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2016年08月26日

ヴィッパサナー瞑想 8

さて、5日目のことでしたが、個人瞑想の時間に庭園でボヤ―っと瞑想していたときに(そういうのは瞑想とは言いません、妄想に近いです)

ふと気づいたことがあります。

もうじき67歳になる自分が「今ここに存在している」という不思議です。

なぜ自分という生き物が今ここに居るのかと不思議に思えたのです。

一言で云えば「許されてここに居る」という感覚が体内の深いところからジワ―っと押し寄せてきました。

多くの人の力でここに運ばれてきた・・・。

こんな素晴らしい庭園で遊べる自分がとても幸せ者に思えてきたのです。

感謝だなー、と思うとなにか熱いものがこみ上げてきました。

66歳という人生の半ばでここに来れたのは、きっとこれからの66年という半生を今までとは違う生き方にする転機なのかもしれません。

さて、瞑想です。

4日目から頭頂部を観察です。

次に頭皮全体→額→眼→耳→口→右腕→ひじから手首まで→手のひら→手の甲→各指

左腕→ひじから手首まで→手のひら→手の甲→各指

胸全体→お腹全体→背中全体→右脚太腿→膝から下→足首から下

このように身体の各部をスキャンするように舐めていくように観察します。

何度も頭頂部からつま先まで繰り返して観察します。

90分で5、6回繰り返しているわけです。

わたしは30分だけの瞑想だったので3回くらい繰り返していました。

痒みがあればその痒みがそこに在ると、痛みならそこに痛みが在ると観察します。

観察だけであってほぐしたり掻いたりしません。

状況を観察するだけなのです。

痛みがあれば、痛い理由を探ってもいけないし座りなおして痛みを解消してもいけないのです。

痛みを観察するのみです。

なぜこのようなことをするのか・・・。

皆さんも疑問に思えませんか?

考えてみてください。




posted by 変才冨田 at 21:44| Comment(0) | TrackBack(0) | わたしの哲学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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