玄米を食べ続けて50年
マクロビオティックの創始者・桜沢如一先生が、提唱した半断食法「七号食」を何度も実践した結果、「未精製の穀物(玄米・古代米・雑穀米)を好きなだけ食べても7号食と同じ効果が得られる」事を発見、『トミタ式七号食』の普及に努めています。

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2017年08月20日

自分が自分であることから降りる

人間の自由は、最終的には自分という檻から脱出できるかどうかにかかっている。

自由を希求するものの最終ミッションは自分からの離脱だろう。

運命をコントロールできるどころか、それは宿命さえリセットしてしまう。

自分であるということを辞められるのか?

それはできる。

その方法は外に向かって開環を50%することだ。

元々いのちの性質は外に向かって開かれている。

いのちは解放系だということ。

外界の物質を取り込み自己化しつつ

徐々に自己であったなにかを外へ向けて排出している。

動物は人も含めてこれでいのちを躍進させている。

社会的動物である人間もこの自然界のモデルがふさわしい。

外から思想やなんらかの不定形なものを自己という固定化されたものが誘引している。

固定化された自己が50%

外から自己化されるものが50%流入し

固定化されていた50%の半分が失われ

流入してきたもので補われる。

7年もすれば今の自分であったはずのものは一切失われているというのが真実だ。

つまり自分というものは元々無い。

常に置き換えられている自己なので、いつでも離脱できる。

自己があるという幻想を抜け出す

それが悟りだ。

スリランカ仏教の伝道師であるスマナサーラさんのいうような

オカルトのような悟りを仏陀はしたわけではない。

涅槃(あの世)と現世をいったりきたりできたという超能力を獲得することが悟りではない。

では、どこまで自己から離脱できるだろう。

最低の自己保存欲求からは離脱できないけれど

自分の損得だけを考える思考からは抜けられるだろう。






posted by 変才冨田 at 19:14| Comment(0) | わたしの哲学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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