2022年05月05日

お知らせ

あすなろ日記は引越します。しばらくは新旧両方のブログに投稿していきます。
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posted by 変才冨田 at 19:08| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月22日

6月までのセミナー案内

5月26,27日 連続セミナー場所 神戸のBL研究所3階26日 開場10時30分 開始 13時 終了21時

27日 開場9時 開始9時30分 終了 17時

参加費 15000円 27日のみ 5000円 午後か午前のみ各3000円

6月2日 「人間クラブ」京都大会 詳しくはhttp://www.givegive.co.jp/SHOP/S00006.html

入場参加券あります。


6月7日 東京 開始13時 場所は近日掲載6月9日 定例セミナー 開場BL研究所 13時開始」

6月9日 定例セミナー 場所 BL研究所 13時開始

6月中旬 札幌二日連続
posted by 変才冨田 at 19:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 最新のイベント・セミナー案内 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「大切な人」7

いまだに「本当の自分」がどこかにある、そう思っている人がいる。

じゃあ、今の自分はどう扱っているのかというと

今の自分は「大切な人」にはなっていないわけ。

「本当の自分」がどこかにあると思っている人は

「今を生きていない」のだし、おまけに目の前の人も「本当じゃない」という幻想がある。

どこかに自分にピッタリあった異性がいると思っているので、目の前の人を「大切な人」とは思えず

扱いがぞんざいになる。

「一期一会」の精神とは

今現在の自己や目の前の人、さらにこの一瞬を大切にするという意味だ。

本当の自分なんていうものはどこにあるわけでなく

今の自分を大切にする行為の連続を続けているうちに創造されるものだろうに。

この題でのテーマは「一流は人を育てて死ぬ」なのだが

その最たるものは「自己を育てきって死ぬ」ということなのでしょう。

自己を育てる過程で、実は周辺の人をも巻き込んで育てることになってしまうのではないだろうか。

結論

時も他者も自己も大切にする人が全てを育てて死ぬことになる。

そういう人の死に方は最大限に生きたことになっているわけだ。

私の感想

「そういうように生きることができたらいいなー、でも疲れそう^^;」

これでこのテーマは終了^^

疲れた・・・


posted by 変才冨田 at 17:06| Comment(2) | TrackBack(0) | わたしの哲学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月21日

どんな人だって「大切な人」6

ここで気付くのは世界の仕組みのことです。

身体も日々古い細胞を振り落としながら

新しい細胞を創造しています。

日々更新しているわけです。

なぜなら自然はあなたを「大切にしている」からです。

「私」という存在も記憶をステージにして

日々私を忘れ、日々新たな「私」を創造しています。


細胞レベルでも「私」という幻想のレベルでも

日々代謝されています。


「忘却」というモノ、これは新たな私を創造するための手続きなのだと思うのです。

いつまでも過去のいやな記憶に振り回されているのは

変化を拒む「頑固」性があるということであり

古い私を捨てられない苦しみを持ち続けることになります。

身体の古い細胞が壊れる事を拒んだら

それは環境に相応しい身体でなくなるということですから

その頑固さが「イノチ」を落とす真犯人ということになります。


自分を変えたいと思うあなたへ

その方法は

いやな記憶にしがみついている「私」を発見することです。

いやな記憶に依存して生きているということに気づく事です。

生きていると理不尽だと思うことはたくさんあります。

その理不尽を否定してはいけないのです。

理不尽はこの世の摂理なのです。

偶然ライオンに出会って食べられてしまうシマウマはこれまでに無数にいたのです。

シマウマにとっての理不尽はライオンにとってはあたりまえの摂理なのです。

でなければライオンはいつも飢えて絶滅します。


いつまでもその理不尽を認められないようだと

未熟だといわれるようになります。

大人になるとはその理不尽に黙って耐えるということなのです。


わたしだって理不尽に納得いかなかったことは無数にあります。

そしてわたしも他者に理不尽な目に合わしたことがあるかもしれません。

そういうとき「しかたないなー」と明らめるのです。

アキラメルとはアキラカニ見るということなのです。

暗いところでは明らめられないのですが

明るくなると「なんだそうなっていたのか、しかたないなー」と

あきらかに見えるのです。


あなたの両親だってあなたにトラウマを与えようと理不尽をしたわけではないのです。

子どもが小さいときは両親も若いのです。

若いということは未熟です。

未熟な大人が子育てをするということには社会的意味があるのです。


完全なる教育とは多様性がないということです。

失敗作は多様性があります。


みんな子育てに失敗しています。

だから個性という多様性が生まれるのです。

多様性はこの世界の発展原理です。


だから子育てに失敗されされてしまったあなたはこの多様な世界で生きる切符を手にしているのです。

失敗作のあなたは失敗作ゆえに意味があるのです。



posted by 変才冨田 at 14:26| Comment(2) | TrackBack(0) | わたしの哲学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

飼っている金魚が死んだらどうする5

最近のことスイスでは動物保護法が改定されて

「生きている金魚は叩いて気絶させ、殺してからトイレに流す」ということになったそうです。

これって(。。)ホント?

ホントなら(・・)呆然

この連載で書いていたのは「金魚が死んだらトイレに流せるでしょうか?」ということでした。

どうも欧米では死ねば単なる物質なのですね。

キリスト教での葬儀に伺ったことがありますが「お通夜」はないのですね。

そのことを質問すると「魂はすでに天にあるから」ということでした。

人も死ねばその遺骸は単なる物質なのですね。

みなさんはどう思われますか。

「たしかに死ねば物質なんだけど、気持ちの問題があるだろう」ということもあるかもしれませんね。

このあたり「役に立たない人はダメ」「大切な人」とも関連がありそうです。

金魚が死んでお墓を作ってあげて埋葬するという行為の意味を訊きたいです。
posted by 変才冨田 at 00:52| Comment(0) | TrackBack(0) | わたしの哲学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月20日

「大切な人」4

「人を大切にする」ということが根底にあることで

実は「人を活かすこと」ができる。

「人を育てる」とは「人を活かす」ことに他ならないので

3の「一流は人を育てて死ぬ」ことが実現できるわけです。

すると、どういうわけか

1のお金を残す、2の仕事を残すことも同時に実現できるわけです。

人を育ててのみで死ぬのは、実は現実的でなく

1も2も人のために残していることになります。

遺産としてお金を残す人は、実は2、も3も脆いのです。

お金も仕事も人を育てることでやっと意味のあるものとなります。

お金は私財として残す人は結果としては「人を大切にしていない」ことになります。

さて、3の続きですが・・・

大切に育てられなかった人は人を大切にできないのでしょうか。

人は自分がされたことがあたりまえのことなのです。

されたようにするわけですね。

これは無意識の世界です。

大切にされた人はあたりまえのように無意識に人を大切にできます。

いじめられた人は無意識にいじめます。

この鎖を断ち切るには自己の無意識を分かること、自覚する必要があるのです。

わかることで自覚的に「人を大切にする」ことができるようになります。

大切にすることをあたりまえのようににしている人は無自覚ですから

自覚した人のほうがもっと人を大切にできるようになれます。

変才はそういう人を多く見てきました。





posted by 変才冨田 at 00:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 認め合うということ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月19日

6月7日は東京で講演

時間は1時から4時までで三名の講師での講演です。

場所や内容は続報します。

とりあえず日が迫っているので告知をしておきます。

posted by 変才冨田 at 14:35| Comment(1) | TrackBack(0) | 最新のイベント・セミナー案内 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月18日

「大切な人」3

別なスレッドに「一流の死に方」という事が書いてあります。

このスレッドはそれとも密接に関係しています。

もう一度それを掲載します。

3流は金だけ残して死ぬ
2流は仕事を残して死ぬ
1流は人を育てて死ぬ

この3,2については論じたのですが

1の「人を育てる」ということですね。

軍人という人殺しを育てる事まで含まれると

「人を育てる」ことに定義をつくらねばなりません。

ここで定義付けができそうです。

「人を育てるとは人を大切にするということだ」と。

人材を人財にするには、最初から人を宝のように扱うということがなければならないでしょう。

役にたつかどうかでクズになったり宝になったりするのではなく、最初から大切に扱うということなのです。

別なスレッドに「役にたたない人はだめなのか」も大いに関係してきます。

役に立たない人はだめだという価値観では人をぞんざいに扱ってしまいそうです。

人を大切に扱えるかどうか、それができるかどうかは大変難しい問題がありそうです。

大切に扱われて育ったかどうか、その人の育ちに関係するからです。

DVする人はかつてDVされた人が多いといいます。

続く


posted by 変才冨田 at 22:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 認め合うということ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「お大切な人」2

新ブログからこちらにも全文を記載しておきます。


さて、「love」に「お大切」という言葉をあてたのです。

いいですね。

「あなたを大切に思っています」というほうが

「愛しています」よりピッタリしますね。


「愛しています」はどこか空々しさを感じるのはわたしが62歳であるということと関係するのでしょうか。

さて

人間関係の基底にはこの「あなたを大切に思っている」ということが

なによりも重要なようです。

人間関係がうまくいっていないことの悩みにこの「人を大切にする」ということがないがしろになっているのではないでしょうか。

このあたりは下記のエピソードをインターネット上で発見しましたのでどうぞ。



中1の時、親の転勤でいきなりアメリカの学校に通う事になってしまった。
中1で田舎の中学でやってた英語なんで「Hello,this is pen」のレベル。
ひたすら「This is ○○」のレベル。

コミュ力はある方だと思っていたが完全にお手上げ。日本人なんて学校で自分一人。
ESLという英語が第一言語じゃない生徒の為のクラスへ入れられたんだけど、
クラスのほとんどはヒスパニック。先生も授業中はほとんどスパニッシュ。
アウェー感はんぱない。ここでも友達作りに失敗。

ほかの授業も、周りは発言をどんどんして、グループワークをするっていうのに、
ただ黙って小さくなってノートをとり続ける自分。ぼっちパネェ
元々が友達が多かっただけに、孤独に耐えられずに学校で腹痛を起こすこともしばしば。

そんな自分を見つけてくれたのは、サンタクロースだった。

酔っ払ったサンタクロースを想像してくれたら良い。
赤ら顔で顔中が真っ白な髭の先生。流石にサンタクロースほど髭は長くないんだけど、ビジュアル的にはそんな感じ。
太った大きな赤ら顔のおじいさんで、いつも笑ってて、いつもジョークを言う先生だった。

学校の隅で一人で弁当を食べてたある昼休み、サンタクロースがいきなりやってきて、「コニチワ」と挨拶してくれた。
びっくりしてると、「コニチワ、ワタシは○○デス。アメリカ人デス。どうぞヨロシク」と拙い日本語で挨拶してくれた。
ただびっくりした。

人気者のサンタクロースは、自分には遠くて眩しい先生だったのに、今、目の前でたどたどしく挨拶してくれた。
私も、ぼっちの寂しさで色々切羽詰ってたんだろう、驚く先生放置でぶわあああと涙流して号泣。
おどおどするサンタクロースは、私の頭を撫でたり、抱き締めたり、擦ったり、あわあわと動揺。
なんとか思い出した英語で「Thank you, Im so glad」と繰り返してた。


それから、お昼休みはサンタクロースのオフィスに行くのが習慣になった。(オフィスは個人部屋。職員室がない)
オフィスでサンタクロースは、よくホットチョコレートを出してくれた。
そして言語力が必要になる歴史にさっぱりついていけていなかった自分に補習もしてくれた。
ちょくちょく「ダイトウリョ」「ミンシュシュギ」とか日本語を挟んでくれる優しさが、また嬉しかった。
多分、事前に私が詰まりそうな単語を調べていてくれたんだと思う。歴史以外の教科でも、いつでも快く助けてくれた。

そして授業中のジョークに日本のことを色々取り入れてくれるようになった。
サンタ「NYはしょっちゅうキングコングに攻撃されてるけれど、しょっちゅうUMAに攻撃されてる国があるんだよー。どこか分かる?」
生徒「は?えーっと、・・・・やっぱりNY?」
サンタ「ちがうよ、JAPANだよ、TOKYOだよ!ゴジラだよ!」って具合に。
丁寧にゴジラの写真までプリントアウトしてきてくれたり、授業中に歴史DVDをみる時、ゴジラのPVをみせてくれたり。

そうやって日本のことを色々と話題提供してくれたお陰で、クラスのみんなが私に親しみを覚えてくれて、仲間に入れてくれるようになった。
サンタ「Helloは日本語でコニチワだよ、じゃ、○○(私)に言ってみよう、せーのっ」
生徒「コニチワー!」とか。だからみんなが私をみつけると「コニチワ(・∀・)」って声を掛けてくれるようになった。

だんだん、歴史のクラスに受け入れられていくのが分かった。そしてそのクラスメイトからの紹介でどんどん友達ができるようになった。
そして一緒にランチを過ごす友達が沢山できて、やがてサンタクロースのオフィスから足の遠のいていった私を、
サンタクロースは「ヨカッタネェ、ヨカッタネェ」って喜んでくれた。


そして卒業セレモニーで、“一番頑張った生徒”に選ばれて表彰される事になって、全シニアと保護者の前で短いスピーチをする事になった。
そんな所だったんだけど、スピーチではもちろんサンタクロースの事を話した。
自分がどれだけ不安だったか。どれだけさみしかったか。どれだけ嬉しかったか。どれだけ救われたか。どれだけ感謝しているか。
サンタクロースには感謝してもしきれないし、受け入れてくれていったクラスメイトも大好きだということをスピーチした。
サンタクロースと歴史クラスの仲間達が泣いてた。自分も泣いてた。

アメリカの卒業式は沈黙で厳かで涙で・・・ってのじゃなくて、歓声あげて、バルーン持込で「WE LOVE MY ○○」とかいっぱいプレート持ってくるような派手なのに、
自分のスピーチですすり泣く人が出て、自分も写真撮られているのにずるずる汚い顔で涙や鼻水たらしながらスピーチした。
スピーチが終わると、サンタクロースが駆け寄ってきて、抱き締めてくれた。
サンタクロースにも一言どうぞって事で、サンタクロースが私の話をしてくれた。


最初、いきなり自分のクラスに英語の話せない生徒が入ってきてどうしよかと思ったとか。
どうやって授業をしていけばいいのか不安だったこと。
本当は中国人かと思ってたこと。一人ぼっちの私をとても心配していたこと。仲良くなりたかったこと。
友達ができていくのをみる事ができて、本当に嬉しかったこと。


私は、サンタクロースの、あの大きな腕や胸や抱き締められたときに胸にぶつかってくるようなお腹の大きさと暖かさを絶対に忘れないと思った。
そして彼がいたから、今はアメリカの大学にも進学できた。本当に感謝している。
感謝なんて二文字じゃ伝えられないくらい感謝している。

サンタクロースは何も言わなかったけれど、ネットで日本のことを色々調べてくれた事も、
心配してくれていたことも、一人の生徒としてとても愛してくれたことも、
私に素晴らしい青春をくれたことも、全部全部忘れない。

今でも、サンタクロースは、私のカミサマです。

引用終了

人を大切にするということはみんなの幸せ感に拡がるということがわかりますね。

感動の正体というものは「人が大切にされている」ということが基本にあるのですね。


posted by 変才冨田 at 22:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 認め合うということ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月17日

「大切な人」

皆さんは最近誰かに「愛している」と言ったことがあるでしょうか。

「愛している」という言葉は昭和20年代の私なんかは大変いいにくい言葉です。

云いなれていないせいなのか、その言葉そのものが心にフィットしないせいなのかわかりません。

みなさんはどうでしょうか?

キリスト教が伝来した頃のことです。

「love」に相当する言葉が日本語になくて翻訳に困ったのですね。
続きは新ブログで
http://asunarohensai.blog.fc2.com/
posted by 変才冨田 at 17:15| Comment(3) | TrackBack(0) | 認め合うということ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする