玄米を食べ続けて50年
マクロビオティックの創始者・桜沢如一先生が、提唱した半断食法「七号食」を何度も実践した結果、「未精製の穀物(玄米・古代米・雑穀米)を好きなだけ食べても7号食と同じ効果が得られる」事を発見、『トミタ式七号食』の普及に努めています。

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2017年06月29日

鈴虫寺と煩悩 2 思い通りの人生で良いのか?

鈴虫寺での説法が良かったようです。

ご住職
ある朝のこと雪が階段に積もっておりました。
参詣の方がこけて怪我しないように雪かきを始めました。
これが大変な労力で、最初はお客様に為に為そうとしたのに途中で
こんな雪の日になんで来るのだ‼️とお客様が悪い‼️と思うのです。
けれど仕方ないと夢中で雪かきを続行して、いつの間にか終わって
気づいて上を見ると綺麗になっていた。

これは「結果自然成けっかじねんなり」という禅語につながります。

終了
この禅語の解釈は色々あるようですが、

僕なりの解釈をしました。

人の行為の最初は目的的で始めますが、

途中で目的から外れ、それでもやむ得ない気持ちで
目的さえ忘れて為す境地(夢中になる)になる。

意図を放してたった今に無我夢中になることが自然で

そうした行為は結果もなるようになっている。

こんな解釈でどうですかね。

無我夢中の時間をどれだけ経験するかは人生の質に関わってきそうです。

意図が生まれた時点ではなんらかのメリットやデメリット、

損得意識がありますよね。

無我夢中の境地は誰が悪いとか良いとかの意識も吹っ飛んでいます。

そうした後の結果はなるようになっている。

それこそが最良の当たり前の結果が目の前に広がっている。

それは「遊び抜いた結果仕事になっていた。仕事になるまで遊び抜け、ではなくその後も
仕事になっても遊び抜け‼️」ということにつながります。

人間の脳は遊んでいる時こそがパワー全開です。


本屋さんの本棚には「思い通りに生きられる」そういった内容の本が並べられています。

その想いのレベル、質によっては悩みの温床になりそうです。

その想いのレベルが低いと他人の迷惑になります。

自分の意図にいつまでも拘らずに、最初の目的意識から自由になることは

無我夢中になる為に必要なことです。

無我夢中になれる人は自由な人です。

メリットばかり考える、損をしたくないという意識が強いというのは、

そういう意識に縛られているので不自由な生き方になります。

無我夢中の時間はそこから解き放たれている時間で自由です。

思うに

自我こそが自分の牢獄ということですね。


他者と感動を分かち合って生きることは

自分の牢獄を半壊させるようなものです。

共感できる生き方は感動を呼び起こし

無我夢中のスイッチになるでしょう。

自分を解き放つということは

自分を忘れることなのです。





posted by 変才冨田 at 15:44| Comment(0) | TrackBack(0) | わたしの哲学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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