玄米を食べ続けて50年
マクロビオティックの創始者・桜沢如一先生が、提唱した半断食法「七号食」を何度も実践した結果、「未精製の穀物(玄米・古代米・雑穀米)を好きなだけ食べても7号食と同じ効果が得られる」事を発見、『トミタ式七号食』の普及に努めています。

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2017年10月11日

千と千尋 5 名とは結局何か

名を奪う、取り戻す。

この物語の縦軸テーマが名とは何かということですね。

横軸のテーマは主体的に生きるとはどういうことなのか。

名と主体の関係です。

宮崎がこだわる「名」とは主体性ということと切り離せないようです。

さて、「名」とは何か。

名を取られることと洗脳がなぜリンクするのか。

名とは単なる記号なのか。

それとももっと深い意味があるのか。

続く

posted by 変才冨田 at 22:55| Comment(0) | わたしの哲学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

千と千尋 4 名の意味と洗脳

この物語のメインテーマは「名」とは何かということですね。

「名」を忘れることは生き方を喪失することだと宮崎駿は言います。

命の使い方、すなわち「使命」は「氏名」に一致することは偶然ではない。

何をする為に生まれてきたか、それが使命なのですが
名を忘れるとそれも忘れる。

湯屋には名を忘れてしまい、ただ働くだけの人々が夥しくいます。

仮の名を与えられてただ働らくだけの日々を過ごします。
そこでは働かないと生きていけないのです。

やはりこの魔界は現世で私たちが生きる世界そのものですね。

ただ働らくだけの日々が湯屋にあります。
つまり、パンのみが生きる内容になっています。

この場合のパンとはお金💰のことですね。

私たちはお金を稼ぐ為に生まれてきたのか。

湯屋の人々はただ働らくだけのようです。

自分の行為の意味を問わない生き方がなぜできるのか。

これを洗脳と言います。

意味を問いかけるとは、すなわち名を思い出す行為です。


湯屋で大金を使う「神々」も同じです。

お金に洗脳されています。

人々はお金に神のような価値を与えて
与えたはずの主体がお金に支配されています。

お金が発明されて以来お金に洗脳されることとなりました。

では、

湯屋の主である湯婆婆はどうでしょう。
湯婆婆も洗脳されています。

主体を奪われた→名がない→洗脳されやすい状態

湯婆婆も何者かに支配されています。

あの巨大な赤ちゃんは何者ですか?

posted by 変才冨田 at 15:00| Comment(0) | わたしの哲学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

千と千尋の神隠し 3  登場人物と背景

さて、カオナシとは誰の事か。

それはあなたかもしれない。
お金を湯水のように使う神々にあこがれて湯屋の周辺をうろついている人々は多い。

お金で幸せが買えるかもしれないと半ば確信もしつつ疑いもしている。
神々ほどにはどっぷり浸かってはいないけれど、お金が全てだという確信も足りない。

神々の様になりたいのだけれど成れないことも分かっている。

そこでもう一つの道もありそうだと嗅いでいる。
その香りを発散している千に惹かれているわけだ。

もう一つの道とは「パン以外のなにか」だろう。
神々はパンのみに生きて、カオナシはパン以外になにかあるのではないかと思案しているのだ。

聖書にある「人はパンのみにて生きるにあらず」がこのアニメの大きなテーマになっている。
この言葉は「パンは絶対に必要だけれどそれ以外もあるよね」と言っている。
要は両方あって人間だというわけだ。

パンを食べて人という動物性を満たし、それ以外を生きがいとして人間となる。
宮崎駿の人間観はバランスが良い。
精神性に偏っていない。

その証拠が湯屋の主である湯婆婆であり、双子の銭婆だ。
「わたしたちは本当は二人でひとつなのよ」と銭婆が語っている。
湯婆婆はパンのみで生きており、銭婆はパン以外を大切にしている。

カオナシはいったんはあこがれの神になって金を湯屋でばらまいてみたものの
虚しさに元に戻った。
カオナシは最終的には銭婆で居候することになったが、彼は今後どうなるのだろう。


posted by 変才冨田 at 01:12| Comment(0) | わたしの哲学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする