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2008年02月29日

「名」の意味8

さて、「名」を捨てたという人が実際にいる。

「解答開顕機構」を主催している方だ。

では、どう呼ばれているのか。
「名無しのおじさん」と呼ばれている。

この方がなぜ「名」を捨てたか、です。

それにはどういう意味があるのか。

「名」を捨てることはなにをもたらすか、です。

このことを次回に検討してみます。
posted by 変才冨田 at 15:48| Comment(0) | TrackBack(0) | わたしの哲学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

岩盤浴用のシートはすごいです

岩盤浴用のシートを1枚だけ持って岩盤浴にでかけました。

なんといつもの倍以上発汗したようです。
すぐに汗が出始め(こんなことは初めて)
足の裏にまで発汗が始まりました。8こんなことも初めて)

異常な発汗でした。

しまいには耳の内側にも発汗が激しいようで
汗が鼓膜に落ちてがさがさ音がします。
こういうことも初めて。

体重計に乗ると、いつもなら400g見当軽くなっているのですが
今回は1kg減っています。
これってダイエット

ところで岩盤浴の内部で筋反射テストとオウリングですとをしました。
力が入りません!
これは岩盤浴効果が温熱のみで、微弱放射線がないので、
これではホルミシス効果が期待できないようです。

ホルミシス効果とはホルモン系の働きが活発になることです。
微弱放射線が間脳を揺さぶり、間脳が脳下垂体を刺激して全身のホルモン分泌が活発になります。

さらに悪い部位にこのシートを巻いてご利用ください。


みなさんにお勧めしたいのは
岩盤浴場でテストをすることです。

岩盤浴場ランキングができるかもしれません。



3枚敷くとどうなるのでしょうか???
目刺しのようになっているかも。

ところでこの岩盤浴用のシートの上に立つとしっかり力が入ります。
このシートをもって出かけることをお勧めします。

現在在庫切れですが、来週100枚程度出来上がります。
現在1枚1万円ですが、その100枚がなくなると2万円になりますので
、購入予定の方は急いでください。
posted by 変才冨田 at 14:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 取り扱い商品 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「名」の意味7

「名」は純粋に社会的なものだ。

「名」は人につけられ、これで人間になる。

人間とは少し前まではジンカンと読まれており
人と人の関係性を表しているのだ。

社会が連綿として続いているのは、人が人に「命名」するからだ。
「名」のあるものが集まって社会を形成する。

「名」はその人の位置を決めているので、あらゆる約束事の保障になっている。

事故を起こして、保険に入っても、すぐに氏名を確認される。
「名」がなければ人間として活動できなくなるのだ。

「名」を捨てるとは人間を捨てるということと同義なのである。

したがって「名」を奪われた人たちの世界である「千と千尋」の舞台は現実の舞台とは区別された仮の舞台なのだ。
そこには人間はいない。

千尋は名を思い出したことで現実世界に戻ることができた。

「命」は親から子へ連綿とつながれてきた。これは動物世界の話でもある。

「名」は社会的に親から子へと命名され続けてきた。
これは社会的動物としての人間の話。

「命名」とはわたしたちの二面性を表現している。
動物としての人であり、社会的動物としての人間。

半獣半面の姿、これがわたしたちの宿命なのだ。

動物よりもわたしたちに悩みが深いのは
わたしたちの内部にのこの二面性が闘いあっているからなのだ。

posted by 変才冨田 at 02:36| Comment(0) | TrackBack(0) | わたしの哲学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

[ 名」の意味6

「名」を付けられた、すなわち「命名」されたとき、その者の位置が決定される。

その位置のことを「宿命」というわけだが、
その位置は人間関係の遠近を決める。

自己の位置がわからなければ自由は得ることができない。

五里霧中のさなかにあなたは自己を確認できるだろうか。
今現在自分がどの位置にいるかは他者との遠近で判断されるからだ。

一度雪中を運転していた時、雪で目の前がそれこそ真っ白になり
妙な浮遊感を味わったことがある。
もう、どこを走っているかがわからないからだ。

「名」を付ける者が存在して、あなたの位置が決まるのだ。

不自由な人は自分の位置がわからない人なのだ。
ある人との関係性、つまり位置関係がわからない。
わからないのは自分の位置がわかっていないからだ。

年長者に敬語を使わないでため口で話す若者が増えている。
親に対して乱暴な言葉を使う子供も大勢いる。

これらの現象は位置関係が確認できていないわけで
「名」を忘れた姿で、不自由な状態でもある。


「名ナ」は「名メイ」とも読めるが
これが「命メイ」と重なる深い意味があるのだ。

「命名」されたとき、それはあなたが自由を得るための切符を得たという意味でもある。

宿命という本人にはどうにもできない拘束性が
実は自由を得るための出発点となる。

「名」を付けたものを乗り越えることで
実は一段と高い自由を手に入れるのだ。

父親との位置関係がわからない息子は自由でない。
親子関係は人間関係の基本で、それができていないと、
他人との位置関係を作る方法がわからない。
それは自己の位置が決まらないということなので
どうしていいかわからなくなり、不自由な状態を生きることになる。








posted by 変才冨田 at 02:15| Comment(0) | TrackBack(0) | わたしの哲学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年02月28日

定例セミナー案内

予定通り3月も第一日曜日、第三日曜日実施します。

いつもどおりで
12時から1時40分まえまでにご来場ください。
2時開始ですが
その前に計測をしますので早い目にお集まりください。

計測を終えられた方は2時まで自由です。
二時開始
第一部 食養セミナー 参加費2000円

4時15分開始
第二部 「自己の心の仕組みを知るセミナー」参加費1000円
6時過ぎ終了
posted by 変才冨田 at 02:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

名の意味5

「名こそ惜しめ!」
これは、[個性的に生きよ!」
ということ。

「名」において行動するということは、責任をもつということ。

ということは
「個性的に生きる」とは責任と一体になっているということ。

ということは
責任をもった生き方が個性的に生きるということだし、

個性的に生きるということは自分の尺度で生きるということ。

世間の尺度で生きないことは自由に生きるということ。

「名」とは自由に生きるために必要なものだのだ。

氏名とは使命に通じ
使命とは「いのちを使う」ということなので
名を大切にするということは、いのちを使い切ることに通じるだろう。

わたしたちの心身は借り物、レンタル品ということ。
使いもしないで返却するのはもったいない!

つまり、氏名も使命もないという生き方。

千と千尋の物語において
ハクが名を思い出すということは
使命に目覚めるという帰結に当然なったわけである。

つまり「名」に価値があるわけでなく
「名」の意味に気付くことに意味があったのである。

わたしたちがオギャアと生まれてから「命名」されるのは
心身という借り物を使い切るための大切な儀式なのである。

「命名」!なんと意味深な言葉!
いのちと名が一体となっている意味を深く考える必要がありそう。
posted by 変才冨田 at 02:23| Comment(0) | TrackBack(0) | わたしの哲学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年02月27日

共時性についての一考察5

「意味のある無秩序」

わたしの机の周囲は無秩序にものが置かれている。
けれど、どこになにがあるかは
本人だけに、(冨田ゆえに)
もちろん


わかっていない。


これは本人の頭脳も無秩序であることの反映です。

脳の知識の引き出しが整理されておらず
たとえばたんすの引き出し。

靴下があるかと思うとセーターも奥にあり、もっと下の層には、
靴が化石化しているというのと同じであろう。

それゆえに
異種の知識の出会いが可能となっている。
わたしが変才であるゆえんだろう。

最近「名」の意味と「共時性の一考察」を書いているが
家の机の上にかなり近くにユングの本と私宛の封筒が置かれたままになっており、それが同時に視野に入ったからだ。

ふむ、名前とユングか〜・・・。
わたしの頭脳の内部でその二つが共振した結果
同時に書き進めている。

そのうちこの二つの論理は同じような結論にたどりつくのではないか?

そういえば共時性のことを書いていたら
だれかが「周易」の本を注文していた。
注文主はわたしが「共時性」について書いているとは露知らずなのだ。
たまたま、中国に行って易に興味をもったらしい。

ちなみにユングは共時性と「易」に関係性を見出し
易を後年熱心に勉強していたという。

無秩序にも「意味のある無秩序」があり
無秩序は無意識の領域に関係しているので
共時性を生じやすいのだ。

わたしの机の周辺は不可解な共時性が満ち満ちている場なのだ。
みんな、眉をひそめるな!
posted by 変才冨田 at 00:17| Comment(0) | TrackBack(0) | わたしの哲学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年02月26日

酸素カプセルの事例

糖尿病でインシュリンを25年使用している方が利用しました。
インシュリンを使用している人はカプセル内部で低血糖症になりやすいので、基本的にはお断りしています。

本人の強い希望がある場合は万全の注意をして、ブドウ糖をもって入っていただきます。

さて、これまでに家庭療法で低周波機器などいくつか使っておられたのですが、酸素カプセルの効果は見違えたようです。

これまでどんな治療をしても足指の無感覚があったのですが
足指の先までジンジンして血が通る感覚があったといいます。

出てきた後で全身も足指が温かいと言われていました。

posted by 変才冨田 at 20:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 酸素カプセル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

共時性についての一考察4

ある因を基点として果が生み出される。
これが因果律。
けれど因によって生じた果は一つとは限らない。
それどころか、無数の果を生じる。

その無数の果は引き合う。
なぜなら因という親が同じだからだ。
引き合ったとき、人はそれを「共時性が働いている」と感じる。

わかりやすい例では
一卵性双生児ではないだろうか。
彼らは同時期に同じような振る舞いをする。
共振しあっているわけだ。
彼らの因は親であり、果が彼らだ。

果同士が共時的な動きをするわけだが、
その親である因が認識できないので
共時律と因果とを切り離してしまうのである。

共時律と因果律は陰陽のセットであり
統合して現象世界が立ち現れているのであろう。
posted by 変才冨田 at 20:01| Comment(0) | TrackBack(0) | わたしの哲学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「名」の意味4

「名」は個性の代名詞である。

「名」忘れた人々は責任からはずれる。

「千と千尋」の物語においては「名」も「顔」もなくなった怪人が登場する。
お金を湯水のように使い飽食をするシーンがある。
あの「顔なし」とは現代日本のことで、東南アジアにおいては日本はあのようなイメージなのだろう。

「顔なし」は食べれば食べるほど胃が巨大化し、欲望は果てしがない。
現在、中国がこの「顔なし」に変貌しつつあり、日本はその脅威を感じている。
東南アジアの人々の感情がわかりはじめるだろう。

「名」を忘れた人々は、つまり無個性化しており、名を使わないということは無氏名でありそのまま無使命となる。

個性的に生きないとはその命を使えないことであり、
同時にいのちは「生かしあい」の関係であることから自己も他者も生かさない人生となる。

他者を生かさない生き方は自己も生かしえないだろう。

今こそ「名」に恥じぬ生き方が必要だろう。
戦国武将においては「名を惜しむ」生き方こそその存在理由であった。
名を生かすために死を選んだほどだ。

それほど大切な「名」とは単なる記号ではない。
「名」にこめられたアミニズム的な考え方がある。
posted by 変才冨田 at 14:18| Comment(0) | TrackBack(0) | わたしの哲学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

食と環境

食べすぎは心身という内環境と外環境にゴミを増やす。

その結果が慢性疾患という体内危機と炭酸ガス増加などによる気候危機だ。

いのちの危機は内と外の両面からひたひたと押し寄せてくる。

posted by 変才冨田 at 00:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年02月25日

共時性についての一考察3

なぜわたしがこのテーマについて書き始めたか。

おそらくそれは全体と個の関係を常々考えているからだろう。

それは、相談者の個々の症状を聞いてから、常にその症状を起こした全体性の状態を考えているからだ。
症状を全体性から捉えなおし統合的に説明しようとしている。

この場合は全体性に因果性を観ており、
ばらばらに見える個々の症状に共時性を観ようとしている。

症状に「意味のある偶然」を見ようとしており、
全体性に因果性を発見した時「意味のある必然」とするのだ。

因果性と共時性は統合されるものであって、別々に存在するものではない。
そう思っている。

さて、共時性の不可解なゆえんは因果性が遠く背後に隠れているからだ。
まだ症状と全体性の関係はわかりやすい。

こういうことがあった。
ある日のこと出張先で北海道の栗かぼちゃをたくさんの人に食べさせたいと思った。
その日それを食べてその甘さに感動したからだ。
どうやったらたくさんのかぼちゃを手に入れるかを考えながら事務所に帰った。

事務所に帰ってみると、なんと机に栗かぼちゃが座っている。
今日このかぼちゃが4トンあるけど買ってくれないかと置いていった人がいる、ということだった。



posted by 変才冨田 at 00:40| Comment(0) | TrackBack(0) | わたしの哲学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年02月24日

「名」の意味3

戦争責任をどう考えるか・・・。
戦争によって「無辜の民」が災難にあったと表現されるわけですが
「無辜の民」とはなにか、です。

無辜(むこ)
罪を犯していない意

果たして「罪をおかしていない」といえるかどうか、です。

あの戦争によって名も無き人々が虐げられた・・・。

わたしは思うのです。
「名」もないということは責任を持たなかったということ。

集団的無意識の海のなかに没していった「個」の群れ。
名を捨てた人々があの戦争を生み出したのではなかったのかと。

「名」は個性の代名詞であり、「名」の代わりに「番号」をつけることが「名」を捨てることであった。
番号とは兵士の認識番号であったり、整列時の号令に応えた番号である。

「名」が軽視される時代はあまり嬉しくない。
国民総背番号もそうだ。

派遣される方が派遣先で「派遣さん」と呼ばれる。
一日きりの派遣だと名を記憶する必要がないらしい。
一日きりで明日の労働のことを考えなくてもよいので
ぎりぎりまで消耗させられる。
見えているのは「労働力」でけでよく、労働力の元であるその人は見えない。個性を感じ取らなくてもよいのだ。

そうやって「名」を無視された人々は衆の海の中に沈んでゆく。
責任を持たない人々として社会から無視されてゆくことになる。

「耳を澄ませば」の主人公の個性化のストーリーに魅力を感じるのは
現代が個性化とは逆に向かっているからだろう。


posted by 変才冨田 at 21:17| Comment(0) | TrackBack(0) | わたしの哲学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「名」の意味2

集団行動となると「名」が消えてしまう。
つまり個性化の消失ですね。
同時に個としての責任もなくなる。

ナチスドイツの状態がまさにこういう状態。
軍国主義化した日本も同じ。

戦後になって戦争犯罪人を処罰するための国際裁判が行われた。

衆で行動した結果が後になって個の責任が問われたわけ。

ところで実際は衆である国民が「名無し」であったわけです。

アニメの主人公である千尋は名前を取り上げられてしまいます。
出会った「ハク」も取り上げられていました。
また、顔なしという怪人も現れます。

宮崎は「名」の意味をどう捉えていたのでしょうか。

posted by 変才冨田 at 17:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

共時性についての一考察2

共時性と対置されるものは因果律というもので、
それぞれ時と空間の軸上で現れる。

共時性が空間軸、因果律は時間軸に関係しそうだ。

現象とは空間軸xと時間軸y軸の交点で生じるので
一つの現象の背後には必ず因果律と共時律の両方が働いているだろう。

太股の内側と手の内側のそれぞれ中央に湿疹ができた。
という相談がある。
原因は因果律的には仕事が忙しすぎて眠りが十分でなかったということ。

それぞれの湿疹は手と足の両方に出ているが、
これは認識が無明(暗い)の段階だと別個のものと思われてします。
少し認識段階が進むと「意味のある偶然」となり
もっと進むと因果律的な原因が認識として加わり
二つの湿疹は「意味のある必然」として認識される。

皮膚上に遠く離れた二つの現象は空間上であり
それを起こしたのは因果律的である。

現代人であるわたしたちの認識の仕方は因果律の認識が強すぎるので
共時律が見えないことが多い。
本来は一体となったものなのに、なぜ因果律だけが強調されて認識されるのだろうか。

いや、逆に空間上に起きた現象は個別のものとして認識され、
関連のある共時律としては認識されない。
同時に因果律もきわめて部分的で限定されたものとして意識化されている。

つまりわたしたちの認識のレベルはまだ低い段階にある。





posted by 変才冨田 at 15:45| Comment(0) | TrackBack(0) | わたしの哲学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年02月23日

「名」の意味1

宮崎駿さんのアニメ「耳を澄ませば」をTVで観ました。
あの光と影の演出は相変わらずすばらしいです。

宮崎さんの描く街並みは遠い少年時代の夢のような記憶の街です。
実際には少年時代の街並みはアニメのようではなく、もっと泥臭いです。

そんな街で生活した体験もないのになぜか宮崎さんの描く街並みは涙が出るくらいに「懐かしい!」。

ストーリーは少女の個性化です。
自己の内部にある「原石」をみつける過程を描きます。
みつけてさらに磨きをかけなさい!と
おじいさんが語りかけます。
このあたり宮崎さんはユングを意識化しているのかと思ったりしますね。

ところで、そういえば「千と千尋」の物語を思い出します。
これは「名」の意味を問いかけています。

「名」とは個性であり、集団的無意識に対置されます。
これについては次回。
posted by 変才冨田 at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | わたしの哲学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

共時性についての一考察

意味のある偶然とユングは言いました。

こうした偶然的でありながら同時多発で起こる現象に私たちは不思議さを感じます。

けれど不思議と感じるのはわたしたちの認識が全体性を見失っているからに他ならない。

例をあげて考えてみよう。


当研究所には不思議な小さな直径3ミリ程度のセラミックボールがあります。

これを身体に近づけます。5センチ以内であればok.

筋反射テストを実施すると、いきなり力が入っていることがわかります。

脚にも手にも指にも力が同時に入っています。

右手が言います。
「おーい左手よ、俺いきなりなんだかわかんないけど力がついた。」
「え〜、お前もか。なんだかわかんないけど俺も力がついてるぞ。」
「おいおい俺は脚だけど、俺もなんだかわからんがいきなり力が入るぞ。」

このように個々は意味を認識できないけれど、同時に同じ現象が生じています。

これは全体に対してある方向性をつける力が加わったとき、部分もそれに方向付けられて同じよな現象が起きたわけです。

意味のある偶然の「意味」とはこの全体へのインパクトが作り出しているのだろう。

わたしたちの認識はきわめて部分的なので、この全体にかかったパワーがわからないので、「偶然」という言葉を使う。

そういう意味で人類全体にのしかかるプレッシャーは共通の無意識で認識しある方向性の夢を同時に見たり、無意識で共通の行動をとる。

ところで東洋医学的な病気観もこの共時性的な見方をとる。
身体に起こるあらゆる症状はその病根を同じと観る。

「わたしは慢性的な胃潰瘍をもっています。これをなんとかしたいです」
「ほかになにか困ったところはありませんか。」
「そですねー、水虫も治りませんし、まぶたが垂れて見えにくいです」

西洋医学的にはまったく違う病名になり関係あるとは考えられていませんが、つまり「意味のない偶然」なのです。

これを東洋医学的には「意味ある偶然」と観るのです。
もっとも専門的には偶然とも捉えられず、蓋然性のあるものとして考えますよね。

偶然と観ている間はまだ認識が全体性を把握していないということですね。
posted by 変才冨田 at 23:49| Comment(0) | TrackBack(0) | わたしの哲学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年02月19日

掌蹠膿疱症の治し方

これは原因は医学的にはわかっていません。
ということは、意外性のある原因と考えられます。

水泡ができて足裏や手のひらがジュクジュクして、一方では皮膚が割れたりします。

足裏シートを貼り付けて眠る。同時に睡眠時間を充分にとる。
お風呂上りには竹の水とクリームを塗っておく。
足裏シートをはがしたら必ず竹の水とクリームを塗っておく。
揚げ物を避ける。

以上で二名が治癒されています。
完治するのに半年かかりました。
お試しください。
posted by 変才冨田 at 23:49| Comment(4) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ワーキングプア

引きこもりの背景にワーキングプアがあります。

どちらも展望が持てないという社会基盤の問題が横たわっています。

ワーキングプアの問題を解決する過程で引きこもり問題を解決できます。

このことに何ができるかを考えています。

ところで最大のワーキングプア状態に陥っているのが農家です。
その収入は時間給にすると女子高生以下。
なんと、300円にも満たない。

息子に跡を継げなんていえませんね。

夢のある仕事をしている人には必ず後継者が現れます。
夢は確実に託せるのです。

農業はもはや夢のある仕事ではなくなっているのです。
いえ、もともと夢のある仕事なのに、奪われつくしたのが農業なのです。

人の命を生み出し養うという重大な仕事に夢がない。
これはもう日本は自壊するのではないかという状況です。

玄米を食べるとゴミだしができて生理が健やかになります。
エネルギーの大半は太陽光線ですから環境も汚しません。

個人にも社会にも有用性があります。

肉の生産は高エネルギーを費やすばかりか、し尿処理にも莫大な費用がかかります。
肉の生産のために穀物飼料を10倍も食べさせるのです。
エネルギーの無駄使いになっています。
そして、肉を食べるとゴミが体内に増え生理を乱します。
その後病気になりさらに時間と医療費の無駄使いをします。

個人にも社会にも害があります。

なのに何故これが現在の日本社会での流行になっているのでしょうか。
玄米食が流行する方が当たり前なのに。

当たり前でないことがおきているのです。
異常です。
でもその異常を多くの人は当たり前と思っています。
逆立ちしているのに当たり前と思っています。
この日本は狂っていますが、その中で暮らすと狂わないと順応できません。

常識というものを疑ってかかる必要があります。
今の社会ではかえって非常識なことが当たり前ということがありそうです。


posted by 変才冨田 at 01:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

不思議なシートなくなりました・・・

ついに無くなりました。

研究用で置いておくつもりのものも奪われるようにして消えました。

次は手持ちの原材料でつくります。

150枚程度できますが、値段は変えません。

問題はそのあとが無い!ということですね。

少しで役に立つ方法を考えてみたいですね。

1インソールにする
2携帯電話のストラップに利用する。
3コースターにする。
4椅子に敷く。
5電子カーペットに敷き、上に炭素繊維のシーツをすれば汗がたっぷ り出て、自宅での岩盤浴になる。
6水道の菅に巻いて水を活性させる。
7細く長く切ってワイシャツの襟に巻く、ネクタイに入れる。
8各部の痛み対策用に適当な形状にする。
9問題の身体箇所に当てて上から湯たんぽをのせて温熱効果を増加さ せる。
        等々
他にアイデアあれば教えてください。
posted by 変才冨田 at 00:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 取り扱い商品 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする