玄米を食べ続けて50年
マクロビオティックの創始者・桜沢如一先生が、提唱した半断食法「七号食」を何度も実践した結果、「未精製の穀物(玄米・古代米・雑穀米)を好きなだけ食べても7号食と同じ効果が得られる」事を発見、『トミタ式七号食』の普及に努めています。

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2008年02月23日

「名」の意味1

宮崎駿さんのアニメ「耳を澄ませば」をTVで観ました。
あの光と影の演出は相変わらずすばらしいです。

宮崎さんの描く街並みは遠い少年時代の夢のような記憶の街です。
実際には少年時代の街並みはアニメのようではなく、もっと泥臭いです。

そんな街で生活した体験もないのになぜか宮崎さんの描く街並みは涙が出るくらいに「懐かしい!」。

ストーリーは少女の個性化です。
自己の内部にある「原石」をみつける過程を描きます。
みつけてさらに磨きをかけなさい!と
おじいさんが語りかけます。
このあたり宮崎さんはユングを意識化しているのかと思ったりしますね。

ところで、そういえば「千と千尋」の物語を思い出します。
これは「名」の意味を問いかけています。

「名」とは個性であり、集団的無意識に対置されます。
これについては次回。
posted by 変才冨田 at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | わたしの哲学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

共時性についての一考察

意味のある偶然とユングは言いました。

こうした偶然的でありながら同時多発で起こる現象に私たちは不思議さを感じます。

けれど不思議と感じるのはわたしたちの認識が全体性を見失っているからに他ならない。

例をあげて考えてみよう。


当研究所には不思議な小さな直径3ミリ程度のセラミックボールがあります。

これを身体に近づけます。5センチ以内であればok.

筋反射テストを実施すると、いきなり力が入っていることがわかります。

脚にも手にも指にも力が同時に入っています。

右手が言います。
「おーい左手よ、俺いきなりなんだかわかんないけど力がついた。」
「え〜、お前もか。なんだかわかんないけど俺も力がついてるぞ。」
「おいおい俺は脚だけど、俺もなんだかわからんがいきなり力が入るぞ。」

このように個々は意味を認識できないけれど、同時に同じ現象が生じています。

これは全体に対してある方向性をつける力が加わったとき、部分もそれに方向付けられて同じよな現象が起きたわけです。

意味のある偶然の「意味」とはこの全体へのインパクトが作り出しているのだろう。

わたしたちの認識はきわめて部分的なので、この全体にかかったパワーがわからないので、「偶然」という言葉を使う。

そういう意味で人類全体にのしかかるプレッシャーは共通の無意識で認識しある方向性の夢を同時に見たり、無意識で共通の行動をとる。

ところで東洋医学的な病気観もこの共時性的な見方をとる。
身体に起こるあらゆる症状はその病根を同じと観る。

「わたしは慢性的な胃潰瘍をもっています。これをなんとかしたいです」
「ほかになにか困ったところはありませんか。」
「そですねー、水虫も治りませんし、まぶたが垂れて見えにくいです」

西洋医学的にはまったく違う病名になり関係あるとは考えられていませんが、つまり「意味のない偶然」なのです。

これを東洋医学的には「意味ある偶然」と観るのです。
もっとも専門的には偶然とも捉えられず、蓋然性のあるものとして考えますよね。

偶然と観ている間はまだ認識が全体性を把握していないということですね。
posted by 変才冨田 at 23:49| Comment(0) | TrackBack(0) | わたしの哲学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする