玄米を食べ続けて50年
マクロビオティックの創始者・桜沢如一先生が、提唱した半断食法「七号食」を何度も実践した結果、「未精製の穀物(玄米・古代米・雑穀米)を好きなだけ食べても7号食と同じ効果が得られる」事を発見、『トミタ式七号食』の普及に努めています。

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2017年12月21日

エゴギョウ講座 中級編 火性を巡って 感謝と傲慢3

傲慢病は一生治らないと言われるのは「気づき難し」のせいです。

自分のことばかり考えているからです。

自分が活かされるためには他者を活かす以外にないと気づいた時に

土性の芽が出ます。

火が転じて土性に変化しますよ。

決して火が滅するのではなく高度になるので

それを育てると

自己も他者も社会に活かされているというもっと拡大したまなざしが生まれます。

社会の仕組みによって個人の幸不幸の土台があると気づくようになります。

国が戦争をするような国では幸福の追求が閉ざされるからです。

最初の発端である火性に歪みがあると

土性も金性も歪んできます。

結果は自分を守るだけの水性を尖らせ

あるいは他者を無視する水性になります。

木性の判断力はさらに歪み

物事をまっすぐに見れないようになります。


最初の発端である火性、すなわち育ちがいかに重要であるか。

火が満点だからといって良いわけでなく、

どういう姿の火であるかです。

その姿によってはずっと大人になっても赤ちゃんのような傲慢を引きずるのです。

真の大人になるとは火から自分を乗り越えて、自己意識の拡大を社会性、

さらには世界 地球 宇宙との出会いを成し遂げることでしょう。

火の自己意識の拡大を達成するとは

自己という檻から抜け自由になることです。

それは感謝の対象が拡大する過程でもあると思います。
posted by 変才冨田 at 23:00| Comment(0) | エゴギョウ中級編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

核兵器禁止条約に署名をしないことと 白鵬の暴力容認の責任 実行者と黙視者



核兵器禁止条約と白鵬の関係


先週ですが
核兵器廃絶国際キャンペーンでノーベル平和賞授賞式とサーロ節子さんの演説がありました。

サーロさんが強調したかったことは

核保有国の皆さん、そして核の傘の下で共犯者になっている国々の皆さんに申し上げたい。

私たちの証言を聞き、私たちの警告を心に留めなさい。

そして自らの行動の重みを自覚しなさい。

核兵器禁止条約に署名を拒否すれば歴史の厳しい審判を受けるでしょう。



つまり
核兵器の傘にいる国々も、その国のあり方を容認する国民も共犯者と壟断しています。

民主主義国家の国是は建前としては
主権者である国民が国の主人公ですから、
私たち国民は核兵器戦争が起きたとして
被害者としてよりも加害責任があるわけです。

白鵬関や鶴竜関は日馬富士の暴力を振るった場所で同席し
怪我をするまで黙視していたわけですから
暴力を容認した共犯者です。

月給の無支給という懲罰があったわけですが、
彼らがすぐに止めれば今回のような事態にはなっていなかったわけです。

実行者と容認者は同罪ではないでしょうか。

サーロさんはこれが言いたかったに違いないです。

日本の政府はアメリカべったりです。

このような政府を選んだ国民は重い自覚が必要です。

世界の終末時計は30秒進みました。

残り2分30秒です。

以下引用

【ニューヨーク=高橋里奈】米科学誌「ブレティン・オブ・ジ・アトミック・サイエンティスツ」は26日、地球最後の日までの残り時間を概念的に示す「世界終末時計」を30秒進め、残り2分半とした。核兵器拡散や気候変動への対策の進展が乏しく、こうしたテーマに後ろ向きなトランプ米大統領の発言が出たことが理由という。

第2次世界大戦後の冷戦期だった1953年の残り2分以来、時計の針は最も深夜に近づいた。

残り時間を決める同誌の委員会には15人のノーベル賞受賞者も含まれている。委員会は同日「トランプ氏は核兵器の使用や拡散について不穏な発言をし、気候変動についての科学的な合意を信じないと表明した」として、世界環境が悪化しているとの声明を発表した。
posted by 変才冨田 at 14:44| Comment(0) | 憲法は守りたいけど・・・、朗読劇 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

エゴギョウ中級編 感謝の反対語2 火性の進化

独断と偏見で断言します。

感謝の反対語は傲慢です。

人が自分に何かしてくれるのは「あたりまえだ」
ということで感謝の念が生まれません。

この「あたりまえだ」が傲慢の温床でしょう。

親であれば、子であれば、妻であれば、夫であれば、恋人であれば、部下であれば、上司なら
、店員なら、お客なんだから,,,etc

相手の決まった役割があるんだからその役を果たせよ!
それは「あたりまえのこと」でしょう!

その役割の向こう側に個性的な人が存在しているという
ことが見えていないのです。

僕もかつてそうでした。
今でも当時の残渣があって困っています。

3年以上も前はそれにドップリでした。
給料払っているのだから働くのは、言ったことに従うのは
「あたりまえだろう」という態度でした。
何も教えずに、その役をもらったら自分で学んでできるようになる、
その為に努力することは「あたりまえ」だろう❗️

僕自身は社会人になってからそうしてきたので、
そうしていない人を見ると信じられない思いが度々あったのです。

人は自分を基準にモノを考え、その尺度で良し悪しを判断するわけです。
ジャッジメントの始まりは「傲慢」の始まりです。

火性は自己基準から発するので「傲慢」の発生源です。
赤ちゃんは火性の始まりですが、傲慢ですね。
お母さんを泣くことで支配しています。笑

感謝の念というのは、この私たちが根源的に持っている傲慢性との闘いで生まれます。
人は傲慢なので感謝が生まれるわけです。

続く





posted by 変才冨田 at 09:48| Comment(0) | エゴギョウ中級編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする