玄米を食べ続けて50年
マクロビオティックの創始者・桜沢如一先生が、提唱した半断食法「七号食」を何度も実践した結果、「未精製の穀物(玄米・古代米・雑穀米)を好きなだけ食べても7号食と同じ効果が得られる」事を発見、『トミタ式七号食』の普及に努めています。

ブログ記事も8000を超えました!


2008年03月30日

定例セミナーのご案内

4月6日は予定通りの食養セミナーです。

12時から2時までにお集まりいただき
計測をします。

計測後は2時まで自由時間です。
お食事休憩などを各自とり、2時までにお集まりください。

開始 2時
終了 4時
参加費 2000円

エゴギョウセミナーはありません。
posted by 変才冨田 at 20:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

いのちについて9

このテレビ番組がなぜ製作されたのか、意識されなくともその基本的な動機はここにあることがわかります。

すべてのいのちはつながっているという意味なのです。すべてのいのちに共感性が発動するのは、すべてのいのちがわたしたちの身体内部にあるからなのです。

もちろんいのちだけがあるのではありません。いのちの素である石ころや水、土、空気などともわたしたちのいのちはつながっています。水田に土や水があるように、です。それがなければいのちが存在できません。それらのモノにも紅タナゴのいのちはあるのです。

いのちは環境全体に偏在しているのです。

そこで前回、虚実という概念でいのちを考えたのでした。紅タナゴの内部にあるいのちを実のいのち、環境に偏在するいのちを虚のいのちとする考え方です。

今、両手を合わせるように打ってください。拍手(かしわで)をします。いい音が鳴ったでしょうか。その音こそがいのちなのです。いのちとはそうした音のような現象であって実体はないのです。

虚実一致でいのちという現象が生じるのです。食は環境という虚のいのちから取り出すものですから重大です。その食という行為こそが拍手を打つということなのです。あだやおろそかにしてはよい音が鳴らず、失意の人生で終わるでしょう。

posted by 変才冨田 at 20:40| Comment(2) | TrackBack(0) | わたしの哲学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年03月29日

荒川君の仕事です

今、東京です。

この場所は神宮で原宿駅のそばです。

彼(荒川祐二さん)の周囲には大勢の女子高生が集まっており
次々とインスピレーションによる「書き下ろし」を筆で書いておりました。

御代は本人の気持ちで、ということで500円から1000円のお布施が多いようでした。

彼はいろんな場所でしていますが、ここでしていることが多いようですね。

書下ろしを頼みたい人は言って下さい。
場所は聞いておきます。

「僕の目を見てください」から始まりますが
目は心の鏡ということですね。

目全体は肝経絡であり、瞳は腎の状態が現れます。
目に力のある人は肝が強く、力の抜けた眼差しは肝も腎も弱いです。

また、キラキラしている人は快感追求型でうまくいかないと憎しみも強くなります。
だいたい肉食偏重の人が多いです。

posted by 変才冨田 at 21:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

エゴギョウについて

エゴギョウのこれからの講座を読む前に
質問用紙ともう一つの「心の形」をつくるワークをしてください。

自分の「心の形」を見ながら読んだほうが面白いでしょうし、よく判ります。
posted by 変才冨田 at 20:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

いのちについて 8

いのちはどこにあるでしょう?
この質問に対して現代人は身体の内部にあるという考えを持っています。現代思想の典型なのです。

実はわたしたちのいのちは身体の外にも偏在しています。前回の話を思い出してください。紅タナゴのいのちは水田がなくなったことで、いのちが消えたのです。

ということは紅タナゴのいのちは周辺の水田に偏在していたことになります。水田を営む農家の人がいなければ水田は消えます。

ということは農家の人々の身体のなかにも紅タナゴのいのちは棲んでいることになります。

お米を食べる人がいなければ水田はなくなりますので、お米を食べる人のなかにも紅タナゴのいのちは棲んでいます。お米を食べるためには、それを運ぶ人がいなければ食べることができません。運送する人のなかにも紅タナゴのいのちは存在します。

道路がなければ車も走れないですね。道路を作った人々、車をつくった人々・・・。こうして考えるとある狭い地域に棲む紅タナゴのいのちは全国のすべての人のなかに存在することがわかりますね。

紅タナゴが失われるという事件は、実は遠い場所で起きた事件なのではなく、お米を食べなくなったあなたの身体の内部で起きている事件でもあるのです。

紅タナゴのいのちの喪失に心が痛むわけはここにあります。わたしの内部で一つのいのちが消えたという事件だからです。
posted by 変才冨田 at 20:11| Comment(0) | TrackBack(0) | わたしの哲学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

現場で働く人々 1

彼は荒川 祐二 くん です。


arakawa kuun.jpg


彼は路上詩人です。


He is a calligraphic artist working @ the street.


The street・・・・where people meet, every day.


He is great, honest.


posted by 変才冨田 at 15:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

エゴギョウチェック

質問シートと作成シートをアップしています。

この質問に答えてからエゴギョウ連続講座を読んでください。

http://egogyou.seesaa.net/
posted by 変才冨田 at 15:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

エゴギョウシート

表・・・・・

Mail0020.JPG

裏・・・・・

EGメンタルヘルスチェック.pdf
posted by 変才冨田 at 15:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

いのちについて 7

2「池の栓を抜く」意味と心身の健康
紅タナゴの生息環境の悪化は栓が抜かれないことからはじまりました。わたしたちの体には60兆匹の紅タナゴが生息しています。つまり細胞の一つ一つです。血液や体液それらを包む皮膚、支える骨格がため池全体の環境です。

この場合「栓を抜かれていない状況」とは心身の便秘ということです。エネルギーを動きで発散できない、思いを表現できない・・・。あらゆる場所に滞りをおこしている状況です。あなたに住む紅タナゴは酸欠で窒息しそうです。

その窒息状態の悲鳴が慢性疾患なのです。
したがって健康になる道筋の根幹は栓を抜くことなのです。大きな意味で排泄作用を促す生活習慣と生き方が必要なのですね。きれいな雨水を溜めおきつつ(これが食事などの入力)、ヘドロ(老廃物)を排泄するのです。それも心身共に、です。


posted by 変才冨田 at 12:31| Comment(0) | TrackBack(0) | わたしの哲学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年03月27日

いのちについて6

1「いのちは虚実の支えあい」という仕組みです。

私たちの身体の中だけに「いのち」が存在するわけではありません。「いのち」には虚実があります。実のいのちと虚のいのちがワンセットで生命が成り立つのです。どちらかが欠けたとき、いのちは終わります。

実のいのちは腸の意欲であり、虚のいのちは身体内部にありません。紅タナゴの虚のいのちは水田に存在しているのですね。

わたしたちの虚のいのちも水田に存在しています。水田が荒れ果てた風景を見て心が痛む理由はそこにあります。荒れ果てた水田を見て痛みとともに喪失感を持てる人は敏感なのです。感性が豊かであるとはそういうことなのです。

共感力があるということは、水田に我がいのちを重ねることができるということなのです。そういう人の「いのち」は自己を超えて環境全体に及んでいます。

原子力発電所がインテアンの居留地区につくられる計画に頑として反対したインデアン青年がいました。「多額の補償金が入るのに、なぜそんなに反対するのか」というTVのインタビューに「おれが立って地平線まで見えるその範囲全てが俺自身なんだ!」と応えたのです。

「大いなるいのちを生きる人」、いのちの虚実がわかってこその感動的な言葉でした。
posted by 変才冨田 at 00:43| Comment(0) | TrackBack(0) | わたしの哲学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

いのちについて5

ところで生物が生息できなくなる環境は最終的にそこに住む人間も生きられない状態をつくりだします。

工業製品の大量生産は石油エネルギーの大消費を伴い空気を汚染します。同時に大量の水を浪費します。パソコンを一台つくるのにおよそ1tの水を使うのです。その水は地下水でまかなわれるのですが、地下水の水源は実は水田の底(暗渠)に蓄えられた水なのです。なんという矛盾!工業国は大農業国でないと維持できないのです。

紅タナゴを生かす程度の工業国が日本に相応しいということなのでした。水田を押しのけるような工業化はそれ自身も成立しないということなのですね。

ところで、このため池の話には「命(いのち)の秘密」が隠されていることがわかります。
それは、
posted by 変才冨田 at 00:41| Comment(0) | TrackBack(0) | わたしの哲学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

いのちについて4

「いのちの周辺」
非常に興味深いTVの正月番組を見ました。ため池に生息する天然記念物の紅タナゴの数が激減してきたというのです。番組はその理由を追っていきます。

まずわかったことは、ため池の底がヘドロ化していたということです。ヘドロは魚や葉っぱなどさまざまな生物の堆積物でした。富栄養化してしまい、藻が発生し酸素不足が起きていました。これが紅タナゴの生息できる環境を損なっていたのでした。

人体で喩えれば糖尿病や高脂血漿、痛風、癌などの慢性疾患状態ですね。正常細胞が窒息したような状態です。

ではなぜヘドロ化したかです。ため池には栓があってそれを開けるとため池の水がヘドロとともに抜けるのです。水はたんぼを満たし、ヘドロはたんぼの栄養になります。いわば堆肥なのでした。なんと昔の日本人の賢いこと!

ため池には新しい雨水できれいになります。紅タナゴも生きていけます。

ではなぜヘドロが消えず紅タナゴが激減したのでしょう。それは何年も栓が抜かれなくなったからです。それがタナゴの激減した原因です。でも本当の原因は栓がなぜ抜かれなくなったかにあります。

それはため池の周辺からたんぼが無くなったからなのでした。ため池の水が必要なくなってしまったのです。タナゴの激減の理由はたんぼがなくなったことでした。

つまり、ため池の生物にとっての健康な環境はたんぼがつくっていたのです。番組の追求はここまでで終わっていますが、さらに考えてみましょう。

たんぼはどうしてなくなったのでしょうか。その「なぜ!」こそが本当の原因をみつける言葉なのです。たんぼは減反政策でなくなったのです。減反政策は工業製品輸出と引き換えの穀物輸入促進の結果です。

輸入穀物が増えると日本人の意識は米からパンへと変化します。それがいっそう米を少なくし小麦を増やす方向へ拍車をかけます。パン嗜好のあなたも紅タナゴ激減の犯人でもあるのです。

人の健康問題もこのように広い視野で考えないと本当の理由はわからないのです。
posted by 変才冨田 at 00:39| Comment(0) | TrackBack(0) | わたしの哲学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

いのちについて 3

無数の先祖とたくさんのいのちをいただいたあなたはそれらのいのちの代表選手なのです。

最後に大切なことをもうひとつだけ言います。平和のことです。今の憲法があったおかげで六〇年間日本人は一人も戦死しなかったし、一人も他国の人を殺していません。

朝鮮戦争のとき今の平和憲法がなかったらおそらく朝鮮でたくさんの日本人が戦死したはずです。現在からいきなり過去にタイムスリップして戦死者を出したと仮定すれば、現在生きている人のうちからかなりの人々が突然消えてしまうでしょう。

結婚前に出征し戦死したら生まれるはずがない人々が多くいるはずです。一人の若者が戦死するということは、その後に続く未来の多くの人が消えてしまうということなのです。

健康問題とはいのちの問題であり、いのちの問題は平和の問題と結合しているのです。

健康=いのち=幸福=自由=平和 という言葉の函数なのです。

健康問題を日々考えるわたしが今の平和憲法をさらに活かす(活憲)ことに関心をもっている理由です。


posted by 変才冨田 at 00:36| Comment(0) | TrackBack(0) | わたしの哲学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年03月26日

いのちについて 2

もうひとつあります。あなたのいのちはもともと0.05o(精子の長さ)、卵子は0.13mmでした。

眼に見えない長さの精子約4億個が重いDNAを担いで、小さな卵子を目指し8時間の過酷な旅を決行したのです。飲まず食わずでヘトヘトになってたどり着いたのは約1〇〇個・・・。最後に卵子の厚い壁を溶かして歓喜とともに中心に突入できたのは一個だけなのです。そう、それがあなたの昔の姿なのです。

さらに特定の排卵のタイミングも加わると5696人×4億の精子=無限=あなた一人
上記の話は時間軸をたどったお話です。ですからわたしたちのふるさとは時間そのものです。ですからあなたのいのちには時間が有形無形に存在しています。DNAには長いいのちの記憶が折りたたまれています。「胎生は生物進化を再現する」といいます。

単細胞だったころが卵子であり精子です。それから多細胞生物、円腔類、魚類、両生類、爬虫類、哺乳類時代の形を10月10日のあいだに変化させ、やがて人になるのです。20億年の生物進化のドラマを子宮のなかでいのちを懸けて演じて見せます。一日で1000万年を駆け足で再現するのです。

もうひとつ空間の軸がないといのちの話は終わりません。
ところでそのあなたに関係する精子と卵子はどうやって出来たのでしょうか。血液からできたのです。血液がホルモンなどの働きから極度に濃縮されてできたのです。精子と卵子のふるさとは父母の血液です。では血液はどうやって出来たのでしょうか。血液はどこからやってきたのでしょう。

食べ物からできたのです。血液のふるさとは食べ物なのです。
では食べ物はどこからやってきたのでしょう。わたしたちはいろんなものを食べますがその元は植物です。動物は植物に依存しています。肉食の動物だって草食の動物を食べるのです。植物がわたしたちのいのちのふるさとです。植物はどこからやってきたのでしょう。

水と空気、日光と土(ミネラルと微生物)でできたのです。水、光、ミネラル、微生物、空気です。このうち何一つ欠けても植物の世界はありえないのです。わたしたちのふるさとは水、光(熱)、ミネラル、微生物、空気です。ですからわたしたちの心身にはこの5つの元素が有形無形に存在するのです。精子も卵子も微生物です。

わたしたちの細胞の数は60兆個といわれていますが、細胞も微生物です。白血球も微生物です。お腹には一〇〇兆個という数の微生物(腸内常在菌)が住んでいます。かれらがいなければ私たちは生きていけません。わずか0.数ミリのいのちが、わずか数ミリグラムの生き物が60キログラムのいのちの重さになったのは食べ物が体に変化発展を遂げたからにほかならないのです。

なんと無限の食べ物でこの世界は満たされているか!上記が空間軸でのお話です。

時間軸の連綿としたいのちの結合と空間軸の食べ物が結合してはじめてあなたのいのちが現象化するのです。時間軸をy軸、空間軸をx軸として、交わる原点であなたが現象化したのです。時間軸を陽、空間軸を陰といいます。まさに陰陽の結合でいのちは現象化するのです。

こうして考えるとあなたのいのちとはまさに奇跡そのものではないでしょうか。
ですからあなたの日常は奇跡そのものといえます。奇跡ですから泡のように一瞬に生まれ一瞬に消える運命です。

仏教用語で閻浮提(えんぶだい)とは人間世界のことを指します。浮世というものです。宇宙の闇の空間にそこだけが鈍く光って浮いているステージです。このステージに立っているのがあなたです。奇跡的にこの時代、この日本という空間ステージに立っています。

無限の時間と無限の空間から濃縮されて出現したあなたです。次代に譲るまであなたの人生をこの舞台で精一杯演じてみせないと面白くないではないですか。いえ精一杯おもしろく生きる無限の責任があなたにあるのです。

無数の先祖とたくさんのいのちをいただいたあなたはそれらのいのちの代表選手なのです。
posted by 変才冨田 at 21:29| Comment(0) | TrackBack(0) | わたしの哲学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年03月25日

いのちについて1

以下は「あすなろ新聞」に連載されていたものに加筆したものです。

「いのちのこと」
「いのち」の奇跡についてあらためて考えてみます。

あなたがこの世に生を受けるには父と母の二人が必要でした。父と母にもそれぞれ二人の父母が必要です。ここまでであなたが生まれるためには6人の生命がかかわっていることがわかります。

そうやって一二代前まで計算すると総計4096人といういのちの数がでてきます。このうちたった一人でも子供を生む前に亡くなると、あなたが存在しないということなのです。

一二代前は今から約400年位前までさかのぼった時代です。江戸幕府が樹立した時代ですね。一二代前あなたのいのちに関わっている人の数は4096名です。

当時は飢餓や疫病が多く子を生む前に死亡する確率は大変高かったのです。4096名は男女の組にして2048組です。この人たちが偶然に出会い結婚して子を得ました。

この出会う偶然は大変な奇跡なのです。あなたが現在の配偶者と出会った偶然を考えればわかるでしょう。

「あのときわたしがあの会社に勤めていなかったら、この人とは絶対出会わなかったはず・・・」「あのときもし旅行を誘われなかったらこの人には出会わなかった・・・」

そうした無数の偶然が積み重なって現在の配偶者と出会ったはずです。
posted by 変才冨田 at 21:57| Comment(0) | TrackBack(0) | わたしの哲学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

エゴギョウ講座開始しました

以下のURLで検索してください。

http://egogyou.seesaa.net/
posted by 変才冨田 at 21:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

引きこもりの諸君へ

引きこもりの諸君へ

まず言いたいことは
引きこもりができるということに感謝をしてください。

世の中には君たちと同じ年齢でありながら、毎日食べられるかどうか、毎月の家賃が払えるかどうかに悩んでいる人たちがいます。

引きこもりができるという特権がなぜ与えられているのかを考えてください。
親のせいで引きこもりになってしまったと思い違いをしていませんか。
事実は親のお陰で引きこもりができるのです。
引きこもりができることに感謝してください。
感謝できる人は堂々と引きこもりを継続してください。

いまだに親にうらみつらみを持っているのなら
君たちはオムツがまだ取れていません。

赤ちゃんは傲慢なものです。
泣き声一つで親をコントロールするくらいです。

うらみつらみで親の感情をコントロールすること、それが傲慢というものです。

責任を自分自身で取らないというのも
赤ちゃんそっくりです。

なに一つとして自分自身で決められないというのも
オムツのある赤ちゃんと同じです。

自分のいのちを自分で使い切れないのであれば
自殺するまでもありません。
西洋には「二十歳で死んで、六十で埋められる」という警句があります。

いのちが自分で使えない人は、まずは人に使われる必要があります。
使えないような人なら、あなたは最低の部類の人間ということになります。

あの時親がああ言った、こうしたから・・・、と考えているのでしょう。

そうかもしれません。
親だって未熟なんだもの、失敗もします。

けれど二十歳を過ぎたら、
親の失敗を全て引き受けて
背負い込んで
人生に雄雄しく立ち向かう凛々しさや気迫を持たねばなりません。

傷つけられることにビクビクしているあなたは
傷つけられて困るようなものはないと開き直ってください。
そんなに立派なものは何一つないのですから。

プライドなんてものは若いときは持ちようがないのです。
また、プライドは傷つけられるようなやわい性質のものではありません。

傷つくのはプライドではなく虚栄心なのです。

自分が傷つくことだけに怯えているあなたは
なんと自己中心的で、他者に対して傲慢であることか。
posted by 変才冨田 at 02:22| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年03月24日

基本食の考え方 13

酸素を多く取り込むためには、まず酸素が必要であるというカラダにしなければいけないでしょう。

ここに「動き」の問題があるのです。
じっとしているような生活は酸素を使わない生活です。

心身は廃用性機能があるので、使わない筋肉も肺も循環器も衰えます。

ある心臓病の方にすごく早口でしゃべる方がいらっしゃいます。
これは、肺の15%くらいしか使っていないので呼吸が浅いのです。
息を吐くときに話すので、息が少ないと短時間しか一呼吸で発声できません。
ですから一気に早口で話そうとするのです。

また、早食いも呼吸の浅い人に見られます。
これは鼻呼吸ができない人に多いですね。
口呼吸ですから、ゆっくり噛んでいると
息ができなくなるわけです。

酸素が充分でないので、酸素を大量に使う心臓は疲弊しています。
こういう人の生活習慣は歩くことが少なく、移動はいつも車です。

食よりも歩くことが重要であるわけです。
歩くことで酸素を大量に取り入れる身体ができます。

酸素が充分であれば食べたものを完全に代謝できます。

つまり
なんのために歩くのか、それは食を得るためなのです。
動いて食べる。
これは生物としての基本なのです。
基本食の考え方に「歩き」を考慮するわけです。

朝目覚めてすぐに食事をするというおかしさがわかっていただけたでしょうか。
朝から消化不良をおこすのです。

朝の散歩がよいわけですね。
posted by 変才冨田 at 01:13| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

心のOS9

女性の極性は陰です。
陰ですから年頃になれば陽の男性に惹かれます。

その陰が揺ぎ無いものであれば、つまり女性性が完全であれば、
しっかりした陽の男性に惹かれます。

ところが男性は宿命的に不完全なので、教育係になります。
ドストエフスキーの名言があります。
「女、女こそ男を完成させる唯一のものである。」

女性は男性の教育者であるのです。

その教育の手法は母親の父親に対する態度で学ぶのです。
幼い娘が時に父親に対して妻のような口ぶりで教育的注意をしばしばするのも、母親から学んでいるわけです。

女性は天性として男性の教育者であるので、男性に教えられることは
沽券に関わることになる。

人はそのもてる機能を使い切っている時こそが幸せなので、
男は教育されることに甘んじなければならないし、
男が完成するためにも必要なことです。

夫に「ポチ、ハウス!」と言っている奥さんがいますが
やはり、幸福な家庭です。
この男性はエライ!
大人物ですね。

亭主関白とは妻に指示的で横暴な印象を与えるが、
関白の本来の意味は天皇に使えるモノの役職名なのです。

つまりこの場合天皇とは妻のことですから
誠実に仕えなければいけません。(笑)

母親が亭主の教育に失敗して不仲であると
その操縦法を学べないので、
娘は男性に対して自信をもつことができません。

もしも貴女が男性に対してどのような態度でのぞむか
自信が持てないでいる場合は
子供の頃の父母の関係性を疑ってみることです。
posted by 変才冨田 at 00:54| Comment(0) | TrackBack(0) | わたしの哲学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

今を生きる6

刹那とは、「瞬間の今を大切にしなさい」というのが本来の意味です。

那は主体であり、命名された主体の者は今を生きる。
主体性とは今を生きることであり、未来や過去に生きるものには、
主体性がないということになる。

目標を持つのはOKですが、目標はいったん忘れて今に生きなければ
主体として生きることができない。

今をもっと観察しよう。
今、目の前の人をよく見つめてみよう。
現代という時代をしっかり見つめてみよう。

あなたはいったい今、なにをしたいのか。

posted by 変才冨田 at 00:09| Comment(0) | TrackBack(0) | わたしの哲学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする