玄米を食べ続けて50年
マクロビオティックの創始者・桜沢如一先生が、提唱した半断食法「七号食」を何度も実践した結果、「未精製の穀物(玄米・古代米・雑穀米)を好きなだけ食べても7号食と同じ効果が得られる」事を発見、『トミタ式七号食』の普及に努めています。

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2008年02月26日

酸素カプセルの事例

糖尿病でインシュリンを25年使用している方が利用しました。
インシュリンを使用している人はカプセル内部で低血糖症になりやすいので、基本的にはお断りしています。

本人の強い希望がある場合は万全の注意をして、ブドウ糖をもって入っていただきます。

さて、これまでに家庭療法で低周波機器などいくつか使っておられたのですが、酸素カプセルの効果は見違えたようです。

これまでどんな治療をしても足指の無感覚があったのですが
足指の先までジンジンして血が通る感覚があったといいます。

出てきた後で全身も足指が温かいと言われていました。

posted by 変才冨田 at 20:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 酸素カプセル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

共時性についての一考察4

ある因を基点として果が生み出される。
これが因果律。
けれど因によって生じた果は一つとは限らない。
それどころか、無数の果を生じる。

その無数の果は引き合う。
なぜなら因という親が同じだからだ。
引き合ったとき、人はそれを「共時性が働いている」と感じる。

わかりやすい例では
一卵性双生児ではないだろうか。
彼らは同時期に同じような振る舞いをする。
共振しあっているわけだ。
彼らの因は親であり、果が彼らだ。

果同士が共時的な動きをするわけだが、
その親である因が認識できないので
共時律と因果とを切り離してしまうのである。

共時律と因果律は陰陽のセットであり
統合して現象世界が立ち現れているのであろう。
posted by 変才冨田 at 20:01| Comment(0) | TrackBack(0) | わたしの哲学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「名」の意味4

「名」は個性の代名詞である。

「名」忘れた人々は責任からはずれる。

「千と千尋」の物語においては「名」も「顔」もなくなった怪人が登場する。
お金を湯水のように使い飽食をするシーンがある。
あの「顔なし」とは現代日本のことで、東南アジアにおいては日本はあのようなイメージなのだろう。

「顔なし」は食べれば食べるほど胃が巨大化し、欲望は果てしがない。
現在、中国がこの「顔なし」に変貌しつつあり、日本はその脅威を感じている。
東南アジアの人々の感情がわかりはじめるだろう。

「名」を忘れた人々は、つまり無個性化しており、名を使わないということは無氏名でありそのまま無使命となる。

個性的に生きないとはその命を使えないことであり、
同時にいのちは「生かしあい」の関係であることから自己も他者も生かさない人生となる。

他者を生かさない生き方は自己も生かしえないだろう。

今こそ「名」に恥じぬ生き方が必要だろう。
戦国武将においては「名を惜しむ」生き方こそその存在理由であった。
名を生かすために死を選んだほどだ。

それほど大切な「名」とは単なる記号ではない。
「名」にこめられたアミニズム的な考え方がある。
posted by 変才冨田 at 14:18| Comment(0) | TrackBack(0) | わたしの哲学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

食と環境

食べすぎは心身という内環境と外環境にゴミを増やす。

その結果が慢性疾患という体内危機と炭酸ガス増加などによる気候危機だ。

いのちの危機は内と外の両面からひたひたと押し寄せてくる。

posted by 変才冨田 at 00:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする