玄米を食べ続けて50年
マクロビオティックの創始者・桜沢如一先生が、提唱した半断食法「七号食」を何度も実践した結果、「未精製の穀物(玄米・古代米・雑穀米)を好きなだけ食べても7号食と同じ効果が得られる」事を発見、『トミタ式七号食』の普及に努めています。

ブログ記事も8000を超えました!


2018年06月12日

札幌7月セミナー 8日9日 9日の内容も決まる 桜庭大王とのコラボセミナー 大王は18時30分から

冨田先生の健康講座二日目 7月9日(月) 13時30分〜

【エゴギョウ初級編とマンダラチャート】です◎

つい先月完成した冨田先生のエゴギョウマンダラチャート。

札幌でも学ぶことが出来ます!!
冨田先生のブログより引用。⇓⇓

この利点は
@スッキリしており運用が容易い。
Aエゴギョウの内部にある五行の仕組みをそのままシステマチックに利用できる。
Bゴール設定というミッションを遂行する際に非常に具体的なものになる。
Cミッションそのものが適正であるかどうかが考慮できる。
D Cにより真に自分に相応しい目標かどうか検討できる

具体的にワークはテンションやモチベーションを必要としないで淡々と作業として実行できる。
エゴギョウマンダラチャートを作成する中で、自分にとって大事にすべきことが見えてきます。

エゴギョウについては8日のセミナーで入門編で学ぶことが出来ます。
1日目に参加できない方は事前にお知らせください◎


日時:7月9日(月曜日)13時30分〜16時30分
会場:ノースエイム
    (北18条西5丁目 地下鉄北18条駅より徒歩5分)
参加費 4000円




BL研究所 https://www.bl-oosaka.org/

冨田先生のブログ あすなろ日記 http://inyan.seesaa.net/


櫻庭露樹の「自宅をパワースポットにする方法〜全捨離風水〜」

2018年7月9日(月) 18:30〜20:30


posted by 変才冨田 at 20:33| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「歩かない」と「歩けない」に違いがあるか 意思の萎えは罪が深い 1

「歩かない」と「歩けない」に違いがあるか。

本質的な違いはありません。

両方とも「歩き」という行為が無いのです。

歩けるという機能を持っている人が歩かないという方が罪が重いですね。

脚の前に意思が萎えているのです。

やがてほんとうに脚も萎えます。


さて、「意思」というものの力は無限です。

全てにおいて意思が「決める」のです。

決定が、それこそ現象を作り出す「行為」を生むわけです。

歩く「つもり」の人がいつまでたっても「歩けない」のは

決定力を生み出す意思の力が弱いからです。

では

意思というものの起源はどこにあるのか。

ライフスタイルというものは習慣で形成され、

習慣の総体こそがあなたそのものです。

自分を変革したいと願うのならば

悪癖を伴ったその習慣こそが標的だ。

習慣を変える!

その決定を下す意思はどこから汲みだせば良いか。

続く



posted by 変才冨田 at 16:01| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「歩かない」と「歩けない」に違いがあるか 意思の萎えは罪が深い 1

「歩かない」と「歩けない」に違いがあるか。

本質的な違いはありません。

両方とも「歩き」という行為が無いのです。

歩けるという機能を持っている人が歩かないという方が罪が重いですね。

脚の前に意思が萎えているのです。

やがてほんとうに脚も萎えます。


さて、「意思」というものの力は無限です。

全てにおいて意思が「決める」のです。

決定が、それこそ現象を作り出す「行為」を生むわけです。

歩く「つもり」の人がいつまでたっても「歩けない」のは

決定力を生み出す意思の力が弱いからです。

では

意思というものの起源はどこにあるのか。

ライフスタイルというものは習慣で形成され、

習慣の総体こそがあなたそのものです。

自分を変革したいと願うのならば

悪癖を伴ったその習慣こそが標的だ。

習慣を変える!

その決定を下す意思はどこから汲みだせば良いか。

続く



posted by 変才冨田 at 16:01| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

行為と観念 2

糖尿病の方はそのライフスタイルという繰り返された行為で糖尿病に成れた。

治療するにはライフスタイルを変える以外にない。

「祈り」では治らない。

具体的な建設的な行為が必要だ。

極めて当たり前なのに、

ことが平和問題になると「祈る」というのだ。

その滑稽さに気づかない。

「平和は一人一人の心が平和に成れば世界は平和になる」と言う。

一人一人の心の平和は平和を目指す建設的な行為から生まれるということを知らない。



なぜそんな言動になるのか。

平和運動は困難だからだ。

そんなことをしたら当局に目を付けられるかもしれない。

あいつは正義感ぶっている偽善者だと誹られるかもしれない。

それに自分にはやることが沢山ある。

自分は平和を願っていることは間違いない。

そうやって「願ったり、祈ったりしている多数者が勇気ある人々を孤立させて行く。

つまり

儲けるために騒乱を起こす人よりも「願い祈っているだけ」の人々が大多数者なので始末が悪い。

本当の平和破壊者は誰なのだろう。

新幹線での殺人事件をみてそういう思いがよぎった。


posted by 変才冨田 at 00:08| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする