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2016年09月05日

ヴィパッサナー瞑想 16 ありのままに観るとはメジャヴの視点が必要

さて、「ありのままに観る」ということって可能でしょうか?

無理なんです!

それはそれぞれの生き物に与えられた感覚というものがあって、その感覚から完全に逃れることはできません。


「ありのまま」というのは別な言葉で云えば「真理」ということです。

「すべては変化する」ことが真理ですから、従って真理も変化します。ですから完全「ありのままに観る」ってことは不可能です。

不可能ですが限りなく近づくことはできます。

さて、生物学的に「ありのままは無理」なのですから、この場合の「ありのままに観る」の意味は

総体的な世間の価値観から自由になるということです。

よく「あなたは、ありのままでいいよ」という意味は世間の価値観で自分や他者を測らないということです。

森という意味を与えて森を見る。

机とう意味を与えて机を見る。

自分に意味を与えて自己を見る。

ソノ人に意味を与えてソノ人を見る。

以前書いたメジャヴというのは「いつも見ているものなのに違って見える」ということを書きました。

デジャヴの逆ですね。

違って見えるようになるのは今までの意味づけを捨てたからです。

ソレ(他者や私など)をいろんな視点で見ることができるというのが「知恵」だと書きました。

それは世間的価値観の意味づけから脱却することです。

広い意味でこれを「解脱とか悟り」だと意味づけをしたいわけです。





posted by 変才冨田 at 00:47| Comment(0) | TrackBack(0) | わたしの哲学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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