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2016年08月22日

ヴィパッサナー瞑想体験 5

この画像はセミの抜け殻だったのです。
それがこの枝にだけ13匹も連なっていたのです。
IMG_2009[1].JPG
その後で自室に戻ってから「アレはなんだ?」と自問したところ
唐突に嗚咽してしまいました。
その嗚咽の意味が自分でもわからずとまどいました。
胸をひくひくさせながら「なんで泣いている?」となんども考えていました。

わたしは何に感動したのでしょう。
あれを見たときに「これは生死のドラマなのか?」と考えていたことでした。
そうすると不思議なことですが
一匹のセミがキチキチキチと羽を振るわせる音をまき散らし空中を大きく回転し、わたしの足元に落ちました。
指で触れると少し羽を振るわせました。
脱皮して歓喜の生を全うした最後の姿です。
彼に呼びかけました。
「ちゃんと相手を見つけて終わったか?悔いがなかったか?」と。

瞑想のチャイムが鳴って去ったあともう一度確認しました。
仰向けになって静かに横たわっていました。
昆虫って死んだときには大概仰向けの躯をさらしているのはどうしてでしょうか。
最後に天空を見たくて全力で羽を地にぶっつけてひっくり返るのでしょうか。
最後は彼の瞳にどのような風景が映っているのでしょうか。

翌日にはその骸も消えていました。

興奮が収まって気づきました。
あれが「無常」ということなのだと。

わたしの「一生の姿」を見たのです。

全ては変化する。

全ての生命は水の一瞬の形であるゆえに
やがては溶けてしまうのです。

全ては「溶解」へと突き進んでいるのですね。

「なんちゃって瞑想」しかしていませんでしたが、ちゃんと気づきがあったのです。

この時わたしに浮かんだ考えは「解脱」とはこういうことではないのかと。
解脱とは生きながらにして「涅槃」に意志で往復できることと講和での話でしたが
それは単なる比喩であって
この世に在ってもこの世の価値の思い込みから抜け出ることを言うのではないかと。

自分が死なない。
そのように思っているうちは、この虚構の妄想の価値観が絶対と思ってしまうのですが
「自分もまたセミのように消滅するもの」と腑に落とせば、この世界に与えられてしまった思い込み(妄想)
から抜け出られるわけです。
どっぷりと泣き笑いの浮世で過ごして苦しい状況から抜け出て高いところから自分の右往左往を観察できる。
その高い場所を「涅槃」と言ったのではないでしょうか。





posted by 変才冨田 at 01:41| Comment(0) | TrackBack(0) | わたしの哲学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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