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2016年08月27日

ヴィパッサナー瞑想 9

身体の観察をすることで、なぜ釈迦が解脱できたのか?
釈迦の解脱については

それは動物の特性として刺激→感覚→反応
これを克服されたということが先ず挙げられるでしょう。
感覚→観察 反応しないで観察をおいたわけです。

わたしたちは「怒らないでおこう」そう決意していても
無意識に怒ってしまいますね。

さらに怒っているという事実にも気が付きません。

ここで怒るということについてコメント
わたしはそんなに怒らないという人もいるかと思いますが
見た目で判るような顔を真っ赤にして起こる状態だけが怒りではないのです。

静かな怒りの方が圧倒的に多いのです。
不機嫌も怒りの一種であるし、嫉妬や恨みも怒りです。
それどころか「悲しみ」も怒りのある種の状態なのです。

つまり「楽しくない」状態は常に「怒り」なのです。


さて、感覚が生じて即反応している状況からその感覚を観察するということを釈迦は勧めているのです。

まあ、判りやすくいえば「ちょっと待て!」ですね。
東尋坊の自殺の名所にもこの立札があります。

新聞記事をにぎわしているほとんどの事件は動物としての反応があるだけで観察がないのですね。
少しずつ怒りが蓄積され、それにも気づかないで不機嫌になり、いつしか爆発するわけです。

刺激→不快→反応をしています。
自分の不快の根っこを知らないまま時が過ぎます。

ここで不快の原因が判らなくとも良いし追求しなくて良いのです。
ただ自分の不快を観察するわけです。
わたしが不快になっていると考えるのではなく、そこに不快があると観察するだけです。
わたしと不快を切り離して相対化します。
それがヴィパッサナー瞑想の中心課題なのです。

そして観察を続けると消えていきます。
必ず消えてしまうのです。

瞑想であぐらを組むのですが、しばらくすると痛みがでます。
その痛みを観察します。
わたしが痛いのではなく、痛みがある そう観察します。
そうすると消えるのです。
わたしの場合も確かに消えました。
というよりその痛いという状況をほぐして解消してはいけないということだったので
もはや「諦めた」ということですが・・・(笑)

ここで皆さんに質問です。

自分の腕に蚊が止まったらどうしますか?






posted by 変才冨田 at 18:31| Comment(0) | TrackBack(0) | わたしの哲学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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