玄米を食べ続けて50年
マクロビオティックの創始者・桜沢如一先生が、提唱した半断食法「七号食」を何度も実践した結果、「未精製の穀物(玄米・古代米・雑穀米)を好きなだけ食べても7号食と同じ効果が得られる」事を発見、『トミタ式七号食』の普及に努めています。

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2012年05月06日

再度、依存と自立について1

再度このテーマで書きます。

たまたまさくらみるくさんの文章を見つけたので

過去の引用からはじめたいと思います。

以下、引用

7号食をご指導くださっている、富田哲秀先生の数日前のブログ記事より、転載させていただきます。とても感動しましたので、ぜひ皆さんにもご紹介したくなりました。^^


以下転載。


「他力本願」とはよく練られた思想だと今更ながら思います。

先ず、幸せというものを他者との関係性で考えている。

幸せを個々人の心の問題として閉じていない点がよい。

以下は柳田邦夫さんのコメントを新聞記事で発見しました。

引用
知的発達が遅れている子供がIQテストを受けました。

結果はIQ38

医師はその子供に「お父さんは男、お母さんは?」

子供「大好き!」

もちろん正解は「女」なのですが、その答えのほうが本質的である。


お母さんは「IQ38の世界ってステキ!」

と、子育ての喜びを味わっているそうです。


もう一つ

ある知的障害の女の子が「あなたと遊んだら頭が悪くなるとお母さんが言った」

その女の子のお母さんは深く傷ついた。

ある日、授業で作文を発表した。

「わたしをバカと言わないでください。お母さんが悲しみますから」
と。

先ず、お母さんのことを気遣っているのです。彼女はお母さんの悲しみに気がついたのですね。

お母さんは「それを聴いて、立ち直って強くなりました」

引用終了

弱い自己が他者の悲しみや、苦しみに気づいて気配る。

そのことで他者を励まし力を引き出し、その力が自己を励ますことになります。

「他力本願」とは自己と他者を同時に救うことなのです。

「私をバカと言わないでください」で終わってしまうと

自己防衛だけに終わり、自己を守るにとどまると自己さえも守れないのです。


第一歩は「私をバカと言わないでください」から始まります。

それは「自助」ですね。

自助でありながら、その言葉は「お母さんが悲しみますから」で

生まれた言葉なのです。

その子はお母さんの心情に気づいたとき、お母さんを励まします。

自己のみを守ろうとするものは自己さえも守れないでしょう。


以下は「フリースペースえん」の主催者である西野さんの言葉。

「自立って働いてお金を稼げるかどうかより、助けてと言える力だと思うんです」

引用終了

「助けて!」という言葉は他者への信頼からしか生まれません。

信頼された側は一肌脱いでやろうとする力が湧きます。

助けた人も自己の力を発揮できた喜びを得ることができる体験をします。

「他力本願」です。


posted by 変才冨田 at 00:38| Comment(0) | わたしの哲学 | |

こうして書くことで、先生のお言葉がより血肉になります。
不登校の娘を、より喜んで、不登校の娘との生活をより楽しんで
楽しみつくして満喫しつくして、今日も、喜びいっぱい、幸せいっぱいに、生きたいと思いました。
愛の溢れる楽しいわが家となるように
心の暖炉に、今日も薪をくべるつもりで。。。

ありがとうございました。




富田哲秀先生が「助けて」というお言葉について書かれていますね。
ということは。。。

やっぱり、こちらもお出ししたくなりました。^^


先日の、富田先生とのやり取りです。


富田先生。

こんばんは。さくらみるくです。
先に先生がブログに書いていらした問いについて、考えてみました。

>では「依存」と「自助」の違いは?
>自助努力と天国の箸の関係性は?
>「他力本願」の意味は?

依存は連帯できない、共感もできない。
どこまで行っても自分ひとりの世界で回っている状態。
自分は足りない、何も持っていないという、欠乏マインドの状態。

自助は、それとは反対の状態であり
自分ひとりで足りるという豊かなマインドの安定した状態。

でも、依存している人は、自分の努力で豊かなマインドに至ることはできない。
天国の箸のように、誰かに食べさせてもらうことによって初めて、自分ひとりで立てるだけの心の栄養をいただける。

だから、自分ひとりの努力に頼らずに、恐れずに他に心を開いて思い切って頼ってみる。
自分が依存しているかどうかという、自分の状態の良し悪しにのみ目を奪われて悩み苦しむのではなく、思い切ってその目を外に移してみる。

それによって自己の殻を破ることができる。
目を外に投じれば、自分もまた、天国の箸で栄養を頂くことによって相手に与えられるものが有る。だから自分の無力を恐れずに、踏み出すことが大事になってくる。
それによって、与え与えられる循環が出来上がる。

こんなところで如何でしょうか。

ありがとうございました。

Posted by さくらみるく at 2009年11月23日 21:30
posted by 変才冨田 at 22:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 認め合うということ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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