玄米を食べ続けて50年
マクロビオティックの創始者・桜沢如一先生が、提唱した半断食法「七号食」を何度も実践した結果、「未精製の穀物(玄米・古代米・雑穀米)を好きなだけ食べても7号食と同じ効果が得られる」事を発見、『トミタ式七号食』の普及に努めています。

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2017年10月09日

中級エゴギョウ講座 2 火について

欲望の火をコントロールする力が弱いとせっかくの火が業火となって
身を滅ぼします。

これがないと人生を単なる火遊びの場としてしまいます。

火をコントロールするものに木性の判断力があります。

火の勢いを弱めるのではなく、あくまで火の向かう方向性を指し示します。

水性の水は火を弱めるのみです。

木に力が無ければ水で加減する必要もあるのです。

水は火が過剰で思わぬ延焼が広がりそうな時に緊急安全装置です。

木に力がなく水にも消火する力が弱ければ
色々困った状況を招いてしまうでしょうね。
例えば
言ってはいけないことを口走ったりする舌禍で
顰蹙を買い立場を危うくします。

自分の立っている場を理解する木の判断力不足と
他者の感情が読めない水の不足が舌禍を起こすのです。

ありのままが良いというセラピストにそそのかされてはいけません。
思ったままに、つまりありのままの自分の感情を表現するのは
無垢な幼稚さを見せるだけです。

火性の人は低い次元においては物質的欲望の火を燃やして
経済力に見合わない買い物をしてしまい、債務地獄に陥ります。
あるいは
感覚的シゲキにさらされて何かの中毒や依存症にもなりやすいのです
男性であればギャンブル中毒やアルコール依存ですね。
これらは破滅しかないですが、実は目に見えない破滅はたくさんあるのです。
セックス依存もあれば
お金中毒や依存症です。

お金を稼いで成功しているように見えても
家に帰ると冷え冷えとした風が吹いている状況の人も多いのです。

恋愛依存症もありますね。
この依存症は嫉妬の火を絶えず内心に燃やしています。

いずれも共通項は視野に自分しか見えていないことです。
いえ、自分の全体が見えていれば良いのですが、
自分の感覚と感情しか感じていないのです。

火の力は人生を逞しく生きるに必要ですが、火のコントロール力が必要です。
よりよく生きるためには木の判断力が必要なのです。
続く
posted by 変才冨田 at 21:32| Comment(0) | エゴギョウ中級編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

中級エゴギョウ講座 1 火性について1「

何回かに分けてエゴギョウ講座を系統的に書きます。

第一回は火性編

火性は動物としての生きる土台です。
この性質が弱ると生きる意欲が衰弱します。

火が高くて鬱ということはなく、鬱とは火の弱まりと一致します。

人生におけるあらゆる喜びの母体なので、
人生を意味付ける土台です。

これ無くしては人生の意味を語れないくらい大切な性質です。

同じ意味で生きるのに酸素が必要不可欠ですが
酸素は猛毒の活性酸素を生み出します。
生きるためには酸素は必要ですが
吸った酸素の2パーセントは毒の活性酸素を作ります。

同じ意味で火は活性酸素のような毒を生み出して
その火の力によって自分自身や他者を燃やして人生を台無しにする
危険性を孕んでいるのです。

火とは欲望のことです。
盛んな欲望の火は人生に刺激を与え活力を生み出しますが、
欲望の向き先によっては当人や他者を破滅させます。
続く
posted by 変才冨田 at 20:19| Comment(0) | エゴギョウ中級編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

千と千尋 カオナシと湯屋の神々など 様々なキャラクターの役割

先ず舞台設定です。

そこは昔に作られたパビリオンらしく、すっかり打ち捨てられた箱物。

古ぼけたパビリオンの入り口と思われる建物のトンネルのようなところを潜ると広大な敷地に
怪しげな建物群がありました。

このトンネルのような暗い道は産道の象徴か。
そこをくぐり抜ける新しい世界と生への不安を千尋は訴えます。

両親は欲望のままに(豚のように)飲食し豚になりました。

父親は都会から左遷されて地方都市に来たのですが
少々投げやりです。

つまり夢破れた両親です。
あとで出てくる湯屋の神々になろうとしてなれなかったのです。
かといってこれから真面目に働く意欲も失せているので、
食うだけでは豚になる以外ないのです。
その魔界は働かない人は生きていけないか、
豚になる以外にないルールです。

いかがですか?
この世界のルールそのものですね。
従ってこの魔界は私が生きているこの世界をデフォルメしたものなのです。

私が生きているこの世界の本質を宮崎はさらけ出して見せているのですね。

湯屋にお客として訪れる奇妙な姿の化け物は
「神々」という設定です。

確かに湯屋にとってはお金を落としてくれるお客なので「神様」ですね。

彼ら「神様達」は現行の資本主義という仕組みを是認し、そのシステムを利用して「神様として栄耀栄華を満喫」しています。

では湯屋で名前を奪われた神々に接待する彼女達は何の象徴でしょうか。

ひたすら接待して食い繋げている名前の意味を忘れてしまった労働者達です。
生きるためにはお金が不可欠。
それ以外に何がある?
お金がないと幸せになれないと信じた人々ですね。

そういう意味では神々も彼女達もお金一神教に洗脳された人々です。


では、湯屋の周辺をうろつき、千につきまとうカオナシとは誰のことでしょうか。




posted by 変才冨田 at 16:26| Comment(0) | わたしの哲学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする