玄米を食べ続けて50年
マクロビオティックの創始者・桜沢如一先生が、提唱した半断食法「七号食」を何度も実践した結果、「未精製の穀物(玄米・古代米・雑穀米)を好きなだけ食べても7号食と同じ効果が得られる」事を発見、『トミタ式七号食』の普及に努めています。

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2015年07月05日

身体は自我の道具なのか、身体の道具が自我なのか?2

身体は道具である。

意識が道具としての身体を使いこなすのである。

という考え方は現代的であろう。

自動車で云えば運転手が意識であり、意識が自由に自動車という身体を使いまわすということである。

では、次元を国家と国民ということに置き換えてみる。

国家意識のために国民は存在しているのだろうか。

それとも

国民が国家を使うものだろうか。

憲法の存在意義は後者の考え方なのである。

民主憲法とは国家が弐度と戦争のような悪さをしないために国民が国家に足枷をはめたもの、

それが憲法なのである。

したがって憲法を「守る義務は国民にはなく国家が守る義務を有している。

もっと具体的に云えば

公務員が憲法を守る具無があり

国民は彼ら公務員が憲法を守っているかどうかを監視する義務を持っているのである。

翻って

身体が主人公であり、身体を守る義務をもっているのは意識である。

身体の健康を守る義務は意識にある。

意識が国民という60兆個の細胞を守る義務を有する。

意識が好きなように身体を統制するものではない。

全細胞は完全な民主主義的な動きにあり、どこにもボスはいない。

従って意識は身体のボスとなって命令を下してはいけない。

意識が勝手に身体を酷使して、細胞間の民主的な連絡を寸断するから慢性疾患になるのである。

無理とは文字通り理に適っていないことであり

生活習慣の乱れとは「無理」を通していることなので

当たり前のようにして人々は慢性疾患になる。

国家が肥大して国家意識をもってしまいファシズムに成長するように

意識がいつの間にか身体を統制する時代になりました。

けれど、実際には土台は身体側にあるので慢性疾患や鬱になって意識に抗議をしています。

「え?中性脂肪が多い? 肝臓の数値が悪い? 頭が痛い?」

「大丈夫だよ、薬のんでるからね」

なんと人々は楽天的なんだろう・





posted by 変才冨田 at 00:46| Comment(0) | TrackBack(0) | わたしの哲学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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