玄米を食べ続けて50年
マクロビオティックの創始者・桜沢如一先生が、提唱した半断食法「七号食」を何度も実践した結果、「未精製の穀物(玄米・古代米・雑穀米)を好きなだけ食べても7号食と同じ効果が得られる」事を発見、『トミタ式七号食』の普及に努めています。

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2008年12月12日

連載 望診法12

唇について1

ちょっと哲学で脱線

つけたしていくういちに随分長い文章になりました。
変才先生の変才たる長文になっています。
変才ぶりをお楽しみください。
以下の文章が楽しめる人は
充分変才ですからね。

口は消化器官の始まりであり形状は「穴」です。
最後尾は肛門という「穴」です。

ところでこの「穴」って不思議ですね。
これは「空」ですね。

「空」とは「無」ではありません。
意味があるからです。

ドーナツがあります。
みなさんはどんな形を思い浮かべましたか?
きっと中央に穴があいているでしょう?

「穴」があるからドーナツとして意味ある存在になります。
わたしたちの消化器官は「穴」があるので消化器官としての意味が生じているわけです。


消化器官の「空」があるので私達は「色」(物質)として存在できるのです。

この「穴」であるところの「空」が食べ物で詰まったとしましょう。
空の自己否定です。
生きていけるわけがないので、全てのあなたの現象(色)はなくなってしまいます。

ところで空が空のままでよいと自己肯定するとどうなるでしょうか。
わかりやすくいえば腹が空いたままでよいとしたら、という意味です。
これも死んでしまいますね。
これは自己肯定も死んでしまうということですね。

じゃあ、どうすりゃいいんだい><

そこで勝手に自律神経が動き出し、この場合は交感神経緊張となって
洞穴から這いずりだして狩にでかけるわけです。
「空」が動きと言う「色シキ」を産み出すわけですね。
別な表現で言えば「陰が陽を産み出す」とも言います。

ですから活動的な人生を生きたい人は消化器官が常に空であることが必要なのです。
でも文字通り常に空腹であれば死んでしまいます。
これは飢え死に。
空が空であり続けよう、つまり自己肯定すると大きな否定につながります。

サテ、狩で獲物を捕らえて料理してたらふく食べました。
消化器官の「空」はなくなりました。
これでは動けませんね。
空が空であることを常に自己否定し続けると空であることもできず
、つまり死んでしまいます。

逆に空である消化器官を否定、つまり
いつも満腹している人は動きが鈍くなりついには短命に終わります。

じゃあ、どうすりゃいいんだい><

空であり続けることも色であり続けることも、生きていけないわけです。
満ちては引き、引いては満ちる。
人生は潮の満ち引き、とさだまさしさんも歌っていますね。
腹が減っては食べて満ち、満ちては引いて行くのでまた食べて満ちます。
人生の本質とは「繰り返し」なのです。
陰陽、陰陽と繰り返します。
交感神経と副交感神経が満ち引きです。

空は空であることを否定し続け
つまり消化器官であることを否定し続け
しかも消化器官としての意味を守るために自己肯定し続けます。

これを矛盾というわけです。

人生の原因(食べること)からして矛盾ではじまっっているのですから、人生もこの世界も矛盾に満ちています。

死んでしまった動物(物質)は別な動物の「空」に飲み込まれていきます。

般若心経でいう色即是空、空即是色とはこういうことです。

ところでこの消化器官の端から肉が垂れ下がりふさぎ始めたらどうでしょうか。
たとえば大腸がんです。

大腸の本質であるところの「空」が失われるわけですから
「色」という生命現象を生み出す元の「空」がなくなるわけですから
肉体としての「色」も消滅することになります。

話を元に戻して

食べ物で満ちた結果、このままにしておくと消化器官の本質であるところの「空」が守れません。
そこで血管がその満ちた栄養素を吸い込んで必死に「空」を作り出そうとします。
これが吸収ということですね。

今度は血管が栄養素で満ちてしまうと血球だらけになりこれも消化器官を空にする働きが失せてしまいます。
そこで血管に隙間をつくるために細胞がその血球を吸い込みます。
すると細胞が満ちてしまい隙間がなくなります。
そこで活動をしてエネルギーとして空中に吐き出します。
エネルギーとは物資⇔空のいったりきたりのプロセスのものです。

人生の喜びも悲しみも、芸術活動も、一切の表現も労働も
考えて見ると
わたしたちの日常活動とは消化器官の空洞をふさいだり空けたりするためにあるのかもしれません。

心のことも考えてみましょうか。
鬱とは「心がふさぐ」ことです。
ふさぐような性質が心にあるのならば
心の本質は消化器官と同じ「空」なのです。
つまり「心」は消化器官からにじみ出るかすかな風なのです。
鬱になるとなにを食べても美味しくなく味を感じなくなるわけです。

もっと言えば
美味しくなくなって食べなくなることで消化器官を空として守る治癒反応なのかもしれませんね。

なにかが心に満ちてしまったのです。
なにかが満ちてしまって心の便秘になった状態です。
これについては別に書いた方がよいみたいですね。
これはこれで面白いテーマになりそうですね。
いやー、おもしろい^^


ドーナツを半分個しようか?
「うん」
じゃあ僕は端を食べてあげるから、きみには真ん中をあげる。
よかったね^^

次回はこの「穴」を被う輪郭である唇についてです。


posted by 変才冨田 at 00:33| Comment(2) | TrackBack(0) | 顔の望診法 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
心が満ち足りると食べなくてもすみますが、
そこのところの関係性もおもしろいですね。
心と食べ物(食欲)が密接に関係しているという。例えば、好きな人がいるとあまり食べなくても平気だったり。
物質である消化管と目に見えない感情は、ともにその実体が空であること。
宇宙の真理や、人間の本質がわからないと生きてる気がシナイヨ。
Posted by yunkito at 2008年12月12日 18:16
現象の背後に隠れた本質を洞察しようとすることは
人間の謎に対する子供のような好奇心から生まれるのでしょう。

人間とはなにか自己とはなにか・・・。
この命題への汲み尽くせない興味が生きる意味になっています。
Posted by 変才 at 2008年12月12日 21:53
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