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2017年05月10日

原因は自分なので自分から始める以外にない


人間は場を「与えられ」なければ力を振うことはできないでしょう。

でも、本当は場は与えられるものでなく自らの力で獲得するものなのです。

人という動物としてはいきなり生まれおちて場を得るわけですが

それから育てられて、教育されて、次は人間として生きていく場を獲得しなければいけないのです。

その場のそばに他者の場があり、立体パズルのようにして「私」の場と「他者の場」が噛みこみ合っています。

その場からふっと抜けられることは難しいのです。

難しいほどにそれはあなたの確固たる場なのです。

あなたがいなくなると多くの人の場の力が弱まってしまうのです。

簡単に抜けられるような場であれば、もともとあなたはそこでは力を発揮できていなかったという証拠でもあるのです。

あなたが力が振えるような「場」をつくりましょう。

場のない人は力が発揮できないので「無力」です。鬱にもなってしまうのです。

ここまでが前回です。

つながりというもの

簡単に断てるようなものであれば

それはすでにほころびがあるのです。

離婚できる人は、もともとゆるーいつながりなのです。

そのゆるさは善悪ではないです。

緊密な関係がいいといっているわけではありません。

簡単に仕事がやめられないわけは

自己と仕事が同一化しているからです。

さて

自己の力をふるうには

自己を仕事へと拡大しなければなりません。

その方法は「関わる」ことです。

関わるとはつながるという言葉と同義語です。

主体的にソレに向かって発言し、自らの手を加えることです。

自らの手が加わってソレに変化を与えると、その変化があなたにも向かってきて

あなたを変化させます。

つながりとは双方向なのです。

ストーカーは一方的ですからつながったことにはならないのですね。

マイナスのつながりです。

相互に影響を与え合う関係がプラスのつながりなのですね。

いつまでもソレに評論家的、傍観者的な態度では

あなたが成長しないのです。

いろんな人や事に出会っても「あの人はつまらない人、つまらない仕事」

といっている間は

あなた自身がつまらない人、状態なのです。

やる気になれない原因を社会や仕事、他者に求めているあなたは

あなた自身が他者の足をひっぱり、やる気にさせていないのです。

動機を外に求めるのではなく

あなた自身を原因にしないといけません。
posted by 変才冨田 at 21:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 心の目的 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

坂爪氏の「ごちゃ混ぜの家」構想 2

坂爪さんの記事のご感想はどうでしょうか。

このblogの読者であればきっと面白いと思うでしょうね。

さて、彼のごちゃ混ぜの家構想は言い換えると家族性は血縁関係だけからしか生まれないのか?

そういう問いかけのようですね。

家族性の特徴に「あなたは居てるだけで良い」ということが挙げられます。

役に立たなくて良いですよ、ということです。

一方に社会的な人の関係性は役に立たなくて存在は許されない、というものです。

会社はまさしくそういうことです。

家族性と社会性はその立っている基盤が違うわけです。

坂爪さんが今さらその家族性を問いかけるのは理由があるようです。

それは現在において急速に「居てくれているだけで良い」という土台が崩れていると感じられたのではないでしょうか。

資本主義社会の仕組みというものは全てを役に立つデザインされたもの、つまり商品化させます。


学校経営とか家庭経営という言葉に代表されるように学校や家庭が会社化してきています。

教育投資という言葉に代表されるように子供は投資の対象になるのです。

子供には投資に見合った活躍が期待されます。

投資された子供には親の役に立つ生き方を求められます。

そういう意味では家族性の崩壊は貧困家庭のみならず中産階級に際立っていると思われます。

投資するからには子供は都合の良いようにデザインされます。

けれどもいくらデザインされようが現実が急速に変化しているので、商品はすぐに陳腐化します。

現実にはそのデザインは役に立たないのです。

デザインされすぎて、あるいはされなさ過ぎて大人になった人達は

役に立たなくて社会から疎外されます。

存在そのものが揺らいでいる人が増加しているようです。

自分は役立たずの存在だから消えてしまっても仕方がない。

「ごちゃ混ぜの家」構想はこうした状況に問いかけているように見えます。

役に立たなくては存在が許されない

そういう人間観は全ての人間観に影響を与えそうですね。

人種や育ちや出自への差別感情、学歴差別、 性差における差別感情

つまり恋愛観にも結婚観にも影響を与えています。

続く


posted by 変才冨田 at 16:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 認め合うということ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする