玄米を食べ続けて50年
マクロビオティックの創始者・桜沢如一先生が、提唱した半断食法「七号食」を何度も実践した結果、「未精製の穀物(玄米・古代米・雑穀米)を好きなだけ食べても7号食と同じ効果が得られる」事を発見、『トミタ式七号食』の普及に努めています。

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2017年10月02日

7号食の成果を固定化する基本食

7号食の好ましい結果を見て終わらせないことですよ。

100メートルを走る走者は100メートルを目的にしていると後半に失速して敗れると言います。

110メートルを目標にするのです。

7号食を100メートルだとすれば、完走後に失速して

7号食の効果を台無しにします。

考えてみれば

7号食は劇薬かもしれないですね。

身体が驚くべき良い反応を起こして、

そこで感激して燃え尽きる人がいます。


肝心なこと!

それは基本食にランデイングさせる事です。

これです‼️

目指すべきは‼️


7号食を終了しても蒼の元米は当たり前のように継続です。

主食は蒼の元米 副食は主食を超えないこと!

お代わりは主食であって、おかずはお代わり無しです。

これが基本食です。

そして一日最低一杯のお味噌汁です。

posted by 変才冨田 at 21:00| Comment(0) | 七号食レポート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

栄養学と食養学 2 

(3)穀物と人の進化
さて、何を食べるべきか。いいえ、わたしたち人の食性はなにを食べるようにできているのか。
動物はエサを求めて東奔西走します。明日の食べ物が保証されていません。今を充足させる。
それを連続させることに必死です。
一方社会的動物に進化した人間は蓄えることを覚えました。蓄えることを可能にしたのは穀物です。穀物の発見から人は人間へと進化する道にのれました。
保存できる穀物は人間にゆとりの時間を与えました。文化というものが生まれた原因も保存性に優れた穀物があったからです。
また、同時に保存できるがゆえに私有財産という概念も生まれ、その奪い合いの歴史も始まりました。その配分のための社会的仕組みをつくり、その配分システムの進化を歴史というわけです。
穀物はわたしたちの全存在に入り込みつつ多様な食文化を創造したのです。
この点はどんなに紙数を尽くしても書ききれないでしょう。
それゆえにBL研究所は健康づくりの中心軸に穀物を中心に据えているのです。
BL研究所は穀物を中心としたライフ・スタイルを提唱します。
(5)元のお米
「元のお米」という意味には二つ含まれています。
@ 数百年にわたって品種が固定されている。
つまり、元々のお米であって品種改良を繰り返し行ったものではないことです。
したがって、野性味のある元気なお米です。元の身体に戻すのであればお米も数百年にわたって食べられてきたものに替えます。
A 白米にしないで元の玄米で食べること。
白米はミネラル、ビタミンが乏しく主食にするには役不足ですね。白米だけでは生きていけません。白米ばかり食べていた時代は脚気患者が多かったのです。
7号食に見られるようにそればかり食べていても病気になりません。かえって元気になっていますね。
(6)美味しくて炊飯が簡単でなければ続けられない玄米食
BL研究所がお勧めする玄米は「蒼の元米」というもので、長年の玄米食の方がその美味しさに驚かれます。しかも、岡山の山間僻地で完全無農薬にて栽培されたものです。
さらに、炊き方が簡単で電気炊飯器の白米ボタンで水加減も白米と同様で簡単に炊けます。

この「蒼の元米」は全国に配送しています。
現在は会員価格で5kg4374円で販売しています。
送料は5400円以上で無料です。
玄米甘酒、足楽です輪、新製品の「集中できます輪」などとともにお買い求めください。
tetu.tomita@gmail.com
050−1193−9391
メールでもお電話でもご注文できます



posted by 変才冨田 at 17:53| Comment(0) | わたしの哲学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

栄養学と食養学

江戸時代後期に水野南北という有名な観相家がいます。
南北は人相を観るに「万に一つの過ちなし」と言われていました。

その南北の言っていたことです。
「非常に福相であるのに現在の境遇が悪い人、非常に凶相であるのに幸せな境涯を送った人がいる。この理由を研究すると、裕福になって食べ物を贅沢にした人が運気を損なっている。お金が入るようになっても、食を質素に保った人はたとえ凶相であっても運勢が良い。つまり食こそがその人の運命を決めているのだ」と人生の真実を喝破したのです。

現代の日本は長寿にはなっているけれども慢性疾患や痴呆や癌疾患、さらには鬱まで増加の一途をたどっています。
南北の喝破通りではないですか。豊かになるにしたがって飽食グルメを実行した結果が現状でしょう。
それは同時にカロリー学説を土台にした現代栄養学の敗北とも言えそうです。それが役に立つものであれば人の健康づくりの防波堤としての役割を果たすはずだからです。
栄養の「養」とは羊を良くすると書くように、決して人間だけを対象にしているわけではないのです。羊や牛を良くするとは「病気にしないことと太らせる」ことです。
家畜を栄えさせるという意味が栄養学にあるのです。人間にとって都合の良い育て方をすること、「つまり太らせることが栄え」なのです。
どんどん食べさせれば食産業にとって都合が良いのです。人の家畜化を実現させたものが栄養学の本質です。

一方食養学はどうでしょうか。
「食」の字は人を良くするとありますね。食養とは人を対象にするだけでなく大切にしているのです。
それゆえに栄養学のようにマスで個人にあてはめるのではなく、民族性、住んでいる場所の緯度、個々の体質の違いなどを考慮する個別性に食養学では重点が置かれます。

posted by 変才冨田 at 00:36| Comment(0) | わたしの哲学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする