玄米を食べ続けて50年
マクロビオティックの創始者・桜沢如一先生が、提唱した半断食法「七号食」を何度も実践した結果、「未精製の穀物(玄米・古代米・雑穀米)を好きなだけ食べても7号食と同じ効果が得られる」事を発見、『トミタ式七号食』の普及に努めています。

ブログ記事も8000を超えました!


2008年01月31日

現在の研究所のスケジュール

木曜日が休日で、午後1時から午後7時終了です。

食養セミナーは第一、第三日曜日で、開始は2時ですが、第一部参加者は予約必要です。計測をしますので午後1時にはお集まりください。

第二部は午後4時15分開始で「自分の心の仕組み」を知るためのセミナーです。終了は午後6時過ぎになります。
これは予約必要ではありません。

参加費第一部2000円、第二部1000円
二月三日は予定通りあります。

3月末か4月はじめには東京でのセミナーをする予定です。
日時決まり次第掲載します。
posted by 変才冨田 at 13:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月30日

湯上り美人 少量ですが販売開始

湯上り美人が40個ですが出来上がりました。

無くなるまで再び販売します。

posted by 変才冨田 at 21:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 取り扱い商品 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月29日

新製品で驚いた!

最近、当研究所では新製品ラッシュになっています。

もうじき、不思議なシリコンシートが出来上がります。
本物の岩盤浴ができます。
それを肌に当てて湯たんぽをのっけてください。
局所的岩盤浴ですね。

40センチ四方のシートなので、何枚か岩盤浴場に持っていき
それを敷いて横になれば本物です。
玉川温泉なみになりますね。

ところで材料になっている不思議なセラミックスを繭玉に入れました。
紐を通したものを手のひらに持って、凝る場所をごろごろします。
気持ちよく、早くゆるめることができます。

その繭玉を顔の中心から外側に向けてやさしくなぜます。
ほとんど触れているだけの状態でしますと
なんと顔が小さくなり、むくみがとれ、シワが目立たなくなり、顔色が良くなります。
これは紐を通していません。

それに丸い絆創膏に青い不思議なセラミックスを貼って、凝る箇所や痛みの箇所に貼り付けておいてください。

繭玉が潰れたら中身の青玉を貼り付け用にお使いください。

この青球は持っているだけで力が入ります。

青玉二個入り繭が二個と青球5個、絆創膏がセットで
3150円です。
これもまとまって個数ができませんので予約をどうぞ。、
posted by 変才冨田 at 17:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 取り扱い商品 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月28日

食と動の統合22

「光子体としての自己」


私たちの究極の姿は光の集合体です。

光は身体から絶えず流れ出ています。
生物フォトンといわれるものもそれです。
手のひらと足の裏から放射せれています。

出るばかりでは光子不足となり光子体として、ボデイを維持できなくなります。

光を補充しなければいけないわけですが、
その手段が太陽光を浴びることなのです。

都会で暮らす人は日常的に光不足があり、
その兆候がまず心理的異変となってあらわれます。
欝などがそれです。

初期の欝の治し方は昼間に森や山を散策することです。
十分に太陽光を摂取できると、夜間正常な眠りになります。

ところで心理的異変を起こす人によくあるのは
お米を食べていない、ということがしばしばあります。

これも光との関係です。
お米の種というものはカプセルです。
そのカプセルの中になにが入っているか、ということです。

栄養素が入っているのでしょうか?
そうではありません。
事実としてはそうなのですが
それは真実ではありません。

カプセルの内部に詰め込まれているのは光の凝縮体なのです。
それをビタミンだといったり、炭水化物だといったりしているわけです。
光合成により光をそうした物質に変換したのです。

種を発芽させ、苗を植え込み、長期間光を受け止めます。
野菜はきわめて短期間で、その季節のみの光だけ受けるのです。
お米は長期間光を受け止めます。
お米は光の一時集積所なのです。

お米を食べるということは、多量の光を食べるということなのです。
消化器官を通して内部から組織に投光する、これが食というものの意味なのですね。

白米にして食べるのは光のカケラを食べるということ。
完全な光ではないわけです。

ハウス栽培の野菜はガソリン(これもかつては過去の光の集積した微生物だった?)が主になっており、今現在の光は少ないのです。

続く

posted by 変才冨田 at 22:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 食と動の統合 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

犬の健康

犬の世界にも人と同じ慢性疾患が広がっています。

癌、アトピー、心臓病など。
もしかしたらうつ病や痴呆症などもあるかもしれません。

犬が食養すると人よりも早くよくなる例があまたあります。

良いものを食べるよりも、よくないものを止める効果の方が高いのです。

その人にとってよくないものを(多くは好きなものです)止める効果はおそらく70%はあるでしょう。
それを止めないで良いものを増やしても、その効果はないでしょう。

犬は「あれを食べさせてもらえなきゃだめだ!」などというわがままを言いません。
ひたすら出されたものを食べるでしょう。
早くよくなるわけです。

ところで
「みどりのお米」を出された多くの犬はむさぼる様にして食べます。
まるで「おれが欲しかったのはこれだー!」と叫んでいるような食べ方をします。

posted by 変才冨田 at 00:06| Comment(26) | TrackBack(0) | 犬の健康 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月26日

連載3 癌について

細胞の癌遺伝子のスイッチがオンされるときは低酸素下においてです。低酸素下でも生き延びるための装置なのです。

飢餓地域において子どもがたくさん生まれますが
危機感を生物が持ったとき、自己の複製を爆発的に創り出します。

ところで胎児は急速に細胞分裂を繰り返し急速に大きくなります。
これも低酸素下での話です。

オギャアと酸素の豊富な世界に生まれると、酸素が濃くなるので
分裂スピードは低下します。

癌組織にいかに濃い酸素を補給するか、その方法がわかれば福音となるでしょう。

手当て法で血液を患部に集中させる方法があります。
生姜湿布で血液を集め、同時に局部的に汚れで固まった血液を温度で溶かし分散させ、またサトイモパスタなどで吸い取ります。

呼吸法や適度な運動、あるいは酸素カプセルなどの方法を使って
濃い酸素を患部に送り届けます。



癌の代替療法に「呼吸法」が必要なのは、豊富な酸素を届けるためです。
posted by 変才冨田 at 21:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

気の交流

生物の気は流れており、物質の気は放射するのみです。

わたしたちの心身に流れる気は流れていますので
時に邪気が、時に清気が出たり入ったりします。

邪気と言いましたが決して悪いわけではありません。
邪気があるから清気が入るわけです。
逆もあるのです。
そうやって心身は気の入れ替えをやっているのです。
気は流れなければいけないので、邪気も必要なのです。

要するに大局的に見れば「良いも悪いもない」ということなのです。

いやしくも人の癒しを目標にする人は、他者から放射される邪気を嫌がるようでは情けないところです。

「あなたが邪気を出しているから、わたしの肩が重くなったり胃が痛むではないですか」
と、文句を言うようではいけません。

その人のために邪気を一身に受け止めて流してあげる度量が必要です。
どんどん受け止めて流してあげれば「癒し」となるのですから。
要は流し方が下手ということなのですが
受け止めてあげることで流すやり方も体得するのです。
それが自身の気を正常に流すことにつながるのです。
「邪気も栄養化」するくらいになればよいでしょう。

話は飛びますが
日本は邪気を受け止める地政学的な位置があります。
台風や地震という邪気ですね。
いろいろな災害をもたらす台風や地震ですが、それ自身は単に地球規模での「癒しの作業」をやっているだけです。
すなわち、地球温度や地殻圧力の平均化の作業ですね。

視点を高く掲げるほどに、邪気や清気などという概念が狭い判断力であるということがわかります。

posted by 変才冨田 at 21:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

連載26 心の目的

「他者とつながりたい」という心は、
人をしてつながるためにお金を創造しました。

買い物をするのも、結果としてつながる心を満足させるという目的もあります。

なぜなら、一つの商品を作るためには過去も含めて無限に近い人の労働の集積があるからです。

一つの商品には無限の人の労力がぎっしりつまっているのです。
商品自体が社会性を帯びているのです。

お金で買った商品を通して社会と全ての人はつながっています。

ですから人が孤独感を持つのは本来おかしなことなのです。
つながっているのにつながっていないと感じるのです。
これが矛盾というものなのですね。

実はそう感じるのは、そう感じさせる社会的基盤があるからなのです。
(ここではそれをあえて述べませんが・・・)

さて、尋常でない買い物をする人がいます。
収入以上の買い物、特定のモノをマニアックに買い続ける。
たとえばかばんや靴、洋服など。

これは尋常でない人間関係、つながりたいのにつながれない心の
はけ口として浪費をするのです。
周囲の人間とつながっているという実感が無い(幸福でない)ので
商品を通して人とつながろうとする行為なのです。

不用品を集めて家の周囲に溜め込み「ゴミ屋敷」をつくる人も同じです。お金が無ければこうやって商品であったものを集めます。
みんな孤独な人々です。

お金の浪費癖は人との交流がうまくいっていないことのひとつの現象なのです。
同時に異常な「ケチ」も同じです。

お金の遣い方一つでも人との交流の問題点が現れます。

「お金とは食べ物の化身」ですから怖いものです。

お金の使い方にその人の
生理的欲求と関係性欲求のレベルが現れます。

浪費癖は元来精神的エネルギが高いのかもしれません。
多くの人とつながろうとするエネルギーですね。
ケチはどちらかというと、人との交流に制限的なのかもしれません。

ケチは引きこもりを生み出す基盤で
浪費は他者依存性の基盤なのかもしれません。

ケチは利己的基盤があり、一人でも生きていけるとの確信が、
浪費は利他的な基盤があり、自信のなさが原因しているのかもしれません。

以上、かなり直感的な意見でした。

え?わたし?
どちらかというと少々浪費的で、少々ケチです。


posted by 変才冨田 at 01:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 心の目的 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

連載2 癌について

癌の周辺には新生血管がおびただしくできます。

ということは、血液で癌は養われているということなのです。
血液は食べ物なくしてはできませんので、食べ物の質をどう変えるかが重要なところです。

ここで重要なことは質の良い血液とは酸素が豊富であることです。
がん細胞は酸素が豊富では成り立ちません。
というのは
もともと細胞は酸素不足が長期化したときに
低酸素でも生きていけるようなシステムをつくるからです。

低酸素でもやっていける細胞こそががん細胞なのです。
豊富な酸素では生まれない、まったく酸素なしでもやっていけない。
これががん細胞なのです。

少し不足した酸素と豊富な栄養素こそが、
がん細胞が増殖するための温床なのです。

考えてみれば生命というものはすごいものです。
環境に適応するように、自らを変化させるのですから。
posted by 変才冨田 at 00:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月25日

連載 癌について1

急に貧血が進んで、検査をすると癌が発見された例が二例最近ありました。

癌が増殖するためには栄養素が必要です。
そのために血管をたくさん癌組織に引き込みます。

癌が増殖するほどに多量の血液が流れ込みます。
貧血になるわけです。


posted by 変才冨田 at 00:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ごめんなさい、湯上り美人は売り切れました

ある方からのお話です
「あれ、すごいですね。お風呂に入ったら膝がぴりっぴりっとして、しばらくしたらすごい汗が出るのね。夜眠るとき膝が動いて、なにか正しいところに動こうとしているのがわかるのね。脚がいつもと違う形になって収まろうとしている、そんな感じ。
翌日いつもなら動くのに時間がかかって痛むのに、今日は平気ですぐに起き上がれました。
主人もこんなにぐっすり眠れたのは久しぶりやったと言っています。
娘も汗が出ない子なのに、すごい汗が出て、今朝は快調で出かけました。あんないいものありがとうございました。それから不思議なんですが、あれをバスタブから取り除くと普通の湯に一瞬で変わります。
入れた瞬間にもう変わります。触れただけで力が入ったり抜けたりするのも同じことなんですね。」

ある温泉ファンの方は
「近所の温泉に行くより、この方がすごくいいです。温泉に行く気がしなくなりました。内風呂の方が湯がまろやかでよく温もります」
そのほかにもたくさんの感想が寄せられています。
研究所としても作った甲斐がありました。

再販売はまだ未定ですが、今度も少量しか作れないでしょう。
posted by 変才冨田 at 00:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 取り扱い商品 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月24日

連載 心の目的25

カンボジヤでポルポト派が信じられないような大量虐殺行為を行っていたときのことです。

彼らの施策のなかに貨幣を廃止するというものがありました。
実際に廃止したわけですが、その結果なにが起こったか。

人がつながれなくなったのです。
なにもかもが停滞し、人が孤立したのです。

やがて来る大恐慌時や大天災に備えて地域通貨構想があるのも
人が寸断されないためです。
通常の貨幣が値打ちを失ってしまうと
貨幣がなくなったも同然ですから、そのままでは人々は孤立するからです。


お金は心の機能を使用するために必要です。
お金がなくなったがために引きこもり
そのまま衰弱死につながったケースはたくさんあります。

お金をどうやって得るか、どうやって遣うか
それぞれの人の心の機能はお金の使いかたや得方に現れそうです。

posted by 変才冨田 at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 心の目的 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

お母さんへ

ある方から詩をメールでいただきました

「お母さんへ」

お母さんに 会いたい
お母さんに 会いたい

会ったら 僕を見つめて欲しい
その懐かしい 眼差しで
もう一度だけ 僕を見つめて欲しい

あなたのお味噌汁を もう一度作って欲しい
あなたの青菜の煮つけを もう一度食べたい
涙を流しながら食べたい 

あなたの声を聴きたい
あなたに背中に負ぶされて 背中越しに聞いた
あのくぐもった声を もう一度だけ 聴きたい

ああ
とっても 会いたい
あなたに 会いたい

会えたら 
あなたに お詫びを言いたい
「ごめんなさい」と

さぞ
いまわの際に 会いたかったことでしょう
会いに来なかった あなたの息子に
あなたも さぞや会いたかったことでしょう
お別れを 言いたかったことでしょう

お母さんに 会いたい
お母さんに 会いたい

とっても 会いたいのです
posted by 変才冨田 at 23:37| Comment(3) | TrackBack(0) | 映画評、書評など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月22日

お金持ちではなく、名お金回し

「幸せなお金持ちになる方法」という本田健さんの本がありますね。
わたしは
お金持ちになってはいけないと思っています。

お金回しならいいと思っています。
一瞬だけお金が目の前を通り過ぎます。

実力が上がると、目の前を通り過ぎるお金の額が増えていきます。

お金は邪魔になりませんが墓場にはもっていけません。
結局のところ生理的欲求を満たすお金は少しだけです。
昔の人が言った「起きて半畳、寝て一畳」ですね。

自分のために使うお金は少しでいいということですね。
「お金は天下の回り物」ともいいますね。

つまりお金の社会的性格をいっているのです。
その意味は
「お金は天下(社会)のために遣うもの」という意でしょうか。

ですからお金は前を通り過ぎればよい。
むしろ目の前のお金にエネルギーを与えて
回転力をつけてあげて、送り出せばよいのではないでしょうか。

目の前を通り過ぎるだけでは無駄金
勢いを付けてあげれば、天下の回り物。

ところで投機的に儲けた不労所得性の金はどうでしょう。
これは天下の回り物にはなれず、
賭け金の世界でしか回りません。
みんなのために役に立たないお金なのです。
posted by 変才冨田 at 01:25| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月19日

ぼやき

最近このブログでなにかに憑かれたように
食養生の世界を逸脱した内容を書いています。

書かねばならないことはたくさんあり
差し迫った締め切りもあるのに
つまんないことを書いています。

疲れているので憑かれるのかもしれません。
少々風邪気味でもあるのです。

それにしても私の関心のみに突っ走った中身が最近多いのに
毎日見に来てくれる人が大勢いらっしゃるようです。

ありがたいことです。感謝です。
posted by 変才冨田 at 02:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

認め合うこと 8

認め合うこと3に書いた作業所の青年のなんと器の大きいこと。
それは共感能力の大きさに相関しているはずです。
「みんな精一杯やっているから・・・、みんな同じ」

子供のときから競争させられてきた私たちはいつのまにか器が小さくなっているのでしょう。
それは人と充分につながっていないゆえの共感性不足ということなのでしょう。

人に差を認め、それを根拠にした差別思想こそが
「認め合わない」という現実を生み出し
共感性を失わせ、品の無い器の小さな人を作り出します。


posted by 変才冨田 at 02:36| Comment(0) | TrackBack(0) | わたしの哲学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

認め合うこと 7

大欲の持ち主は近くが見えないゆえに、遠くを見てしまいます。
それゆえに、冷静になり、同時に熱くなります。

志(こころざし)というものは、侍の心と書き、小欲ではもちえないものです。
庶民の子は茶碗の音で目を覚まし、武士の子はひずめの音で目を覚ますといいます。

すなわち、大欲の持ち主こそ未来のひずめの音が聞こえるのです。
それゆえに、小欲に心が揺れ動きません。

小欲では心が動きづらい人々は凡人です。
凡人はものごとの本質が見えれば、たちまち大欲をもち、
勇気が湧き、虚栄も消えてしまうので、一歩を踏み出せるのです。

大欲は大いなる遊び心です。
遊びですから肩肘張りません。
大欲ですから競争相手もいません。
勝ち負けの無い世界です。

小欲は世間と向き合い、大欲は世界と向き合う行為です。
世間が自分を評価する、それが小欲の世界。
他者や自己を傷つける世界です。

私が世界を評価する、それが大欲。


posted by 変才冨田 at 02:16| Comment(0) | TrackBack(0) | わたしの哲学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月18日

認めあうということ6

凡人は素晴しい潜在力を持っています。

小さな欲を刺激してうまくいくのであれば
みんな成績が上がるのです。
ところが現実はそうなっていません。

ところが意義を認めると自主的な勉強をはじめ
成績が上がります。
このあたりのことは「熊守協会」設立のエピソードをお調べください。

じゃあ文部省は最初から意図して、指導要綱に「なぜ勉強をするのか」「人はなぜはたらくのか」を盛り込めばいいのではないか、と考えますよね。

実は「意義」という本質的なことを教えてしまうと不都合があるからなのかもしれません。

すべての事柄には「意義」が内在しているわけですが、
それを教えてしまうと困ることがあるのかもしれません。

まあ、
世の中の実相は逆立ちしていますので
できる人というのは実は無能、
できないと思っている人が実は有能ということがあるのです。

実力があるのに無能状態になっている人が圧倒的多数なのです。

無能の人ができるような顔をして表舞台にいるものですから
この社会はちっともよくならないのです。
だって、小欲を満たしている人たちですから
目の前のことしか見えないのです。

そんな近視眼で自己の欲望充足型ばかりが目立つ社会なので
先のことが見えなくなってしまったのです。

posted by 変才冨田 at 02:38| Comment(0) | TrackBack(0) | わたしの哲学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月17日

認め合うこと5

モチベーションプログラムがうまくいかないわけ。

凡人の素晴しいところは、小欲ではモチベートされないところです。

いくら親に「成績を上げればよい学校に行けて、良い会社に入れて、結果として生活は豊かになり幸せになれますよ」
と、言われたからといって、「その気」にはなれません。
そこで
「じゃあ、成績を上げたら欲しいものを買って上げる。お小遣いを上げてあげる」
これもうまくいきません。

競争心をかきたててもうまくいきません。

大人になっても同じです。
「具体的な目標を書いてください」
「ベンツ、別荘、一億円・・・、豊かな生活」
「もっと具体的に、どんなベンツなのか別送なのかイメージを具体的に描いてください」
そうした幼稚なプログラムではモチベートされません。

こうしたやり方で成功する人は限られています。
こうした人の特徴は近視眼的で目の前のことしか見えないからです。
だから勉強をします。結果として成績が上がり東大へいけるかもしれません。

東大生の全てとはいいませんが、かなりの数がこうしたニンジンで意欲をわかしてきたかもしれません。

ですから官僚や政治家になったとき、自己の欲望実現に向けて生きることになるのです。

凡人はこうした小さな欲望をかきたてたれられても、いまひとつピンとこないので動けません。
けれど、それに変わるモチベーションをみつけていませんので、
重いお尻を持ち上げて、目の前のニンジンを不本意ながらつかもうとするのです。」

不本意なので能力を使い切ることができないのです。

なにが必要なのか

それはなにかをするときに、その「意義」が必要なのです。

「あすなろ新聞」の連載「いのちについて」でも書きましたが
「死」に対して子供でさえ「死ぬ意義」をつかみたがっていたのです。

その仕事の意義、勉強の意義、働く意義、生きることの意義
こうした本質的なことの語り合いが必要なのです。

脳はそれを知りたがっているのです。
脳にそれを教えれば、脳は活性するようになっているのです。

脳は無数の神経がつながっています。
神経は他の神経とつながろうとして今も活動しています。

同じ行動を求めています。
すなわち、「他者とつながること」なのです。

心の目的は「人とつながること」なのですから。
そこに意義を求めることで、人は大いなるモチベートを感じるのです。

posted by 変才冨田 at 01:30| Comment(0) | TrackBack(0) | わたしの哲学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月14日

定例セミナーは1月20日

予定通り第三日曜日の二十日にセミナーを開きます。

第一部 食養セミナー
第一部は参加予約必要です。

計測開始12時から2時まで
計測を終了した方は食事など各自休憩し、2時までに4階講義室に集合です。

第一部講義開始 2時
終了   4時
休憩
第二部 自分の心の仕組みを知るセミナー
開始 4時15分
終了 6時過ぎまで
予約は必要ありません。

参加費は第一部 2000円
    第二部 1000円
posted by 変才冨田 at 14:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする