玄米を食べ続けて50年
マクロビオティックの創始者・桜沢如一先生が、提唱した半断食法「七号食」を何度も実践した結果、「未精製の穀物(玄米・古代米・雑穀米)を好きなだけ食べても7号食と同じ効果が得られる」事を発見、『トミタ式七号食』の普及に努めています。

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2018年02月13日

7号食レポート「まなざしのデザイン」著者であるハナムラチカヒロの7号食レポート


以下はバルセロナにおいて7号食をアートとして実践された大阪府大准教授のハナムラレポートです。


●七号食の十日目を終える
 昨日で七号食を始めて丁度十日目を終えた。七号食とは食養学における半断食の方法で、十日間玄米のみを食す。残りの六日間は回復食として玄米に味噌汁を追加した六号食になる。今日からその回復食の期間に入る。
 本来の七号食とは一日に〇.七合までの米を食すとされている。しかしうちのアトリエに居る食養学者の冨田哲秀氏はそれを、一日にいくらでも食べて良いという方法に改良した。それは誰でも実践しやすくするためである。
 この「トミタ式七号食」は僕自身もこれまでに何度か実践したことがある。しかし本当のことをいうと、凡人の僕は断食などしたいとは思っていなかった。食欲のままに食べたいし、それを抑えるストイックなことも自ら好んで実践しようとは思わない。好奇心から試してみたというのが本音だ。
 だが今回は自らの意思で実践してみようと思った。しかも今回は一日に〇・五合強のお米を一食だけ食べるという本来に近い形で実践してみることにした。一日にたったコップ半分のお米だ。通常僕が食べている量からすると、あり得ない少なさだ。それはいくつかの理由がある。
 一番の理由としては、バルセロナのグラシアのギャラリーで作品発表をする機会を頂いたことだ。これまで考えてきたことをアウトプットする場が与えられたのだ。
 僕のこれまで続けてきたスタンスは、何かお話を頂いてから表現を考え始めるというものだ。通常のアーティストは自ら発表の機会を求めていくが、僕の場合は日々の中で温めた問いを誰かがスイッチを押すことで表現される。これからは少し変わるかもしれないが、そういうプロセスをこれまでは試してきた。
 僕自身はアート表現というのは、個人の問題意識を通じて、社会に何かを問いかけるものだと考えている。今の自分自身が個人的にリアルに感じていることと離れた表現をしたところで、力を持たない。
 この一年欧州に来て様々なことを感じて考えた。その結論としては今の世界はそれほど長くは保たないだろうなという実感だ。これは僕がアトリエを始めた二〇〇八年頃から意識して行動していたことだ。しかしもっと遡れば小さい頃から薄々感じていたことではある。地球環境や生命環境に関わる道に進もうと考えたのも、その歪な文明の形に違和感を覚えたからだ。
 この大きな問いはいつか作品として表現したり、研究成果として発表する機会を持つだろう。しかし今回は半月という限られた日数の中での表現だったので、もっと個人的でささやかなところに動機を持つことにした。それが「食」である。自分の食事を見つめるところから問いを発することができないかと考えた。
posted by 変才冨田 at 19:18| Comment(0) | 七号食レポート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

知らないから平気❗️

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/54355

以前養鶏場でアルバイトをしていたという男性が
「僕は卵を食べたくない!」と言っていました。

ブリ養殖場で働いている人はブリを食べたくない。
養殖場で働く人は豚を食べたくない。
けれどブリ食べたくない人は豚を食べ卵を食べています。
卵を食べたくない人はブリも豚をも食べます。

お弁当のメーカーの社長は家族にうちの弁当を食べるな!
などと言って、けれどその社長は卵も豚もブリも食べる。

こうした奇怪なことが起きるのは「知らない」からです。

お互いが知らないことをいいことにして騙しあっている。

私たちは何から知るべきか。

まずは
健康とは何かについて知るべきだろう。
健康への無関心は「食べ物への無関心」に延長される。

健康に注意力を払えるようになれば
命と心を絶え間なく再生している「食べ物」のことを知りたくなるだろう。

同じ意味で
命と心を再生する食に関心が向けば
「食」を得るための「職」にも真剣なまなざしを向けるだろう。

自分の仕事を「知らない」という人々は多い。
知らないから我慢できるのです。

知らないから食も知らないで平気です。



posted by 変才冨田 at 13:07| Comment(0) | わたしの哲学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

奴隷労働の渦中で 2

ここは選択肢は二つだけです。

24時間好きなことして人生を過ごしていきたいなら
今の職を投げ捨てることです。

職を失うことは食も失います。

その覚悟のない人は怒られない程度に働いていくと割り切ることです。
あるいはお金を稼ぐ為に昇進することを決める。
会社で重要な位置を築くために、仕事そのものに多大な関心を持つことです。
これは今まさに自分がやっていることを認証するということです。
今やっていることを認証できないということは自己否定につながるからです。

あるいは自分にとって意味のある
副業に精を出すということもできます。

いずれにせよ選択するにも覚悟必要です。

今の職に対して心を失った状況は
嫌なことをさせられているという奴隷労働になります。

こうした問題は
愛情を失った夫婦関係に似ています。

離婚を考えている妻が生活を心配して離婚に踏み出せないのです。
心の入らない職はやめたいけれど生活不安でやめられないということと同じです。

さて我慢するかしないか。

我慢の期間という刻(とき)の価値をどう測るのかという価値観の問題です。

刻を軽んじるというのは人生そのものを軽んじるということにはならないでしょうか。



posted by 変才冨田 at 09:18| Comment(0) | 心の目的 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする