとしても、病気ではないのです。

「神は遠い昔に死んでいる。
若いくせいに、判ったような顔で死んだ神の葬式に行くなかれ」

リクルートスーツに身を包んだ若い人たちは
喪服を着こんでいるように思えてならないのです。

誰の葬儀に行くのか?
自分の魂の葬儀です。







posted by 変才冨田 at 21:01| Comment(0) | わたしの哲学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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