玄米を食べ続けて50年
マクロビオティックの創始者・桜沢如一先生が、提唱した半断食法「七号食」を何度も実践した結果、「未精製の穀物(玄米・古代米・雑穀米)を好きなだけ食べても7号食と同じ効果が得られる」事を発見、『トミタ式七号食』の普及に努めています。

ブログ記事も8000を超えました!


2008年02月24日

「名」の意味3

戦争責任をどう考えるか・・・。
戦争によって「無辜の民」が災難にあったと表現されるわけですが
「無辜の民」とはなにか、です。

無辜(むこ)
罪を犯していない意

果たして「罪をおかしていない」といえるかどうか、です。

あの戦争によって名も無き人々が虐げられた・・・。

わたしは思うのです。
「名」もないということは責任を持たなかったということ。

集団的無意識の海のなかに没していった「個」の群れ。
名を捨てた人々があの戦争を生み出したのではなかったのかと。

「名」は個性の代名詞であり、「名」の代わりに「番号」をつけることが「名」を捨てることであった。
番号とは兵士の認識番号であったり、整列時の号令に応えた番号である。

「名」が軽視される時代はあまり嬉しくない。
国民総背番号もそうだ。

派遣される方が派遣先で「派遣さん」と呼ばれる。
一日きりの派遣だと名を記憶する必要がないらしい。
一日きりで明日の労働のことを考えなくてもよいので
ぎりぎりまで消耗させられる。
見えているのは「労働力」でけでよく、労働力の元であるその人は見えない。個性を感じ取らなくてもよいのだ。

そうやって「名」を無視された人々は衆の海の中に沈んでゆく。
責任を持たない人々として社会から無視されてゆくことになる。

「耳を澄ませば」の主人公の個性化のストーリーに魅力を感じるのは
現代が個性化とは逆に向かっているからだろう。


posted by 変才冨田 at 21:17| Comment(0) | TrackBack(0) | わたしの哲学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「名」の意味2

集団行動となると「名」が消えてしまう。
つまり個性化の消失ですね。
同時に個としての責任もなくなる。

ナチスドイツの状態がまさにこういう状態。
軍国主義化した日本も同じ。

戦後になって戦争犯罪人を処罰するための国際裁判が行われた。

衆で行動した結果が後になって個の責任が問われたわけ。

ところで実際は衆である国民が「名無し」であったわけです。

アニメの主人公である千尋は名前を取り上げられてしまいます。
出会った「ハク」も取り上げられていました。
また、顔なしという怪人も現れます。

宮崎は「名」の意味をどう捉えていたのでしょうか。

posted by 変才冨田 at 17:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

共時性についての一考察2

共時性と対置されるものは因果律というもので、
それぞれ時と空間の軸上で現れる。

共時性が空間軸、因果律は時間軸に関係しそうだ。

現象とは空間軸xと時間軸y軸の交点で生じるので
一つの現象の背後には必ず因果律と共時律の両方が働いているだろう。

太股の内側と手の内側のそれぞれ中央に湿疹ができた。
という相談がある。
原因は因果律的には仕事が忙しすぎて眠りが十分でなかったということ。

それぞれの湿疹は手と足の両方に出ているが、
これは認識が無明(暗い)の段階だと別個のものと思われてします。
少し認識段階が進むと「意味のある偶然」となり
もっと進むと因果律的な原因が認識として加わり
二つの湿疹は「意味のある必然」として認識される。

皮膚上に遠く離れた二つの現象は空間上であり
それを起こしたのは因果律的である。

現代人であるわたしたちの認識の仕方は因果律の認識が強すぎるので
共時律が見えないことが多い。
本来は一体となったものなのに、なぜ因果律だけが強調されて認識されるのだろうか。

いや、逆に空間上に起きた現象は個別のものとして認識され、
関連のある共時律としては認識されない。
同時に因果律もきわめて部分的で限定されたものとして意識化されている。

つまりわたしたちの認識のレベルはまだ低い段階にある。





posted by 変才冨田 at 15:45| Comment(0) | TrackBack(0) | わたしの哲学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする