玄米を食べ続けて50年
マクロビオティックの創始者・桜沢如一先生が、提唱した半断食法「七号食」を何度も実践した結果、「未精製の穀物(玄米・古代米・雑穀米)を好きなだけ食べても7号食と同じ効果が得られる」事を発見、『トミタ式七号食』の普及に努めています。

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2016年01月25日

スマナサーラ長老かく語りき 「存在欲を少なくする」

この意味はハッキリしないと思われるので、おそらくこうではないかと独断と偏見で解します。

この場合の存在欲は動物としての欲です。

わたしたちの存在の仕方は二面あって、それは人という動物的側面と人間という社会的側面があります。

で、長老のおっしゃる存在欲は動物としての脳から人間へと拡大したもののことのようです。

もっとも原始的な「生きたい、死にたくない、食べたい、飢えたくない」からスタートして「美味しいものを食べたい」「他人より出世したい、偉くなりたい、良い家に住みたい、「他人より親や自分の子供が大切」「子供に遺産や会社を譲りたい」
これらは全て動物としての存在欲です。

親や先祖を大切にというのはあたり前に見えて、利己的な存在欲ということなんですねえ。

「子供が勉強しないで悩んでいます。どうすればするようになるでしょうか」
わたし「子供が勉強しないからといってなんであなたが悩むのですか?」
「だって、将来が心配でしょう・・・」
わたし「なんであなたが心配するのですか?」

心配すべきは本人でいいのです。本人が将来困るものです。

このあたりは利己が隠れていますねえ。

つまるところ子供が勉強しなければ将来困ったことになって、自分にそのしわ寄せがくることを恐れているのです。
存在欲が脅かされることを心配しているのですね。

子供に勉強しなさいというのは「存在欲」から発しています。

わたし「あなたは自分の子が勉強しないということで悩んでいるのですが
隣の子が勉強しないのはどうしてあなたの悩みの種にならないのですか?」

長老は利己に根差し「存在の欲」は小さすべきとおっしゃるのです。
(そういう解釈でいいのかな?自信はありません)

で、私は長老のおっしゃる「存在の欲」を小欲であると言い換えます。

すると反対の「大欲」は利己の反対の欲だということができます。

小欲から大欲への道筋に生き方を変えていくことが人間進化と私は考えています。

利己に根差した「存在の欲」をどう扱うのかというと、それは否定しないことです。
肯定すべきと思うのです。
利己主義は悪くない、ということです。

「存在の欲」を否定するのではなく大らかに認めてあげましょう。

それを否定すると野性的な生命エネルギーが萎んでくるでしょう。

利己性をコントロールして、そのエネルギーで大欲を実行できるような人間性に進化させればいい。



posted by 変才冨田 at 21:46| Comment(0) | TrackBack(0) | わたしの哲学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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