玄米を食べ続けて50年
マクロビオティックの創始者・桜沢如一先生が、提唱した半断食法「七号食」を何度も実践した結果、「未精製の穀物(玄米・古代米・雑穀米)を好きなだけ食べても7号食と同じ効果が得られる」事を発見、『トミタ式七号食』の普及に努めています。

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2012年09月11日

追唱の意味するところ

人の話を聴いたとき即座にそれを脳は復唱しているのだそうです。

そういうところになにかこの世界の深い仕組みが隠されているような気がしませんか。

昔のこと寺小屋では朗読が教育の根幹でした。

どうもこの朗読の繰り返しが聡明な人を創造したようなのです。

その後で内言化が始まります。

子供は本をブツブツ読みながら読みますが、お母さんやお父さんにうるさいと云われます。

そのあと、脳の中だけで読む、つまり黙読ですね。

やはり脳のなかで言葉を発しているわけです。

人の話を聞いた時も、即座に追唱することにつながります。

朗読を充分に体験しないとこの追唱がうまくいかないのだそうで

これが人の話を理解しづらい状況をつくります。

ここまでがヒントでみなさんも考えてください。

このことをこれから書いてみます。
posted by 変才冨田 at 14:22| Comment(1) | TrackBack(0) | わたしの哲学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
気になる言葉、ひっかかる言葉は、きっと追唄

して、いいことも、悪い事も、記憶は、その人の都合よいように、固着していくのでしょうか?

電車の中、独り言のように、ぶつぶつといってる人は、やはり、治療として、追唱してるのでしょうか?

お年寄りの、ぶつぶつも、自己の保存でしょうか?

倍音も追唄のなるのでしょうか?

言葉を螺旋化するのが繰り返すことでしょうか?
おもしろい問題ですね。

朗読は自分の声と、人の朗読と、どちらが、いいのでしょうか?
Posted by 夢見る主婦 at 2012年09月13日 07:55
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